11話『宇宙の香りはラズベリーか』
田舎の古民家をリフォームする動画を見ていたら、この前峠で撮影していた女優さんの広告が流れてきた。加奈子先輩に聞いてみると、やはり疎遠になったお姉さんがいて、東京の芸能事務所に所属していると言っていた。芸名も貰ったDVDのと同じだった。
「あ、これ加奈子先輩のお姉さんらしいです」
「へぇ。言われないとわからないもんだな」
團さんは気づいていなかったらしい。
最近の團さんは、報告書を書き続けている。許可を取らないといけなかったり、修繕した場所の経過報告などもしないといけないので、意外とペーパーワークは多い。
「なんか仕事が多くないか?」
ノートを見ながら、キーボードをたたいていた團さんが、井戸さんに聞いた。
「異能者も増えて、うちは同業他社がこの辺りにいないからね」
「そんな君たちにもう一件仕事が来たよ」
はまぐり社長が茶色い封筒を持ってきた。
「どこから来た封筒ですか?」
井戸さんは、封を開けて中身を読んでいた。いつもは警察や神社からメールや電話で依頼を請けているので、封筒で依頼書を送ってくる個人のお客さんは珍しい。
「ああ、昔あった座敷童の民宿のところか……」
「知ってるところですか?」
「うん。一時期、東北で座敷童のいる旅館というのが流行ったことがあるの。見れば幸運をもたらすと言ってたんだけど、ほとんどが地霊ね。それを売り文句にしていた民宿が、山あいにもあったんだけど、座敷童が消えて民宿も畳んだって聞いていたんだけどね」
「あそこは潰れたんじゃなかったのか?」
「この田舎に住もうっていう流れで、誰かが借りてやらかしたみたい。一応、オーナーは陰陽師を呼んで異界の住人はいないので、よろしくお願いしますってさ」
井戸さんは、團さんに封筒に入っていた便箋を渡した。
「達筆だな。これ一応、陰陽寮に確認取っておいた方がいいんじゃないか」
「確かに召喚術師がいたら、もう少し話題にはなってるわよね。ちょっと電話してみるわ」
井戸さんが、電話で陰陽師の人に話を聞いていた。
「……ああ、そうなんですかぁ。警察には……、ああなるほど」などと確認している。
会話を終えた井戸さんが、面倒くさそうな顔をして、給湯室から戻ってきた。
「どうだった?」
「オーナーもちょっと老人ホームに入ってて、動画作りのために若い夫婦がリフォームしたみたい。それで、もぐりの召喚術師っていうのに頼んで、座敷童を復活させようとして失敗したのね。部屋中グチャグチャだってさ。若い夫婦も動画だけ残してバックレ」
「何を召喚したんだよ?」
「さあ? 本人は大黒天を召喚しようとしたらしいけど……」
「バカかよ。ちゃんと召喚術師は捕まってるのか?」
「ええ、それはもうきっちり閉じ込められてるそうよ。この民宿だけじゃなくて、日本中でやらかしていたみたい」
「田舎暮らしが流行って、異界の門を開ける興行も流行ってしまったか」
「そういう流れの後始末ね」
井戸さんと、團さんは、突然ぼーっと天井を見始めた。
「これオーナーは金払えるのか?」
「無理じゃないの? 若い夫婦に払わせる気なんじゃない?」
「はぁ、面倒だな」
「あと陰陽師が若手のホープを行かせたとかで、そっちの後始末もあるかもしれない……」
「ケントに頑張ってもらうしかないか……」
二人とも相当疲れが来ているのかもしれない。嵐の前の静けさのようなものを感じる。
「「よし!」」
気合を入れていた。
「社長! この仕事をやるならちゃんとお金を回収してきてくださいね!」
「ケント、金属バットで大黒天を倒す方法を考えよう!」
「「あ、はい……」」
俺と社長は、二人の勢いに押されて頷くしかなかった。
俺は作業服を着て、金属バットを手にミニバンに乗せられた。
「全国の高校球児は、白球を打つために金属バットを手にするんですよ。どうして俺は大黒天をぶん殴るっていうわけのわからないことのために、金属バットを……」
「大丈夫だ。大黒天はこんなところに現れやしないよ。大黒天の偽物を打ち滅ぼすために金属バットを持っていると思ってくれ」
運転する團さんも、後部座席の井戸さんも、表情が死んでいる。やりたくない仕事なのか。
「どちらにせよ、それは工務店の仕事ですか?」
「いや、違うな」
「じゃあ、なんで……?」
「廃墟をそのままにしておくと、変なのが湧くからね。ウェブで動画を見た人たちが来たら、被害が出る」
「それは警察の仕事ではないんですか?」
「被害が出ないと被害届がないから警察は動けない。相談窓口はうちの会社だけだったみたいね」
隙間産業だと思っていたけど、この工務店の仕事は意外に大変だ。
「偽物とは言え、大黒天って七福神の神様ですよね? 金属バットでどうにかなるんですか?」
「大丈夫よ。この世界は、物理法則が最も優先するから」
「そのぅ……、対応した陰陽師のホープってどれくらい信用できるんです?」
「水素水くらいかな」
一時期持て囃されたけど、科学的根拠がないと言われた水だ。
「ダメじゃん」
小一時間、ミニバンを走らせて、俺たちは山間にある民宿に辿り着いた。
壁面や屋根はキレイに補修されているのに、扉が外れて砂利道に飛ばされている。血なのかペンキなのかわからない茶色いシミが、壊れた入口から広がっている。
「うわっ、なんですか、この匂い」
「異界の臭いじゃないの?」
「なんかラズベリーのガムみたいな匂いがしますね」
「ああ、それは宇宙の匂いかもしれないな。宇宙飛行士が船外活動をして戻ってきたら嗅ぐ匂いだ」
「じゃあ、偽大黒天って宇宙人なんですか?」
「まだ、わからん」
3人土足のまま、民宿の中に入る。匂いはどんどん強くなっていき、俺の頭が犬に変わっていく。自分が緊張して、汗をかいているのがわかる。
茶色いシミが付いた床板を踏みしめ、ゆっくり中に入っていく。團さんの持つ懐中電灯だけしか明りはない。ラズベリー臭は、何かが焼けたような匂いに変わり、奥へ行けば行くほど強くなっていった。
廊下から見える襖はすべて吹き飛ばされ、獣の茶色い足跡が付いている。
井戸さんは、閉じてあった雨戸を開け放っていた。
夕日が宿に差し込んでくる。
シミに見えていたものが夕日に反射して、青白く光り始めた。
「こんなの見たことないぞ」
「違う次元の奴らを連れて来るなんて……」
「どういうことですか?」
「異界と言っても一つじゃない。まだ俺たちが認識していない世界もあるってことだ。対処法がない場合だってある。宇宙人なんかは特にな」
「じゃあ、陰陽師は何の対処をしてたんです?」
「知らないわ! とりあえず、こちらの法則をごり押ししていくわよ! 雨戸を全部開けて!」
「了解!」
二階も含めてすべての雨戸を開けて民宿の風通しを良くした。茶色いシミは粘着性があり、踏むと必ず足跡がついてしまう。
台所には、異界の宇宙人が出てきたと思われる冷蔵庫があり、茶色いゼリー状の物体がグチャグチャに詰まっている。冷蔵庫には申し訳程度のお札が張られていた。
「猫が食ってる跡があるな」
「これ、猪も食べてない?」
裏口へは、蹄のような跡まである。
「動画上げてた夫婦は、これを食べたのかしらね?」
「さあ? どっちにしろ。次元が違うモノなんか食べちゃダメだろ……」
にゃあ。
声を聞いて振り返ると、縁側に猫がいた。足が四足ではなく、10本ほど生えている。
明らかに通常の猫ではない。茶色いゼリーを食べたからなのか、それとも宇宙人に乗っ取られたのか、この時点では判断できなかった。
「動くな」
團さんが俺たちに指示を出す。
異能を使って捕まえるつもりのようだ。
團さんはゆっくりと猫に近づいていく。
猫は警戒していない素振りを見せながら、團さんを気にしている。
あと二歩ほどというところで、猫は縁側から、裏庭に飛び出した。
スンッ。
地面が消えて落とし穴に猫が嵌った。
「よし……」
そう言った團さんだったが、猫はたくさんある足を使って、落とし穴から飛び出してきた。
「くそっ!」
「なにが『よし』なのよ!」
井戸さんと俺は裏庭に飛び出した。
猫が森へと走り去っていく姿だけは見えた。所詮、人間は動物の速さにはついていけない。
「臭いは辿れますけど、追いますか?」
「いや、猪もああなってると思うから止めた方がいいわ」
「山狩りだな。警察と猟友会にも連絡しないと」
「逃がしておいて、何を言ってんの。自分でやりなさいよ!」
「はい」
團さんはスマホを取り出して、警察に電話していた。
「やっぱり、割に合わない仕事だったわ!」
井戸さんは社長に電話して、またたびと動物用のケージを持ってくるよう指示を出していた。
「そう。だから足が増えるんですよ! シヴァ神の手が多い理由がそういうことじゃないことくらいはわかってます! 知りませんよ! バカな召喚術師の空っぽの頭に聞いてください!」
井戸さんは電話をしながら、怒っていた。
電話終わりに聞いてみると、大黒天はインドでシヴァ神という異名があるらしい。元々ヒンドゥー教の破壊と再生の神様だとか。よく腕が多い姿で像になっているが、四方八方に手が届くという意味だそうで、多肢症なわけではないという。
「本来、こんなものは呼び出そうと思っても呼び出せない。無理やり、どこかの異界から引っ張り出してきたんだろう?」
「召喚術師に憧れた者の仕業でしょう。学もないのに、異能だけあっても仕方がない典型ね」
「どうしますか? あの冷蔵庫が開けっぱなしだとまた入り込んだ動物が食べちゃいますよ」
「そうだな。とりあえず密閉しよう」
冷蔵庫のコードを切り離し、ドアを閉めてガムテープでぐるぐる巻きにしておいた。異能研究所に送られるらしい。
「シミは掃除しちゃいますか?」
「いや、警察が来て現場検証をしてからだ」
「いよいよ陰陽寮の教育体制が問われるわ」
陰陽寮は、警察とは別の機関で、古い体制のままだという。
「異界から来る住人だって変わってきているんだから、組織も変わらないとね。あ、社長が来た!」
軽トラックにケージを載せて社長がやってきた。
「ふた山が厳戒態勢になるって。朝までには片付けるつもりらしい。警察も陰陽寮に貸しができるから、躍起になってる」
「まず、私たちに貸しですけどね」
警察の黒塗りのハイエースがやってきて、俺たちは事情聴取を受けた。山狩りには伯父さんも参加するらしい。
日が暮れていくのを見ながら、はまぐり工務店は直帰。警察が捕まえられるかどうかわからないが、明後日にまた来てくれとのことだった。




