番外編 凍れる獣が甘露の果実に魅せられた日〜クロヴィスとリリエルの出会い〜
クロヴィスとリリエルが出会った日の物語です。
王都の陽光は眩しすぎた。騎士団の訓練場に続く灰色の石畳を照らす光はどこまでも白々しく、魔族の彼にはどこか馴染めないものだった。
魔王の城にあった漆黒の天井、闇に煌めく炎の灯りとはまるで違う。目に刺さるほどの明るさに、彼は薄く目を細める。
その先に、彼の仮初の上司である第一騎士団第七隊の隊長がいた。
「聖女たちの護衛……ですか?」
不機嫌を隠そうともせず、クロヴィスは隊長の指示を繰り返した。
王国の騎士団に潜り込んでしばらく経つが、まさか神殿関係の任務を押しつけられるとは。
「神殿側の人手が足りないそうだ。聖女の護衛を騎士団にも要請してきた」
「我々は王都を守ることが使命であり、聖女の世話は神殿の仕事では?」
「文句を言うな。王国にいる以上は神殿の存在は無視できん」
クロヴィスは内心で舌打ちをした。神殿の聖なる魔力は魔族にとっては居心地が悪い。できれば関わりたくない。
『王都を守る』なんて思ってもいないことを言い訳に使うくらいには、避けたい任務だった。そうは言っても、本当の任務のために王国に溶け込む必要がある身としては、断ることもできない。
「……承知いたしました。謹んでお受けいたします」
渋々と従うフリをしながらも、クロヴィスは思考を巡らせた。
王国に潜伏して、魔王の血筋の者を探す――これが魔王の今際のときに直々に科された、彼の本当の任務。
心から忠誠を誓う魔王からの最後の命令を果たすべく、この王国に潜り込んでから幾年。彼はこの世界に溶け込み、騎士としての地位を築きながら、探し続けていた。
だが、何年も探し続けてもそれらしい存在には出会えない。魔王の血筋を引くならば、それなりの魔力を持っているはず。ならば力を持つ者が集まる王宮なら情報が集まるのでは……とあたりをつけたが、残念ながら王宮の魔術師たちにも騎士たちにも該当者はいなかった。
(魔王様の血筋が、この王国のどこかにいることは確実なのに……)
焦燥こそないが、もどかしさは募るばかりだった。少しの時間でも無駄にしたくはないというのに、よりにもよって神殿の聖女の護衛などという任務に駆り出されるとは。
(なんと無駄な時間だ……)
だが、皮肉なことに――その退屈な任務が、彼の世界を変えることになるとは、このときのクロヴィスはまだ知らなかった。
◆
聖女たちは神殿の前に整列し、祝福の儀を執り行っていた。民衆は彼女たちの前に進み、聖なる加護を受けることを期待して膝をつく。
クロヴィスは退屈そうに剣の柄を弄びながら、遠巻きに彼女たちを見つめた。
どれもこれも大した魔力ではない。これほど多くの聖女がいるというのに、多少は面白味のある者はいないのか――そう思った、その時だった。
ふわり、と甘美な魔力が薫った。
「……!」
クロヴィスの全身に戦慄が走る。ほのかに漂う、心地よい魔力。どこか懐かしさすら覚える、魔族の香り――。
魔王の御前に立ったときに感じる、あの圧倒的な魔力とは違う。だが、確かにこれは――魔王の血筋のものだ。
(……見つけた!)
視線を巡らせ、彼はその源を探す。
一人の少女が、祝福のために市民の前に立っていた。
柔らかに波打つ深い黒色の艶やかな髪。黄金色に近い赤の瞳は、魔族の強い血統を受け継ぐ証し。その輝きは、かつて憧憬を抱いた魔王の瞳を思い出させた。
(……あなたが、魔王の血に連なる者か)
魔王が探し求めていた、唯一の血族。
しかし、周囲の人間たちは彼女の価値に気づいていないようだった。
「え? これだけ?」
「思ったより、すごくないわね……」
民衆が困惑し、彼女の周りの聖女たちが小さくため息をつく。
「リリエル、まだ修行が足りないのね。でも、きっとこれから伸びるわよ」
「そうよ、焦らず頑張ってね」
慰めの言葉に隠された侮蔑が、透けて見えた。
(愚かしい……)
クロヴィスは、静かに拳を握る。
彼は感じている。あの少女がどれほどの魔力を秘めているのかを。
これほど気高く、甘美で、惹きつけられる魔力は、魔王の血筋を持つ者以外ありえない。
だというのに、誰もそれに気づいていないとは――!
だが、彼だけは違う。
この甘美な魔力を、彼だけが感じ取ることができる。
この王国の誰よりも、彼は彼女の価値を理解している。
(あなたは……あなたこそが、魔王の血を継ぐお方だというのに)
なのに、こんなにも低俗な人間たちに囲まれ、軽んじられている。
胸の奥が疼いた。
悔しい。苛立たしい。
こんなにも美しい魔力を持つお方が、こんな場所で埋もれていることが、許せない。
(……ああ)
しかし、それと同時に、彼は奇妙な感情を覚えた。
自分だけが、この魔力を知っている。
それは、この世界において自分だけに許された特権ではないか。
彼女の価値を知る者は、自分だけ。
彼女の魔力の美しさを理解し、その香りに酔いしれることができるのは、自分だけ。
「……リリエル様」
彼はその名を、そっと呟いた。
甘美な響きが、舌の上に絡みつくようだった。
なんと心地よい名前なのか。
探し求めたお方。
魔王の御血筋を継ぐ、たった一人の存在。
彼女をこのままにはしておけない。
こんな愚かな人間どもに囲まれ、彼女が埋もれるなど、あってはならない。
(私があなたをお守りします……!)
――いや、それだけではない。
なぜだろう。
魔王への忠誠だけでは説明のつかない、異質な感情が胸を満たしていく。
彼女を守りたい。
彼女を手に入れたい。
彼女を、自分だけのものにしたい。
その理由は、まだ自分でも分からなかった。ただ、確かなことは――彼は、彼女を手放せないということだ。
(……リリエル様)
彼は、彼女の守護騎士になることを決めた。
騎士団が驚こうと、神殿が戸惑おうと、そんなことは知ったことではない。どんな手を使ってでも、彼女のそばに行く。
――こうして、落ちこぼれ聖女と称される少女を指名し、守護騎士になることを決めたクロヴィスの選択は、神殿と騎士団に衝撃をもたらすこととなる。
その日から、彼女の人生は大きく動き出すことになるのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次話『番外編 クロヴィスの弱点』