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その音色は誰かのために  作者: 玲於奈
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絢斗が公樹にヴァイオリンを教えてから1週間が過ぎ、一度教室に水野先生が出勤した。水野は、だいぶ悪阻が落ち着いたが、初めて授かった赤ちゃんのため、少し気持ちが不安定になっているのと、食欲がないため入院することになった。そのため水野が受けもっている生徒たちを、在籍している先生たちで振り分けをする話になる。生徒は12人、大人から子供までいた。だいたいの生徒は受け持つ先生が決まったが、曜日と時間帯で数人の生徒が予約にかちあう。その分を、絢斗が受け持つことになった。そのため絢斗は横浜のバーに休みを連絡した。

数人の生徒を教えるが、時間帯によってはメンテナンスの時間に受け持たなければならない。その分の仕事は残業になる。


月に数回の残業が毎週のようになった。そのためいつもより帰宅は遅くなる。駅から近いアパートとはいえ、遅い時間帯に歩いて帰らなければいけない。

疲れているため足取りが重い。治安はよいが夜道は心細かった。

家に着くとすぐにお風呂を入れる。絢斗は湯船につかり疲れをとった。

その後、軽めの食事をしてから体をほぐし、念入りに右足をマッサージする。それだけで12時近い。この生活は疲労が溜まる。絢斗はなるたけ早く水野先生の代わりを補充してもらいたいと思っていた。


バッグの中から携帯を探すとメールが来ていた。萌からだ。受信時は19時。ちょうどレッスンをしていた時間だったので連絡はできない。その後残業があり見ている時間がなく、今になってしまった。

【今度の週末、食事会開催。人数合わせのため、誰か誘ってね】

誰かといっても絢斗がそう簡単に誘える人はいない。と思っていたが、小山田はどうだろう。もし彼女がその日都合がつけば誘っていけばいい。

深夜のため一言【了解】と返事を返してベッドに入った。


週明けのお昼休みに、絢斗は小山田に萌からの食事会の話を振った。

すると小山田は即答する。

「行きます、行きます、絶対に参加させてください。そんな美味しい話、絶対行かなきゃ」そう言って絢斗の手を握りうん、うんと頷いた。

相手は大手弁護士事務所の人たちだ。弁護士がいる、その他に友達もいるだろう。

――そう考えれば美味しい話だろう。

そして当日、この日はレッスンもない。定時に終え、食事会の店はここから電車で20分ぐらいの品川駅近くのバルだ。


絢斗たちの終業時間が19時のため、時間が遅くなってしまうが、相手も忙しいから問題ないらしい。また明日は休みだからと都合がいいと言われた。

品川駅を出て、目的の店を携帯で探しながら歩く。小山田はワクワクすると足取りが軽やかだ。店を見つけて入るとすでに客で賑わっている。店員が絢斗たちに気付き、予約の名前を伝えると店員が案内した。

ホールのような広い店で、天井がラウンド型になっている。奥には半個室が数室、真ん中に大きな長テーブルが縦に4列並び、カウンター席もある。客でにぎわい、その内の1つのグループに萌の姿があった。


萌が絢斗たちに気づいて席から立ち上がりこちらに来てくれた。

「萌、遅くなってごめんね、こちら小山田さん。私の同期なの」

「小山田です。よろしくお願いします」

「萌です。絢斗とは大学が同じなの。こちらこそよろしく。それとごめんね。今日の食事会が同僚たちにバレてしまって必要以上に来ているの。だからほんとごめん」そういって萌は申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせた。奥ではすでにその同僚たちが座っていた。

すると絢斗たちに気がついた一臣が声をかけた。

「あー。やっと来た。早くこっちに座って。お友達も早く」そう言って手招きする。

すると小山田は一臣を見て絢斗に耳内した。

「絢さん。すごいイケメンですね。眼福です!」

あの時、まじまじと一臣の顔を見るのは絢斗も失礼だと思った。だから小山田がいうのも頷ける。

――確かにそうだね。と絢斗は心の中でいった。


絢斗を真ん中に小山田、萌が脇に座る。その隣は先に来ていた萌の同僚の女子たちだ。対面の萌の正面に一臣が座る。その脇は一臣の同僚たちが陣取る。言うなれば絢斗たちがおまけでおじゃました形になるように見える。再度飲みものを注文して乾杯し食事を堪能する。居酒屋バルだが本格的なイタリアンの料理だ。しばらくすると一臣の同僚が席を変えようといいだした。


今度は男女が混ざり合った。絢斗は萌の同僚の隣に、離れて奥に小山田が、その対面真ん中に萌が座った。絢斗は端の席に座った。絢斗にとって萌と小山田と離れてしまったが、都合が良かった。奥に座ると席を外す際、狭い通路を通らなければならない。杖をつき歩く絢斗には一苦労だ。

萌も小山田も楽しそうだ。特に小山田は隣に座った同じ年頃の相手と話が弾んでいる。


しばらくすると絢斗は席を外した。洗面所で手を洗っていたとき、すっと絢斗の隣に近寄ってきた女性がいた。手を洗っている絢斗とはちがい、鏡に向かい化粧直しをしている。絢斗が席に戻ろうと杖を持とうとした時、その萌の同僚が鏡越しに絢斗に話しかけた。

「あなたたち、一臣先生が目当てできでいるの?」

絢斗はなんと言っていいか迷った。だが、多分何を言っても無駄だろう。

「いえ、そういうわけではないです」

すると言った相手が口紅を引く手を止めた。

「そう、だからとって信じないわ。先生には近づかないで」

そう言われて絢斗は少し頭を下げて先に席に戻っていく。出て通路に歩き出した時、先ほどまで化粧を直していた女性がツカツカと歩いてきた。そして絢斗と肩を並びかけた時、カツンと絢斗の杖先を蹴った。

不意に浮いた杖に絢斗はバランンスを崩す。横目で見ながら足早に女性は去ってしまった。手洗いは奥まった場所で誰も絢斗にはきづかない。

でも絢斗にとってこんなことはなんでもなかった。昔、高藤先輩と付き合っていた時よりもましだった。あの時と同じだ、嵐が過ぎればなんてことはない。そう絢斗は言い聞かせた。


すると店の入り口から誰かが入ってきた。邪魔になってしまうと、絢斗は急いで立ちあがろうとする。でも床が少し滑るため思うようにいかない。もぞもぞしていた時、入ってきた男性が絢斗に声をかけた。

「大丈夫ですか?」

「あ、はい、大丈夫です、通行の邪魔をしてしまいすみません。先に言ってください」

そう言って少し体をずらした。するとその男性が絢斗に手を出した。

「捕まって、そうすれば立てるでしょう」

差し出された手に、少し躊躇したが、早く立ち上がらないとさらに迷惑をかけるため、その言葉に絢斗は甘えた。

「すみません、ありがとうございます」

たちあがると同時に杖を渡された。随分と背が高い男性だ。また一臣と同じくらいこの男性も眼福だ。纏う雰囲気が一臣とは違うが、落ち着きのある品格が滲み出る。

「席はどこ?途中まで一緒にいこうか」

そう言って絢斗の後ろに立ち、絢斗に合わせてゆっくりと一緒に歩き出す。客の脇を通り席に着くとき、萌が気づき、それと同時に一臣が声をかける。

「えっ、絢!」

神鳥谷(ひととのや)先生!」

――え?誰?

すると萌と一臣たちが一斉に絢斗の後ろに目を向ける。

「あ、君もこの食事会に来ていたの?」

絢斗に手を貸した相手は、萌たちの事務所の代表を務める神鳥谷(ひととのや)龍一(りゅういち)だった。

急遽、一臣に連絡が必要になって携帯に電話をしたが、一向に返事を返さないため、事務所に残っていた者に今日のことを聞き、こちらに来たという。

すぐに一臣は携帯を確認する。そのとおり神鳥谷の着信履歴がずらりと並んであった。

神鳥谷は一臣の顔を見てニヤリとした。

「まあ、いい。急で悪いが明日、事務所に出勤してくれ」

絢斗が席に座ると、誰かがすぐに神鳥谷の席を用意した。一臣が隣に彼の隣に付きなにやら話し出す。それから程なくして会はお開きになった。

店を出ると一臣と神鳥谷は一緒にタクシーに乗った。その他の同僚たちも各自連なりタクシーを拾った。萌と小山田は先ほど話し込んでいた神保の近くに住んでいたため、3人でタクシーに乗ることになった。絢斗は一人電車に乗るため最寄り駅に歩きだした。


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