19話『スタンプラリーと異界の香り』
頂上付近には犬神が祀られた神社がある。東京青梅にある御岳山のおいぬ様と同じような時期から祀られているのだとか。本当かどうかは知らないが、歴史上、周辺地域では犬の異能者がよく現れる。崎守家もその一つだ。
犬神祭りがスタートを切り、選手たちは一斉に山道を駆け上がっていく。丸太で舗装された階段で、歩幅を規定されているからすぐに疲れるタイプの山道だ。駐車場からの応援が見えなくなると、すぐに揉め始めた陰陽師たちを他所に俺は道なき道へ足を踏み入れた。
地形図を見ると、泉があるようなのでチェックポイントがあるんじゃないかと思っての行動だが、誰も後をついて来ない。
「スタンプラリーじゃなかったのか」
とにかく俺は前方の崖下にある泉へと向かった。
泉は凍ってしまってはいるが、スタンプを押してくれる人が編み笠を被って雪の上に座っている。
「お疲れ様です」
「お、始まってすぐにここに辿り着くなんて珍しいね」
「河童さん!?」
頭の皿や水かきのある手、肌の色など見るからに河童だ。團さんが警察に河童さんがいると言っていたが、この人のことだろう。
「お、おいらのことを知ってるのかい。地獄帰りのケントくん」
「團さんに教えてもらったことがあるんです」
「そうか。ほい、これスタンプな」
河童さんはゼッケンにスタンプを押してくれた。
「始まって早々だけど、暇だし相撲でもやるかい? ここまで来た記念にさ」
「では一番だけ」
「助かるよ。身体が冷えてしょうがなかったんだ。そしたら、気合を入れよう」
河童さんは上半身裸になって、緑の肌を叩いていた。俺もそれに習って、上半身裸になる。河童さんに正面からぶつかってみたい気持ちもあるが、河童は相撲が得意。勝てるはずもない。戦闘はからっきしだ。猫だましなども効かないだろう。
力と技がダメなら、奇策に出るしかない。
「それじゃあ、はっけよい……」
地面に片手をついて正面から見ると河童さんは大きく見えた。雪でグチャグチャの地面なのに、河童さんの気合に当てられて身体が火照る。俺はせっかくだから胸を借りようと、にやついてしまった。
泉周辺に闘気が満ちていく。
俺と河童さんの両手が付く瞬間が同時だった。
「のこった!」
バチンッ!
肌がぶつかり合う音が崖に反響した。狙うは河童さんの片足。前傾姿勢のまま足を取ったところまではよかった。河童さんの全体重を持ち上げられるかどうか。押しつぶそうとする河童さんと俺の大殿筋が拮抗した。
「ぐあああっ!」
「かはっ!」
俺は雄叫びと共に河童さんを持ち上げて後ろにぶん投げていた。
河童さんは雪の中に大の字になって倒れ、直後大声で笑い始めた。
「いぞりか? はたきおとせると思ったんだけどなぁ」
雪まみれになった河童さんは笑いながら立ち上がった。
「ヤバい。序盤なのに全力を出し過ぎました」
「なぁに、大丈夫だ。地形図見てるなら、チェックポイントはわかりやすいから。全部回るつもりだろう?」
「一応、そのつもりです」
「だったら、一番遠回りをしてみるといい。案外それが最も効率的だから」
「ありがとうございます」
「いい取り組みだったな」
「また、いつか相撲してください。もう少し勉強しておきます」
「俺も今度は負けないように四股を踏んでおくよ」
俺は上着を着て、次のチェックポイントへ向かった。
雪の中だと道なき道を進んでいるように見えて、案外人が移動している跡が残っているものだ。天狗さんのように身軽な異能者は枝から枝へ移るし、空を飛べる異能者もいるらしい。
たいてい枝の雪が一定の間隔で落ちている。祭りが始まって、急いで飛んできたのだろうか。匂いも雪の上だとはっきり香る。
「よく、こんな崖にチェックポイントがあるなんて思ったね」
ウブメさんという異能者が、崖の上にあるチェックポイントで待っていた。腕が翼になっている女性で大きく口を開けてのんびりしている。寒い冬でもTシャツで問題ないらしい。異能者の先輩たちは化け物ぞろいか。
「もしかしてチェックポイントには誰かがいるんですか?」
「スタンプが風で飛んでいかないようには見てるんだよ。まさかこんな早く崖の上に来る選手がいるとは思わなかった」
「河童さんに遠回りしろって言われて」
「ああ、それくらいのヒントなら教えていいのか。だったら、私もヒントというかこれから組織と戦う選手に言っておこう。そのうち、陰陽寮か警察のインターンたちがスタンプを隠したり、持って行くことになると思う」
「え? そんなことしたら争奪戦になるんじゃ……」
「その通り、彼らは争いを好むからね。初めに権力を見せつけておきたいのさ」
「フェアな戦いは捨てておけってことですか?」
「まぁ、そうとも言う」
「ええ? 面倒だなぁ」
俺は木の枝をナイフで切り、そのまま持ちやすいように杖にした。これで少しは戦えるか。
「そうか。あんた天狗さんの弟子だね」
「わかりますか?」
「その場にあるものを武器にする。だろ? はまぐりさんとこの地獄帰りの坊やか。なかなか宿命めいたものを背負わされてるね」
「そうなんですか。あまり重い荷物は背負いたくないですけど……」
「叔母さんや伯父さんに気を遣わず、思い切りやりなよ」
「わかりました」
「はい、スタンプ」
ウブメさんはゼッケンに崖のスタンプを押してくれた。河童さんは泉のスタンプだ。ちょっと楽しい。
「ありがとうございます!」
「地獄帰りっていうから、ねじ曲がってるのかと思ったけど、毒気抜かれちゃったなぁ。今度、うちの梟カフェに来てよ。異能者たちが働いてるからさ。調べればすぐに出てくる」
「わかりました。なんか壊れたらはまぐり工務店に」
「うん。頼むよ」
確かに犬神祭りは、いろんな異能者と会えるのはいいのかもしれない。皆、それぞれ社会に適合しながら生きている。
そんなことを考えていたら山道に出てしまった。
山道の先を見れば狐顔の同世代くらいの女子たちが争っている。陰陽師たちだろうか。関わりたくないので、とりあえず地形図を見ながら脇を通過しよう。
「ちょっと!」
「はい?」
「あなたね! はまぐり工務店の従業員っていうのは!」
「なによ、あんた! もうスタンプを押してるじゃない! どこで見つけたの?」
「それを言っちゃあ、犬神祭りが楽しくないじゃないですか」
「これは戦いなのよ。同期で一目置かれたければ、スタンプごと奪いなさいって言われてるんだから」
ヨウコ叔母さんはなんちゅう教育をしているんだ。
「本当にそんなことをしたら陰陽寮の評判を落としますよ」
「バレなきゃいいのよ。バレなきゃ」
「これだけ異能者が集まっている祭りでバレないと思ってるんですか?」
「思ってるわ。コンコン……」
二人いたはずの狐顔の女子が8人に増え、俺を取り囲んだ。多人数戦か。杖を作っておいてよかった。
先手必勝。問答無用で打ち据えていく。
パパパンッ!
ボワン。
初めに四体が消えた。狙いは急所のみ。ただの分身の術でも、本体に少しは攻撃が当たるだろうか。
「狐火」
女子たちが口から火を噴く。息を大きく吸わないといけないらしくモーションが大きい。横に回って顎を杖で突いた。
ボワン。
本体だったようで、分身が消えて、女子が一人倒れた。
残った一人が懐からお札を出そうとしていたので、手首を杖で打つ。
「いたっ!」
杖を持ち替えて足を払う。
きれいに尻もちをついた。
「戦うならもう少し動けるようになるか、戦術を考えた方がいい」
「そうするわ」
リーン。
どこかから鈴の音が聞こえてきた。次の瞬間には異界の臭いが周囲に立ち込める。
「転んでいるところ悪いんだけど、たぶん逃げた方がいいね」
「何この臭い……」
誰かが異界から異物を呼び出したらしい。一人は気絶させてしまったので、俺が運ぶしかないのか。
「一旦山道から外れよう」
「わかった」
俺は女子一人を背負い、もう一人を崖から蹴落とした。
「え……?」
自分も飛んだ。雪に足跡をつけては逃げる意味がない。




