2話『エルフに狩られる鬼頭さん』
翌日、街を通ってから爺様の家に向かった。
伯父さんが言ったように、異界の能力者たちを数人見かけたが、誰もが気づいていないか、それを隠しているように生活している。おそらく人間界の現世には必要ないのだろう。
俺も街の異界能力者のように、ひっそり暮らしていくことにした。
爺様の家で、異界に関する何かはないかと探したら、所蔵書のほとんどが異界に関するもので、いわくつきの壺や刀と呼ばれる物が多かった。本物かどうかはわからない。
「まさか呪いのビデオとかないよな。そもそもプレイヤーがないし……」
ビデオは数本あるが、裏と書かれているので見ない方がいいだろう。
DVDを数枚回収して、家へと戻った。
母が戸棚に隠しているお菓子とジュースという地獄帰りには麻薬以上に覚醒してしまうものを食べながら爺様選出の映画一気に見た。
「あんた、人のお菓子食べたでしょ!」
「臭いのするものは置かないでください。食べます」
母から叱られるのも悪くない。
5本立て続けに記憶に関する映画を見たら外は夜になっていた。エンターテイメントは面白い。
両親も寝ているのに、俺の腹は背中とくっつきそうなくらいに減っている。
「もしや買いに行けばいいのでは……」
食べられそうな亡者の腕を探さずとも、現世にはコンビニという24時間営業の素敵なお店があることを思い出した。
財布には小遣いという、これまた何の仕事もせず、ただ子どもだからという理由のみで与えられている金まで入っている。
生乾きの香りのパーカーを羽織って、外に出てみれば異界の臭いが充満していた。濃霧も出ているが、街の誰も騒いでいない。
とりあえず、コンビニへ行っておにぎりを買えるだけ買った。いつの間にかレジが自動になっているが、あれは地獄に行く前からそうだったかもしれない。
コンビニまでの帰り道にある公園で、坊主頭の中年男性がブランコに座ってスマホを見ていた。こんな夜中に一人でブランコに乗っているなんて、よほど仕事で嫌なことでもあったのだろうか。ぼんやり光の当たる顔は笑っている。泣いているよりはいい。
タッタッタ。
誰かの足音が近づいてくる。重量は軽そうだ。
「え!? なんでいるの?」
足音の正体は黒いウィンドウブレイカーを着た誰か。俺の知り合いらしいが、こちらは完全に忘れている。
かなり顔が整っていて、誰だったか……。とりあえず、額に角が生えているので異界の能力者だろう。
「鬼頭よ」
「同級生だったっけ?」
「隣の席だけど! そんなことよりも何をしてるの!?」
ストレス値の高い汗をかいているようだ。
「コンビニに晩飯買いに」
おにぎりを見せた。
「鬼頭さんも食べる?」
思わず、亡者に協力してもらおうとする癖が出てしまった。
「いや、そうじゃなくて……」
「ああ、なんかあったの?」
「あったから私が出張ってきてるのよ。ちょっと危ないから身を低くしてて」
そう言って、鬼頭さんは俺のパーカーのフードを下げ、俺を屈ませた。
ドスッ!
ポタポタポタポタ……。
俺の足元に赤い液体が垂れてきた。見る間にアスファルトに広がっているが、鬼頭さんがなにか吐き出したのか。
そう思って見上げると、鬼頭さんのきれいな白い額のど真ん中に矢が刺さり、突き抜けていた。
誰に狙われていたんだ?
現世でも矢で殺されることがあるのか?
人間界でも油断していると刺されることがあるってことか?
いや、ちょっと待て。この鬼頭さんはこのまま異界に送られちゃうんじゃ……。
「鬼なら大丈夫だと思うけど、血の池って現世にあるんだっけ?」
呼吸を止めた鬼頭さんがゆっくり倒れてくるが、俺には何をどうしていいのかわからず、とりあえず抱え上げた。
「あ~、それ警察の新人だから攫わない方がいいぞ」
「いや、攫うつもりはないんですけど……」
先ほど公園のブランコにいた坊主頭の中年男性がいつの間にか俺の横に立っていて、鬼頭さんの額に刺さっている矢を引き抜いて調べ始めた。
ボゴッ! スガンッ!
二丁先の十字路から、なにかが壊れる音が鳴った。
「意外に近くまで来るなぁ」
坊主の男は呑気にそんなことを言ってる。
「百鬼衆の予測も当てにならないね」
いつの間にか髪の長い黒服の女性が男の側に立っていた。
「ここまで来るかい?」
「いや、その流れはないね」
黒服女がそう言った直後、ブロック塀の破片が2メートル先に落ちてきた。アスファルトに転がった破片は、鬼頭さんが流した血だまりに勢いを殺され、俺の足元で止まった。
さらに、金属がぶつかり合う音や象が地面を踏み鳴らすような音が鳴り響く。
「逃げた方がいいですかね?」
「いや、大丈夫。そのままその娘を抱えてあげていて」
「お前、肝が据わってるな。その娘、知り合いなんだろ? 普通、知り合いが脳天貫かれて息をしていなかったら驚くだろう」
坊主頭の男が聞いてきた。
「まぁ、鬼なんで血の池があれば大丈夫でしょう」
「最近、能力が発現したタイプか?」
「ええ、家の事情で……」
俺は大きく息を吸って、周囲の臭いを嗅ぎ取った。鼻が黒くなっているから、きっと頭が犬に変わっている。
「なんだ、コボルトか」
「あんた名前は?」
「崎守ケントです」
「噂の地獄帰りか!?」
「ケンゾウさんところの子?」
2人とも驚いていた。
「そうです。噂になってますか?」
「当り前だ。異界帰りなんて滅多にいやしない!」
ドガッ! バキンッ!
相変わらず、街には戦闘の音が鳴り響いている。誰か起きないのか、不思議だ。
「この街の夜って、だいたいこんな感じなんですか?」
「いや、今日は警察の新人演習でたまたまこんな騒がしいのよ。この娘は研修生止まりでしょうけどね」
「お前さんは受けなかったのか?」
「ええ、戦うのは苦手なんです」
そう言うと、2人とも苦笑いをしていた。
「おにぎり食べますか?」
「ありがとう」
「頂くわ」
鬼頭さんをベンチに寝かせて、大きなタコの遊具の上で3人並んでおにぎりを食べながら、新人演習を観戦。動いている影が人間の動きではない。屋根の上まで跳び上がったり、電線を走ったり、まるでアニメのようだ。
「すげぇ。警察の卵でもこんなことできるんですね」
「異能者だからな」
「相手は誰です?」
「たぶん、エルフよ」
そんなファンタジーな世界からやってきて新人演習に付き合ってくれるなんて随分優しい人たちがいるもんだ。
「あ~あ。あんなにして直すのは私たちなのに……」
「そう言うな。仕事になる」
「お二人は?」
「工務店のもんさ」
「ああやって異能者や異界の者が戦った後に町を修復するのが仕事をしてるの」
そんな仕事があるのか。
「ああ、マズい。ちょっとコボルトの君、ケントって言ったっけ。ベンチで寝ている鬼の娘が戦闘にぶつかりそうだから動かしてあげて」
「え?」
戦闘の音は遠いのに、黒髪ロングの女性には戦いの流れが見えているようだ。
とりあえず、食べていたおにぎりを口に詰め込み、鬼頭さんがいるベンチの前に下りた。
チャプッ。
わずかに水滴が跳ねる音が聞こえた。
「うっ……頭が……」
鬼頭さんが起き上がって頭を押さえた。さすが鬼の能力者は再生能力が違う。
「よかった。今から戦いがここで始まるから気を付け……」
俺がいい終わる前に、地面に影が見えた。
「上だ!」
坊主頭の声で俺は地面に転がって攻撃を躱す。
俺が立っていた場所には、大きな鉈のような武器が突き刺さっている。続いて耳の長いエルフが腰巻の一つで降ってきた。汗と森の匂いがする。
ズッ。
大鉈を地面から引き抜いたエルフと目が合った。
「逃げろ!」
坊主頭の声が公園に響く。
対峙したからには逃げられるはずもない。
咄嗟に俺は両手で、腕を狙った。人間は刺激を与えられてから反応するのに0.3秒かかる。ちなみに反射には0.21秒。エルフが人間の反応速度を超えていなければ、どちらかの攻撃が当たる。
パシッ。
俺はエルフの両腕を払っていた。
エルフは反応できていない。そのまま胸骨に体重を乗せた肘を食らわせる。
ミシッ。
さらに鉈から離れた手を掴んで、ねじり上げる。
トスッ!
俺の腕に矢が突き刺さっていた。他のエルフの攻撃だろう。痛みはあるものの慣れた痛みだ。気にせず、掴んでいたエルフの腕を折った。
トス、トス……!
他のエルフが矢を放ってきているようだ。咄嗟に鬼頭さんの前に立ちはだかって両手を広げる。ブスブスとパーカーを突き破り、俺の胸や肩に矢が突き刺さった。内臓に達しない攻撃なら、それほど痛みは長引かない。
「なんで……?」
鬼頭さんの声が聞こえた。
振り返ると、鬼頭さんの首を別のエルフが刎ねていた。
迫りくるエルフの鉈を前腕骨で受け止め、顔面に掌底を食らわせる。顎への攻撃は脳を揺らす。
さらに別のエルフの追撃が迫ってくる。
長い杖で股間を狙ってきた攻撃を躱し、杖を握った指を正確にかかとで潰した。骨さえ折れていなければ、動けるものだが、骨が折れてしまうと使えない。
前腕骨に刺さった鉈を引き抜いて、向かってくるエルフたちの臭いの強い部位を狙って振っていった。手首、足首、股間、脇、首筋、だいたい汗腺が多い箇所は血管も通っていて急所であることが多い。
エルフたちの動きも溜めた後の瞬発力はあるものの筋肉の動きに頼り過ぎていることがわかったので、攻撃の道筋は見えてくる。あとは道筋に鉈を置いておくだけでいい。
キィイイイン!
エルフが握っていた鉈が、くるくると回転しながら宙を舞った。
「こっちだ!」
遠くから人の声がする。
「ようやくおいでなすったか」
「ちょっと遅くないかい?」
坊主頭と黒髪ロングが、タコの遊具から下りてきた。
ガシャン、ガシャン!
二人が下りてくると同時に、周囲に集まってきたエルフの足にトラバサミが噛みついた。トラバサミがどこから現れたのかは全くわからない。おそらく二人のうちのどちらかの能力だろう。
とにかく、それでエルフたちは足の筋肉を動かせなくなったことだけは確かだ。
「この少年は一般人だよ。迷い人への規定違反じゃないかい?」
「いくらうちの社長でもこの傷は残る。ガマの油を大量に塗らなくちゃな」
坊主頭と黒髪ロングはわけのわからないことを言っていた。とりあえず助けてくれたらしい。
「ありがとうございます」
俺は飛ばされた鬼頭さんの頭を持って、首につなげた。俺の指からしたたり落ちる血が、頭と首との接着剤になるといいのだが……。
「なんだこれは!? 何でこんなことになってんだ!?」
公園にスーツ姿の伯父さんが入ってきた。
「おい、お前ら『はまぐり』んとこの奴らだろ? まだ試験中だぞ。エルフたちをこんな風にしちまって、どうするんだ!?」
伯父さんに坊主頭が詰められている。
「こんな風にしちまったのは、あんたの甥御さんだよ」
「え? ケント!」
ようやく伯父さんは俺に気がついたらしい。
気づけば、俺は矢に刺されて、パーカーもボロボロ、切り傷も無数についている。
「どうしてお前がここにいる!?」
伯父さんが俺の様子を見て聞いてきた。
「おにぎりをくれた。腹が減ったらコンビニくらい行くさ。いい少年だが、試験には参加していない一般人だ」
「なのに、エルフの攻撃を受けきって見せたよ。そこで寝ている警察の研修生と違ってね」
「エルフたちの規定違反と、試験官の管理ミスだ」
「とっととガマの旦那を連れて来た方がいい。けが人は多数だよ」
俺の代わりに、二人が矢継ぎ早に報告してくれた。
「わかった。ちょっと待ってろ!」
伯父さんはスマホで応援を呼んでいた。どうやら大丈夫そうだ。
途端に手足が冷たくなった。血を流し過ぎたか。
「伯父さん、ごめん。悪気はないんだ。お袋にパーカーのこと謝っておいて……」
「わかってる!」
わかっているのならいいかと思った瞬間、俺は意識を手放していた。
夢の中でペンキの臭いを嗅いだ気がした。きっと工務店の人が町の通りを直していたのだろう。