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ジャスティン2

 事件から一月後。

 父チェスターはアンブロシア王クライドに対し、エリオット元王子を廃嫡の上、城下町の小さな屋敷で生涯幽閉するよう要求した。身ごもったキャロラインと一緒にだ。



 平民に堕ち、二度と日の目は見られないが、働かずにそこそこ豊かな暮らしを保証されている。しかもキャロラインのための乳母や召し使いまで付くという厚遇ぶり。キャロラインの身勝手な要望がそのまま通った格好だ。



 怒り狂ったチェスターによる苛烈な制裁を確信していた周囲は拍子抜けし、辺境伯は怒りのあまり正気を失ったのかと噂した。かくいうジャスティンもその一人だ。てっきり父はエリオットを南の果ての鉱山にでも送るとばかり思っていた。



 鉱夫の仕事はそれ自体が刑罰になるほど過酷なものだ。甘ったれのエリオットは三日ももたないだろうが、まだ若く、父親譲りの美しい容姿だ。きっと荒くれ者揃いの鉱夫たちの『お気に入り』になり、末長く『可愛がられ』ることになる。自尊心の高すぎるエリオットには死よりつらい罰だろうと思っていたのに。それを普通に生かしてやるばかりか、場末の売春宿行き確実だったキャロラインまで面倒をみてやるなんて。



 望外の温情を素直に喜んだのはエリオット、キャロライン、ヘンリエッタ。怪しんだのはクライド王とシェリンガム公爵だ。王と宰相はそれでいいのかと何度もチェスターに確認したが、チェスターは構わないと答えた。そして罰とも呼べない罰は執行されたのだ。クライド王も内心では孫が命だけでも助かったことにほっとしていたかもしれない。



 ジャスティンが父の意図を正しく理解したのは、さらにその半年後。水面下での準備が整い、ベレスフォード辺境伯家とその一族が領地を去り、アンブロシア王国との決別と隣国ソーマへの恭順を宣言した時だった。



 からっぽになったかつての辺境伯領から、北の蛮族どもはここぞとばかりに攻め込み、暴虐と略奪の限りを尽くした。財宝や食料は田畑に実ったまだ青い麦穂まで奪われ、老人や子どもは殺され、男は奴隷に、女は慰み物にされた。



 クライド王は急きょ討伐軍を編成し、蛮族の撃退に当たらせたが、長らく平和を享受してきたアンブロシアには実戦経験のある兵士も指揮官も少ない。最新の武器と兵数にものを言わせ、どうにか蛮族を追い払った時には、アンブロシア王国の北部は荒廃しきっていた。追い払ったというよりは、奪うものがなくなった蛮族が引き上げたという方が正しいだろう。略奪された財産も民も、ほとんど取り返せなかった。



(辺境伯家は、あんなモノと戦っていたのか)



 損害のすさまじさに、誰もが辺境伯家の存在の大きさを思い知った。今まで安穏と暮らしてこられたのは、辺境伯家があの恐ろしい蛮族を北で食い止めていてくれたおかげだったのだ。

 だが、もう辺境伯家はいない。アンブロシアを見捨て、ソーマに去ってしまった。



『いったい、誰のせいだ?』



 命からがら蛮族の暴力を逃れ、避難してきた民は考えた。答えはすぐに出る。



『王家のせいだ』



 アレクシス王太子、エリオット王子。愚かな親子が二代にわたり無礼を働いたせいで、辺境伯家は出ていってしまった。

 アレクシスは死んでしまったが、エリオットは生きている。あれだけのことをしておいて、王族ではなくなっただけで、王家から金をもらい、美しい妻と共に働きもせず優雅に暮らしている。



 エリオットがそんな暮らしをしているのは、チェスターがそう望んだからだ。王家が資金を出しているのも、チェスターの要求を遂行するためにすぎない。

 だがそんな事情など知らない民は勝手に推測する。



『結局、王様は孫の王子が可愛いんだろ。だからあんないい暮らしをさせてるんだ』

『エリオットの妻は元公爵令嬢で、宰相の娘だそうじゃないか』

『辺境伯の息子の婚約者だったのに、エリオットに股を開いて孕んだって話だぞ』

『そんなあばずれを元王子と一緒にさせて、贅沢に暮らさせるなんて……宰相も王様も揃って馬鹿親だな』

『あいつらのせいで、俺たちは何もかも失ったっていうのに……』



 不穏な噂はまたたく間に王都へ、そして地方へ広まっていった。そこに避難民から蛮族のもたらした惨劇が伝わると、民の王家に対する不安と不満は決定的なものになった。



 クライド王も、辞任できなくなってしまった宰相シェリンガム公爵も、エリオットの処遇は辺境伯の要求に従っただけだと慌てて声明を出した。しかし信じる者はほとんどいない。今度は辺境伯に責任をなすりつけるのか、と怒りを買ってしまう始末。



 民の怒りの炎が爆発したのは、ソーマ王国軍が蛮族の国に攻め入り、大勝利をおさめ、支配下に置いたと発表した時だっただろう。

 武力に優れた蛮族が大敗を喫したのはソーマ王国軍にチェスターとジャスティン率いる旧辺境伯軍が加わっていたからだ。これまでもたびたび共闘してきた二軍は同じソーマの軍として完璧に連携し、蛮族を叩きのめした。蛮族がアンブロシアから持ち帰った戦果に夢中になり、防御がおろそかになっていたのも大きかっただろう。



 アンブロシア北部から拉致され、奴隷にされていた人々は解放された。代わりに蛮族が奴隷に落とされたことにより、彼らの立場は逆転する。

 解放された北部民はアンブロシア王国への帰還を拒み、ソーマの民となった。解放されても蛮族から受けた暴力や屈辱がなかったことになるわけではない。自分たちをそんな目に遭わせたアンブロシア王国になど、戻りたくなかったのだ。



 アンブロシア王家のせいで奴隷落ちした民を、アンブロシア王家のせいで王国から出ていった辺境伯家が助けた。



『ふざけるな! 何のための王家なんだ!』



 怒れる民はエリオットとキャロラインが暮らす屋敷を襲撃した。二人のために殺されてはたまらないと、警備兵たちは任務を放棄し、進んで屋敷の鍵を開けて回ったという。



 命がけで逃がしてくれる使用人もおらず、エリオットとキャロラインはたちまち暴徒の前に引きずり出された。その姿がまた彼らの怒りに拍車をかける。臨月のキャロラインはともかく、好きなだけ食べては寝る生活を満喫していたエリオットは王子時代の倍以上の体重に肥え、吹き出物だらけの顔は元王宮勤めの民が確認して初めて本人だと判明したほど面変わりしていたらしい。



『きっと、全てを奪われたんだからせめて好きなものを食べて何が悪い! とかほざいたんでしょうねえ』



 いみじくもエヴァの評した通りの台詞をエリオットは吐き散らし、袋叩きにされたそうだ。さすがの暴徒も臨月のキャロラインを痛めつけるのはためらったが、キャロラインは恐怖とショックで産気付き、そのまま赤子と共に命を落としてしまった。



『何ということ! 罪を償っているエリオットに暴力を振るい、キャロラインとお腹の子を殺すなんて!』



 ヘンリエッタは怒り狂い、夫に暴徒を捕らえ処刑させるよう懇願した。可愛い可愛いひ孫の誕生を、彼女は指折り待ちわびていたのだ。無事生まれたら養子に取り、王族に加えようともくろんでもいたらしい。……懲りない女性である。



『馬鹿を言うな! そんな真似をすれば今度こそ我が王家はおしまいだ!』



 クライド王はわかっていた。暴徒を処刑などすれば、今まで様子見していた民までもが暴動に加わり、軍でも鎮圧できなくなってしまうと。アンブロシア軍は蛮族との戦いで疲弊し、王家に対しても不満を持っている。下手をすれば軍も暴動に参加するかもしれない。



 しかしヘンリエッタは可愛い孫を痛めつけ、ひ孫を殺した平民が許せなかった。そこで彼女は自分の私兵を動かし、暴徒を捕らえさせようとしたのである。



 ヘンリエッタの私兵は急かされるあまり、致命的な過ちを犯してしまった。ろくな捜査もなしに暴徒とおぼしき民を捕らえ、牢獄に送ったばかりか、連れて行かれる父親に必死に追いすがろうとした幼い息子を蹴り飛ばし、死なせてしまったのだ。



 まずいことに彼らは『王妃殿下のご命令だ!』と堂々と宣言しながら動き回っていた。王妃ヘンリエッタといえば、エリオットを手のほどこしようがない愚か者に育て上げた諸悪の根源として今や知らぬ者はいない。

 民の怒りは限界を突破し、王都中の民が王宮に押し寄せた。王宮を守るべき兵たちすら合流してしまっては、堅牢な防壁も意味をなさない。



 これも己の不徳の帰結だと、クライド王と宰相は無抵抗で捕縛された。対してヘンリエッタは腹心の侍女と共に秘密の通路から脱出をはかった。それが王と王妃の明暗を分けた。



 秘密の通路の出口には、暴徒が待ち構えていたのだ。ここから王妃が脱出するつもりだと、侍女が彼らに密告していたのである。

 王妃が腹心と呼び信頼していた侍女は、実は王妃を深く恨んでいた。かつて侍女の娘は結婚前の行儀見習いとして王宮に上がったが、アレクシス王太子に無理やり純潔を散らされたことで破談となり、自ら命を絶ってしまっていたのだ。



 王妃は多額の『見舞金』を与え、それで終わったつもりだったらしい。以来侍女は忠義の仮面の下で怒りの炎を燃えたぎらせ、復讐の機会を狙っていた。




『王妃だ! 王妃がいたぞ!』



 暴徒に取り囲まれたヘンリエッタは命乞いも聞き入れられず、すさまじい暴力を受けた末に命を落とした。その亡骸からは豪華なドレスも宝石もはぎ取られ、顔は変形し、夫のクライド王すら妻だと一目ではわからないありさまだったという。



 一方でクライド王はおとなしく投降したことから比較的丁重に扱われ、かつてエリオットを閉じ込めた東の塔に幽閉された。

 困ったのは内政に関わる貴族だ。もはやクライドを王に戴き続けることはできない。民が許さないだろう。かといって自分たち貴族から新たな王を出すのも無理だ。王家の血を引く貴族もいないわけではないが、蛮族から民を守れなかったのは貴族とて同じ。民は納得すまい。下手な者を立てれば、またしても暴動が起きてしまう。



 進退窮まった彼らは唐突に思い出した。



(アビゲイル様がいらっしゃるではないか!)



 生母は身分の低い侍女だが、まぎれもなくクライド王の血を引く娘。それでいて異母兄アレクシスの尻拭いのため嫁がされた彼女には同情的な者が多い。

 チェスターと結婚した時点で王位継承権は失っているが、この非常事態だ。チェスターとは離婚してもらい、特例として継承権を復活させればいい。そうして女王に立ってもらった後は、貴族たちは親族を王配や養子にねじ込む気満々だった。相手の意志などお構いなしに自分の都合ばかり押しつける。あの王家にしてこの貴族あり、である。



 むろん、と言うべきか。



『女王だなんて、冗談ではありませんわ』



 身勝手極まりない提案を、アビゲイルは言下に断った。どこまで道具として酷使するつもりなのかと、はらわたが煮えくり返っていただろう。



 辺境伯家がアンブロシアを去る時、アビゲイルは迷わず辺境伯家に付いてきた。いまだに実質的な夫婦ではないが、彼女とチェスターはアレクシスに人生を狂わされた者同士としての信頼関係を築いている。



 チェスターはアビゲイルがアンブロシアに残ることを望むなら生活が立ち行くよう手配すると申し出た。しかしアビゲイルは『もうこの国に何の思い入れもございませんわ』とさわやかに微笑んで拒んだのだ。ソーマでの新生活を一番満喫しているのは彼女かもしれない。



 焦ったのはアンブロシアの貴族たちだ。王がいなくては、王国は成り立たない。一応、この世界には共和制の国家も存在するのだが、アンブロシアはそこまで成熟した国家ではなかった。それに王なしでは貴族も存在意義を失ってしまう。



 彼らはアビゲイルにすがった。彼女が最後の希望なのだ。断られても断られても、めげずに何度も使者を送り込んだ。



 うんざりしていたアビゲイルがある日、チェスターとずいぶん長く話し込んでいた。その時から嫌な予感はしていたのだが。




『ジャスティン。貴方が王になりなさい』


 まさかそんなことを言われるとは思わなかった。

次回、最終回です。

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― 新着の感想 ―
私怨に自分の領地の領民まで巻き込む辺境伯一家も庶民からしたら等しくクズなので、暴徒の皆さんは辺境伯一家にも怒りを向けるべき。
[気になる点] 辺境伯領の領民も引き連れて行った、或いは希望する国に避難させた、くらいは、やっていたと思いたいですね。
[良い点] 「ベレスフォード辺境伯家とその一族が領地を去り」ってことは一生を 辺境伯領から出ることなく、辺境伯領に税を納めていた領民は放置の上、 暴虐と略奪の限りを尽くされたんでしょうね。 「自分の領…
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