20話「狐娘と黒い霧」
「痛い!」
蹴落とした女子は文句を言っていたが、雪の上に落ちたので傷はなさそうだ。
「臭いから離れるぞ」
「あんた、顔が……」
雪を払って立ち上がった女子が俺を見て驚いていた。
「ああ、犬になってるか? 異界の臭いを嗅ぐとなるんだ。崎守ケントって言うんだ」
「崎守家の? じゃあ地獄帰りってのは……」
俺は山の上の方を見ていた。異界の臭いがする黒い霧が立ち込めている。誰かの異能だとしたら、かなり大がかりだ。このレベルの異能者が同期にいるのかと思うと頼もしくはある。
「自分の名前を言えるようにしておいた方がいいぞ。あの黒い霧、目くらましだと思うけど視覚や聴覚がない地獄じゃ自分の名前を叫び続けた者だけが正気を保っていられるから」
「稲盛コン。そっちは影見沢ブン。業界初の異能系アイドル目指してる」
「自分を強く持ってくれ。逃げるぞ」
俺たちはなるべく黒い霧が来ない場所を地形図で確認。山肌から突き出した崖を目指した。
黒い霧はゆっくり低い方へと向かっている。
「なにあれ?」
背中で影見沢が気が付いたらしい。
「犬頭、おろして」
「ちょっと待って。今、避難できるところまで行くから」
「え!? ちょっと!」
稲盛を脇に抱えて、思い切り崖を登った。
崖にある今にも落ちそうで絶対落ちない大岩の上に俺たちは避難した。大岩などは修験道の信仰の場になったりもするから、異界の者が入りにくいはずだ。
「あれ、なんだと思う?」
「こっちが聞きたいのよ! あんなのデータになかったよね?」
影見沢が稲盛に聞いていた。
「ないんじゃない? さすがにこんなことができる新人異能者は地獄帰りの誰かじゃないの?」
「俺じゃないよ」
「あんたが地獄帰りの崎守?」
「そう。アイドルなんだから、一気に霧を晴らしてくれないか?」
「どういう理屈よ。無理無理、こんなの。マスタークラスの異能でしょ」
そう言われて、もしかしたらはまぐり社長なら出来るかもしれないと思った。
「ちょっと待て。この霧、ただの目くらましじゃなくて幻覚系の異能じゃないか? 誰も救難ベルを鳴らしてないなんておかしくないか……」
「本当だ!」
影見沢が自分の分身を出して、黒い霧の中に突入させた。
「内側からじゃ、霧が見えない」
「でも、異界の臭いはするだろ?」
「うん、強烈な臭いはする。コンちゃん。火球出して!」
「あいよぉ!」
稲盛が口から火の玉を出して霧に向かって放つ。狐火ってことらしいが、バランスボールくらい大きい火球だ。見た目と違って、実力は高いのかもしれない。
枯れ枝に燃え移り、一帯に上昇気流ができた。周辺だけ黒い霧は消えていく。
「なんか来る……」
ザクザクザク……。
何者かが雪の上を走る音が近づいてきた。
「わかりやすく襲ってきたか」
周囲を警戒、物音を聞き逃さず、脱力して動ける準備だけしておく。
ヒュッ。
稲盛を狙った矢を掴んだ。
「稲盛、三時方向に火!」
「三時ってどっち!?」
「右!」
ボッ。
火球が黒い霧を晴らし、襲撃者の姿を浮かび上がらせていく。
黒く耳の長い異界の者。森の賢者か。
「エルフか……」
火球を横に飛んで逃げるエルフに向けて、俺は杖を投擲。エルフの首が折れ曲がるのが見えた。
「グエッ!」
俺は一気に距離を詰める。
「誰に雇われた?」
首根っこを掴んでエルフに聞いてみたが、すでに気絶している。やり過ぎたか。
周囲は晴れているのに、山にかかる黒い霧は一向に晴れない。
エルフを担いで大岩まで戻ると、稲盛は蜂蜜の飴を舐めていた。喉が焼けるのかな。
「これも犬神祭りの一環だと思うか?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、誰かが犬神祭りを壊してるってことだな」
「陰陽寮嫌いの異能者もいるし、百鬼衆だって不正会計していた事件もあるんだから、誰かから恨みを買ってるのよ」
「結構大変だね。でも、壊したものは直すしかないな」
「何するつもり?」
「柴刈りに行ってくる。山道だけでも霧を晴らした方がいいだろ。篝火でも焚きに行くよ」
救難ベルを鳴らし、エルフの服の中に入れておいた。
「うるさかったら切っておいて。そのうち誰かが気づくでしょ」
「ちょっと待ってよ。救難ベルを鳴らしたら棄権ってことになるんじゃないの?」
「でも、そもそも犬神祭り自体がなくなったら棄権もくそもないだろ?」
「またエルフに襲われるよ」
「襲撃者って言ってもこのエルフ程度なら……、問題ある? こういう異界の者を雇っているような奴らに俺たちの犬神祭りが壊されたんじゃたまったもんじゃないよ。違うか?」
「いや、そうなんだけど……」
「それじゃ、まぁ、そのエルフが起きたら尋問しておいて。運営の誰かが来たら事情を説明すれば普通に引き取ってくれると思う。ダメだったら、俺だけ失格ってことで上手く話を合わせておけばいいから」
大岩から跳んで、雪に着地。枯れ枝はまだまだありそうだ。
「ちょっと……!」
振り返ると、狐の顔になった二人がエルフを木に縛り付けているところだった。
「私たちも行くよ。私たちも犬神祭りの参加者。でしょ?」
「うん。そうだけど、失格にならないようにな」
「わかってる!」
「あんた、本当に高校生!?」
「こっちの世界ではそうだ。地獄で30年くらいいた気がするけど」
「だからか! おっさんと話してる気がしてた」
「影見沢、付いてくるなら分身で偵察してくれよ」
「私を顎で使うつもり? それから私を呼ぶときはブンちゃんね」
「私はコンちゃん」
「ブンちゃん、コンちゃん、ここ滑るから気を付けて」
「なにその優し……」
ズルッ。
ブンちゃんが滑ってこけていた。
「だから言ったろ。あんまりドジなアイドルな面を見せなくていいぞ。そんなことしなくても応援するから」
「うるさいっ!」
「もう衣装がべちゃべちゃだ」
俺は乾いた布と木の棒で松明を作り、黒い霧を晴らしつつ、焚き木を拾っていった。
「ケーン! 左からエルフ!」
「はーい」
ブンちゃんの声が聞こえた。ちゃんと分身の斥候も出してくれていたらしい。
黒い霧の中に枝を投げつけると、カサッと刃物で払う音がした。
松明を雪に突き刺し、杖を構えていれば、それほど難しい相手ではない。霧から出てきたエルフの腕を狙って突きを繰り出す。
ガクンッ。
腕を外して顎に当たってしまった。天狗さんとの修行で急所を狙う癖がついてしまったらしい。
「また気絶させて!」
「いや、腕を狙ったんだけどな」
「ドジなアイドル狙ってる?」
「お、かわいさでは負けないぞー」
「キモさが強い」
「ブンちゃん、すごいライバル現れたね」
朽ち木を割り、紐で縛って山道へ向かう。山道脇、枯れ木に燃え移らないように焚火を作っていく。
「コンちゃん、まだ火は吐けない?」
「ちょっと待って。喉のダウンタイムあるから。蜂蜜飴が足りないのよ」
「漢方系ののど飴の方がいいんじゃないの?」
「龍のやつね。あれは一番効くんだけど、効きすぎて酸欠を起こしちゃうのよね」
異能者それぞれ悩みがある。
結局、ライターで火を点けて焚火を焚いた。
「ライターあるんじゃないの」
「うん。一応、山で使いそうなものは鞄に入ってるんだ。あ、ほら中間地点にスタンプあるよ」
「ちょっと待って。人が倒れてない?」
スタンプを押す体格のいい中年男性が倒れていた。どこかで見たことがあるような……。
「茨城さん!?」
鬼頭さん家の道場にいた茨城さんだった。鬼の一族が気を失っているということは単なる武術じゃなくて毒を盛られたのかもしれない。
俺はすぐに手拭いでマスクをした。
「なに? 毒?」
「わからないけど、この人、鬼の一族だよ。鬼頭さん家の道場で手合わせしたことがあるんだ」
コンちゃんとブンちゃんも慌ててマスクをしていた。
「あ、分身が動けなくなった……。なんかいる! エルフじゃない異界の何かが……」
俺は松明を掲げ、黒い霧の中をじっと見つめた。
「人が立って気絶してない?」
「「え?」」




