17話『蟒蛇は酒屋にいて、古狸が酒を売る』
蟒蛇。酒豪、大酒飲み。ボア科の蛇を指す。
「酒が切れると暴れるから、手が付けられなくなる。追えるか?」
「もちろんです」
俺は蟒蛇の臭いを追った。異界の臭いは強いので、途切れるようなことはないと思っていたが、国道沿いに出たところで臭いを辿れなくなった。
「ヒッチハイクでもしたかな?」
「人間に化けられるんですか?」
「環境適応能力の高い異界の者は多い。ケントも地獄に慣れただろ?」
「確かに……」
かすかに残る臭いを辿り、方向だけはわかるが、俺と天狗さんの足でも自動車には追い付けない。
諦めかけたその時、後方からはまぐり工務店のミニバンが猛スピードで走ってきて、目の前で停まった。
「激流みたいね! 乗って!」
窓が開くと井戸さんが笑っていた。
「頼みます!」
俺と天狗さんが後部座席に乗り込む。
「嫌な流れがあったから、この辺を流していたのよ。そしたら異常な流れを見つけてね」
「ああ、井戸ちゃんの読みは正しい。蟒蛇だ。この先の国道沿いに酒屋があっただろ?」
「了解です。飛ばしますよ! シートベルトを」
俺も天狗さんも井戸さんの支持には従う。
「警察は掴んでいると思うか?」
「さあ、110番をしても到着するのは、15分くらいはかかるんじゃないですかね」
「あそこの酒屋は小さかっただろ? 飲み干しちまうんじゃないか?」
「隣のガソリンスタンドで軽油でも飲んでいればいいのに」
「ケント、俺たちは警察到着までの時間稼ぎだ」
「わかりました」
慌てて返事をしたが、何をすればいいのかはわからない。
「井戸ちゃん武器は?」
「後ろにスコップと箒は乗ってますよ」
「じゃあ、ケントはスコップか」
「え? どうやって使うんですか?」
「端っこに鉄が付いた棒だと思って扱えばいい。取っ手が邪魔なら取ってやろうか?」
「ああ……、はい」
鉈でスパンと取っ手部分を切ってしまった。
「ちょっと短くなったがないよりはいいだろう。あとで社長に請求しておけばいいか?」
「大丈夫です。酒屋が潰れてたら、うちが仕事を引き受けるんで」
「そうだな」
国道をまっすぐ進み、山から街中に入っていくと、煙が立ち上っているのが見えた。
「派手にやってるみたいですね」
すでに野次馬が数人出てきていた。
ワゴン車がガソリンスタンド近くの電柱にぶつかって煙を出している。隣の酒屋の引き戸が道路に転がり、店主も転がるように出てきた。
「化け物だぁ!」
白昼堂々、蟒蛇は酒屋の棚から酒瓶を取り、そのままラッパ飲みをしているのが見えた。こちらの世界に合わせるように白装束を着た大きな女に化けている。
「負傷者救出優先! 先に、ワゴン車の運転手を助けるぞ!」
「はい!」
俺と天狗さんはミニバンが止まってすぐに飛び出した。
「すみません! 誰か救急車を呼んでください! それから交通誘導をお願いします!」
後ろから井戸さんの声が聞こえてくる。野次馬も巻き込んでいるらしい。
ワゴン車から大柄な中年男性を引きずり出す。息はしているようだが、額をぶつけて気を失っている。
「生きてるな。ワゴン車を道の真ん中に移動させよう。燃えてガソリンに引火したら爆発するから」
「了解です」
前方から来る自動車の運転手からクラクションを鳴らされる。
「通れねぇじゃねぇか!」
「通るんじゃねぇ! 見てわかんねぇのか!」
天狗さんが大声で一喝。
直後、急に周辺に霧が立ち込めてきた。
クラクションを鳴らしていた運転手も状況を見て怖くなったのか、勢いよくバックしていった。
チリンチリン。
俺の自転車に乗ったはまぐり社長がやってきた。
よく場所がわかったな。
「とりあえず、周囲を幻覚で包んでおいた。好きにやって」
「珍しく気が利くじゃないか」
「酒の香りがするからね」
バリバリガシャン!
ガラス戸が割れて、中から大きな口を開いて酒を飲む大女が出てきた。
「なんだぁ? 美味しそうな犬たちがいるねぇ。どれ、ちょっとこっちに来なよ」
「どこで言葉を覚えた蛇女!」
天狗さんが鉈を構えて聞いていた。
「ちょいと酒を用意してくれた古狸を味見しただけだよ」
店番をしていた婆さんを食べたらしい。
後ろから近づいていた俺は酒屋の二階まで跳び上がって、スコップを振り下ろす。
ガキーンッ!
金属同士がぶつかったような音が鳴る。
「痛いね!」
噛みついてくる大女から転がって距離をとる。
「ケント、一撃を狙うな。あくまでも時間を稼ぐことだ」
「ええ、でも、鼻が曲がりそうです」
異界の臭いと酒臭さで鼻が機能していない。
「逃げても無駄だよ!」
大女の頭が急に蛇へと変わり、はまぐり社長を飲み込もうとした。咄嗟に天狗さんが自転車ごと蹴っ飛ばし、鉈で蛇の牙を受けている。すでに人間業ではない。
「異界の者があんまり好き勝手出来ると思うなよ」
天狗さんが短く息を吐き出した。
フッ。
空気の塊が蟒蛇を襲い、酒屋の奥にあるガラスケースまで吹っ飛ばした。
「大事な酒がぁ!」
蟒蛇は化けることを止めたようで大蛇の姿のまま酒屋から出てきた。
「すりつぶして犬汁にしてくれるわ!」
跳び上がった天狗さんを大蛇が口を開けて噛みつこうとした。
伸びあがったということはそれだけ筋肉が緊張しているということ。スコップで横っ腹をぶっ叩く。
ギィイアアアッ!
蛇腹には無数の骨があるが一本一本はそれほど太くはない。叩いて中に打撃を浸透させれば、少しは効くだろうと思ったが、思っている以上に効いたようだ。
「見切ったか?」
天狗さんが俺の隣に着地した。
「たぶん、骨に打撃を与えていけばいいです」
「なるほど。交代で蛇腹を折っていこう」
「了解」
すぐに俺たちがいた場所に蟒蛇の尻尾が叩きつけられる。
「ウー、ワンワン!」
天狗さんの掛け声で、今度は俺が蟒蛇の攻撃を躱す。挑発しながら、相手の攻撃速度と射程範囲を探っていく。異界から来たからと言って、身体の一部は地面に接地している。思っている以上に伸びてくれば、自分から当たりに行って飛び退く方向を転換していく。
ギィイアアア!
俺が飛び退いている間に、天狗さんが一撃を見舞う。
蟒蛇は二人を相手にしていないといけないのに、攻撃できるのは片方だけ。
カハッ!
攻撃を繰り返していると、蟒蛇の口から古狸こと酒場の婆さんが吐き出された。ころころと転がる婆さんは石のように固まっていたが、転がりながら生気を取り戻したように走り出した。
「まいった。まいった」
化け狸の異能者だったらしい。
「ああ、店がめちゃくちゃだよ」
「母さん!」
駆け寄った店主も狸顔になっていた。この町は異能者だらけか。
気づけばガソリンスタンドの屋根にも人影がたくさんいた。
「野次馬が増えてきたが、警察が来るまで続けるぞ」
「鼻がもげそうなんで、早めに頼みます!」
ギィアアア!
苦痛に顔をゆがめながら蟒蛇は身体をうねらせて、こちらに飛び掛かってくる。ただ、初めの勢いは感じない。
カハッ。
蟒蛇は周囲に血を吐き出した。
シューッ。
音を立てて、アスファルトの色が変わっていく。
「呪いだ。踏むなよ」
「難しいことを」
ガードレールの下から生えていた草に血がかかると、草が蛇へと変わる。天狗さんが鉈で首を斬り落としていた。俺もスコップで真っ二つにしていく。
蟒蛇は直接攻撃するのを辞めて、血の呪いを放つようになっていた。
蛇に変わった草を刈りながら、蟒蛇の骨も折っていく。
「なぜじゃ!? 私は酒を飲んだだけじゃないか」
「器物破損、殺人未遂、窃盗。これだけ壊して、自分は悪くないと言える異界から来たのなら、お帰りいただくしかない」
いつの間にか俺の背後に、ケンジ伯父さんが立っていた。
ウーウー……。
パトカーのサイレンも近づいてくる。
伯父さんが手を上げると、周囲から一斉にお札が飛んできて、蟒蛇に貼られた。お札はまるで生き物のように張り付いたまま離れず、そのまま蟒蛇は動かなくなった。
異界の臭いも収まっていく。
「いやぁ、いいものを見せてもらったわ」
ガソリンスタンドの屋根から中年女性が飛び降りてきた。
「ケントは随分、大きくなったのね」
「誰?」
「あら? 覚えていないの?」
「ヨウコ、あまりケントに変なことを吹き込むなよ」
稲荷神社で働いているヨウコ叔母さんらしい。
「変なことではないわ。異界に対する正しい対処法よ。それとも、地獄帰りの坊ちゃんには必要ないかしら」
「ああ、むしろケントにはこの世界の異能者について教えた方がいいだろう。犬神祭りの偵察か? 随分教え子が揃っているな」
天狗さんはあからさまに嫌な顔でヨウコ叔母さんを見ていた。
「ええ、十分に分家の能力は見させてもらったわ。地獄帰りで身体が動くのかと思ったけど、そんなことはなさそうね」
霧の中からパトカーが現れ、異能者の警察官たちが蟒蛇を封印し始める。
「よし、片づけ開始だ。悪いけどはまぐり工務店さんも頼む」
伯父さんの掛け声で一斉に片づけを始める。
「まったく團の奴はどこで何をやってるんだか……」
井戸さんが文句を言っていた。




