エリオット1
隣国から迎えた賓客をもてなすため催された、王宮の夜会にて。
「ジャスティン・ベレスフォード! 貴様の婚約者、シェリンガム公爵令嬢キャロラインはこの僕の子を身ごもった。よって貴様との婚約を破棄する!」
くだんの賓客や国王夫妻、招待客の貴顕紳士淑女が居並ぶ中、高らかに宣言したアンブロシア王国第一王子、エリオット・アンブロシアは得意の絶頂であった。なぜならエリオットは目の前で立ち尽くす一つ年上の従兄ジャスティンが大嫌いだったからだ。
従兄といっても血のつながりはない。ジャスティンの母親はジャスティンを産んで二年も経たずに病死した。そこでエリオットの叔母にあたるアビゲイル王女がジャスティンの父、ベレスフォード辺境伯チェスターの後妻として降嫁したのだ。王国の要衝を守るベレスフォード家と、王家の絆を強めるために。
一方エリオットはアビゲイル王女の兄、王太子アレクシスの息子として生まれた。つまりエリオットとジャスティンは義理の従兄弟である。エリオットは王家直系にしか現れない金色の瞳を持っているが、ジャスティンは平凡な藍色の瞳だ。
王太子の息子と辺境伯の息子。
身分の差は誰が見ても明らかだが、エリオットにはジャスティンの方が恵まれているようにしか思えなかった。
エリオットの父、王太子アレクシスはエリオットが生まれてすぐに亡くなっている。地方の視察に赴いた途中、馬車の事故に巻き込まれてしまったのだ。同行していた母の王太子妃も一緒に。
エリオットは国王夫妻……祖父の国王クライドと王妃ヘンリエッタに引き取られ、養育されることになった。厳しさと優しさをあわせ持つ祖父と、亡き息子そっくりのエリオットを溺愛してくれる祖母。そして忠実な臣下に囲まれた暮らしに不満はないが、やはり両親のいないさみしさは埋まらなかった。
引き換えジャスティンは生母こそ亡くしたものの、猛将と名高い父親と元王女の継母に可愛がられながら育っている。アビゲイルはクライドが身分の低い侍女に手をつけて産ませた娘ではあるが、王家の金の瞳を持ち、教養豊かな美女として知られた姫君だった。縁談も降るほどあったと聞く。辺境伯とはいえ子持ちの男との結婚は不本意だったはずだが、不平一つ言わずに嫁ぎ、なさぬ仲のジャスティンとも打ち解けようと努力していたそうだ。
だがジャスティンはそんなアビゲイルにまるで心を開こうとせず、母上と呼ぶことすらしなかった。アビゲイルが親しげに話しかけてもほとんど無視し、笑いかけもしない。嫡男がそれでは使用人たちもアビゲイルに辺境伯夫人としての敬意を払わず、子が産まれなかったこともあり、降嫁から十六年近くが経つ今でも客人のようなよそよそしい扱いを受けているという。
仮にも元王女に対し、子どもであっても許されないふるまいだ。
しかし誰もジャスティンを咎めたりはしなかった。……祖母はまだわかる。アビゲイルは夫である国王の寵愛を盗んだ、憎らしい女の娘だから。だがアビゲイルの夫となったチェスター、アビゲイルを可愛がっていた祖父クライド王までもがジャスティンを一言も叱らないのがエリオットは不思議で、腹立たしくてならなかったのだ。
ならばジャスティンなど見なければいいのだが、そういうわけにもいかなかった。クライド王は折に触れアビゲイルとジャスティンを王宮に招いたのだ。国のため降嫁させた愛娘を心配してのことだったのだろう。
あるいはエリオットとジャスティンに友情をはぐくませたかったのかもしれない。亡き父アレクシスに兄弟姉妹はアビゲイルしかおらず、エリオットと同年代の王族はいなかった。義理とはいえ歳の近い従兄と仲良くなれば、いずれエリオットが王位についた時の支えにもなる。
だが祖父の心遣いは無駄というものだった。
『なぜ僕がこんなやつと遊んでやらなくちゃならないんだ』
初めて引き合わされたのは六歳の頃だっただろうか。エリオットが苛立ちまぎれに悪態をつくと、ジャスティンは『そうですか』と顔色一つ変えずに頷き、去っていこうとしたのだ。
『お、おい、どうして行くんだ!?』
『……? 殿下は私と遊びたくないようですので』
『だからって本当に去るやつがいるか!』
エリオットが不機嫌になったら『ご気分を害してしまい申し訳ございません』と平身低頭して謝り、エリオットの命令に何でも従わなければならないのだ。祖母が用意してくれた遊び相手や使用人は皆そうなのだから。
『私は陛下のご命令だからアビゲイル様と共に登城したに過ぎません』
だがジャスティンはエリオットの言い分に眉をひそめただけで、本当に立ち去っていってしまったのだ。すぐ己の過ちに気づいて戻るかと思ったが、いっこうに戻らない。
腹を立てて使用人にジャスティンを探させると、ジャスティンは祖父が親しい者しか招かない庭園でお茶を飲んでいた。しかも祖父と祖母、アビゲイルが同席しており、そばには見事な毛並みの子馬が引き出されている。名馬の産地である隣国から献上されたばかりの子馬は、エリオットも一目見るなり気に入り、祖父にねだっていたものだった。
(まさか、あれをジャスティンに?)
『お祖父様!』
エリオットが使用人の制止を振り切って駆け寄ると、クライド王は唇をゆがめた。
『エリオット、騒々しい。客人の前であるぞ』
『っ……、ですが……』
『行儀よくふるまえぬのなら部屋に戻っていなさい』
エリオットがごく幼い頃は優しかった祖父は、最近では厳しいことばかり言うようになった。その分祖母が甘やかしてくれなければ、押し潰されてしまっただろう。
『貴方、どうか大目に見てやって下さいな。ここにいるのは身内だけなのですから』
この時も祖母ヘンリエッタがとりなしてくれ、席を用意してもらうことができた。ヘンリエッタは幼くして両親を失ったエリオットを不憫がり、エリオットの望みは何でも叶えてくれる。そのヘンリエッタがそばにいる頼もしさですっかり気が大きくなったエリオットは、クライド王に尋ねた。
『お祖父様、その子馬はジャスティンに下賜されるのですか?』
『そうだ。ジャスティンはこの歳ですでに騎馬術を修めたそうだからな。今から共に育てば、数年後には頼もしい相棒になってくれるだろう』
『お心遣いありがとうございます、お父様』
アビゲイルが頭を下げたのに、平然としているジャスティンがおもしろくない。一つしか違わないくせに馬術を修めたことも苛立たしかった。エリオットも馬術は習っているが、まだ並足でゆっくり歩かせるのが精いっぱいだ。
『……その子馬、僕も欲しいです』
『エリオット?』
やめなさい、とヘンリエッタがたしなめるが、エリオットは止まらなかった。
『だって、最初に欲しいと言ったのは僕ではありませんか。お祖父様もお聞きになっていたはずです。なのにジャスティンなんかに……』
『なんか、とはなんだ。ジャスティンはアビゲイルの子、そなたと同じ余の孫であるぞ』
『でも、血は……』
つながっていない、とは言えなかった。クライド王が刃のように鋭くエリオットを睨んだからだ。
(……どうして、お祖父様は僕をそんな目で見るんだ? 僕はお祖父様の、たった一人の血のつながった孫なのに……)
『……私は構いません。殿下に差し上げてください』
痛いほどの沈黙を破ったのはジャスティンだった。
『し、しかしジャスティン……』
『馬ならば我が辺境伯領にも揃っております。ご心配には及びません』
クライド王もアビゲイルもさんざん引き止めたが、ジャスティンは『ご心配には及びません』と言い張った。最後にはクライド王も諦めたので子馬はエリオットのものになったのだが、ジャスティンたちが帰った後、エリオットは祖父にきつく叱責されてしまったのだ。
『王子ともあろう者があさましい真似を! あの子馬はジャスティンに贈るため、わざわざ隣国に献上させたものだったのだぞ!』
『な……、ジャスティンのために? あんな無礼者のために、どうしてお祖父様がそこまでしなければならないのですか!?』
血のつながった孫の自分には厳しく、義理の孫には甘い祖父が理解できなかった。涙を流すエリオットをクライド王はもどかしげに見つめていたが、『二度とあのような真似をするな』と言い置き、去ってしまう。
泣きじゃくるエリオットをなぐさめてくれたのは、ヘンリエッタだった。
『エリオット、かわいそうに。あの人もあの人だわ。まだ幼いエリオットに、あそこまでしなくても……』
『お祖母様、僕は何か罪を犯してしまったのでしょうか。お祖父様が見過ごせないような……』
そうでもなければ、こんなに厳しくされるはずがない。
ヘンリエッタは一瞬瞳を揺らしたが、エリオットを優しく抱きしめてくれた。
『いいえ、エリオット。貴方は何も悪くない。貴方に罪なんてあるわけがないのよ』