22話「現実をズラしていく戦い」
「また酷い匂いがしてきたな」
登り始めてすぐに硫黄のような臭いがした。おそらく誰かが再び異界を開けたのだろう。
「ケント! 前!」
鬼頭さんの声で目線を上げると、矢が目の前まで迫っていた。
パシッ!
鬼頭さんは矢を掴んでいた。
「やっぱり……」
「すっげぇ」
「なに? 同世代の異能者って皆、飛んでる矢を掴めるの?」
コンちゃんとブンちゃんも驚いていた。
「見て。この矢じり。エルフの矢だよ」
エルフと言えば、鬼頭さんはエルフに矢で頭を貫かれている。
「でも、今回はエルフじゃないみたいだ……」
角が生えた小鬼が木々の間からこちらを見ていた。弓を持っているのに、矢筒を持っていない。矢を一本しか持っていないなんてことあるのか。もちろん、服など着ていない異界のゴブリンだ。
霧を晴らすように松明を振り回して、追い返した。
ゴブリンは反撃されると思っていなかったのか、すぐに引き返して駆けあがっていった。
ザワザワザワ……。
周囲の木々が揺れ、枝に積もっていた雪が落ちていく。周囲の霧が晴れた。
「うそ……、いつのまに?」
山を見上げると、ゴブリンの群れが俺たちを囲もうとしていた。
「百鬼衆に裏切り者がいる」
ブンちゃんが、端的に言った。
「じゃあ、ここから私たちもアイドル休止して陰陽流で行くわ」
コンちゃんはお札を口に挟んだかと思うと、印を結び呪文を唱えた。小さな火球が、無数に宙に浮かび上がる。
ブンちゃんは分身を作り出し、その浮いた火球を胸にゴブリンの群れへと突撃していった。
ボフンッ!
ブンちゃんの分身がゴブリンに飛び掛かったかと思うと、爆発した。
アギャァアア!!
「そんなことできるのか? すげぇ……」
「驚いていないで、トドメを刺していってね」
「わかった」
「鬼娘もボサッとしない!」
「はい!」
鬼頭さんはゴブリンが落とした鉈を拾い上げると、ゴブリンの首を刈り取っていった。
俺も棒の先で急所を攻撃していく。ゴブリンたちは大やけどを負っているので、ほとんど突き倒すだけでも、立ち上がってはこなかった。そもそも裸のゴブリンは寒そうで動きが遅い。
「ほら、行くよ!」
狐娘たちが先頭に立ち、先ほどまでとは打って変わって軽やかに山を登っていく。上手くいってる時ほど、幻想には掛かりやすい。
ぴくっ。
首を刎ねられたゴブリンが、一瞬動いた気がする。死後硬直で筋肉が動いたのか。
「どうかした?」
鬼頭さんが俺に聞いてきた。
「いや、何でもない」
「早く行きましょう。置いていかれちゃう……」
ゴブリンの弓兵を探したが、いなくなっていた。ゴブリンたちはこん棒や石斧ぐらいしか持っていない。そもそもエルフの矢の形状ってこんなだったか。
疑えば疑うほど、すでに誰かの幻術にかけられやすくなる。
思い込みを捨てて、思い切り息を吸う。
パン。
俺は小さく柏手を打った。周囲の気が弾けたように消え、自分の中にある考えがまとまっていくような気がする。
ゴブリンの死体しかない。最初の一撃を放った弓兵は逃げている。誰かが化けたのだろう。霧によって景色を見れないのは現実から遠ざけるため。臭いも異界の臭いをばら撒いておくことで、眠り薬や麻痺薬の臭いを覆い隠すため。こうやって少しづつ現実をズラしていくのか。
犯人たちは、はまぐり社長よりも能力は低い。ただ、環境を整えるのが上手いのか。だとしたら、團さんが……? そんなはずはない。
あ、また、思考に思い込みが入り込んでいる。
相手はこちらに心理戦を仕掛けているのか。厄介だ。
「ケントくん……?」
「すまん。行くよ。走ろう」
「あ、うん」
俺と鬼頭さんは狐娘を追いかけた。
「あの2人ってどこで知り合ったの?」
「犬神祭りだよ」
「もっと前から知り合いっぽいし、仲良さそうなのに」
「同期だからじゃないかな」
「じゃあ、私もリンって呼んで」
「いいよ。俺もケントって呼び捨てでいい」
「わかった」
「リン、目と鼻の感覚を下げて、耳に集中できる?」
「どういうこと?」
「たぶん、俺たちは敵の幻術にかかりかけている」
「え?」
俺たちはいつの間にか藪からアスファルトの道路に飛び出していた。山の管理のための一般道だろう。
「二人とも遅いよ!」
「なんかヤバいのがいるよ!」
狐娘たちは街灯の下に立っている大きな女を見ていた。
「八尺様……?」
鬼頭さんは、都市伝説から出てきた怪異の名を口にした。名づけだ。
俺は街灯を見ずに周囲に目を向ける。大きい怪異は、おそらく視線誘導だろう。見上げれば、いくつか罠が仕掛けられていて、アスファルトには刃物傷のような跡がついていた。
「ぽぽぽぽ……」
街灯の方から音がした。顔を上げてみれば、ただの布切れがそこにあるだけ。
八尺様などという思い込みで、彼女たちが作り上げてしまった幻想だ。
「「「ぽぽぽぽぽ……」」」
周囲の木々に仕掛けられたスピーカーから、女の声が聞こえてくる。
「多重影分身!?」
ブンちゃんが分身を出していたが、攻撃を仕掛けられないでいる。相手を大きくしてしまっているようだ。鬼頭さんも相手の出方を窺っている。つまり視線を周囲に向けすぎている。
つまり、攻撃が来るのは上からだ。
シャキンッ!
身の丈ほどもある大きなハサミがアスファルトに突き刺さった。頭上の枝に仕掛けられた罠の一つだった。
ただし、ものすごいスピードで誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
シャキンッ! シャキンッ!
スピーカーから音が聞こえる度に、狐娘たちも鬼頭さんも飛び退いて躱している。すでに目には見えないハサミの攻撃が見えているらしい。
アスファルトの道を走ってきた髪の長い女がアスファルトに突き刺さった大きなハサミを引き抜いて、俺に向かって一振り。
ブンッ!
大振りの攻撃で、ハサミに振り回されているように見えた。
俺は長髪女の脇に棒で一撃、脛を払って、身体が傾いたところをみぞおちに体重を乗せて捻じった突きを入れた。
ハサミから手を放した長髪女は街灯まですっ飛んでいった。
俺は路肩の石ころを拾って、周囲の木々に付いているスピーカーを壊していく。
「なに!?」
「どういうこと!?」
「耳!?」
「頭上注意! 全員マスクをして毒に備えて!」
ジャキンッ!
アスファルトだったはずの地面からトラバサミが出てきた。俺は飛び退いて躱せたが、頭上を意識していた狐娘と鬼頭さんはかかってしまった。
「ああっ! 下じゃないの!?」
「地面に噛まれた!」
「うらああああっ!」
鬼頭さんだけは鬼の形相で、トラバサミを外していたが、どこかから吹き矢が放たれて、首筋に細い棘のような矢が刺さっていた。毒だろう。
「ふんっ!」
鬼頭さんは首の棘を引っこ抜いたまま、白目になって倒れた。
狐娘たちも蹲っている。
立っているのは俺だけだ。
「お前だったか……。ケント……」
街灯の向こうのカーブから團さんが出てきた。
「團さんが……」
犯人ですかと聞こうとした自分に気づけた。これは現実をズラしていく幻術の戦いかと思ったが違う。
「團さん、これ認知戦だ!」
「え!?」
俺は柏手を打った。
パンッ!
道に響くように大きな破裂音が鳴り響く。




