10話『大葉香るみそ焼きおにぎり』
数日後、峠の崖下にある土管の金網を取り付け終えて、はまぐり工務店に戻ってくると、百目鬼さんが浮かない顔をしてお茶を飲んでいた。いつも笑っているはまぐり社長も、額を扇子で掻いて下を向いている。
「……気持ちのいい仕事ではないのは百も承知。補助金は全額、はまぐりさんの方で受け取っていただいて結構です。費用もこちらが持ちます」
「それはありがたいんだけど、警察と陰陽寮はなんと言ってるのかな? うちの天狗くんはそういうことには厳しい。知ってるだろ?」
「もちろんです。危うく山火事になりかねない事態でしたので、厳重に抗議をしていますし、上層部は理解をしているそうです。とにかく事態が悪化する前に片付けてほしいとのことで……」
煮え切らない空気が応接セットの中には漂っている。
「緊急クエストですか? 汚れ仕事なら、俺がやりますよ。悪い噂が立っても、気にしませんよ」
團さんが、アホのフリして仕事を請けていた。
「團ならそう言うだろうね。でも、適任は加奈子ちゃんよ。ケント、悪いんだけど、臨時のバイトとして加奈子ちゃんに声をかけてもらえないかしら?」
井戸さんがこちらを見た。
「いいですけど、何をするんです?」
「ちょっとしたハイキングとストレス発散よ」
「でも、彼女はまだ学生だぞ!」
「あら、ケントの先輩よ」
井戸さんは、俺の先輩なのだから、仕事はできると言いたいのだろう。
「それに流れがすべて彼女に向かってる。恋愛や男のことでなければ、協定には触れていないはずですよね?」
「そうだけど……」
翌日の放課後、美術室で加奈子先輩を臨時バイトに誘ってみた。
「日曜日にちょっとしたハイキングらしいんですけど、やりませんか?」
「いいけど、何をするの?」
「たぶん、何かを壊すんだと思います」
「あ、そう。じゃあ、私の異能にぴったりね。休日はケントくんとハイキングか。おにぎり作っていこう!」
加奈子先輩は妙に明るかった。正直言うと、そんなことのために自分の異能を使いたくないんじゃないかと思っていたが、俺の杞憂だったようだ。
「本当にいいんですか?」
「いいよぅ。どうせ暇だし、落としたペンキ代も調達しないといけないしね。正直、今月ギリギリだったからむしろ助かるわ」
そうか。貧乏神の異能を持つ加奈子先輩にとっては、ピンチが日常なのだ。
自分の異能を理解して、すべて受け入れて生活している。
「どうかした?」
「いや、加奈子先輩はすごいなと思って……」
「夏休み明けに禿げて眉なしで来るケントくんの方がすごいよ」
「俺はただ巻き込まれただけなんで」
「それを言うなら、私も自分の異能に巻き込まれてるだけよ」
加奈子先輩は明るく笑っていた。
「朝方会社の車で迎えに行きますので、よろしくお願いします」
「やっべぇ、人に誘われるのなんて久しぶりだ。前日に寝られるか心配」
日曜日当日。俺は母に、サンドイッチ弁当を作ってもらった。
「いや、本当に毎日思ってるけど、母上様、感謝でござる」
「うむ、心して食せ」
昔の大河ドラマに嵌っている母は、平日の仕事中でも電話を取って「いかがいたした?」と言ってしまったらしい。なかなかやるな。
「いってきまーす」
「うむ。大儀であるぞ」
殿様な母に見送られ、俺は自転車ではまぐり工務店へと向かった。
工務店では井戸さんと團さんが、トレッキングの恰好をして待っていてくれた。
「今日は、急な別件で社長は休みだ」
「天狗さんが警察と陰陽寮にキレた尻拭いでしょ」
「天狗さんが来たんですか?」
「ああ、顔が真っ赤だった。あんな天狗さんは久しぶりなんじゃないかな」
「昔、自衛隊の異能科特殊部隊だったからね。公の機関が不祥事を起こしたことに腹を立てたのよ」
「不祥事?」
「ああ、そうか。今日の仕事、詳しく言ってなかったか……」
「加奈子ちゃんをピックアップしてから説明するわ」
ミニバンにゴミ袋や軍手、背負い籠などを詰め込む。
「芝刈りに行く老人と同じ装備だな」
「どんぶらこと参りましょう」
「それは桃の方よ」
ミニバンは一路神社へと向かった。
加奈子先輩は、寒い朝だというのに、ハーフパンツ姿で俺たちを待っていた。
「おはようございます。あ、やっぱり山の中に入るなら、長いズボンの方がよかったかな?」
「おはよう。作業着ならあるわよ」
井戸さんが加奈子先輩に作業着を貸していた。それを加奈子先輩は後部座席で何の躊躇もなく着替えている。
「大丈夫。見せても平気なエロくない下着だから」
俺たちはミニバンから出て空を見上げ、井戸さんは笑っていた。
俺たちを載せたミニバンは、峠を越えて、山間部を走り、さらに砂利道を進み、竹林の中で停車。かつてはアスファルトの道路があったようだが、今は誰も入っていないようでアスファルトを突き破り花がわんさか咲いている。
ただ、ところどころ踏み荒らされたような跡もある。
「この先に、昔は限界集落があったんだけどね」
「限界を突破したってことですか?」
「そうね」
「もう十数年前のことだ。とりあえず、明るいうちに帰ってきたいから、仕事はとっとと済ませちまおう」
俺たちは崩れた道路を歩き始めた。
「状況を説明しておくわね」
「お願いします」
「新人研修の終わった警察や陰陽師たちが、この先の廃村で暮らしていた異界の魔物たちを駆除した」
「どんな魔物なんです?」
「小鬼の一種だな。人里離れているし、土地に棲みつく木霊とも共存していた。マヨイガと呼ばれる怪異も発生して、注意しないと訪れることも敵わなくなっていたんだけどなぁ」
この前、天狗さんが言っていた共存している異界の魔物たちのようだ。
「なんで、駆除しちゃったんですか?」
加奈子先輩も気になるようだ。
「自分の異能が成長していることを誇示したいためでしょうね。ミミックを倒して自分たちは特別な異能者集団だと勘違いしたのね。周辺にある異界の魔物を片っ端から、倒そうとしたみたい」
「人間は力を持つと使ってみたくなるものなんだろうな。大した異能じゃない者たちほど集まって傷を舐め合う。ただ、そいつらには駆除依頼は出ていない。百目鬼さんたちも、土地の木霊と共存している魔物まで狩る必要はないという立場だ」
小鳥がさえずり、周囲の紅葉がきれいだ。
「ただ、警察や陰陽師の中には、何かあってからでは遅いという考えの人たちもいる。だから、天狗さんみたいな人が山の中に入って定期的に訪問して聞き取りをしているんだけど……」
「じゃあ、今回はそれを無視して新人の人たちが動いてしまったということですか?」
「そう。枯れ葉も多いのに火を使ってしまったのも問題で、山火事が起こったら百目鬼さんたちの活動まで疑われてしまう。それで、どういう教育をしているのかって天狗さんが怒ってるってわけ」
「尤もな怒りですね」
「とにかく俺たちはその焼かれた廃村の後片付けが仕事だ」
「え? ちょっと待ってください。焼かれたとはいえ、廃村ですよね? 片付けるにしろ、物が大きすぎやしませんか?」
「だから、加奈子ちゃんに来てもらったのよ」
「私は朽ちていく手伝いをすればいいってことですか?」
「その通り」
「なんだかすごい! 私の異能が初めて人の役に立つ気がします!」
「そう言ってもらえると、よかったわ」
もしかして井戸さんは俺が言ったことを覚えていてくれたのか。
山道を1時間ほど進み、ようやく焼かれた廃村に辿り着いた。異能者の新人たちが踏んでいってくれたお陰もあって、歩きやすくはなっていた。
人がいなくなった廃村には、魔物たちの生活の跡が残っている。頭くらいのサイズの石がストーンヘンジのように丸く順番に置いてあり、丸太にはキノコを育てていたような形跡もあった。
建物は酷いありさまだった。屋根も壁もほとんど燃えていて焼失し、柱だけが黒焦げで残っているような火事現場だ。畑の跡地まで燃え広がっていて、本当に山火事が起きかねないようだったようだ。
「これはちょっとひどいな。画像を残しておこう。さすがに、これを片付けるんだから、もう少し報酬を貰った方がいい」
「そうね」
井戸さんたちはスマホで廃村の状況を写真に撮っていた。
俺と加奈子先輩は、わずかに残った壁に小鬼の血が付いているのを発見。小さな四本指の足跡も見つけた。逃げ惑う小鬼たちの様子は容易に想像できる。
「どちらが魔物かわからないわね」
「異能者は異界の魔物と近しいはずなんですけどね」
「似ている人ほどいがみ合うって言うけど、本当かな」
そういう加奈子先輩の表情は、先日見た女優さんに似ていた。華々しい芸能界の女優さんと、田舎の高校の美術部を結び付けて見ているのは俺くらいだろう。
「ちょうど谷になっているから空気が淀むのよ」
「このままにしておくと、もっと大きな魔物が現れるから、とっとと片付けちまおう。加奈子ちゃん、できるかい?」
「ええ」
加奈子先輩は、和紙を張った団扇を取り出して、黒焦げになった家を扇いだ。
炭と化していた黒い柱は灰へと変わり、なにもかもを朽ちさせていく。床は腐り、キノコが生えて、そのキノコも崩れて土へと変わっていく。
後に残ったのは窓枠に使われていた錆びた鉄ぐらい。
俺たちはその錆びた鉄の欠片を拾って籠に入れていくだけ。
加奈子先輩の顔は今まで見たことがないくらい血の気が引いて真っ白になっていた。目に光はなく、ゆっくりと確実に腐敗の呪いをかけていくようだ。
加奈子先輩の異能は凄まじく、1時間もかからずに廃村の建物すべてを朽ちさせてしまった。燃えていたとはいえ、さすが神の力だ。この異能を出さず、隠して生活しているのかと思うと頭が下がる。普段の明るい表情は無理をしているのかもしれないと思ったら、胸が締め付けられる思いだった。
「お疲れ様」
井戸さんがペットボトルのお茶を皆にくれた。ちょうど昼時で、休憩に入った。
「どんなお弁当を持ってきたの?」
加奈子先輩は、異能を使っていた時とは比べ物にならないくらい嬉々とした表情で俺に聞いてきた。
「サンドイッチですよ。徹夜で大河ドラマを見ている親に頼んだんです」
「交換する? 自家製みそを使ったおにぎりなんだけど、早起きして作っちゃった。ほら大葉を巻いた」
加奈子先輩は、大葉香るみそ焼きおにぎりを俺に見せてきた。匂いは凄いが、おいしそうに焼けている。
「この自家製みそ、めちゃくちゃ美味いな!」
「本当! 加奈子ちゃん、料理上手いのね!」
團さんも井戸さんも、加奈子先輩におにぎりを貰っていた。
「発酵食品だけです」
俺も食べてみたが、香りもよく味も美味しかった。
「美味い」
秋の風が、朽ちた家の灰を運んでいく。




