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ジャスティン1

「それで王子様から熱い恋文が届いたってわけ。……あ、ごめん。『元』王子様か」

「どっちでも構わないけど、エヴァ。どう読んだらそれが恋文ってことになるんだ」



 渋面のジャスティンから取り上げた手紙をつんとつつき、エヴァは笑う。大輪の花のような笑顔の下にひそむ本性を知る者はごくわずかだ。



「だって『僕が悪かった』に始まって『反省している』、『許して欲しい』、『やり直そう』でしょう?

 やらかしまくったクソ男が必死に恋人のご機嫌を取ろうとしてるみたいだわ」

「……口が悪い」

「いいじゃない。私と貴方だけしかいないんだもの」



 ぺろりと舌を出すエヴァは、必要に迫られればいくらでも身分に相応しい行動が取れるのだ。平民の少女のようなふるまいはジャスティンの前だからだと思うと、何も知らずにいたかったような、誇らしいような複雑な気持ちになる。

 もっとも身分に相応しいふるまいを求められれば、こうして執務室の椅子にだらしなくもたれながらのおしゃべりなど許されないけれど。



「で、恋文にはお返事するつもりなの?」

「まさか。このまま父上に回して終わりだよ。そっちも一緒に」



 執務机の上には開封済みの手紙が二通ある。一通はごく薄いのに対し、もう一通は何枚もつづられた便せんのせいで分厚い。



「……何というか、ここまでくると逆に感心しちゃうわね」



 両方にさっと目を通し、エヴァはため息をついた。昨日、届いたばかりのそれらを読んだ時の自分と全く同じ反応だ。

 薄い手紙の差出人は義母アビゲイル。分厚い方の差出人はシェリンガム公爵令嬢キャロライン、ジャスティンの婚約者だった女性だ。どちらも王都からということで同じ日に届いたのだが、内容の温度差はすさまじい。



 アビゲイルからは王妃ヘンリエッタからエリオットの助命嘆願を依頼されたこと、それを無視したことが便せん二枚に淡々と記されていた。ヘンリエッタはアビゲイルの義母に当たるはずなのに、情のかけらも窺えない文面が二人の関係を物語っていた。



 対照的にキャロラインからの手紙は情熱的だった。ジャスティンへの謝罪はそこそこに、ジャスティンがなかなか王都に出てきてくれないので寂しかったこと、その寂しさからついエリオットの誘惑に乗ってしまったことなどの言い訳から、現在彼女が置かれた悲惨な境遇までがドラマチックに書き連ねられていた。



 あの夜会からキャロラインは公爵邸の離れに押し込められ、公爵夫人である母親や、次期公爵の兄にも会わせてもらえないそうだ。父のシェリンガム公爵からは『腹の子は医師を呼んで流させる。その後お前は修道院に入り、一生をジャスティン様への謝罪に捧げよ』と通告されたという。



 まだ処置が行われていないのは、エリオットの処分が決まっていないからだろう。だが決まってしまえば、腹の子はすみやかに命を絶たれる。公爵が決断をひるがえすことはない。たとえ孫の命であろうと……いや、公爵のことだ。王国を揺るがす源など、ただの厄介の種としか思っていまい。娘も含めて。



 エリオットの処分はジャスティンの父チェスターに一任されていると聞いた。ならばエリオットと自分を許してくれるよう、ジャスティンからチェスターに頼んで欲しいとキャロラインは手紙で何度も懇願した。



『むろん全てをなかったことに、などとは申しません。貴族籍を抜けよと申されるのなら、甘んじてお受けしましょう。その上でただの男と女になったエリオット様とわたくしを、どこか小さな邸で夫婦として過ごさせてくださればよいのです。二人で子を育てるごくささやかな幸せ、それ以外は何も望みませんから』



(『ごくささやかな』、ねえ……)


 自分の言うごくささやかな幸せとやらにどれだけの費用と労力が必要になるのか、キャロラインは想像できないのだろう。

 働いたことのない二人が生活費を工面できるわけがない。誰かに頼らざるを得ないが、誰がそんな金を出すのか。赤子はこちらの都合などお構いなしに泣きわめき、漏らし、乳を要求する暴君だ。二人に育てられるとは思えないから、乳母や世話役を手配しなければならないが、それにも多額の金がかかる。



 しかも二人の醜聞は王国中に知れ渡っている。特にエリオットは父親の聞くに堪えない暴挙から本人のやらかしもあいまって、蛇蝎のごとく嫌悪する者が多い。市井で暮らしたいのならそれなりの護衛をつけなければならないだろうが、護衛の費用だって無料ではない。



 二人も腹の子も、生きているだけで多方面への迷惑と莫大な費用がかかるのだ。それを負担してくれる者がいない以上、キャロラインの願いは叶わない。もちろんジャスティンも叶えるつもりはない。

 エリオットもキャロラインも己の過ちの責任を取るだけだ。キャロラインはおそらく自分の婚約者ということでエリオットに目をつけられたのだろうから、せめて修道院では心安らかに暮らせるといいなと思ってはいたが。



 エヴァは呆れている。



「淡々としているわね。婚約者を寝取られて悔しくないの?」

「うーん……正直、そこまでの思い入れがなかったからなあ。エリオット殿下にもキャロラインにも」



 アレクシスや、彼を手の施しようもない甘ったれに育てた周囲に対する憎悪はもちろんある。彼らがいなければ母ディアドラは自ら命を絶つこともなく、今もそばにいてくれたのだろうから。



 けれどエリオットに対しては、そこまで重たい感情を持てないのが正直なところだった。自分のためにどれだけの犠牲が生じたのかも知らずにわがままざんまいの馬鹿王子。いちいち噛みついてくるうっとうしい羽虫。強いて言うならその程度だ。手紙の中でエリオットは何度も『血のつながった唯一の兄弟ではないか』と強調していたけれど、ジャスティンは彼に何のつながりも感じられない。



 キャロラインにいたってはもっと軽い。彼女との縁談が持ち上がった時はクライド王がまた要らぬ気を回して、と辟易した。王都育ちのお嬢様が辺境での暮らしに我慢できるわけがない。一年ももたずに離婚か、アビゲイルのように王都のタウンハウスで別居か、どちらかになるだろうと思っていた。さすがに結婚前に他の男の子どもを孕むのは予想外でびっくりしたが、それがキャロラインに対し抱いた唯一の感情かもしれない。



「ジャスティン、貴方……」



 エヴァが気遣わしげに眉を寄せる。どうしたのかと首を傾げたら、悩ましい息を吐いた。



「何でもないわ。ただ、無関心って最高の復讐かもって思ったのよ」

「無関心? 復讐?」



 聞き返したジャスティンにはあいまいに笑って答えず、エヴァは手ずからカップに紅茶を注いだ。すっかり冷めているはずだが、おいしそうに飲み干すと、ぽつりとつぶやく。



「『子どもに罪はない』、ねえ……」

「エヴァ?」

「みんな揃いも揃ってそう言っていたでしょう? 常套句だけど、それ、本当に正しいのかしら」



 打ち合わせもしていないだろうに、ヘンリエッタもエリオットもキャロラインも同じことを言っていた。ヘンリエッタはアビゲイルからの又聞きだが。



『子どもに罪はない』



 エリオットがディアドラの腹に宿ったことも、キャロラインの腹にエリオットの子が宿ったことも、どちらも子どもに罪はない。誰も親は選べない。責められるべきは大人だけで、子どもに罪はない。

 ヘンリエッタもエリオットもキャロラインもそう口を揃える。だから許して欲しい、それが当然だと。



「そうかもしれないわ。誰だって好き好んで憎まれる境遇に生まれてきたくなんかないものね。……でもね、罪はないって、それは許す側しか使ってはいけない言葉だと私は思うのよ」

「許す側……」

「今回なら貴方の亡きお母様、お父様、そして貴方。死んだ王太子の罪で消えない傷を負った人たちね」



 尊厳を奪われ、心を蹂躙され、命を絶ったディアドラ。愛する妻を奪われたチェスター。母を失ったジャスティン。



「三人が悩んで苦しんで、その末に許すと決めたのなら、子どもに罪はないからと言うのはいいと思うの。でも今回、そう言っているのはみんな許しを乞う側でしょう?」

「……」

「子どもを引き合いに出されたら、許せないこっちの方が悪者にされちゃうじゃない。許すか許さないか、決められるのは貴方たち親子だけなのに。……夫人はその機会すら失ってしまったけれど」



 エヴァが悼むようにまぶたを伏せる。整ったその横顔を眺めるうちに、ジャスティンはずっともやもやしていた心が晴れていくのを感じた。


(……ああ、そうか)


 自分はずっと誰かに言って欲しかったのだ。『罪のない子ども』を許さなくてもいいと。許せない自分が悪いのではないと。



 クライド王やヘンリエッタ王妃に接するたび、どうすれば許してくれるのか、どうしてここまでしても許してくれないのか、いつになったら許してくれるのかと責められている気分になった。おそらく彼らにそんなつもりはなかったのだろうが、心の中では思っていたはずだ。ジャスティンと父さえ許してくれれば憂いはなくなり、エリオットの前途も保証されるのにと。



 それが嫌で嫌でたまらなかったから、よほどのことがない限り王都には足を向けないようになった。結果、クライド王はエリオットの態度がジャスティンとチェスターの機嫌を損ねたのだと思い込み、キャロラインをあてがってこんな結末を招いたのだが。



(父上はきっと、王家にも王国にも見切りをつけただろう)


 チェスターは一度は許したのだ。なのに王家は同じ過ちを、よりにもよってチェスターの息子に繰り返した。もうチェスターは迷わない。十六年前に取れなかった仇を、今度こそ完璧に取ってみせる。



 エリオットはひと思いに処刑……されないだろう。それくらいでチェスターの恨みは晴れない。五感を持って生まれたことを後悔するような環境に放りこみ、天寿を全うするまで苦しみ抜かせるはずだ。



 キャロラインはいずれジャスティンに命乞いをしたことが公爵にばれるだろうから、怒り狂った公爵によって修道院ではなく娼館に送られる可能性が高い。それも貴族相手の高級娼館ではなく、貧民が集まる最下層の売春施設だ。子を流されたばかりでそんなところに放り出されるのだから、キャロラインの心身はそう長くはもたないだろう。

 そして、王家には……。



「ジャスティン・ベレスフォード」



 エヴァがすっと立ち上がった。まとう気品は彼女の地位にふさわしいもので、ジャスティンの背筋も伸びる。



「アンブロシア王家に見切りをつけたのなら、我が国にいらっしゃい。長らく国の盾であり続けた辺境伯家を、我が国は歓迎いたします」



 驚きは不思議なくらいなかった。いつかこの日が来ると、心のどこかで予感していたのかもしれない。



「……俺のところにたびたび忍び込んできたのは、我が一族を引き入れるためだったのか?」

「単に面白かったからよ。そしたらたまたま馬鹿な王子が馬鹿なことをやらかしてくれたんだもの、こんな好機を逃がすなんて嘘でしょう? あ、もちろんお父様の了解は取ってあるから安心して」



 予想通りの返事に笑いたくなってしまう。それにしてもすでに父親も承知済みとは、どれほど前から目をつけられていたのか。ずいぶんと高く買われたものだ。

 まあ、父親の同意を取ってあるのはこちらも同じなのだが。



「エヴァ……エヴァンゼリン・ソーマ王女殿下」



 ジャスティンはエヴァの足元にひざまずいた。差し出された手はかすかに震え、ふっくらとした頬はジャスティンしか気づかない程度にこわばっている。



 さんざん振り回しておいて、こんな時は緊張するのか。この顔を拝めるのが自分だけならいいのに。呆れとも優越感ともつかぬ感情を噛みしめながら、ジャスティンは白い手の甲にそっと口づける。



「お誘いを受けます。今日この時より我がベレスフォードの忠誠はソーマのものです」

「ジャスティン……!」



 生気を取り戻したエヴァの顔が輝く。

 その光が心にわだかまっていた闇を溶かしてくれるような気がして、ジャスティンは久しぶりに心からの笑みを浮かべた。

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― 新着の感想 ―
結局他国と通じている辺境伯子息もろくなもんじゃないな。
[一言] 今回の話についていうならば、子供は教会にあずけるになりして関係を断つべきでした。 それが子供が「罪のない子供」か「罪の子」かを分けたでしょう。 もしみなしごで両親不明で生きていたなら「実父…
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