ジャスティン3
「どうしてこんなことになったんだ」
ジャスティンがぼやくと、向かいに座ったエヴァが長いベールの陰でくすりと笑った。
「また言ってる」
「これが言わずにいられるか」
「何度文句をつけたって現実は変わらないわ。ここまできたんだから、いいかげん覚悟を決めなさい」
「決めたつもりではあるんだけどなあ……」
晴れがましい式典にふさわしくない会話が、他人に聞かれる恐れはない。二人は壮麗な装飾が施された四頭立ての馬車に乗り、詰めかけた民の割れんばかりの歓呼の中、王宮へ続く大路を進んでいるのだから。
もしかしたら警護の騎士たちの耳には届いてしまうかもしれないが、きっと聞かなかったことにしてくれるだろう。何せジャスティンとエヴァは今日から彼らの主君になるのだ。
『ジャスティン。貴方が王になりなさい』
アビゲイルの提案など実現するわけがないと、ジャスティンはたかをくくっていた。辺境伯家には何度か王女が降嫁しているが、王家とはじょじょに距離を取っていったのか、アビゲイルの前の降嫁は六代前だ。王家の血など皆無に等しい。
中央貴族にはもっと濃い王家の血を持つ者もいるのだ。他国の貴族になったジャスティンが王なんて誰も認めないだろう……と、思っていたのはジャスティンだけだったらしい。
アビゲイルと父チェスターは法律的な夫婦であり、前妻の子であるジャスティンもまた、法律上はアビゲイルの息子ということになっている。ごくわずかとはいえ王家の血も引いている。ならば継母に代わり王に立つのは道理。アビゲイルはそう主張した。そしてどう考えても無理筋のその主張は、あっさり通ってしまったのだ。ジャスティンの父チェスターとエヴァの父ソーマ王、二人の父親によって。
ソーマ王としてはせっかく蛮族の国を制圧したのに、アンブロシア王国が不安定なままではいつまた蛮族の残党が息を吹き返すかわからない。早急に安定させる必要があった。信頼するチェスターの息子が新たな王に立ってくれるのなら、願ってもない。
さらにソーマ王は愛娘エヴァンゼリン王女をジャスティンの正妃にすると宣言した。つまり次代の王はソーマ王の孫。これでソーマ国内に反対する者はいなくなった。……ジャスティンとしてはもう少しがんばって欲しかった。
アンブロシア側には反対者などいるわけがない。彼らは一日でも早く王を迎えなければならないのだ。ソーマから王妃を迎えることに難色を示す者もいないわけではなかったが、自分の娘を王妃にしたいのかと責められるのを恐れ、誰も口には出さなかった。
……かくしてジャスティンは新たなアンブロシア王としてエヴァと共にアンブロシア王宮へ迎え入れられることになった。
今日の戴冠式を迎える前に、やっておかなければならないことがあった。過去の清算だ。
まずはクライド王、いや、元王との対面。ジャスティンへ王位を譲ることを全面的に承諾したため、元王は東の塔から出され、客室に軟禁されていた。
『全ては私の責任だ』
王位を奪ったも同然のジャスティンに、元王は恨み言ひとつぶつけなかった。そしてジャスティンも元王を慰めなかった。彼の言葉は真実だったから。
元王がアレクシスの教育にもっと関心を持っていれば、もっと厳しく監督していれば、そもそもの始まりである母ディアドラの事件は起きなかっただろう。ジャスティンも辺境伯領でのんびり暮らしていたはずだ。
『なぜ、エリオットをもっと厳しく育てなかったのですか?』
そんな質問をしたのは、この先元王に会うことはないだろうと思ったからだ。元王は今後離宮に身柄を移され、外部との接触を一切絶たれた上、厳しい監視の中生きていくことになる。いずれジャスティンの治世が安定した頃合いを見計らって『病死』させられるだろう。
沈思の後、元王はのろのろと口を開いた。
『……負い目、であろうな』
『負い目?』
『エリオットの命を助けるためとはいえ、私はアレクシスを……息子を殺してしまった』
王としては間違いなく正しい決断だった。
だが王とて人の子。我が子の命を奪って心が全く痛まないわけでも、罪悪感に苦しまないわけでもない。己の無関心が息子をあんな愚物に育ててしまったという自覚があれば、なおさら。
だからエリオットを託された時、今度こそ間違ってはならないと決意した。アレクシスとは比較にならないほど厳しくもした。
けれどアレクシスにそっくりな顔で泣かれると……ヘンリエッタがべたべたに甘やかし、厳しい指導を台無しにするのも責められなかった。エリオットのためにならないとわかっていても。自分が後でフォローしておけばいいと、ジャスティンを優遇しておけばいいと思ってしまったのだ。
『結局私は、エリオットともまともに向き合えなかったのだ。……いや、恐ろしかったのかもしれないな。エリオットを通し、アレクシスを……己の罪を見つめることが』
そうして元王が目を逸らし続けた結果が今である。元王は自嘲したが、ジャスティンは笑えなかった。王たる者は情に溺れればたちまちその座から引きずり落とされる。元王は未来のジャスティンの姿かもしれない。
そんなジャスティンの胸のうちを、元王は見通しているようだった。
『我が末路をそなたの戒めにしてくれ。そうすれば私の魂も地獄で少しは安らげるだろう』
余生がそう長くないことを元王は理解している。
もはやかける言葉もなく、ジャスティンは元王のもとを後にした。
次に向かったのは……エリオットのところだった。
そう、エリオットは生きていたのである。暴徒に袋叩きにされたが、その最中にキャロラインが産気づいてしまったため、彼らの注意はキャロラインに移った。その隙をついて地面を這い、半死半生で物陰に隠れていたのを、暴徒鎮圧のため王宮から派遣された兵に発見されたのだ。
見捨てるわけにもいかず、兵はエリオットを王宮へ連れ帰った。そしてエリオットは狂乱したヘンリエッタが呼んだ医師の手厚い治療を受け、一命を取り留めたのである。
しかし間もなく王宮は暴徒の襲撃に遭い、唯一の庇護者だったヘンリエッタは死んでしまった。恐ろしくて逃げ出すこともできず、ぶるぶる震えていたエリオットは元王たちと共に捕らえられ……しかし背負った憎悪の深さゆえ粗末に扱われ、地下牢に放り込まれた。
ろくに食事も与えられなかったようだが、それでもエリオットは生きていた。町家暮らしの間についた贅肉のおかげらしい。どこまでも悪運の強い男だ。
ジャスティンの即位が決まってから、エリオットは地下牢から監視付きで一般牢に移された。仮にも新王の異父弟を地下牢で死なせるわけにはいかないと、貴族たちがよけいな気を回したのだ。ジャスティンとしてはそのまま放置しておいてもらって良かったのに。
ジャスティンに会わせろと、エリオットは駄々をこねて使用人たちを困らせているという。異父兄が新たな王になり、自分の待遇も改善されたことで、妙な期待をしているらしい。
『おお兄上! 会いたかった!』
ジャスティンが現れるなり、エリオットは喜色満面で牢の格子にすがりついた。
短期間に肥満と飢餓を繰り返したせいか、かつての貴公子らしさは消え失せ、たるんだ肉が全身にまとわりつき、目はぎょろぎょろとして、老人のようだ。ジャスティンよりも年下にはとても見えない。王家特有の金色の瞳でなければ、別人だと思っただろう。
『遅かったではないか。早くこんなところから出してくれ!』
ジャスティンが引いているのも気づかず、エリオットはがしがしと格子を揺らす。
『……兄上? 何のつもりだ?』
『うん? だってお前は僕と同じ母から生まれたのだから、兄上ではないか』
当然のように言い放たれ、ジャスティンは寒気を覚える。エリオットの言葉は事実だが、この男を弟だと思ったことは一度もない。
『身のほどをわきまえろ。俺に兄弟はいないし、お前は罪人だ』
『な……、何故そんなことを言うんだ。お前は僕を許してくれたんじゃなかったのか?』
ジャスティンはようやく察した。父チェスターがエリオットを街の屋敷に幽閉させたのは民の憎悪を煽るため、ひいては今の状況を作り出すためだったのだが、当のエリオットはそれで許されたと思い込んでいたらしい……と。
『わかったのなら早く出してくれ。ここはろくな食事も出ないし、風呂にも入れず湯が運ばれてくるだけで気持ちが悪いんだ』
『お前が王になることは認めてやるから、僕にもふさわしい地位をよこせ。できたら大公がいいが、公爵でも我慢する』
『街で僕に暴力を振るった賎民どもは、当然引っ捕らえて処刑してくれるんだろうな』
ジャスティンが黙っていると、調子に乗ったエリオットは次々と身勝手な願い事を並べ立てていく。
耳が腐ってしまいそうで、はあ、とジャスティンはため息をついた。
『キャロラインのことは聞かないんだな』
『は……?』
『お前が逃げ出した後キャロラインがどうなったのか、何故聞かないんだ? 彼女はお前の妻で、お前の子を身ごもっていたのに』
きょとんとしていたエリオットの顔に焦りがにじむ。今の今まで、妻子のことなど思い出しもしなかったのだろう。驚きはしない。エリオットが考えるのはいつだって自分のことだけだ。だから彼は今ここにいる。
『彼女は亡くなった。……お腹の子も』
『な……、何だって……!?』
エリオットはみるみる青ざめる。さすがのエリオットにも妻子に対する愛情はあったらしい、と安堵したのは間違いだった。
『僕のせいで死んだとでも言いたいのか?』
『……』
『僕は悪くない! あんな時に産気づいたキャロラインが悪いんだろう!?』
この瞬間、ジャスティンは悟った。エリオットに何を言ったところで無駄なのだと。
キャロラインと腹の子だけではない。ヘンリエッタ、元王、シェリンガム公爵……エリオットを生かすため尽力してくれた人々の存在も、彼はまるで気にかけていない。
自分は悪くない。誰もが自分のために命をかけるのが当然。
そんな人間とは、関わるだけ時間の無駄だ。
『お、おい、待て! どこへ行くんだ!?』
きびすを返したジャスティンにエリオットが叫ぶ。耳障りな声も、聞くのはこれで最後だと思えばどうにか我慢できる。
エリオットの処遇については、父チェスターから一任されていた。生かすも殺すもお前しだいだと。だが父はきっとこうなることがわかっていたのだろう。……これほどゆがんでしまっては、もはや生かしておくことはできない。
無言で控えていた見張りの騎士にうなずいてみせると、騎士も無言でうなずきを返してきた。ジャスティンが引き上げたらすぐ、エリオットに毒杯を与えるだろう。
『待て……待ってくれ、兄上……ジャスティン!』
何かを感じ取ったのか、エリオットの叫びが悲痛な響きを帯びる。
『僕は悪くない! 僕は何も悪くないんだ、そうだろう……!?』
それがジャスティンが最後に聞いたエリオットの声だった。
その日、かつての第一王子だったエリオットの『病死』が報告され、アンブロシア王家の直系は断絶する。しかし新王即位のお祭り騒ぎの中、気にとめる民はほとんどいなかった。
「子どもに罪はない? そんなわけないだろう?」
歓呼する民に手を振りながらジャスティンはつぶやく。もし本当に罪がないのなら、キャロラインの腹に宿った子は死ななかっただろうに。
怒りと共に不安が首をもたげる。
ジャスティンもいずれ親になるだろう。元王は決して愚鈍な人ではなかったのに、アレクシスやエリオットのような子が育ってしまった。自分も元王の轍を踏まないと言いきれるのか……。
「大丈夫。私がいるから」
エヴァがそっとジャスティンの手に自分のそれを重ねた。絹の手袋越しに伝わる馴染んだ温もりが、不安を消し去ってくれる。
そうだ。エヴァはヘンリエッタとは違う。もしジャスティンが道を誤れば、容赦なく引き戻してくれるだろう。
政でも、家庭でも。
「ありがとう、エヴァ。……愛してる」
ジャスティンはエヴァの頬に顔を寄せ、口付ける。
わっと民が沸く中、エヴァは真っ赤に頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。
これにて完結です。お読み下さりありがとうございました。




