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その音色は誰かのために  作者: 玲於奈
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入社してから、新は不眠症に悩んでいた。アメリカから帰国すると、一般学生と同じように就職活動をして真木不動産に就職した。親の会社だが息子だからかと、そう見られるのが嫌だった。

だが会社に入ると、同じ名字の真木でもありすぐに素性が知れ渡った。

まず新人は、ジョブローテーションでいろいろな部署を回りながら配置が決まる。新はグルーブ会社に所属がきまった。


実力があり、新はメキメキと頭角が現れた反面、ねたみを言う者もでていた。親とは関係ない仕事も考えたが、兄の季彦にそれは誰でも通る道だと、そのくらいで尻尾を巻いて逃げるようでは将来会社には役に立たないといわれた。

そのため新は必至に食らいつき働いた。この生真面目な性格が仇になり、自分でも知らないうちに精神的にダメージを蓄積していた。


ある年、若いため過信したのか、だんだんと食欲と睡眠が満足に取れなくなってしまった。はじめは市販薬を飲んでいたが、徐々に効きが悪くなり、明け方近くまで部屋のあかりが消えることがなく、悪循環に陥ってしまった。気が付いた時にはひどい不眠症だった。

これではまずいと、すぐに閑は自分のいる病院に新の入院手続きをした。


しかし生真面目な性格なのか、負けず嫌いなのか、新は会社を休むことが拒んだ。

だが、日に日に体力が落ち、眩暈も頻繁になってしまい、新自身も認めて3カ月ほど閑の言う通り病院に入院した。


部屋は特別室。落ち着いた部屋でとても病室には見えない。ベッドがある部屋とは別に、続き部屋にはソファ、大型テレビ、冷蔵庫、4人掛けのテーブルがあり、その奥にはシャワー室とトイレがあった。

新は何も考えずに寝る。起きれば、窓を開け新鮮な空気を吸う。眠くなれば寝る。まずは体を休めることを優先した。毎日がその繰り返しだった。

入院して2カ月が過ぎた。すると徐々に体の中にあるなにか固まっている物が解けていくように感じ、しだいに食事も美味しく感じてきた。退院するころには自然と睡眠をするまでにいたった。

ある日、新はその睡眠を誘うものを偶然見つけた。ヴァイオリンの音色だ。


初めは病院が流しているものだと思っていた。クラシックなど聞くこともない新だが、なぜかその聞こえてくる音色が妙に自分には心地よかった。また毎日聞けるわけではなく、昼近くの数分だけその音が聞こえてきた。誰が奏でても心地が良いわけではなく、あの音色だけが自分にしっくりと感じる。後で知ったが、病院に入院している女性が奏でていたらしい。閑に話すと個人情報として名前は言えないが、音大の学生だといっていた。


その後、新が回復して数年。閑は一度だけ新に見合いを進めた。渋る新だが、閑は結婚し、家庭をもてば少しはストレスも緩和されるだろうと考えた。家に帰り、家庭と仕事とのメリハリをつけばと思ったからだ。それにちょうど知り合いが、閑に話をしていたところで、それは新にある社長令嬢はどうかという話だった。


それにたまたまその社長令嬢が、趣味がヴァイオリンと聞いていたのもあった。

それならと軽い考で新に見合いを進めた。しかし、新にとっては返って嫌な思いにしかならなかった。容姿端麗に将来有望だ。ゆくゆくは社長かとそれだけで女性のほうが新にのめり込んだ。

新は即、断りの返事をした。だが断ったが相手にしつこく付きまとわれたため、再度、閑から先方に断りを入れた。しかし、そのご令嬢は諦め悪く、レセプションなどに新が出席するのを調べては必要以上に会いにきた。

そのため見合いの話と聞けばその場で断り、しまいには結婚はしないとまでいいきった。



ある日、新は古い友人に横浜にあるホテルのバーに誘われた。バーは友人である神鳥谷(ひととのや)が持っている会員制のバーだ。時刻は10時を回っている。バーでは生演奏が流れて、日常とは違う時間が流れる。薄暗い空間でローテブルの上には、グラスに入っているろうそくが、オレンジ色にともり、照明もぼんやりと照らして雰囲気を醸し出す。ソファはイタリア製の皮が張られ座り心地がよく、二人掛けが数セットある。また奥にはカウンター席が7席あり、バーテンダーが飲み物を作っていた。人気のため会員でもあるのに完全予約制になっていた。

新は久しぶりの友人と会っていた。久しぶりなのか飲むピッチが早かった。そのため珍しく酔いが回る。


新は、神鳥谷(ひととのや)の話を聴きながら目を瞑る。

すると演奏が終わった。先ほどの演奏者たちが休憩にはいり、その休憩の30分間だけ演奏者が変わった。酔っていた新だったが、なぜかそれが聞き心地よい。すると昔の記憶が頭を掠めた。病気になったため、音に対し耳が研ぎ澄まされたのだろう。その昔、聞いた音色が聞こえてきた。

――そう、覚えている。この音だ。

新はすぐにあの時、聞き入っていた音色だとわかった。先ほどまで酔っていたのが一瞬で目が覚め、辺りをみまわし演奏者を探す。


すると奥では、濃紺のワンピースを着た女性がヴァイオリンを弾いていた。

向こうからは見えないが、新にははっきりと顔がわかった。思っていたより随分と若い。

20代だろうか。色白で肩までの茶色い髪。特に大きな瞳が印象的だ。華奢な体つきだが、奏でる音色には力強さが感じられた。ボーイに新しい飲み物と頼むと、新は瞼を閉じてその音色に聞き入った。すると隣にいた神鳥谷が不思議そうに新に聞いてきた。

「なんだ、おまえにそんな趣味があるのか?」

悪友でもある弁護士の神鳥谷龍一(ひととのやりゅういち)。大学は別だが、中高と一緒で、おまけに弟の一臣の上司でもあり、大手弁護士事務所の二代目だ。

遊んでいるように見えるが新と同じ分類である。新が演奏を聞き入ってしまうと、演奏が止まり、休憩に入った元の演奏者が戻ってきた。つないでいた先ほどの女性はあいさつをするとその場を後にした。

――ちっ、

新は舌打ちをして先ほどの演奏者を見渡した。だがすでに奥に戻ってしまった。

――せっかく見つけられたのに。

しかし、新はあきらめない。とりあえず今日はこのまま帰ることにした。翌日電話で、神鳥谷に自分もバーの会員になると伝え、すぐに手続きをする。


後日、会員になった新は一人カウンターに座った。以前のように酔わずに飲んでいた。ようやく演奏者が休憩に入り、逢いたい人へ変わる。やっと逢える。そう思っていた。

だが新はそれから彼女の姿を見ることができなかった。


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