同日・鸕野讃良
夫の元に、大王である父から呼び出しの使者が来た。とうとう来たか。内心の不安を隠して送り出し、その日は何も手がつかなかった。昨日のことなのに、遠い昔のように感じる。
夫は父の同母弟で、父の後継者として大宮人はもとより国中の豪族たちからあまねく認められている存在である。しかし、最近は父とその周辺は、別の者を後継者に据えようとする動きがあり警戒を強めていた。
父は重い病で、死から逃れられないとの噂もある。後継者が誰になるか国中が固唾を飲んで見守っている。父や大臣たちは、あわよくば夫の大海人を亡き者としようと企んでいる、と囁く者までいて。
だから、胸騒ぎがして仕方がなかったのだ。丸一日が経ち、出かけた日とはあまりにも変わり果てた夫が帰宅するまでは。
「そのお姿は何としたことです、大海人さま。酔狂が過ぎましてよ?」
「いや、讃良。酔狂ではなくて、真面目な心から出家したのだ。兄上の病平癒を願って、な」
大王の元に参上して出家を願い出、すぐに髪を剃り僧となったところ、この袈裟を賜ったというわけだ。立派な袈裟だろう、とけろりとして言う夫。
ですから、それが酔狂だというのです。