5話『孤独なアルラウネ』
はまぐり工務店では、猫の社を現地で組み立てやすく、加工している真っ最中だった。
車庫のシャッタードアは壊れていて、炎天下でアスファルトの照り返しをもろに浴びている。
「サンダーかけといてくれ」
サンダーは電動やすりのことだ。團さんは手際が良く、設計図通りに木材を切っていく。あとはノミで穴を空けるのだが、それが難しい。
「何回か作れば上手くなるさ」
釘をほとんど使わないという團さんの技は、見ているだけで面白い。
俺はサンダーをかけるだけなのに、まるで上手くいかなかった。
「おーい、仕事だぞ」
はまぐり社長に言われて、店の中に入り、汗を拭きながら今日の仕事を確認する。
「前に行ったマンドラゴラを密売している家だな。どこかから声がしているらしい」
「それは警察か異界探偵に任せるべきでは?」
「声だけだから、工務店で処理しろとのお達しだ。まぁ、田舎だからな。ゴミの掃除もしなきゃならんさ。どこも人手不足なんだよ」
はまぐり社長は禿げ頭をぺしっと叩いて、ガソリン代を團さんに渡していた。余ったらラーメンでも食って来いという意味らしい。
「着替えて行くか。甘い飲みものでも買ってきてくれ」
「はい!」
俺は自販機で缶ジュースを買い、ミニバンに乗り込んだ。
「掃除もうちの店で取り扱うんですか?」
「まぁな。本当は、亡くなった人の家をクリーニングする業者だっているだろ? でも、彼らが来る前に俺たちみたいなのが入らないといけない現場っていうのがあるんだ」
「異界絡みのところですか?」
「そう。物がわかってりゃ怖くはないが、あそこはゴミ屋敷だからなぁ」
ミニバンが湖の見える道路から、山道へと曲がっていった。
この先は、新興住宅地で神社などが少ない。新幹線も通っているから、都会から引っ越してきた人が多いのだとか。
「夢を持って都会に行き、破れて居場所がなくなり、ちょっと田舎に住む人っていうのが多いんだよ。勝者よりも敗者の方が多いからなぁ」
「その家に團さんは行ったことがあるんですか?」
「ケントはマンドラゴラって知ってるか?」
質問に質問で返された。
「ええ、叫ぶ根っこですよね?」
「そうだ。それを、モーリュの木として売っていた男がいる」
「モーリュって?」
「ああ、そっちは知らないか。ギリシャ神話に出てくる毒や魔法を打ち消す木だ。このコロナでそういう呪いや魔法を防ぐようなものはいくらでも売れたんだ」
要するに詐欺か。
「なんでも信じる人がいるんですね」
「俺たちもその一味だよ」
俺はまだ異界の能力に慣れていない。
「ただ、本人はそんなつもりはなかったと容疑を否認している。誰かから指示されていた痕跡は見つかっているけど、ほとんど誰とも関係がなくて、知り合いと会ったのもコロナ前だって言っていたらしい」
「孤独ですか?」
「疫病が流行って、自分の孤独さが浮かび上がってきてしまっただろう? 聞きたくもない声を聞いた可能性が高い」
「その声を倒すんですか?」
「いや、倒したんだろう。残滓が喋ってるんだと思う」
「そんなことって……」
「異界の者ならありうるのさ」
俺は地獄で顎だけで喋るしゃれこうべを見たことがある。
「ないことはない、か……」
「マンドラゴラの鉢植えもうちの店で捨てたんだけど、他にもいるらしいな」
ミニバンは住宅街を進んでいた。
「……ということで、完全防備で行こう!」
灰色のツナギを着て、軍手にマスク、スマホに骨伝導のノイズキャンセルイヤフォンまでして通話はできるようにした。目に入るのが一番まずいとゴーグルまで渡された。
「ちなみに、どんな臭いがする?」
マンションの一室を開けて、團さんが俺に聞いてきた。
「死ぬほど臭いですよ。おじさんの汗が溜まって糞尿と混ぜ合わさったような臭いがします。あと、どこかから香水の匂いがしますね。芳香剤が一か所に固まってます」
「じゃあ、一番臭いところに行ってみようか」
「俺に死ねってことですか?」
「死ねってことだよ」
バイトの先輩は、厳しいのが当たり前か。
一歩部屋の中に入ると、自分の頭が犬に変わっていくのがわかる。そこら中から異界の臭いが立ち上っている。
空のペットボトルやカップめんの容器がグチャグチャに潰されている廊下を進み、左手に日が差し込む部屋があった。
どうやらそこでマンドラゴラを育てていたらしく、散乱した土や肥料からも異界の腐臭が漂っていた。
「全部処分したんですか?」
「どこにマンドラゴラがあったのか、わかるのか?」
「これだけ臭いがしていればわかりますよ」
「そうか。全部焼却処分していたはずだけど、もしかしたら社長が一鉢くすねてるかもしれない」
「社長が?」
「うちのはまぐり社長は幻覚使いだ。一般人が異界の者に触れた時、幻覚にして普通の生活に戻す仕事を長年やってるからな。警察も『仕事で使うなら』とお咎めもない。だいたいうちの会社にある棚は見ただろう?」
工務店で作業スペースよりも幅を取っている棚だ。
「あれは全部、社長が集めた異界グッズなんですか?」
「異界グッズって言えば、そうだな。たまに使うことはあるんだけど、資料として持っていることがほとんど。好事家も少なくなってきたんだけど、海外では重宝されるらしくてね。まぁ、社長の場合はほとんど余生を楽しんでいるようなもんだな」
「そうなんですか?」
「ああ。世の中に不安が広がっているときっていうのは、異界の扉が開きやすいのさ。十数年前のリーマンショックやアラブの春の時には、向こうで随分稼いでいたらしい」
どうやら、はまぐり工務店の社長は国際派らしい。
「今も稼ぎ時だそうだ」
「仕事が多いってことですか?」
「ああ、しばらく仕事はなくならないだろうな」
随分、暇そうに見えたが、井戸さんが世の中の流れを読んで仕事を選んでいるのだとか。
「社長曰く異能者だからって稼げないってことはないが、儲けられるか儲けられないかは才覚だそうだ。まぁ、能力の使い方だな。だからケントも上手く能力を使え」
「そうですか。奥の部屋が一番臭います」
團さんは大きく息を吐いて「よし」と気合を入れてから部屋に入ってきた。
「こういう雑然とした部屋を構築するのが一番難しいんだよな。生活の跡とかは見えて面白いんだけど……」
ダンジョンマスターらしいことを言う。
奥のリビングにはゴミ袋が積み上がり、窓も塞いでいるので急に暗くなった。見たこともないフナムシに似た虫も湧いている。
「窓は開けとけ。空気が淀んでる」
淀んだ空気の中にいると気が滅入るというが、異能者は気を大事にしているのだとか。能力が外にバレるらしい。
ゴミ袋をかき分けて、窓を開けた。ベランダにもゴミの山がある。ゴミ屋敷になると役所の人が来るそうだが、捕まった元住人はしっかり納税もしているので、アンタッチャブルになっていたという。
「大人の世界って面倒ですね」
「青春は謳歌しておけよ」
臭いはさらに奥の部屋だ。
鍵がかかっていたが、團さんがドアノブごと外していた。便利な異能だ。
ゴミ袋を退かして、ドアを開けたら、すぐに異音の正体がわかった。
壁も床も、植物の根が張っている。椅子や机の上にも根っこだらけ。暗い部屋の中でパソコンだけ付いているのが不気味だった。
部屋の真ん中にあるベッドの上には、緑色の苔が生えている等身大の人形が座っていた。質感も匂いもシリコンで、精液の臭いもしている。おそらくダッチワイフだったものだろう。
『たかしさん、たかしさん……、行かないで』
ダッチワイフが喋っているが、機械的な声ではないし、Vtuberっぽい声でもない。ただ、普通の会話はできなそうだ。
「たかしさんはいないよ」
「ケント、喋るな。そいつはアルラウネだ。ここから先は警察の仕事だ」
團さんは俺の襟首をつかんで引き戻した。
「危うく、根を張られるところだったぞ」
足元を見れば、俺の靴が盗まれている。團さんが引っ張ってくれなきゃ、引きずり込まれていたかもしれない。
「すみません。ありがとうございます」
その後、外に出て團さんが警察に電話。すぐに異能者部隊がやってきて、部屋ごと燃やしていた。
俺たちは近隣住民の避難を手伝い、アルラウネの討伐が完了するまで待機する。
「勘弁してくださいよ」
團さんは警察に文句を言っていた。
「こっちはゴミの片づけで来てるんですから」
「マンドラゴラの時に見落としていたのは、はまぐりさんのところもだろう。こっちは仕事が溜まりまくって忙しいんだ。少しは協力してくれ。同じ異能者だしさ。もう荒事と無関係ではいられない時代だ」
マンションの前に軽トラで、はまぐり社長がやってきた。
軽トラから下りた瞬間から、避難させた住民たちに煙を嗅がせて眠らせている。すごい早業だ。
「まぁまぁ、異能者同士で争うのは止しましょう。ここのところ疲れているのは、皆同じだ」
「終わったみたいね」
いつの間にか軽トラの陰から井戸さんが現れて、マンションを見上げた。窓から焦げた臭いがしている。
黒い和装の女性がマンションから出てきた。旭日章が胸に描かれているので、今まで見たことはないけど警察の服なのか。
「狐火でこんがり焼いておきました。あと、はまぐりさん、よろしくね」
小料理屋のママのような黒髪と化粧をした刑事さんだそうだ。
「あら? あなた、崎守さんのところの?」
「あ、そうです。ケントと言います」
「へ~、はまぐりさんのところに居着いたのね。頭は悪くないみたいでよかったわ。伯母さまによろしくね」
そう言って和装の刑事さんは、仕事を終えて帰っていった。
俺の伯母と言えば、ヨウコ伯母さんはキツネの妖怪の能力を持っていると、伯父さんが言っていた。刑事さんと知り合いなのか。
「さて、仕事だ。焼けた部屋を片付けるぞ」
はまぐり社長の号令で、俺たちは部屋に舞い戻る。
窓ガラスは割れていないものの壁紙と床板は張替え。焼けて溶けてしまったダッチワイフは……、どうするんだろう。
「普通、業者が引き取ってくれるもんだけどな」
「粗大ゴミだね。中がきれいに焼けてるよ」
「賀茂さんは仕事がきれいで助かるね。パソコンがまだ動いてるよ」
井戸さんが言うには、最近の異能者の警察は忙しいという言い訳で、現場が荒れていることが多いらしい。先ほどの刑事さんは陰陽師の末裔で、代々異界の住人に対処している家系の人なのだそうだ。
「ああ、これ見てよ」
パソコンの中身を見ていた井戸さんに呼ばれてみると、この部屋の元住民が書いたブログが出てきた。それまでアクセスはゼロだったのに、森の中でダッチワイフを拾って画像を載せ始めてからアクセスが増えたらしい。
「皆、変なもの、変な人が見たいのよ」
「アルラウネが喋り始めたことまで書いてるじゃないか。全部削除しておけ。残ると面倒だぞ」
コメント欄には「ついに幻聴が聞こえるようになったか!」と書かれていた。独り身の寂しさは全世界共通なのか。
「誰でもいいから名前を呼ぶといいですよ」
「名前? そういやアルラウネも住人の名前を呼んでたな」
「暗闇の地獄にいると自分が誰だかわからなくなるんです。ひたすら自分の名前を叫んでました」
「へぇ~」
「地獄トリビアね」
團さんも井戸さんも納得していた。
「誰か名前を呼んでくれるっていうのは、存在を認めてくれるってことだからな。親から貰う最初のプレゼントとはよく言ったもんだ」
社長も禿げ頭を叩いて頷いている。
異界から出てきた化け物に名をつけるのはいいことらしい。
日本では古くから妖怪に名前を付けるが、それで形を決めているのだとか。
「この仕事で、妖怪の名前を覚えておいて損はしないぞ。もしかしたら、俺が言うまであのアルラウネは澱みたいなものだったかもしれないからな」
團さんはそう言いながら、焼け焦げた壁紙を引きはがしていた。
夏休みの宿題が増えてしまった。
全て片付けて、後は床の張替えだけになった時、誰もいないはずの部屋から緑の香りがした。
あのアルラウネも、この部屋の住人と同じように寂しかったのだろうか。
だとしたら、犯人と共生する道はなかったのかな。
「社長。異界の能力者じゃなくて、異界の住人と共生するのって難しいんですかね?」
「ふむ。いい設問だな。僕も随分長く生きているし、何度も挑戦しているんだけど、滅多にないことだ。主従関係を結ぶことはあっても、共生となると、よほど相性がいいとか血縁関係があるとかでなければ難しいようだ」
すでに社長は試しているのか。
「もしかしてマンドラゴラも?」
「育ててみたものの、数日で枯れてしまったよ。鉢植えだけが残った。でも、そういう入れ物が大事なんだ。だから僕は取ってあるのさ」
「あれ、全部、空なんですか?」
團さんが社長に聞いていた。
「そうだよ」
「年末の大掃除の時に捨てましょうね」
「やめてくれ。あれは恨まれてこそ妖怪だけど、崇めれば付喪神になるんだから」
「邪魔でしょうがないんだから、神にはなれませんよ」
井戸さんが切って捨てていた。
「そんなぁ……」
社長の情けない声を聞きながら、社員たちは笑っている。
近くに不思議な工務店があって、よかった。爺様が名刺を残してくれた理由が何となくわかった気がした。