第八話
《Side-Unknown》
「―――では…作戦遂行の暁には契約通り、レール自走砲106式型A19をそちらに10輌導入させて頂きます」
場所はセレブ御用達のあるアスタードホテル最上階の一室――――。
眼下に夏の日差しに焼かれる市街地を眺めつつ、十分に冷房の効いた応接室の広い部屋の中、大きな一枚板のテーブルを挟んで両者は向かい合っていた。
最前話したのは、窓を背にして座る濡れ羽色の真っ直ぐな長い髪の女だった。
年齢は30前後。しっとりとした白い肌に整った顔立ち、日を浴びた海の様な切れ長の青い瞳に黒いフレームのメガネ――――女は眠気も覚めるような美人だった。
全身黒一色の長いスカートスーツに身を包み、どこか硬質で生真面目な印象の女の左右には部下が控えている。女の左側には中年の男性、女を挟んで右側には30代半ばと思われる男性が立ち、その男性の隣にはなぜか場違いなほど年若い3人の“少女”が居並んでいた。
テーブルを挟んで女の対面に座るのは、いかにも高そうなスーツを着込んだ3人の年齢もばらばらな男達と、彼等と1つ席を開けてだらしなく座る戦闘服を着た40代後半の男だった。だらしなく座った男の後ろにはその男より幾らか年下と思われる、同じく戦闘服姿の男が控えていた。
高級なスーツ姿の3人の中で真ん中に座った、60代の一番地位が高そうな男が口を開いた。
「確かに―――契約書は預かった。後はそちらの計画が上手くいくことを願うばかりですな、“レネ特務二佐”」
太った体を紺色のスーツに包み、豊かな白い顎髭を震わして男は笑った。
「近隣をお騒がせすることをお許しください。今日中には遂行可能な作戦ですので、明日また改めて、ここで納品の日時を具体的に調整したいと思っています」
「まあこれも、我々にとってはメリットのある作戦でもあるので―――…そうだろう、“ガイ”君」
60代の男に声を掛けられた戦闘服姿の40代後半の男――――ギルガメシュの頭領ガイは、どこか冷めた表情をで答えた。
「“奴等”はアタランテとの契約を一定量にして、他都市とのメテオラ部品のやり取りをバランスを考えて行っています―――…つまり、当然アタランテに納めるべき物が他の都市へと流入されていますからね…ここで1つ、お灸を据えるべきなんですよ」
ガイは目を眇め、最後にはシニカルな笑みを浮かべながら言った。
「それは私達も困りますね。我々はアタランテの加工製品を材料に、組み立てた工業製品を輸出してますから…」
レネと呼ばれた女はそう言って相槌を打った。
「…じゃ、そろそろ作戦準備に入りたいんで俺等はここで。失礼します、イシバラさん」
「成果を期待しとるよ、ガイ君」
ガイは椅子から立ち上がり、イシバラと呼ばれた60代の男に挨拶しレネに向かって頭を軽く下げると、部下を連れて部屋から立ち去った。
イシバラはそれを見送ると、一つ息を吐いていった。
「しかし―――…そんなに重要なものなんですかな、その…」
「“適応者”ですか?」
イシバラは白い顎髭をしごきながら肯いた。
「我々アタランテは、良くも悪くも壁に守られ、その中で人生を終えていきますのでな。たった一人の人間が巨大な力を持つことを、良しとしない考えが強い。現体制を揺るがす存在になっては元も子もないですから。…しかしあなた方は、たった僅かの少数の為にこれほどの作戦を行おうとしている。なぜか…」
イシバラが鋭い視線をレネに向けると、レネはその視線を正面から受け止め、ゆるぎなく答えた。
「――――この世界を取り戻すためです、イシバラ防衛長官」
「世界を――…メテオラから、かね?」
レネは静かに頷いた。
「はい。人類は、このままいけばメテオラの奴隷と化すかもしれません。その兆候は世界各地で見受けられます。我々は…その状況を覆す力が彼等―――適応者に備わっていると考えています」
「一個人にそれほどの力があるとは…我々には俄かには信じがたいが」
「それをこれから証明して見せます長官…―――我々の力で」
強く言い切ったレネの背後で、数多の人々が存在する街は更に暑さを増そうとしていた。
《Side-スイ&ハル》
「あわわわわわわわわわわ…」
ハルは訪れる者を威嚇するような、厳重なセキュリティーの分厚い金属製の門を目の前にして、蒼褪めた顔をしてガタガタと震え出した。
傍らのスイはモニターの前に立ち、中の人間と連絡を取っていた。
「そうだ、注文した監視カメラを納品しに来た。お宅のボスに直接渡せってことだから、ここ開けてよ」
『オロチ様に確認する、しばらく待て』
男の音声がそう言うと、通信を断った。
「ったく…何が“様”だよ」
スイはそう言ってごちた。
「でも…やっぱり蒼龍が壊れたのは痛いな…。ハル、応急でもいいから修復出来ない?」
「うぅ~ごめぇん…い、今は無理ぃ…全っっ然集中出来なぁいっ!!」
ハルは半ばパニクッた、今にも卒倒しそうな勢いでそう答えた。スイはさもありなん、と思いながらハルの肩を励ますように叩いた。
「だよね…。さっさと終わらせることだけ考えよう―――あ。」
ギギッ…ギギギギィ~~~イ…!!
スイが顔を上げると、真っ黒な金属性の門扉が軋んだ音を立てて内側へ向かってほんの少し開いた。そこからいかにもガラの悪そうな男が二人サブマシンガンを下げて顔を覗かせ、手で“入れ”とスイ達に向かって合図した。
「あわわわわわわぁっ…」
「ハル、行こ」
スイは、相手が少しでも不審な態度を取ったら即行動出来るよう警戒しながら、門の中へ足を踏み入れた。2人が中へ入ると、重厚な門扉は外界をシャットアウトするかの様に背後で重く閉ざされた。
門の中はまるで別世界の様相を呈していた。
メテオラの侵攻などどこ吹く風と言った様子の、優雅なラウンジの向こうにそびえ立つ豪邸――――スイはそれらを反吐の出そうな思いで横目で流し見ながら、2人のガードマンに従って邸宅の中へと入っていった。
(…人の生き血で出来た豪邸だ)
ブラックスカッターは人身売買や娼館や裏賭博経営、ドラッグや武器の密売など、なんでもござれの腐れマフィアだ。
こんな豪邸でオロチやその家族が贅沢に暮らしている様を想像するだけで、気分がムカムカしてくるのををスイは止められない。ハルは先ほどからスイの腕にしがみつく様にして、斜め後ろに縮こまりながら付いて来た。
メテオラ侵攻前の旧世界の美術品があちこちに置かれた広い廊下を進むと、やがて吹き抜けのだだっ広いリビングへ通された。クーラーの効いたその部屋の中心にある、黒い革張りの大きなソファに男が一人座っている。60代と思われるその男がスイ達に気付くと、笑いながら手を上げた。
「ようこそ我が家へ、何か飲むか?」
(…こいつがオロチ)
男は小太りでがっちりとした体格をしていた。外見ははっきり言ってどこにでもいる様なオヤジに見えるが、全身に纏っている空気が堅気のものではなかった。目やその下の弛んだ涙袋の印象が、やけに荒んで相手の印象を暗いものにしている。
スイは思った事を表情に出さないよう努めながら、オロチに答えた。
「いえ、すぐに出ていきますんで」
オロチは、スイの傍らで縮こまったままのハルに目をやり機嫌良く声を掛けた。
「そっちのお嬢さんは?ジュースでも炭酸でも何でもあるぞ」
「はぅわっ!?ゃやややあの、あの、ああたしはぁ…っ」
「この子にも結構です。お気遣い感謝します」
「そうか。ま、座ってくれ」
オロチは気にする風もなく、自分の対面のソファを示した。
紫粋をフックから外し足元に置いてソファに座るまでのその間、スイはガードマンがどこに何人いるのかをさりげなく確認した。
(全部で6人…メテオラは無し、か)
ハルは重そうなリュックを足元にドスンッと置き、まるでブリキのロボットの様にカクカクとした動きでソファに座った。
オロチは気さくに笑いかけながら話し出した。
「今回は無理を言ってすまなかった。どうも俺らの敵対組織が“犬”を放ったらしくてなぁ。―――それで?現物を見たいんだが」
「えぇ、今…」
スイはそう言ってハルに目配せした。ハルは体をビクッと弾ませると慌ててリュックを開け、手のひらサイズのドーム型の監視装置を取り出した。
「ご希望通り、盗聴機能も備えたデジタル接続方式となっています。400万画素の高精細なカラー画面で、暗視機能も付いています。イベントレコーダー(※…人感センサーに連動しているタイプ)になっていて、手動の遠隔操作も可能で―…」
「あ~~ちょっと待った、俺はその手の話は苦手でな。セキュリティを取り仕切っているこいつに話してくれないか?」
オロチが合図すると、脇に控えていた黒いスーツの男が近くに来た。スイがその男に視線を移したその時―――視界の端でオロチが動いた。
「―――ッ!?」
スイがバッと振り向くと、オロチは片手に持った銃をスイに向けていた。スイはとっさに紫粋に手を伸ばそうとした。
「やめとけっ!!…死にたいのか姉ちゃん、周りをよく見ろ」
オロチが大声で制止した。
スイが辺りを見回すと、6人の男達がすでに銃を構えていた。スイは自分に銃口を定めているオロチを鋭く睨み返した。
「―――…一体、どういうつもりだ」
オロチは今までの人の好さをかなぐり捨て、野卑た笑みを浮かべた。
「安心しろ、命までは取らねぇ。…お前達に会いたいって言う人がいてな。俺はそれを仲介してるだけだ」
「…誰だそれは」
「それは会ってのからのお楽しみだ。―――おい」
オロチが傍らの男に声を掛けると、男はスイに向かい手錠を2つ放った。
「それを装着しろ。そっちの嬢ちゃんもな」
スイは手錠を持ったまま無言でオロチを見た。
「さっさとしねぇかっっ!!!」
オロチはドスの効いた声で怒鳴りつけた。
「あのぉ~…」
その時―――なんとも情けない声でハルがオロチに話し掛けた。オロチは邪険な表情で振り向くと低く恫喝した。
「てめぇもさっさと着けろつってん…」
「じゃ、じゃあっ!監視カメラは!?ぅうう、嘘だったんですかあっ!?」
オロチは度し難い馬鹿が目の前にいると思い、大きく舌打ちした。
「そうに決まってんだろうが!!頭足りねえらしいな、お前は」
「…うぅっ…ひっ、酷いぃ~―…」
「ぁあ゛っ!?」
ショックを受けた様子のハルは、震えながら深く俯いた。スイはそれを横目に見ながら静かに左足を紫粋の下へ差し込んだ。
「あ、あたし…っあんなに必死でぇ…“皆”と一緒にがっ、頑張ったのにいぃ~~…っ」
オロチはハルに銃口を向けた。
「そりゃすまんかったな。さっさとと手錠を着けろ」
「う、うぅ~…っぅう゛ぅ゛う゛~~~っっ!!」
「てめぇ聞いてんー…ッ!?な゛…っ」
オロチが見つめる視線の先――――手に持った銃のスライド部分の上に、いつの間に現れたのか小さな“カマキリ”がファインティングポーズをとりながら、ユラユラと体をゆらしてオロチを睨みつけていた。
モゾ―ー…モゾッ…モゾゾゾゾゾゾゾォオオッッッ!!!
聞こえてきた“異音”にオロチが慌てて目をやると、そこにはハルが担いできた大きなリュックが、まるで中にいる動物が暴れ出してでもいるかの様にウネウネと激しく形を変えて波打っていた、そして次の瞬間。
――――ッブォワァアアアッッッ!!!
リュックの中から大量の“虫の大群”が一斉に飛び出した。
「な…っ何だありゃぁあ―――っっっ!!!」
オロチが度肝を抜かれ叫んでいる間に、虫の大群は吹き抜けの天井近くまで舞い上がると、今度は急降下して下にいたオロチの部下へと襲い掛かった。
「わ…っぅわああああ――――っっっ!!!」
「な、何だよこれぁあっっ!!?」
2人の部下は持っていたオートマチックを撃った。
乾いた音が部屋に響いたが弾丸は一発も虫に当たらず、虫達は次々と部下の体や銃にくっついた。
「ぃてぇっ!!かっ噛まれ…」
「何だっ!?銃が撃てねぇっ!!」
「何やってんだお前等あっ!!さっさとこの虫を―…」
ギィインンンッッ!!!
「ッ!!?しま…っ」
オロチがスイから目を離したその瞬間、紫粋を蹴り上げると同時に空で鞘を抜いたスイが素早くテーブルへ上がり、オロチの持っていた銃を銃身ごと切断した。
「―――ッ!!」
オロチの傍らにいた部下の一人がスイに向けて銃を撃とうとしたその時、刀を素早く転じたスイはソファの背にオロチを押し付けるように、その首元へ水平にした刀を押し付けた。
「全員銃を下ろせっ!!こいつの首を掻っ切るぞ!!!」
スイは自分を囲むオロチの部下に向け怒鳴った。しかしそのスイの背中に向け別の部下の銃口が向けられた、その瞬間。
「ぎゃあああっっ!!!」
飛んできたキリオくんが、男の顔面に張り付いてその鼻を切り裂いた。
「があっ!!クソぉっっ!!この虫ぃ…っ!!」
「―――ッ!!オロチ様…っ!!」
他の部下はハルのパラテオラに襲われるか、人質になったオロチのために動けないかのどちらかだった。
「てめぇ等…よくも―…」
「ハル!!こいつに手錠を。動くなよオロチ、少しでも動けば…この刀がお前の首を切断する」
スイはオロチの首にグッと紫粋を食い込ませながら言った。ハルがワタワタと急いでリュックを担ぎ、テーブルの上に置かれた手錠を取った。
「オロチ…後ろ手に手を出せ!!」
スイが厳しく命令すると、オロチは凄みのある笑みを浮かべスイを睨み据えた。
「…ククッ、やれよ―ー…ぉら゛、俺の首を掻っ切ってみろぉ゛お゛っっ!!!」
いきなり怒鳴ったオロチはスイの指示に従わず、両腕を大きく広げた。
「オラ゛ぁっやれぇえ゛っ!!!クソガキがイキがってんじゃねぇぞっっ!!!」
「はわぁあっ!?ど、どどどうしよ、スイ!?」
オロチのあまりの迫力にハルは泡を食ったようにオタオタしてしまい、スイは表情を険しくすると低く話した。
「ハル。虫達を何匹かオロチへ張り付けて――…“あれ”を」
「…ッ!?―――ヘッ!たかが虫ケラに何が出来んだあっ!?いいから俺を開放しろ!!ここは俺の家だぞ、逃げ切れるとでも――ー…ッ!!?」
喚き散らすオロチを尻目に、部下の一人がヨタヨタと2、3歩歩いたと思った次の瞬間、床にくず折れるれるようにして倒れ込んだ。もう一人は足が立たない様子で這いつくばると、呻きながら倒れ込みそのまま動かなくなった。
「…がっ!…あ、ぐ、ぞお――…!!」
「か…っ体、が…あ――…」
部下達が次々と倒れ込んでいく様を信じられない思いで見ていたその時、オロチの耳に小さな羽音が聞こえた。
ブゥ――…ゥウ゛ウ゛ンン…ッ!!
「ーーッ!!?つっ…!!」
次の瞬間、オロチは首の裏に熱い痛みを感じた。
「クソおっ!!何だ…!?」
痛みに顔をしかめ首の裏に手をやったオロチの視界を、緑色の蜂が横切っていった。それと同時にスイはオロチから刀を離した。
オロチはこれを好機と見て、銃を構えて立ち上がろうとした。
スイを標的に定めようとした時、刺された首が急激に熱を持ちながら体中に広がり出した。両手がグローブでも身に着けたように感覚が鈍く感じると、意に反しその手からスルリと銃が落ちてしまった。何が起こっているのか理解出来ないうちに、体が勝手にブルブルと震え出すと足に力が入らなくなり、立っていられなくなったオロチは音を立ててソファに倒れ込んだ。
「で…めぇ――…」
その瞼が重りを乗せたかのように重くなり、必死の抵抗も虚しく徐々に閉じられていき―――ー糸が切れた人形のように意識を失くすと同時に、オロチは深い眠りへと引きずり込まれた。
スイが緊張を解いて辺りを確認すると、オロチの配下は全員その場で倒れ込み間抜けな顔で眠っていた。
キリオくんが音を立てて飛んで来ると、ハルの前髪に止まった。ハルは覆いの開きっぱなしになったリュックを担ぐと、大声で号令を出した。
「皆ぁあ~~っ!!帰って来てえ~っ!!」
様々な色や形をした小さな虫達――――ハルの仲間“パラテオラ”の群れが、それを合図にブゥ~ンッ!!と音を立てながら、速やかにハルのリュックの中へと戻っていった。
「ハル、この睡眠薬はどのくらいもつ?」
「ん?えっとねぇ半日くらいかなぁ…このおじさん、怖かったねぇ…」
スイは半目で眠りこけているオロチを忌々しく見下ろし、大きく舌打ちした。
「何で私達を捕まえようとしたんだ、こいつ…―――ギルガメシュまで関わってるなんて…」
「あ~あぁ~、だからアノミアには通常攻撃じゃ勝てないって、親切に教えてあげたのに」
「―――ッ!!?」
スイとハルがハッとして見上げた視線の先――――ロフトになった2階の廊下から、こちらを見下ろしていたのは、2人組の少年だった。
一人は14、5歳ほどの、明るいキャラメルブラウンのマッシュルームカットの髪に水色の瞳、少女のような中性的な顔には、この異様な状況下にあっても人懐こい笑みが浮かんでいる。
低くなったロフトの壁にぶら下げた両腕に頭を乗せながら喋っていたその小柄な少年の隣には、不機嫌な顔でむっつりと黙り込んでいる、目の異様に暗い少年がいてこちらを見下ろしていた。
年齢は明るい少年よりは年上で、暗い赤色の瞳にぼさぼさの黒い髪はどこか世をすねている様な、ひねくれて陰鬱な雰囲気を醸し出している。
スイは突然現れた二人を見て、大きく目を見張った。
「お前達―――ギルガメシュの…」
マッシュルームの方がニコリと笑うと、ヒョイッと壁の上に体をのせて立ち上がって一階を見下ろした。
「僕は“サメジマ・ナギ”、こっちの根暗そうなのは“キサカタ・ヨル”。君達大人しく僕等に捕まってくんないかなあ~、そうすれば話が早くなるんだけど」
(…まずい、あいつ等はアノミアだ!!)
アノミアはエーテルを操作出来る。一体どんな能力を持っているのか分からない相手を、2人も相手にするのは今のこの状況では荷が重すぎる。それに――…
(私とハルを襲って来たというなら…ヨシノも危ない)
スイは刀を構えながら、傍らのハルに近づいて小声で話しかけた。
「ハル…ヨシノが心配だ。こいつらはまともに相手せず、ヨシノと合流しよう」
「う、うんそうだよね。―――風神、雷神おいで」
担いだリュックの中から虫達がハルのかざした両手に集まり、光を帯びた。その二つが形を成しながら光を失うと、流線型の2丁の銃が姿を現した。
「お前等なんで私達を狙うっ!!オロチが黒幕ってわけじゃないだろ、お前等の雇い主は誰だっ!!」
ナギは明るい水色の眼を細め、まるで世間話をしているような軽い口調のまま平然と話した。
「ん~まぁ、やんごとなき方々…とだけ言っとこうか。真面目な話、これは君等にとってはとてもいい話なんだよ。その人達は君達の“協力”を求めている。―――世界を、メテオラから取り戻すためにね」
「は…?何言って…」
「ナギ、もういいだろ。とにかくこいつらを生け捕りにすればいい話だ――…行くぞ」
言った途端、ヨルの体がぐにゃりと“歪んだ”。
「もぉそうだけどさあ~!ごめんねぇ~とりあえず君等を捕縛するから」
軽すぎる口調で謝ったナギは両手を顔の前に掲げた。その指には全て指輪がつけられていて、それが不意に黄色の光を放つと“光の縄”が指輪の宝石からシュルシュルと伸びてきた。
ナギはそれを片手とともに振り上げると、スイ達めがけ光縄を投擲した。
―――ヒュ…ッビュォオオッッッ!!!
まるで意思を持った蛇の様に、3本の光縄は複雑な軌跡を描いてスイを狙い迫ってきた。スイは素早く紫粋を繰り出し、自身を捉えようとする光縄を切り捨てていき―――…
「――ッ!!?クソ…っ!!」
切り捨てたはずの光縄が作った“影”が、不自然にうねりつつ立体的に変化し今まさにスイを捉えんとした。
ガガガガガガッッッ!!!
その影を光弾が次々と穿つと、影は飛び散り形を乱した。
「―――ハルっ!!今だっ!!」
影を正確に双銃で攻撃したハルは、その銃口を転じた。
「紫粋っ!!―――刃月波っっっ!!!」
スイの叫びに呼応して紫粋が激しく瞬き、スイは刀身を下から一気に振り上げた。
――ッゴォアアアッッッ!!!
紫粋から放たれた白紫色をした三日月型のエネルギー波が、影ごと床を切り裂きながら光縄をズタズタにし、2階に立ったままのナギめがけ放たれた。
「――ッ!!?」
ナギの全身を白紫の光が照らした刹那――――数瞬の沈黙ののち、爆音がオロチの豪邸を揺るがした。
ゴッッドゴォオオオオオオーーーーッッッ!!!
屋敷から土煙が立ち上り辺りに爆散した。
オロチ達がいた部屋はガレキの落ちる音のみで、しばらく人の気配はしなかった。
「―――エホゴホッ…ぅあ~すごい威力~。ヨル~大丈夫?」
なぜか一階に降りていたナギは、激しくむせながら涙目でヨルに声を掛けた。その足元には眠りこけたオロチが転がっていた。
「――…大した傷はない。…だが」
離れた場所に立っていたヨルが答えた。その左手に血が伝ってポタポタと床へ落ちた。
土煙が晴れていくと、惨憺たる有様の部屋が見えだした。
床は原形をとどめず、天井には大きな穴が開いていた。そしてそこには最前までいたはずのスイとハルの姿はなく、ただ庭と居間を隔てていた広い一枚ガラスが粉々の状態で残されていた。
ヨルはそれを陰鬱な目で見つめた。
「―――…だが、ターゲットには逃げられた」
とにかく路地をオロチ邸とは反対にめちゃくちゃに走り続けたスイとハルの二人は、息を荒げて立ち止まるとビルの日陰で息を吐いた。
太陽はまるで二人を苛む様にジリジリと今でも暑さを増している。
スイは流れ出る汗をぬぐいながら誰かがつけてはいないか確かめると、その気配は無い事を確認しハルを振り返った。
「ずぇえ゛~っはぁあ゛~っぜぇ゛え゛~~…っ!!」
ハルは死にそうな顔で、ビルの壁に片手をついて息を吐いている。
(…これからどうするか――…)
スイは、深刻な今の状況に頭を巡らせた。
(やっぱりG・O・Cに助けを―――…でも、ギルガメシュの背後にいるのが何なのか分からない――…もしもそれが…)
スイは顔を上げ、微かにビルの間からのぞく巨大な壁を見上げた。
(アタランテだったらどうする…?そんなことに、ヘイザさん達を巻き込むわけには――…)
「…ハル…」
「へぇあっ!?ど、どうしたのスイ。もうヨシノのとこ行く?」
「うん。―――…ハル、この街を出たほうがいいかもしれない」
それを聞いたハルは、ガビィイインンッ!!と雷に打たれた様なショックを受けた。
「う…そ、そんな~…」
「…やっと、ここなら少しは長くやってけると思ったけど、でも…」
言いながらスイは、無意識に拳を固く握りしめていた。自分の表情がはた目にもひどく強張っているのが分かる。
「ブラスカやギルガメシュを使ってる奴らが背後にいるってことは、そいつがそれだけ巨大な力を持ってるって事だ。助けをG・O・Cに求めるにしても、限度がある。――…手っ取り早い解決法は…この街を出ていくしかない」
ハルは今にも泣き出しそうに顔を歪めていたが、やがて何かを決断しキッと顔を上げた。
「あ、あたしは―――…ス、スイやヨシノと一緒にいたいよ。だだから、街を出てってもいいよ!3人で一緒にいられるなら…!!」
スイは両手を握りしめながらそう勢い込んで話すハルを見ると表情を柔らかくし、やがてしっかりとうなずいた。
「…うん。ありがとうハル。ヨシノに会ったら、私達の決断を話そう」
(…だけど、ヨシノは―…)
スイの頭に一抹の不安がよぎった。
ヨシノは今あの男と一応付き合っている。そこへ自分達が“街を出る”なんて話したら…正直ヨシノがどんな決断を下すのか分からない。
(もしかして…もしかしたら、ヨシノはあの男と一緒に―――…もう私達とは…)
「スイ?ヨシノの所に、早く行った方がいいんじゃないかなぁ」
ハッと我に返ったスイを、その場で走る動作をしながらハルが不安げに見ていた。
「あ、そうだね…行こうハル!」
「うん!」
二人はクジラ亭に向かい、急いで駆け出した。