27話「古くから続く社会的の文化と解呪」
朝の5時には起きて、おにぎりを作って家を出た。自転車で爺さんの家まで行くと、すでに加奈子先輩と天狗さんが待っていた。集合時間の6時にもなっていないというのに。
「おはようございます。早くないですか?」
「日が昇る頃には着いちゃった」
「昨日の夜には準備ができている」
天狗さんは、爺さんの家で泊ったらしい。井戸さんが民宿をやるから、布団などは用意してあった。
「朝飯はまだ食べるなよ」
昨日言われていたことは守っている。
「はい。もう、行くんですか?」
「寒いけど、行こう。動いていた方が温かいから」
天狗さんは荷物をたくさん持って行くらしい。俺も半分持った。加奈子先輩も登山用の荷物を持ってきている。
俺たちは裏山に入り、山道を登っていく。朝日が山に差し込んで、地面に広がる霜を解かしていた。まだ雪は降っていないが、年末にはここら辺一帯も雪景色に変わるだろう。
「ケントくんは山に慣れてるのね」
「天狗さんと犬神祭りの修行をしていたので」
「だったら、ペースが遅いくらい?」
修業とは違い、ペースは加奈子先輩に合わせている。
「いや、全然。ゆっくりしたペースの方がありがたいです。山に入る度に修行はしていられません」
「そうだな。これは仕事に近い。一応、ケントも爺さんから聞いて、ミソギについては知っているのか?」
「まったく教えられてませんよ。好きな映画くらいです」
「日本の国の成り立ちは?」
「縄文時代とか弥生時代とかの話ですか?」
「そうか。じゃあ、上りながら説明するか」
そう言って天狗さんは話し始めた。
「大昔にイザナギとイザナミという夫婦がいて、イザナミがなくなってしまったんだ。それでイザナギが黄泉の国まで会いに行って喧嘩して戻ってきた。黄泉の国で穢れてしまった身体を清めるためにミソギをして、アマテラス、ツクヨミ、スサノオが生まれたっていう神話があるんだけど、知ってたか?」
「ああ、そういうことだったんですね。漫画とかアニメとかでよく出てくる名前は神話から取ってきたんですか?」
「そうだろうな」
「え? じゃあ、地獄に行ってた俺はミソギをした方がいいんじゃないですか?」
「日本の古い文化としてはそうだな」
「ケガレの文化って結構強くて、歴史の授業で、1000年以上前はよく都が代わっていたでしょ? あれって、天皇の崩御で穢れてしまったから遷都していたわけよね。でも、仏教の火葬っていう文化が入ってきて、都があんまり代わらなくなっていったのよ」
加奈子先輩も教えてくれた。
「ああ、なるほど。じゃあ、ものすごく文化としては強いんですね」
「だからミソギも結構重要で、加奈子ちゃんは異能が異能だけに、いろんなケガレを持ち込まれちゃうんだ。だから、それを洗い清めるためにミソギをするんだ」
「あんまりケガレが溜まると、家財道具も壊れるし、周囲の人も病気になっちゃうから、一年に一度くらいはやらないといけないのよ。でも、天狗さんと会ってからは半年に一度くらいのペースでミソギをしてくれるから、すごい助かってる」
「学生生活をしているうちは、どうしても人と関わらざるを得ないだろ? だから、それくらいならサポートしようと思ってるんだ。ケガレが増えると町にも影響が出るだろ? この間も御神酒を仕入れる酒屋がぶっ壊された」
「そう言えばそうでしたね」
狸の異能を持つ酒屋が壊されていた。
「俺が生まれるずっと前には、ケガレが多い者、つまりエタという人たちがいて差別や迫害の対象になっていた。罪穢、死穢なんかを取り扱う業者はだいたいエタの人たちだった」
「鬼ごっこって子どもの頃したでしょ? あんな感じで触れると穢れる存在が私みたいな人たちだったのよ」
「そういう呪いって強くてな。今でも原発事故とかで避難してきた人たちがイジメの対象になったりするのは、日本人に長年蓄積された社会的な呪いなんだ」
「その呪いを解呪したのが、基本的人権の尊重よ」
「憲法だからな。全日本人が守らないといけない。近代日本文化の礎には基本的人権の尊重がある。それを無視するような人たちもいるけれど、外国や他の宗教の影響を強く受けている人たちだろ?」
俺は最近のニュースを思い出していた。
「いや、二人は知っているのかもしれないけれど、俺はずっと山にいたから知らなかったんだけど、ここ二日くらい山から下りてテレビを見てたら、人権の侵害のニュースばかりで、前時代に戻ろうとしているのかって思うくらいだ。罪穢だらけで通常のミソギでは済まされないんだろうな」
日本だけではないが、ここ最近、芸能界では多くのニュースが取り沙汰されている。中には子どもの人権を奪うような事件も発覚していた。
「あれ? でも、加奈子さんのお姉さんって、芸能界の人じゃなかったですか?」
「そうよ。運よくああいう事件には巻き込まれないで楽しくやっているみたい」
「本当に運が姉妹で違うんですね」
「うん。でも、あっちの方が大変そう。こっちで嫌なものを見ると言っても、田舎の嫉妬やお家騒動ぐらいでしょ。それくらいなら味噌にでも漬け込んで食べてしまえばいいわ」
「加奈子ちゃんの異能も極まってきたなぁ。さて、滝が見えてきた」
ミソギをする場所は滝で、溜まったケガレを水に流していくという。岩陰に隠れて柔道着のようなものに着替える。
「ノーパンの方がいいですか?」
「うん。どうせ濡れるし、雑念みたいなものは全部なくなるぞ」
初めに加奈子先輩が滝に打たれると、周辺に異界の臭いが充満していた。ドロリとした黒いスライム状のケガレが水に洗い流されていく。白かった服も真っ黒に汚れてしまっていた。
滝から上がると、加奈子先輩は晴れやかな顔で純粋な目で空を見上げていた。寒いはずなのに、鳥肌も立っていない。
続いて俺も入る。
一瞬、冷たさで身体が硬直したが、身体の奥から熱を出せという指令が来たのかどんどん身体は温まっていく。地獄にいた30年のケガレをすべて出し尽くす。そう思ったのだが、すでに柔道着は鉄の様に重く、真っ黒になっていた。
そのケガレも滝の勢いに押し流されて、徐々に重かった柔道着が軽くなっていった。
頭が晴れやかになり、周囲の様子を感じられた。
犬神祭りで獏さんを殴る前の時のような状態になっていく。裏山全体、爺さんの家から自分の家まで、そこから学校やはまぐり工務店まで広げられ、湖や山の峰まで見渡せるような感覚になった。
「おーい! ケントー!」
天狗さんの声が聞こえて、ようやく俺は滝まで戻ってきた。
風のざわめきや、滝の水しぶき、二人の息遣いがはっきりと聞き取れ、地獄の臭いがするケガレも嗅ぎ分けられた。
「なるほど、これは溜め込んでいたらダメな奴ですね?」
「お、一回目にして分かったか」
「だんだん犬の顔から人間になっていってたよ」
「人間がいいですよ」
服を変えて、焚火に当たった時に、ようやく寒さを感じ始めた。
「寒いですね!」
「そうなのよね。感覚器官が通常に戻るから温度を感じるのよ」
そう言っている間に天狗さんも滝に打たれていた。天狗さんは滝に打たれている間に外国人のような見た目になっていたが、滝から出てくるときには日本男児に変わっていた。それほどケガレは出ていない。
「感情は溜め込まずに出している方だし、食べ物に感謝するのも忘れていない。工務店の皆も別の仕事を見つけて落ち着いたし、今後は井戸ちゃんの民宿に山菜や水を届ける仕事をしようかな」
本当はミソギが終わった後に、こんなに喋ってはいけないらしい。
ただ、ミソギが終わってもずっと清々しさは続いていた。
古い文化を知ることで、誰かの異能を理解することもある。
冬晴れの暖かさが身に染みた。




