9話『神つきの女子高生』
世間では失恋シーズンと言うが、俺が通う学校の中ではそんな雰囲気は微塵もない。
もしかしたら、俺が知らないだけで、いろんな失恋があったのかもしれないが、皆、青春の香りを爆発させている。
鬼頭さんは、休憩時間の度に誰かに呼び出されて、溜息を吐いて戻ってくる。
「なぜ仲良くもない、話したこともないような相手に告白されて、嫌な思いをさせないといけないわけ? 何をもってイケると踏んでいるわけ?」
机に額をつけて、割と大きめの声で独り言を言っていた。
「それは独り言ですか? 声が出てますよ」
隣の席なので一応、周りの好感度が下がらない程度にフォローしておく。
「犬!」
「わん!」
先日、鬼頭家の訓練で、鬼頭さんの爺様に2人がかりで相手して、ボロ雑巾のようにされてから、「犬!」「角!」と呼ぶ間柄になっていた。指示は短い単語じゃないと、間に合わない。
「今日は部活があるのか?」
俺は美術部に所属しているので、文化祭で入口にアーチを作るため今は必死で鋸を引き、金槌を打っているところ。うちの部活に電子工具はありません。
「あるます!」
「じゃあ、これ、部長の加奈子さんに渡しておいて」
「え?」
鬼頭さんは懐からお守りを取り出して、俺に渡した。それ、どこにしまってたんですか?
「臭いを嗅ぐんじゃない!」
「わん」
教室で白い目で見られたのは俺の方だった。鬼頭さんの作戦だろうか。
放課後、美術室へ向かい、ドアを開ける。
「ああっ! 今開けないで!」
「え!?
ガシャーンッ!
黄緑色のペンキが降ってきた。
俺は全身でペンキを浴び、一人ぬるぬる相撲をしながら、制服を脱ぎ捨てることになった。
「ごめんね。あたしドジだから……」
「いや、自分も何も考えずにドアを開けてしまったんでしょうがないです」
ガラガラ……。
部活で使うドアとは違う、反対側のドアが開いて、顧問の青木先生が入ってきた。
「お前ら、何をやってんだ!?」
「見りゃ、わかるでしょ!」
パンツ一丁姿で怒られる云われはない。
「そう言うことは学校でするんじゃない!」
「誤解があるようですけど……」
そう言って、立ち上がった加奈子先輩のスカートが、床に置いてあったペンキの缶に挟まってずり落ちた。
「わあっ! 俺を首にするつもりか! とにかくあまり人前で晒すんじゃない!」
青木先生は扉を閉めて、どこかへ走って逃げて行ってしまった。
「ごめんね。あたしドジだから」
「とりあえず、スカートは履いてください。股間がむっくりしちゃうんで」
俺と加奈子先輩はジャージに着替えて、ペンキを新聞紙で拭きとった。新聞紙を未だに取ってくれる学校でよかった。
「あ、これ、うちのクラスの鬼頭さんが加奈子先輩にって」
「え? あの美人で人を殺しそうな目をしている鬼頭ちゃんが。かわいいよね。近所なんだ」
お守りを渡すと、大事そうに懐にしまっていた。だから、それはどこにしまってんだ!?
「鬼頭ちゃんには、あたしがやらかすってわかってたんだなぁ。どうも文化祭とか体育祭とかでテンションが上がる時ほど、運が悪いっていうか……」
そう言う加奈子先輩から異界の臭いがしてきた。
「異能?」
「え?」
加奈子先輩は、こちらを見て口角を上げた。
「もしかして、加奈子先輩は異界の能力を持ってませんか?」
「ああ、やっぱり! ようやく見えるようになったのね! この男の子は二人になってもずっと能力を隠し続けてるようだけど、どうしちゃったんだろうと思ってたんだよぅ」
「あぁ、そうだったんですか。実は俺、最近まで自分の能力に気がついてなくて……」
「え? そうなんだ。じゃあ、あの地獄に行って帰ってきたっていう噂は本当なの?」
「そうです。爺さんがケルベロスで門壊してしまったんで、俺が直してたんですよ」
「夏休みよね?」
「そうです」
「山で異変があった時だよね?」
「そうなんですか?」
「うん、さすがに貧乏神が憑りついたあたしでも近づけなかったもの」
「貧乏神!?」
「ああ、だからあんまり近づかないで。不運を呼ぶわよ」
「そんな……」
その後、加奈子先輩は自分の家について語り始めた。
「うちの大場家は不遇を一手に引き受けることがあって、私の本当の家族も離散しちゃったの。それから自分の異能を理解して、今は神社の離れで一人暮らしをしているんだけど、基本的にはあまり外には出ないようにしてる。でも、家には色が少なくて美術室でじっと色を見て過ごしていたよ」
家の中は白と黒の物しかないらしい。
「今は大馬鹿な子になっているけど、大場家は大化けするかもしれないからって、周りの異能の一家から助けてもらっているんだ」
「だから鬼頭さんの家にも……」
「そう。引っ越してきた当初はあまり出歩かないようにしてたんだけど、土地自体が腐ってしまうからって」
「本当にいいことないんですか?」
「いいことは漬物が早く漬かったり、味噌が美味しくなったりすることくらいかな」
「その能力、何か使いような気がするんだけど……」
「ありがと。考えてくれるだけでもうれしいわ。それより、ペンキを買わないとね。部費は、底をついているから、ここから実費よ」
文化祭でアーチを作らないわけにはいかないし、ペンキの入った脚立にぶつかったのは俺なので、バイト代から出すしかない。
「ちなみに、もし家で壊れたものとかがあったら、言ってください。バイト先は異界由来の傷や壊れた物を直す工務店なので」
「そうなんだ!」
その日は、作業はできなくなったので家に帰る。ペンキだらけの制服を見て、母はげっそりと痩せていた。
「何をやったらこうなるのよ」
「申し訳ない。美術部のペンキを被って。悪気があったわけじゃないんだよ」
「当たり前でしょ。ふざけてやったら、また地獄に送り返すわよ」
「すみません」
「しばらくジャージで通いなさい」
「はい」
着替えて、はまぐり工務店へと向かう準備をする。失敗を話せる人たちがいてよかった。
「最近、おっさん臭くなってきているから、洗濯物は自分で洗うようにね」
そう言って洗濯籠を用意してくれた。
洗濯機を使わせてくれるだけありがたい。
「ありがとう。母」
「息子よ。がんばってくれー」
一瞬母に抱きしめられたが「くせっ」と言ってどこかに行った。きっと俺の体臭は犬に寄ってきてる。
自転車で、坂道を下り湖の近くのはまぐり工務店へと向かう。まだまだ暑さが残り、Tシャツに汗がにじむ。道に枯れ葉も多いが、これは育ちすぎた葉を落としているだけで、紅葉はまだ先だ。
「おはようございます……」
「おう。この間はご苦労さん。ミミックの案件は全部うちで仕切れるようになったぞ」
天狗さんのお陰で仕事が取れたようだ。
「ツナギを着て、片付けからだ」
「はい」
天狗さんと会ってから、自分のロッカーを貰い、俺はツナギを入れている。
「どうした? 元気ないね」
「実は、美術部の先輩が、貧乏神の異能者だったって、今日知ったんですよ」
「ああ、神社のところに住んでいる子か」
社長は加奈子先輩を知っているらしい。
「知ってるんですか?」
「身受けの時に随分揉めてたからな」
「一人暮らしだって言ってましたけど……?」
「貧乏と言っても神の能力だ。その分、大化けする可能性は高い。大良家から平多家、他にもいろんな異能の家系が狙ったんだよ。それも本人にとっては災いなんだけどな。結局は本人が成人するまで待つか、いい人を見つけるまで、そっとしておくことにしたんだけど……。なんだ? ケントくんは好きなのか?」
意外に大人たちは事情を知っているらしい。
「いや、そうじゃなくて、同じ部活だから、ペンキがなくなって貧乏してるんですよ。異能も使いようだって言うから、どうにかできないですかね?」
「競馬、競輪、ボートレース、何でもいいんじゃないの?」
井戸さんが言うには、加奈子先輩は予想が当たらないはずだから、逆に賭ければいいとのこと。
「俺たち、一応18歳以下なんですけど……」
「年齢制限め!」
「あ、味噌とか、発酵食品が好きって言ってたんですけど」
「う~ん、何か考えておくわ」
俺と團さんは、軽トラックに乗り込んで峠へと向かった。
夕方の峠は肌寒く、紅葉がちらほら見え始めている。峠から少し下った山道を進み、道がなくなったところでトラックを置いて、土管のある崖の下まで歩いて向かった。
周辺にはミミックの残骸の木片が散らばっている。まずはその木片の片づけからだ。
「掃除をしないと空気が淀むからな。ほら、ほんの数日しか経ってないのに、ゴミも捨てられてる」
峠の道の駅で食べた軽食のゴミが捨てられていた。
「酷い人たちはいるもんですね」
「いや、普通の人はこんなもんだよ」
ゴミ袋にゴミと木片を詰めて、軽トラックに荷台に積んでいく。土管には金網をつける予定なので、周辺もきれいに掃除をしておいた。
そろそろ日が落ちて、木片も見えなくなってきたので帰ろうかという時だった。
「きゃぁああ!」
崖の上から悲鳴が聞こえた。
直後、風に乗って、今どき見ないような幅の広い女性用の帽子が飛んできた。
「大きな帽子だな。今どきこんなの被ってる女の人なんかいるのか」
「化粧と汗が入り混じってすごい臭いがしてますよ」
「まぁ、どうせ帰り道だし持っていってやろうか」
大きな帽子をダッシュボードの上に乗せて、俺たちは峠まで向かった。
「この後の撮影、どうするんだ? こんな暗くなっちゃ、帽子を探しには行けないよ」
「違う帽子を使うしか」
「繋がりが壊れてしまうぞ」
峠ではCMか映画なのか、映像を撮っていたらしい。今どき、CGも使わず、よくこんな田舎の峠で撮影なんかするもんだ。
遠くからでもわかるくらい帽子を飛ばした女優さんが落ち込んでいた。
「あのぅ。これ。崖下に落ちて来たんですけど……」
「ああ! 見つけてくれたんですか!? ありがとうございます!」
「よかったぁ~!」
椅子に座って落ち込んでいた女優さんが、帽子を見た途端に立ち上がってこちらに向かって小走りで近づいてきた。
「本当にありがとうございます! 運がよかった……」
そう言って手を握ってきた。どこかで嗅いだことのある匂いがする。
「ケント!」
記憶を辿ろうとしたところで、團さんに現実に引き戻された。
「撮影の邪魔になるから、行こう」
「すみません。もし、よかったら、これ、受け取ってください」
女優さんのマネージャーらしき人が現れて、グラビアアイドル時代のDVDをくれた。
爺様の古い映画ばかり見ていたから女優さんを知らなかったが、結構有名なのだとか。女優さんの名前は「吉瀬鈴音」という名前らしい。
グラビア時代は今よりも垢ぬけていない素朴な顔をしている。ふと、大場先輩に似ているなと思ってしまった。
その瞬間に、匂いで記憶が繋がった。
汗の臭いが同じだ。
「妹さんがいらっしゃいませんか?」
「え? ああ、いますよ。今は一緒に暮らしていませんが……」
「ほら、早くメイク直して!」
「ごめんなさい。ウェブで動画が流れるはずなので見てくださいね!」
スタッフに呼ばれて、女優さんは撮影へと向かっていった。
「どうかしたか?」
いつの間にか團さんが隣に立っていた。
「いや、グラビアのDVDを貰っちゃいました」
「まだ、そんな商売残ってるんだな。握手券とかで売るのか。記念だな。社長に自慢しよう」
峠はすでに暗くなっていたが、撮影現場はライトアップされていた。