第十話
《Side-ギルガメシュ》
アツロウがG・O・C本部入り口の防壁を透過すると、天井の隅に設置された2機の軽機関銃が火を噴いた。激しい雨音に似た銃弾の雨がアツロウの全身を貫くが、その全てがアツロウの体をすり抜け背後へと透過してしまう。
アツロウは右手のアーミーナイフをホルダーにしまうと、左脇のホルダーから大口径の電子銃を手に取り、銃口を今も自分を攻撃し続けている2機の一方に向けトリガーを引いた。
ヴィ―…ッダンダァンッッ!!ダダァンンッッッ!!!
放った4発の銃弾は軽機関銃に正確にヒットし、攻撃は止まった。
アツロウはニヤリと笑って歩みを進めながら自らのW・PCを起動させ、この本部の見取り図をホログラムで展開させた。
「何だよ…もっと激烈に歓迎してくれると思ったのに、人っ子一人いねえじゃねえか――…あのクソども、どこ行きやがった」
そう言っている傍から、あちこちの壁や床から様々な銃器が出現し攻撃をしてくるが、アツロウは無造作とも思える態度で片手に持った銃を発射し、それら全てを次々に破壊していく。
通常の人間なら、とうにミンチにでもなっている程の銃弾を浴びてもアツロウは傷一つ追うことなく、銃弾の雨をサントラの様にして聞き流しながら歩き続けた。
玄関からロビーに出ると(そこで5機の機関銃や火炎放射器から攻撃を受けた)、左右と奥へと続いている3方向の廊下が全て防御扉で遮断されていた。
アツロウは自分を攻撃してきた銃器を難なく破壊し終えると、奥へと続く廊下を遮断している隔壁を透過し、その先のエレベーターが両側に設置された廊下へと進んだ。
G・O・Cの本部棟のほぼ中心部になるこの場所で、アツロウはホログラムを確かめながらしばらく歩き、ふいに歩みを止めた。
「ここらでいいか――…」
呟いたアツロウの全身が薄い光の膜に包まれた途端―――その体が床を透過し、地下へと沈み始めた。
両足が地下1階の天井から現れると同時に水滴のようにアツロウの体は落下し、そのまま地下1階の床を透過して地下2階の床に重い音を立てて着地した。
アツロウは胸元をボリボリと掻いて辺りを見回した。
「んだあ?ここにも誰もいねぇのかよ――…」
真っ暗な地下室は備品保管庫になっていて、埃をかぶったガラクタが小山をいくつも作っている。アツロウはしばらく耳を澄ましてみたが、部屋の外から何の音も聞こえてこなかった。
アツロウは思い切り顔をしかめて目を細めた。
(チッ…!!なぁんかうさん臭ぇなあ~)
明らかに何らかの罠の匂いがする。
「…この建物に俺らを誘い込んで何かする気かぁ?」
アツロウは凶悪な表情でそうごちると、荒い鼻息をもらした。
「まっ、このまま中枢システム乗っ取りゃあ、後はどうにでもなる。さっさと参りましょうかねぇ~」
アツロウの体が再び光の膜で覆われ、足先から床へと急速に沈み込んで行く。配線が張り巡らされた床下を通過すると足が空間に抜け出たのを感じたと同時に、アツロウは中枢制御室へと難なく侵入を果たし床に着地した。
辺りは連立する黒い記念碑のようにスパコンがずらりと配置され、低い稼働音を響かせていた。
「さぁってと…コンソールはど…」
「はぁ~い醜いブタさぁん♪」
「――ーッ!!?」
アツロウは背中越しにかけられた艶っぽい女の声に振り向きかけ――――それが“誰の声”か分かった瞬間、振り向きそうになった体にブレーキをかけた。
「てっ…めぇは“零番隊”のおっ…―――何でてめぇがあっ!!」
「やだぁ、絶対こっちを“見てくれる”って思ったのにぃ~。こんなにイイ女が誘ってあげてんだからこっち見なさいよぉ」
艶やかに波打つ長い金髪――――白い肌に眠たげで、どこか物憂げな影を宿す灰色の瞳。胸元を大きく開けた灰色のバトルスーツに包まれた体は肉感的で、濡れたように光る深紅の唇を笑みの形にして、女はからかい口調でそう告げた。
G・O・C特殊作戦部隊―――――高難度な依頼をこなすG・O・C最強の部隊“零番隊”所属の女“トヨオカ・アトリ”は、長い髪をかき上げながらスッと笑みを消した。
「――…この豚野郎が。人の家に土足で上がってんじゃねぇよ」
アツロウは、アトリから顔を背け絶対に目を合わせないように気を付けながらも、歯をむき出して笑った。
「まぁ…ガイの旦那にゃ怒られっかもしんねぇが…こうなっちまったらしゃあねぇわなぁあっ!!!」
叫ぶと同時にアツロウは、手近にあったスパコンに自身の持っていたナイフを突き立てた。
音も立てずに腕まで深々と突き刺さったそれをアツロウが一気に横へ引き裂く動作をした途端、スパコンの中から激しい機械音が発生した。
「ーーーッ!!!」
「こっちはてめぇの姿さえ見えなきゃ何も怖くねぇんだよおっ!!このまま全部このデカブツをぶっ壊してやらぁっ!!覚悟しろクソビッチがあっ!!」
アツロウは猛然と走り出し、アトリがいる場所と反対のスパコンが並ぶ列の中へ突っ込もうとした。
「…させない」
「―…っ…!!んな゛あっ!!?」
その時、猛然と駆けていたアツロウの体が急ブレーキをかけたようにピタリと止まった。見開いたアツロウの瞳に映っていたもの――――それは目の前に無数に映し出された“女の姿”だった。
「はぁっ!?何でいきなりスパコンの表面が、鏡面加工なんかに――…!!」
先程まで確かにマットな質感で、辺りの景色など一切映すこともなかったはずのスパコンの表面に凹凸が生まれ、今や一面万華鏡のように女の姿が無数に展開されていた。
「ぐぅっ…がっ…!!」
女の姿を視認した瞬間アツロウの全身が硬直し、微塵も動けなくなってしまった。
「さぁて何ででしょうね~。…これであんたはもうあたしの“奴隷”よ。まずはそうねぇ、武器を手放して土下座でもしてくれる?」
「くぁっ…!!」
アツロウの意思とは全く無関係に両手から力が抜けナイフが音を立てて落ちると、次は体が勝手に床へひざを折った。
「くっ…そぉお゛お゛っ!!殺してやるっ殺すぞクソアマぁあ゛~っっ!!!」
顔を真っ赤にして罵詈雑言を吐き散らしながら、それでも床に這いつくばる姿勢になったアツロウを、アトリは実に楽しげに見下ろし続けた。
「ちっ…ぐしょおっ!!クソっ…」
完全に土下座する形となったアツロウの頭頂部を目を細めて見下ろしながら、アトリは笑みを消し口を開いた。
「―――…それじゃ、あんた等ギルガメシュの計画を全部吐いてもらうわよ。その後のことはまぁ、人でなしの豚野郎なら…察しはつくでしょ?」
まるで鋭利な刃物のような冷たい口調で命令され、アツロウは大粒の汗を浮かべ全身を震わせながら渾身の力で抵抗しようとするが、アトリの言葉が麻薬のごとく全身を侵していくことを止めることは出来なかった――――。
《Side―スイ&ハル&ヨシノ》
遠くのほうでやたらヘリの飛ぶ音が聞こえると思っていたら、突如聞こえた爆発音にスイとハルは驚いて上空を見上げた。
周囲は半ば廃墟の家やビルが雑多に立ち並ぶ地域で、上空を見ても爆発音の下場所がどこかは判らなかった。
(何で今日に限って―――…まさか)
スイは思いついた途端背筋が寒くなる思いになりながら、先程の爆発音が自分達が今見舞われている災難と何か関係があるのではないかと思い、慌ててその嫌な予感を頭から締め出そうとした。
その時一発限りだと思っていた爆発音の後に、明らかに戦闘ヘリからのミサイルや機銃の音が続き、その激しい音はどこかの拠点が襲撃されていることをはっきりとうかがわせた。
「…戦闘ヘリ―――…ってことは、大きな組織…」
瞬間スイの脳裏に、オロチ邸で出会ったマサキ達の姿がよみがえった。歩いていたスイの足はいつの間にか止まっていた。
「…まさか、ギルガメシュの奴等が…」
先に進んでいたハルが振り返り、戻って来た。
「スイ、どうしたの?」
「ハル、戦闘機を何機も出撃させられる組織なんて、そうそういないよね」
「うん――――…ま、まさか、この攻撃って…?」
「…だとしたら、今奴等はいったい、どこを攻撃してるんだ?」
この町で一番大きなギルガメシュが目の敵にしている組織―――何もかも正反対な、人望の厚いリーダーがいる、その組織は―――…
ハルは蒼褪めた顔色になりながら呟くように言った。
「もしかして…G・O・C…?」
その時また大きな爆発音が、2人の思考を断ち切るように空に響いた。
「何だよ――…いったい、何が起こってるんだ」
(もし本当にG・O・Cが攻撃されているんだとしたら、私達も早く行くべきなんじゃ…)
スイはそこまで考え、それでも今はヨシノとの合流を何よりも優先すべきだと判断した。
「どどっ、どうしようスイ!!み、皆の応援に行ったほうが…」
「待ってハル、今はヨシノとの合流が先。G・O・Cのことは…その後連絡を取ったり…とにかく、状況を確かめてから動こう、いいね」
「でも――…」
ハルは不安そうに、今でも戦闘音が鳴り響いている空を見上げた。
「…ハル、今はヨシノのとこに急ごう」
ハルは眺めていた空から振り返ってスイを見つめ、しぶしぶといった感じでうなずいた。
「走るよっハル!」
スイが呼びかけ、2人はまたヨシノの元へ向かい駆け出した。
「ハル、きついけどもう少しだから」
ハルはスイと同じく汗だくになり、両膝に手を突き肩で息をしながら無言でうなずき返した。
2人は薄暗い路地裏から、光射す通りへ向かって走った。通りに出た途端、容赦ない夏の日差しが2人を刺し貫いた。通りは広く、人がまばらに行きかい日除けを張った店舗の中へと人々は避難していた。
通りを南へ向かって走り始めたスイは、その先に見知った姿を見つけ思わず声を上げた。
「アキトっ!!」
両手に荷物を下げたアキトが、上空を見上げて立ち尽くしていた。掛けられた声にハッと振り返ったアキトは、相手がスイだと知ると肩の力を抜いた。
「…スイ、何だろうなこの戦闘音。何か近くな…」
「アキト!今は詳しく説明してる暇はないんだけど、もしかしたらギルガメシュの奴等がG・O・C本部を襲撃してるかもしれない。誰か団員の人と連絡を取って、逃げるなら逃げたほうがいい」
「え?な…ちょ、ちょっと待ってくれ。何が――…」
スイは自分達が置かれた今の状況をさらに説明しようとし、寸前で思いとどまった。
(駄目だ、何も関係ないのに巻き込んだら…)
「…とにかく、本部が襲撃されてなければそれでいいんだ。連絡を取ってくれ、じゃあ!」
言うだけ言ってスイはハルを促し、アキトを置いて走り出そうとした。
「…スイ?君等もG・O・Cに行くのか?なら俺もー…」
「悪いけど違う!!そのっ…ヨシノの所へ行くんだ。とにかくごめんアキト!」
「あ、スイ―…」
「アキト~G・O・Cの皆のこと、よろしくね~!」
「ハルっ…」
走り出しながらスイはふと、このまま自分達はアキトと2度と会えない可能性にハタと気付いて後ろを振り返った。
アキトは途方に暮れたようにこちらをまだ見ていて、それを見たスイは良く分からないがなんだか少し“惜しい”ような気分になった。しかしそれも束の間で、前に向き直ったスイの頭の中はすぐにヨシノのことで一杯になり、全身の筋肉の抗議を無視し走る足にさらに力を込め、全速力で駆け出した。
クジラ亭の立つ路地へとたどり着いた時、2人は汗だくで息切れした状態になっていた。
「ひぃ゛~はあ゛~っ…や、やっどづいだね゛ぇ…」
「…ハル、戦闘準備を。もしかしてギルガメシュの奴等がいるかもしれない」
「ッ!!うっ…うん」
ハルは緊張した面持ちで左右の腰にあるホルダーに収められた風神と雷神に手を添えた。
スイはあたりを警戒しながら小走りに歩き出し、その後ろをハルがひょこひょこと続く。前方に店舗が見えたところでいったん2人は止まりお互いに目配せした。
店の前は、ランチの時間帯の終わりに近づいているためか閑散としていて、道には人影すらなくただ焼けるような日差しが路地を白く染めていた。
スイがドアに近寄り、覚悟を決め開こうドアノブに手をかけた、その時。
「――…何を、言ってるのロギア…。急に来て、今から逃げるだなんて…」
その声は、店の裏側へ続く店専用の駐車場から聞こえてきた。
「あれ?これってヨシノの…あっ、スイ!?」
ハルに返事もしないまま弾かれたようにスイは駆け出し、同時に愛刀の紫粋を鞘から抜いた。
駐車場には軽トラックが運転席を通りに向けて駐車されていて、ヨシノと男は車が収められて空いた手前のスペースでお互い向かい合いながら話していた。
「ヨシノっ!!!」
突然現れたスイに男の向こう側、通路の奥にいたヨシノは目を丸くした。
「スイ!?何、どうして戻って――…」
スイの視線はヨシノと向かい合い、今は自分と相対している男と正面からぶつかった。
そのあまりに浮世離れした美貌―――…何より、まるで生物など一匹も住まない湖のような、どこまでも美しく無機質で冷たいその青い瞳が始めて見た時から、胸糞が悪くなる程スイは好きになれなかった。
男に刃を向けながらスイは険のある声で言った。
「何でお前がここにいる――…お前も一枚噛んでたのかっ!!」
「…ッ!?スイやめてっ、いきなり何なの?ちゃんと説明して!」
ロギアは目を細めてスイの状態を観察すると、静かに答えた。
「そうか――…ギルガメシュの刺客が、君達を襲いでもしたのか?」
「―――ッ!!!」
「…っ…どういうこと、スイ。あなた達オロチの所へ行ったのよね、何かあった…――ロギア…?」
スイの元へ近づこうとしていたヨシノの体を、ロギアは片腕で制して阻んだ。
「私は一枚も噛んでなどいないが…どうやら事態は動き出したらしい。―――ヨシノ、君は今とても危険な状況に置かれている…君は私が守る。だから―――共にに行こう」
「…え…?」
ロギアを見つめるヨシノの瞳が大きく揺れた。
「ふっ…ざけんなぁあっっ!!!」
スイは怒号を上げると、両肩を怒らせてロギアを睨んだ。
「ヨシノは私達の家族だっ!!お前なんかと行くわけないだろうがっ!!ヨシノ、ギルガメシュの奴等が…ブラスカも、何でか私達を狙ってきてるんだ!!この街はもう危ない、3人で早く逃げようっ!!」
ヨシノはスイの顔を、続いて自分を静かに見つめるロギアを見て激しくうろたえた。
「まっ…待って、ちょっ、頭が追い付かない…っ。じゃあ、さっきから聞こえるこの音は何!?あれもギルガメシュの仕業なの!?」
「…っ…!!あ、れは――…っでも、私達が狙われているのは紛れもない事実なんだ。ヨシノ、ここも危ない、店は中退して早く着替えて―…」
「…まだるっこしいな」
低く呟いた声にヨシノが振り向いた瞬間、体はロギアによって両腕で抱きかかえられ、一気に数メートル上空へとジャンプしていた。
「…ッ!!ヨシノっっ!!!」
スイは紫粋を構えとっさに刃月波を繰り出そうとし、ヨシノに当たる可能性に気付き思いとどまった。
「あわわわわわっ…よよっヨシノが~~~!!」
「ハル!追いかけるぞっ!!」
ヨシノとロギアは数メートル先の建物の屋根に着地すると、助走も無しにさらに先へと高くジャンプした。
「ちょっ――…ロギアやめてっ!!こんなっ…」
ロギアの胸に抱かれたヨシノは必死に訴えるが、その細身の体からは想像も出来ない程の強靭な力で抑え込まれ、身動きが取れない。近づいてきた着地点を見たヨシノは、瞬間ロギアの胸を押しのけて思いきり体をよじり、その両腕から空中へとダイブした。
「ーーッ!!ヨシノ…っ!!」
2メートルほど落下したヨシノの体は、ビルの屋上へと横ざまに着地すると何度もバウンドした。
「…っ…!!―――…」
体の痛みに顔を歪めながら、ヨシノはなんとか上半身を起こした。キャップは取れてまとめていた髪がほどけ、白いコックスーツも汚れてしまった。
「ヨシノっ、危ないだ…」
「…来ないで、ロギア」
離れた場所に着地したロギアが足早にヨシノの元へ駆けつけようとしたその時、うつむいたまま発せられた強い声にさえぎられた。
ヨシノは無言で立ち上がるとロギアと相対した。その表情にはぎ然とした意志があふれ、それを見たロギアは息を呑んだ。
「……あなたは誰?数ヶ月も付き合っておきながらこんな発言…馬鹿みたいだけど。―――…あなたは、何者なのロギア」
自分に向けられた、言い逃れを許さないその強い紫の瞳に一瞬射すくめられた様に感じたロギアは、初めて会った人間にさえ思えるヨシノの豹変ぶりに、なぜかひどく高揚感を覚えた。
「―――…私は…“D・E・M”の創始者、この新たなる世界の導き手となる者だ。君達人間に――ー…“次なる進化”を約束し、この世界を一新するために活動している」
ロギアの予想だにしなかった言葉にまるで鈍器で殴られたような衝撃を受け、ヨシノは言葉を失った。
「―――…え…?」
どこまでも深い真夏の青空の下、焦げるような強烈な日差しがすでにヨシノを汗ばませている。
なのにー――ロギアはいつもと変わらず、全ての景色から浮き立つように超然と…――汗一つかかずに目の前に立っている。自分はこんなに生物として生々しく、汚らしく汗をかいて、息をしているというのに――ー…。
見えないショックが、じわじわとダメージとなってヨシノの体から力を奪っていく。
(そっか…私、全然分かってなかったんだ―――…この人のことも、ヒューマノイドだということも…全然…)
「ヨシノ……君は、類まれな能力の持ち主だ。その“力”は私達が創らんとする世界に必ず必要となる。私は君を――――ー私の“妻”に迎えたいと…」
「やめてっ!!!」
思わず叫んだヨシノは、そのままフラフラと後ずさった。こみ上げる激情でのどが詰まり涙があふれてくる。
「何でっ…今そんな話、出来るの…っ!!ロギアあなたっ…」
ヨシノはロギアから顔を背け、うつむきながら強く目をつむった。ショックを受けているのに、全身が千切れそうなほどの痛みを確かに感じているはずなのに――…
“分かってたはずでしょう?”
もう一人の冷静な自分が告げる。
“いつも物足りなく感じていた、違和感を覚えていた。私はいつだって寒かった―――…だって彼は、私を――…一度も抱こうともしなかったじゃない”
ヨシノは我知らず強く歯を食いしばっていた。
「あなたが必要なのは、私の能力だってこと…?じゃあ何で初めにそう言ってくれなかったのっ!?私のこと、好きだなんて嘘を――…」
見上げたロギアの表情は相変わらず彫刻のように完璧に整い、しかしその無機質なまでの美しさが今は無性に憎らしく見え、自分が惨めに思えて仕方がない。
「違う――…私は君を大切に想っているし、これからもそうすると約束する。君の能力だけが目当てではない」
「でも私がただの人間なら、あなたはこんなに私を大切になんてしなかった!!まるで、壊れ物みたいにっ…それが私をどんなに苦しめていたかなんてっ…あなたには分からないでしょうっ!!」
「…っ…―――…君を、大切に想っているだけでは、駄目なのか…?」
涙で濡れて揺らめくように輝くその紫の瞳を、激高して汗で張り付いた髪もそのままのヨシノの姿を、ロギアは自分でも不思議に思いながら“美しい”と感じた。
彼女といると――――自分は時々揺らいでしまう。
ロギアは常に合理性や理性を重んじてきた。
この世界の生き物は、総じて感情や欲望に奴隷の様に振り回されながら混沌として生き、愚かな争いや差別ばかりに終始し、ひどく無駄が多い生き物に思えた。
“全てを統合し、統一しなければ”
それはロギアの根底に常に存在する行動原理だった。
(なのに――…)
ヨシノといると、時々どうしていいか分からなくなる時がある。
彼女は大切な“要素”だった。
自らの世界を統合する局面において、彼女は絶対に外せない―――けれど、ヨシノが暖かな眼差しで自分に微笑みかける時、いつもは真面目な彼女が無邪気な姿を自分にさらす時――――自分の中に言語化出来ない感情が生まれ、それはロギアを戸惑わせ熱くさせるとともに――――少しの“煩わしさ”も覚えさせた。
ヨシノはロギアを見つめながら、ふと泣くような笑みを浮かべた。それが自分を哀れんだ笑みだと分かった途端、ロギアの心は急速に冷えていった。
「…私はあなたに、宝物の様に大切にしてもらいたいんじゃない…。やっぱり――…あなたは人間とは違うのね、ロギア。私達は―――…分かり合うことなんて、無理だったんだわ」
「ーーー…私が何をした…私が君を、ぞんざいに扱ったか?残酷な仕打ちをしたか?君は…幸せそうにしていた、いつも笑って…」
違和感を感じ自身の左手を見下ろすと小刻みに震えていて、ロギアは強く拳を握り締めその震えを打ち消した。
(怒りなど――…これではただの人間の様ではないか。この私が…)
「そうよ―――…そして私は、だんだん空っぽになっていったの。私は…いいえきっと誰も、あなたの心に触れることなんて出来ない――――ー…ロギア」
そこから先に続く言葉を察したロギアは思わず声を上げた。
「ヨシノっ…」
「…私はあなたとは一緒に行かない。私達は…もう、…終わりよ。夢をっ――…見させてくれて、ありがとう、ロギア…」
コックスーツの胸を強く握りしめ、声を詰まらせながらヨシノは何とかそう口にした。
「――――――……」
ロギアは無言のまま、ヨシノを凝然と見返した。
「ヨシノっ!!無事かっ!!?」
「…ッ!スイっ!?」
屋上の下から聞こえた声にヨシノが振り向くと、地上7階建ての廃屋となったビルの屋上へ右手が掛けられ、必死の形相のスイが屋上へと上半身を乗り上げてきた。ヨシノはすぐに駆け寄ってスイの体を引っ張り上げた。
「…屋上への階段が途中で壊れてて…でも飛び降りれば、地上には降りれる。―――ー…早く行こう、ヨシノ」
ロギアに警戒しつつ目をやりながら、スイはヨシノをうながした。ロギアは、強い陽射しが作った自らの影に飲まれた様に深くうつむいたまま立ち尽くし、動く気配を見せない。
「―――…ええ、そうね…行きましょう」
「ッ!?…あっぁあ、行こう!」
ロギアから顔を背けながら答えたヨシノに、スイはとっさに疑問を投げかけたくなった。しかしすぐに思い直すと、飛び降りる地点を確かめるために下をのぞいた。
「スイぃ~ヨシノはあ?」
「ハル、今行くわ」
階下で待っていたハルは、顔をのぞかせたヨシノを見ると顔を輝かせて両手をブンブンと降った。
「ヨシノ~!!」
(結局…ハルにロギアを紹介する機会も出来なかったな…)
そう思いながらヨシノが最後にもう一度と、ロギアの方を振り返ったその時。
「…駄目だ」
屈んだ姿勢から立ち上がったロギアが、まっすぐにヨシノを見据えた。その瞳は人間離れした瞳孔へといつの間にか変化していて、それ自体が青く清冽な光を放っていた。
「君は私と共に行くんだ、ヨシノ」
ズォッ――…ォゴゴゴゴゴゴゴゴゴォオオッッッ!!!
「なっ…んだっ!!?」
「きゃああっ!!建物が…っ!!?」
突然強い地震に見舞われたかのように建物全体が激しく揺れ、スイとヨシノは立っている事も出来ずに片膝をついてしまった。
「…っ…!!…えっ!?」
ヨシノが見つめる視線の先で、建物が揺れ続けながらそれ自体が“意思”を持つかの様に、うねうねと不定形に蠢き始めた。
四角張った直線的なフォルムが、急速に複雑で曲線的なものへと変化し―――ただのコンクリの塊だった物が、次々と隆起しながら自然の岩や鉱物のような質感へと変化していく。
地上7階建てのコンクリートだったはずの建物は、徐々に収縮しながらその外観を変化させつつあった。不要な部分が音を立てて剥落し、その下から黒色の“剛毛”が出現した。
屋上の表面部分も中心部分から一直線に隆起し、そこを頂点とした山形へと変貌すると、ヨシノとスイは斜面と化しつつある屋上の縁からその外へ投げ出されそうになり、必死で床にへばりついた。
「クソッ…!!このままじゃっ…」
斜面は急こう配になっていき、スイの体はズルズルと下へ向かって引きずりおろされていく。
ゴゴッ…!!!
その時音が聞こえてスイが顔を上げると真上の床に亀裂がいくつも走り、次の瞬間床が雪崩のように崩落した。
「ぅわあああっ!!!」
「ーーッ!?スイっっ!!!」
ヨシノがとっさに手を伸ばすが間に合わず、スイの体は瓦礫と共にはるか下の地上へ向かって投げ出された。
(ま…ずいっ――!!!)
落下していくスイは思わず空へ向かって手を伸ばした―――しかしその手は何も掴めないまま、スイは地面へ向かって落下し続け―ー…
「皆ぁあっ!!スイを助けてぇえっっ!!!」
ハルの叫び声が響くと同時に、スイは全身を黒い粒子に覆われた。
思わず目を瞑ったスイの体の落下速度がゆっくりになり、辺りが虫の羽音で充満されたのに気付き、スイは自分がハルのパラテオラ達に掴まれているのだと分かった。
スイの体がそのままドスンっ!!と地面に下ろされた。パラテオラ達がスイの体から離れ四散すると、泣き顔のハルがスイの傍に走り寄って顔をのぞき込んできた。
「スイ~良かったあ~っ」
「ありがとハ――…ッ!!?ヨシノはっ!?」
スイは素早く体を起こし上を見上げた。
「ヨシノっ…どこに行った!?」
最前まで同じ場所にいたはずのヨシノの姿は、どこにもなかった。
「あっ、あそこおっ!!」
ハルがピョンピョン跳ねながら指さしたのは、ヨシノのいたビルの斜め向かいの5階建てのビルの屋上だった。
「放してロギア…っ!!…っ…!」
変貌を遂げるビルの屋上の縁で、必死にしがみついていたヨシノの上着の襟を、まるで子猫か何かの様に掴んで一気にこの場所までジャンプして来たロギアは、ヨシノの手首をつかんで離そうとはしない。
ヨシノは渾身の力でどうにか逃れようとしているのに、ロギアが表情一つ変えないまま掴んだその手はびくともせず、次第に込められたロギアの力のせいでヨシノの手首が痛くなってきた。
「…っ…私はっ…、あなたの道具じゃないっっ!!!」
ヨシノは痛みでにじんだ涙のままそう叫んだ。
「――…そんなことは思っていない。ヨシノ――ー…すまない」
「――ッ!?」
思わず顔を上げたヨシノの額をロギアの右手が覆った瞬間、見えない衝撃波がヨシノを襲った。
「っ…ロ―…」
呟いたヨシノの体がグラリと傾ぐと歪んだ視界が狭く暗くなっていき、ヨシノは意識を失って崩れ落ちた。意識を失った体をロギアが受け止めると、そのまま両腕で抱き上げた。
「ヨシノ…っ!!!てめぇえっっ!!!」
「よよヨシノを放してっっ!!!」
スイが叫びながら紫粋を抜き、ハルがホルダーから抜いた風神を構えて、ヨシノを連れ去ろうとする男に向け銃口を向けた。
ロギアはそれを無表情で見下ろすと口を開いた。
「…標的はその二人だ。私達を絶対に追わせるな」
「…?あいつ何言って…」
眉をひそめたスイの隣で、ふと何かに気付いたハルが後ろを振り向いた途端に目ん玉が飛び出るほど仰天した顔になり、ヨシノをさらった男の存在など忘れ、後ろを振り向いたままハルはガタガタと震え出した。
「スっスス、ス…」
ロギアはヨシノを抱えたまま、建物の影に消えてしまった。
「おいっ待てえっ!!あの野郎っ…ハル!私達も追いかけ…」
「スイぃいいいいいっっっ!!!」
今にも死にそうな顔色でスイを見ながら、歯の根も合わないハルは震えた指で後方を指した。
ゴゴッ…ゴゴゴゴゴゴゴ…ッッッ!!!
見上げる二人の視線の先で巨影がゆっくりと立ち上がり、そこから伸びた影が2人を覆いつくす―――…
体長20メートルはあろうかという巨大なメテオラが振り返り、それ自体が輝くような銀色の瞳でスイ達を捉えた。
2足歩行で立ち上がる姿は“猿”に良く似ている。
硬そうな、長い黒色の体毛が所々に伸び、それ以外は鎧の様な黒光りする金属装甲に覆われている。
金属で構成された、サルを思い切り獰猛にさせたような凶悪な顔面に、銀色の2対の角―――荒い鼻息のメテオラは不意に顔を逸らすと、いきなり空に向かって咆哮した。
『ヴォオオオオオオオオ―――――――ッッッ!!!』
その一帯のビルや建物の窓が一瞬で割れ、咆哮は空気全体をビリビリと震わせた。
発せられた爆音に両耳を押さえたスイ達は身動きが取れず、しかし交わした一瞬の視線で2人は意思の疎通を果たした。
“今すぐ全力で逃げよう!!”
2人はヨシノが連れ去られたであろう方向へ、脱兎のごとく一気に駆け出した。大型メテオラは目ざとくそれに気付くと、路地を左に曲がって消えたスイ達を4足歩行で追いかけ始めた。
2人が路地を走っていると、後方からメテオラが顔を出してのぞき込んできた。しかしその巨体が入るには路地は狭すぎ背後を振り返ったスイは安堵したが次の瞬間、メテオラの姿が消えたと同時に大きな腕が2人に向かい一気に伸ばされてきた。
「――ッ!!ハルっ急げえっ!!」
「…ッ!?い゛ぃ゛やああ゛あ゛あ゛~~っっっ!!!」
ハルは涙や鼻水を垂らしながら必死でスピードを上げた。
背後から長い爪の生えそろったごつい掌が2人の上空に覆いかぶさり、走る二人を潰そうと空を切って迫って来た。
ズドォオッッッン゛ン゛ン゛!!!
舞い上がった土煙が辺りを灰に染め、2人はその風圧で前方へ投げ出された。
「ぐぁっ…!!」
「ふぎゃああっっ!!」
かろうじてメテオラの手から逃げ切ったスイ達が見守る前で、地面に打ち据えられたメテオラの掌が握りしめられ、2人が走ってきた路地へと引き戻されていった。
「あばっあばっ…あばばっ…!」
顔面蒼白のハルはともすれば恐怖で脱力しそうになる体に力を入れ、震える足で生まれたての小鹿の様に必死で立ち上がろうとした。
路地の奥から再度のぞき込んできたメテオラは、自分の手の届かない場所に逃れたスイ達を確かめると、今度は建物に手をかけ屋上へと上り始めた。立ち上がったスイはその動きを見て顔を上げ、建物の間から見える青空が目に入った途端、メテオラの意図を察し息を呑んだ。
「ハルっ、奴は上からやってくる!!ヨシノの場所は!?」
「ぇええっっ!?えっえっと、えっとぉ…」
ハルは最前アパートの屋上でヨシノと再会した際、自身のパラテオラをヨシノの髪に忍ばせていた。その小さな1㎝にも満たない羽アリに似た“ミーちゃん”は、発信機の機能を持ちハルのW・PCとリンクしていた。
ハルがホログラムを立ち上げたその時、上空から巨大な音が地響きを立てて近づいてきた。
「走るよハルっ!!」
「アワワワぁああっち!あっちのじゅっ、11時の方向ぉ~!!」
建物で区切られた青空にメテオラの巨体が現れ、スイ達を見つけると上から腕を突っ込んできた。
ズドォオオオッッッ!!!
駆け出した2人がさっきまでいた場所にメテオラの拳が振り下ろされ、獲物が逃げたと知ると、広げた掌をそのまま逃げる2人の方向へ素早く移動させた。
「ハルっ左に曲がれえっ!!」
スイはハルの体に強引にアタックし、2人は左へ曲がる路地へと倒れこんだ。そのすぐ傍らをメテオラの掌が暴風を立てて通過する。ハルは顔からまともに地面へスライディングし、車にひかれたカエルの姿勢で滑走した。
「クソッ…!!紫粋―…」
スイはしつこく追い続けてくるメテオラに攻撃するため、紫粋を抜刀した。メテオラが建物の間を移動し、スイ達に対し潰す勢いでごつい腕を再度伸ばしてきた―――その瞬間。
「―――っ刃月波ぁあっっ!!!」
ギュォオオッッッ!!!
スイが紫粋を斬り上げ、発生した紫白色のエネルギー波がメテオラの左手にヒットした。
『ゴァアアアア…ッッ!!!』
エネルギー波は左手を深く傷つけ、メテオラはたまらず腕を引っ込めた。
「何してんのハルっ!!早くこの隙に…っ」
「めめ、メガネメガネっ…」
顔面ホコリまみれのハルは転んだ拍子にメガネを落としてしまい、それを必死で探していた。周囲のパラテオラ達がハルの落ちたメガネを見つけ、それを拾ってハルの元へ運んできた。
「あっ!ありがとう皆ぁ~」
ハルは嬉しそうな呑気顔でメガネを受け取って掛けた。
「…ッ!!――…っ…」
まったくもって当てにならないハルに早々に見切りをつけたスイは辺りを見回し、はす向かいに建物の扉を見つけるとそこへ走った。ドアノブを回すと鍵がかかっていたため、スイは少し離れ紫粋を振り上げると同時にエネルギーを刃にまとわせ、紫粋を一気に振り下ろした。
扉がドアノブごと斜めに切断され、スイは残ったドアを蹴破って中に入りハルを呼んだ。
「ハルっ!早く中へ…」
「ま、待ってえ~スイ~っ」
ゴドォオッ!!ゴガッ!!ガガガガァアンンンッッッ!!!
地響きを伴った轟音にスイが上空を見上げると、怒りを露わにしたメテオラが拳をめちゃくちゃに振るい、スイ達がいる辺りの建物の上部を破壊していて、通路を埋めるほどの大量の瓦礫がハルの上に今まさに落下しようとしていた。
「ハル…っ!!!」
必死な形相で走るハルのすぐ背後に瓦礫が雪崩をうって落下してくる。スイが腕を伸ばしハルの襟元をつかみ一緒に建物の中に飛び込んだ瞬間、ガレキが建物の入り口を塞ぎ2人は土煙に巻かれた。
「うぇほっ、うほっげぼぉっ…!」
「うっ…―」
「うぅう゛~っごっごわがっ…むぐう!!?」
今にも泣き叫ぼうとしていたハルの口を、スイは無理やり塞いだ。人差し指を唇に当て“静かに”とハルに目で合図したスイは、建物の天井を見ながらメテオラの気配を探った。メテオラは大きな音を立てて建物の屋上を移動し、スイ達のいる建物から誰か出てこないか探っているようだった。
スイは上半身を起こし床にひざをつく姿勢をとると、声を潜めてハルに話しかけた。
「今、ヨシノはどこに向かってる、ハル」
泣き顔のハルは起き上がり、薄暗闇の中でW・PCでミーちゃんの位置を確認した。
「…ズッ…今は、ここから1時の方向に移動してる…でももうすぐ、ミーちゃんからの通信が途切れちゃうかも…」
(クソッ!!これじゃあまともに身動きが取れない。あの野郎っ…このためにあのメテオラを――…)
「…あのメテオラ、いったい何なんだ?」
スイは初めて思い至ってつい口にしていた。
「ぁあっあのね。た、建物がメテオラになったんだよ、スイ。私見たもん」
小声でコショコショと囁いたハルの言葉に、スイはぎょっとなった。
「え…どういうこと…あの男は、無機質からメテオラを生み出せるっていうの?」
「わ、わかんない。でも私が見た時はまさにそんな感じだった…スイ、あの怖い人がヨシノの彼氏だったの?」
「…っ…それは――…そう。あいつは…ロギアは、ヒューマノイドなんだ」
「…え、ヒュ、ヒューマノ…」
ショックを受けたハルが言い掛けた、その時。
ドゴォオオンンンッッッ!!!
巨大な振動が建物を大きく揺らした。衝撃音が連続すると、その度に建物全体がベキベキと嫌な音を響かせ、轟音は鳴り止む事がなかった。
ハルはガバッと立ち上がると、アワアワと辺りを見回した。
「ななな何ぃい!?あのおサルさん何やってんのお~っ!!」
「私達を燻り出す気だ。ハル、建物から早く出たほうがいい、きっともうすぐ潰されるっ!!」
「なぅあうあ~~っ!!」
どうやら建物の裏口から侵入したらしい2人の前には、廊下が奥に向かって真っすぐ通じていて、突き当りは扉になっていてそこから陽の光が差し込んできた。
「ハル、探索型のパラテオラでこの建物のどこに他に出入り口があるか調べて。私はこの辺の地図を調べる」
「う、うん。キ、キリオくん…で、出来る?」
左腕に乗っていたキリオくんはハルを見上げて触角を揺らすと、翅を広げて陽の指す廊下の奥へと飛び立った。
「気を付けて行くんだよ~キリオくん…っ」
ハルは心配げに送り出すとW・PCを起動させた。その隣でスイはGPS機能の付いたマップを起動させ、自分達が現在どこにいるのかを確認した。その間も衝撃音は続き、スイは追い立てられる焦りを募らせながら急いで地図を調べた。
(建物の外の西側の路地は入り組んでる…下手したら袋小路にはまるかも…私達が今いる場所はここ、入り口はさっき1つ潰れたから…)
「スイ、キリオくんからデータ来た…」
メキッ…キギギギィイ゛イ゛ッッッ!!!
建物が悲鳴のような軋みを立て、もう一刻も猶予がないことを知らせて来る。
「ハル、とりあえず廊下の先の扉の方へ行こう」
「うんっ…」
スイ達はなるべく足音を立てないように廊下の奥へ移動し、その扉が施錠されているかどうか調べた。
「チッ!こっちもカギがかかってるな…ハル、出口はこの他にある?」
「こ、これだよ」
キリオくんが通った箇所が映像として送られてきたのを2人で見ると、ほぼ四角形のこの建物には、それぞれの角の3ヵ所にに出入り口があった。
「ここと―――後さらに左に行ったとこに出入り口がもう1つ、後ろの出入り口は潰されたから…。―――…ハル、2手に別れよう。私があのメテオラを引き付ける、あんたはその隙にもう一方のドアから逃げてヨシノを追って」
「え゛!?じゃあスイは?あんな大型なんて勝てるわけ―――…ッ!!キリオくんっ」
かすかな羽音と共にキリオくんが返ってきた、その時。
ゴガガガァアアアン゛ン゛ン゛ッッッ!!!
激しい振動と轟音が上階から響くと上階が崩落したのか天井に一気にヒビが入り、スイ達の体にパラパラと粉塵が落ちて来た。
スイはホログラムを見続けながら話した。
「私のことはいいから!…いい、あんたはもう一つ残ったほうの出入り口に行って、この建物が崩れた瞬間外に出て、私も同じタイミングで出るから」
「でで、でも…」
「いいから行って!!早くしないと建物が崩れるっ。いい、扉は多分カギがかかってるから開けておくこと、あと建物が崩落するまでギリギリ待つんだよ、分かった?」
「ス、スイぃ…」
スイはハルのリュックを力任せにぐいぐい通して、早く行くよう問答無用で促した。
「行って!!」
「う゛っ…うぇえ~~!!」
ハルは泣きそうな顔になりながら、奥へ向かって走り出した。
ドォオン゛ン゛ン゛ッドドッドドドゴォオオッッッ!!!
振動のたびに建物全体が揺れ、スイの体にビリビリと衝撃が伝わる。スイは轟音に合わせて扉を斬りつけると、錠を壊していつでも出られるよう準備した。
(まだか…――ー)
見上げる天井に走るヒビはますます大きくなり、迫り来る崩落の前兆に全身が緊張で強張るのをスイは止められなかった。
そして次の瞬間、一際大きな衝撃音が響いて建物全体が悲鳴を上げる軋みを上げたその時、建物全体が大きく揺れ一気に崩落し始めた。
「今だっハルっ!!」
スイは大声で叫ぶと同時に、目の前の扉を蹴りつけた。