エリオット2
それからもクライド王のジャスティンに対する異常なまでの優遇は続き、エリオットは鬱憤をつのらせていった。どれだけ厚遇されても変わらないジャスティンの態度がそれに拍車をかけた。
(……ジャスティンは、お祖父様の隠し子なのではないか?)
そう疑ったことすらある。アビゲイルのように身分の低い女に産ませ、祖母をはばかって辺境伯家に預けたのではないかと。だがジャスティンの瞳は父辺境伯と同じ藍色だ。王家の金の瞳を持っていないのだから、クライド王の子ではありえない。
祖母や使用人、遊び相手やその親である貴族たちには何度となく尋ねた。なぜジャスティンはあれほどまでに優遇されるのか。だが皆……祖母までもが『陛下の御心のうちは量りかねます』と口を揃えたように言うだけだった。
十歳を過ぎると、ジャスティンは一年のほとんどをベレスフォード辺境伯領で過ごし、王都には社交シーズンの一時期に戻るだけになった。
おかげで顔を合わせる機会はぐんと減ったが、そうなると周囲の声が気になってくる。クライド王の優遇ぶりは下級貴族にまで知れ渡っており、彼らは何かとエリオットとジャスティンを比較するのだ。
『ジャスティン殿は幼少ながら文武に優れ、先日とうとう初陣を果たしたとか』
『エリオット殿下はあまり武芸はお得意ではないようですな。陛下がお付けになった指南役を勝手に首にしたそうで、陛下もたいそうお怒りだったとか』
『ジャスティンを見習えというのが、陛下の口癖ですからな』
『陛下も酷なことを仰せになる。猫の子が獅子になれるはずがあるまいに』
(……うるさい、うるさいうるさい!)
噂話が耳に入るたび、エリオットは周囲のものや遊び相手たちに当たり散らした。
(僕は第一王子なんだ。いずれ父上と同じ王太子に、そして王になる。王が自ら剣を取って戦う機会はないのだから、武芸など必要ないだろう)
指南役を首にしたのは、第一王子に敬意も払わず『身分など、戦場では何の盾にもなりませんぞ』だの『わめき散らせば敵の良い的になるだけです』だのと無礼な口を叩き、厳しい指導をしたからだ。祖父には叱られたが、祖母が代わりの指南役を用意してくれた。近衛騎士団の騎士だ。エリオットには一切口答えせず、見栄えのする優雅な剣技を教えてくれるので気に入った。
ジャスティンが戦うのは、ベレスフォード辺境伯領が北の蛮国と隣接しているからだ。産業を持たない蛮族どもは飢えたら奪えば良いとばかりに、辺境伯領へ攻め込んでくる。やつらを撃退するのが辺境伯の最大の役割だった。
そのせいで辺境伯の一族は中央貴族よりも隣国ソーマとのつながりの方が強い。アンブロシアの東側に位置するソーマもまた北の蛮国には悩まされており、辺境伯軍と連携して戦うことも多いのだ。いったいどちらに所属しているのかわからない、いずれ辺境伯はアンブロシアを裏切りソーマに付くのでは、と中央貴族たちは噂していた。エリオットも同感だ。
さらに辺境伯軍には報償金目当ての傭兵や冒険者も多いと聞く。下賤な者に交じり、蛮族ども相手に血を流しているような裏切り者のジャスティンと、高貴な自分が比べられる方が間違っているのだ。
いずれ王になったら、反逆の罪を問うて辺境伯の位も領地も取り上げてやろう。はいつくばって謝っても許さない。美しい叔母だけは哀れなので王宮に引き取ろうか。きっと何て優しい甥かと感動してくれるはずだ。
そうやってどうにか溜飲を下げていたエリオットだが、十六歳になったばかりの今年、祖父から信じがたい発表がされた。
『シェリンガム公爵令嬢キャロラインをベレスフォード辺境伯子息ジャスティンと婚約させる』
シェリンガム公爵家は王妃を何人も輩出してきた、建国以来の名家だ。現当主は宰相に任じられており、その娘であるキャロラインは最高の花嫁候補として求婚者が絶えない。
にもかかわらず適齢期まで誰とも婚約せずにいたことを誰もがいぶかしんでいたのだが、この発表によって皆納得した。陛下はお気に入りのジャスティンに最高の花嫁を与えるため、宰相を口説き続けていたのだと。深窓の令嬢が蛮族の押し寄せる辺境伯領へ嫁ぐなど、親ならば喜べないことだから。宰相は一人娘のキャロラインを溺愛していると評判だ。
(許せない……!)
エリオットの心は怒りに染まった。最高の花嫁候補であるキャロラインは、当然、王国最高の男である自分に嫁ぐべきだと思っていたのだ。
エリオットは祖父に抗議した。キャロラインは自分に嫁ぐべきだと。だが祖父は『王命である』と聞く耳を持たず、宰相までもが『陛下のお引き立てで嫁げる娘は幸せ者でございます』とほざく始末。
ジャスティンにはさんざん譲ってきてやったが、今度ばかりは譲れなかった。
エリオットには婚約者がいない。早ければ誕生と同時に婚約者が決まる王族としては異例のことだが、不安はなかった。いずれキャロラインとの婚約が調うものと思っていたからだ。
だがキャロラインがジャスティンに与えられる以上、エリオットの花嫁はキャロラインより格下の娘になってしまう。友好国から王女を迎えれば別だが、残念ながら今の友好国にエリオットと歳の釣り合う王女はいなかった。
格下の娘を妻にすれば、ジャスティンはまたつけあがるに決まっている。どうすればキャロラインを自分のものにできるのか。
考えた末、エリオットはキャロライン本人に当たってみることにした。蝶よ花よと育てられた令嬢が辺境伯領へ嫁ぐなど耐えられまい。自分が助けてやると申し出ればきっとなびくはずだと思ったのだ。
予想は当たった。ひそかに呼び出したキャロラインは、王命だから逆らえないが、本当は華やかな王都を離れるのも、蛮族も同然の夫を持つのも嫌だと訴えたのだ。
『ならば僕のものになればいい。純潔を捧げ、子までできればお祖父様も嫁げとは仰らないだろう』
キャロラインは迷ったが、最終的にはエリオットに従った。当然だ。誰だって嫁ぐなら辺境伯より王太子の方がいいに決まっている。
そうして密会を繰り返すうちに、キャロラインはとうとう身ごもった。
(……これでやっとジャスティンを見返してやれる!)
エリオットはキャロラインの手を引き、意気揚々と夜会に参加した。その夜会には珍しく、ジャスティンも参加することになっている。
『ジャスティン・ベレスフォード! 貴様の婚約者、シェリンガム公爵令嬢キャロラインはこの僕の子を身ごもった。よって貴様との婚約を破棄する!』
そう宣言した時のジャスティンの顔は見物だった。この男が驚愕をあらわにするところを見たのは初めてだった。
だが、もっとよく見ようと身を乗り出した瞬間、エリオットは横っ面を殴り飛ばされ、ぶざまに床に転がった。次期王太子に何を、と叫ぼうとして口をつぐむ。怒りのオーラを発散させ、エリオットを見下ろしていたのは祖父クライド王だったのだ。
「そなたは……、そなたは、何という愚かなことを……」
怒られるだろうとは覚悟していた。それなりの罰を受けることも。だがエリオットは唯一の王位継承者だ。キャロラインの名誉を守るためにも、最後には許してもらえるはずだった。
「……衛兵! エリオットとキャロラインめを東の塔へ連行せよ!」
しかし祖父は何かを堪えるようにぐっと拳を握ると、控えていた衛兵に命じたのだ。たちまちエリオットとキャロラインは拘束され、引っ立てられていく。まるで罪人のように。
「お祖父様、……お祖母様! 助けて下さい!」
エリオットは必死に叫ぶが、エリオットが生き甲斐だと言っていたはずの祖母は両手で顔を覆ってしまっていた。キャロラインの父である宰相も、渋面のまま娘を助けようとはしない。
「やはりあの噂は真実だったのか……」
「エリオット殿下は、本当は……」
「亡き王太子殿下の死も、ひょっとして……」
招待客たちのざわめきが遠のいていく。
最後に見たジャスティンの顔は、どういうわけか晴れやかだった。