15話『はまぐり工務店の過去2』
「饅頭は駅前のだから賞味期限切れてるかも」
井戸さんは、あっけらかんとした表情でお茶を飲んでいた。
「俺たちが来ることがわかってたんですか?」
「流れ的にね。天狗さんは天ぷらそば食べたでしょ? お酒も飲んでる?」
「ビールを少々な」
天狗さんは大きく口を広げてニヤリと笑っていた。
「ほら、井戸家のことを話してやれよ」
井戸さんは俺に自分の家のことを話してくれるらしい。
「そうね。ケントはどこまで知ってるんだっけ?」
「井戸の魔物は流れを読むってことくらいですかね。井戸さんは異能が発現してから、訓練をしたんですよね?」
「まぁ、そうね。そもそも井戸家は長子しか異能が発現しないはずだったのよ。それが、なんの偶然か、次女の私にまで異能が出てきちゃってね。『使わずに生きれる方が偉いんだから』って言われて育ったんだけど、私が勝手に調べて訓練してたら、能力が伸びたって感じかな」
井戸さんはお茶を飲み干し、再びお湯を沸かしていた。
「よくある話よ。長女の方は勉強ができてちゃんと就職したけど、能力はなかなか開花せず、次女の私は勉強ができなくてちゃらんぽらんに生きて来たのに能力が伸びすぎて家族の手に負えなくなった。それが高2くらいだったかな。今のケントと同じ年よ」
「俺も両親の手に負えないのかもしれません。地獄帰りとか意味わからないだろうし……」
「そうね。自分でもこのまま社会に出たら大変だろうなってことはわからない?」
「いや、もう、本当にその通りです。どうしたらいいですかね?」
「私は、流れから外れることにしたよ。あのまま行ってたら、占い師になるか警察に就職するかしか道がなかった。どちらも大変そうだったし、自分の能力を最大限発揮できないと思ってた」
ゴロゴロと遠くから雷鳴の音が聞こえてきた。
「テストの流れもわかるようになって、急激に成績が良くなっちゃって学校にも居場所がなくなって、よく変な流れのある場所を散歩してたのね」
「女子高生の趣味が散歩か?」
天狗さんが笑っていた。
「だって、しょうがないじゃない。家にも学校にも居場所ないんだから、グレるのは普通だわ。散歩程度で済んでよかったわよ」
「確かに……」
「でも、本当、この先どうしようかって真剣に悩みながら、ぼーっと流れの下流の方で待ってたら、遭難した人とか徘徊で行方不明になっている老人とかとばったり出くわしてさ。探偵事務所の手伝いをしていたケンゾウさんとよく会うようになったのよ」
「爺さんと?」
「そうか。井戸ちゃんと会ったのは、ケンゾウさんがまだ手伝ってくれていた頃か」
天狗さんは雷鳴が轟く空を見上げて思い出していた。
「そうだよ。長いよね?」
「井戸ちゃんは昔ギャルだったんだぞ。化粧で異能たちから自分を防衛してたんだ」
「やめてよ。何にも教えてもらってなかったから、とりあえず他の女子に紛れればいいと思ってさぁ。それくらいしかコミュニケーションのツールがなかったんだけどね」
「うちの爺さんと出会って、変わったんですか?」
「なんかはまぐり工務店でバイトするようになって自分が楽でいられる場所を見つけたから、化粧もする必要なくなったのよ。高校卒業して、他の仕事に就いてみたけど、結局はまぐり工務店が心地いいっていうか、異能者である自分も認めてくれるし、能力も使いたい放題だしね。でも、一番は父親が死んだのも大きいのかも」
井戸さんは大きく息を吸った。嫌な記憶を思い出しているのか。
「どれだけ流れがわかっても、あくまでそれは可能性が高いだけなのよね。突発的な事故は起こるし、いろんな加護のあるお守りを持っていても避けられないことってあるのよね。私はもう家を出ていたし、どうこう言えることじゃないんだけど、家にいる母と姉を許せなかった」
井戸さんはお茶の入ったコップを見つめていた。雨が降り始め、裏庭に水溜りができる。
「天狗さんも、その頃を知ってるんですか?」
「知ってるも何も、一緒に山に籠ってた。異能者って、人生のどこかで一気に能力が伸びる者たちが時々いるんだ。事件に遭ったり、理不尽なことに巻き込まれると、突然覚醒することがある。俺は井戸ちゃんのその瞬間に立ち会ったと思っているよ」
「天狗さんとケンゾウさんがいなかったら、死んでるか殺人犯になってたわ」
それほど危機的な状況だったのだろう。
「いや、山のお陰さ。自然豊かな山があったお陰で、人の嫌な心に触れずに済んだことが大きい。自然や野生に、善悪はないことを実感できたんだろう。だから井戸ちゃんができる最大限を引き出せて、あの濁流を止められたんじゃないか」
「あれは本当に地面がズレているように感じて、自分一人の力じゃどうしようもないって思ったんですよね。だからケンゾウさんに報告して……」
「何の話です? 濁流を止めた?」
「そう。もう8年になるのか。今、木を育てようとか、森を守ろうっていう運動がまだあるだろう? でも、8年前にはすでに森の木は飽和状態でな。間伐もしてなかったから、いつ崖崩れが起こってもおかしくなかったんだ」
木々が育ちすぎて低木が生えず、地中を這う植物の根が細くなってがけ崩れが起こるというのは授業でやった。
「でも、どこで起こるかなんかわからないだろ、普通は」
「井戸さんにはわかったんですか?」
「わかった。当時は、てことよ。木の実とか川魚しか食べてなかったから、五感も能力も鋭くなってたのよ。で、あのまま行くと実家も流されるから、ちょうどいいんじゃないかとも一瞬思ってた。でも、私の恨みで他の人たちを犠牲にできなくて、ケンゾウさんに報告したら、流れを変えようって地域の異能者の方たちが集まってきてくれたの」
「まぁ、井戸家の天才が言うんだから、そりゃ百鬼衆から陰陽寮まで一斉に動いたな。それで一気に道路を封鎖して家屋に被害がないように湖に流したんだ」
「災害を食い止めたってことですか。すごいじゃないですか」
「たまたま、私に流れが来ていただけよ」
「でも、その後、市役所から警察、消防、病院で、異能者たちを差別するような声はなくなった。ここは、異能者に優しい土地になった」
井戸さんの偉業はわかったが、どうして今さら井戸家が追いかけてくるのかわからない。
「なんで家族が探してるんですか?」
「姉が結婚して家業を継ぐらしいのよ。別に邪魔はしないって言ってあるんだけど、秘密の特訓法があるんじゃないかと思って近づいてくるの」
「自分でやればいいのに」
「ハウトゥー本さえ読めば、なんでもできると思ってるカモそのものだ。何もできないなら営業だけでもやればいいんだ」
天狗さんは、井戸さんの心を読んだのか毒を吐いていた。
「その流れも読めないのよ」
「困ったもんだ」
軒先を叩くように雨脚が強くなった。
井戸さんは靴下とシャツを脱いで、インナーとスカートの姿になったかと思ったら、裏庭に飛び出していた。
ビシャ。
水溜りにくるぶしまで浸かり、井戸さんは空を見上げていた。
「フーッ! 自然の雨が一番気持ちいい!」
異能が出ているのか、額にポッコリ角が生えていた。
「天狗さーん、遊び方教えてくださいよ」
びしょ濡れの井戸さんが天狗さんにお願いしていた。
「おう、いいぞ。なんだ? 仕事ばっかりしてて遊び方を忘れたのか?」
「ようやく家から離れられて、お金もできたんですけど、異能者ってどうやって遊べばいいんですか?」
「子どもの頃の遊びか、面倒なことをやるといいぞ」
「なんだ、やっぱりそう言う流れか。ケントくん、この家使ってないなら、私に貸してくれない? 田舎暮らしの民宿でもやるからさ」
「伯父さんに聞かないとわからないですけど、そう言う流れなら許可してくれるんじゃないですかね。聞いてみます」
「お願い。ケント、高校卒業までは工務店に通うし、時々OGとして手伝いに行くからいいお茶買っておいてね」
「わかりました」
井戸さんは雨に打たれながら笑っていた。
「ああ、あと、15秒後に雨が上がる!」
そう言って、15秒後には本当に雨が上がった。
「天狗さん、ケントには修行付けてやらないの?」
「地獄帰りはできることが多いからな」
「でも、犬神祭りには出場するんですよ。地獄とルールが違うことは多いんじゃないですか?」
「そうか。じゃあ、修行するか?」
「いや、その前に、その犬神祭りって何ですか?」
「異能者の運動会みたいなものよ」
「俺の出場は決まってるんですか?」
「團が出すって言ってるんだから、出るだろう」
「犬神祭りは新年だから、時間ないよ。團と天狗さんに修行を付けてもらいな。優勝すれば顔が売れるし、お守りもくれるからさ」
「はい」
流れに身を任せていたら、いつの間にか異能者の運動会に出させられることになった。




