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「ではよろしくお願いします」
そういってその親子の依頼人は応接室の部屋をでていった。残された神鳥谷はふっと息をはいた。
随分前から話があったが、今日依頼者が事務所に訪れた。
神鳥谷はその案件に少し頭を抱えた。交通事故をおこし、けがをさせ少ないが払えるだけの賠償金を当時に支払った。既に弁護士が示談に持っていき和解が成立して終わっていた。
事故を起こした当時者だから仕方がないが、その彼は数年後自殺してしまった。だが最近になって家族が、息子の部屋をかたづけていた。偶然にも息子が書き残した手紙が出てきた。それかこの案件だった。
運転していた自分が事故を起こしたが、乗っていた友人に悪ふざけをされて運転を誤ったと書かれてあった。当時の責任はすべて彼が償っていた。その悪ふざけが事故を招いたものだという手紙だった。事故を起こしたことは謝罪した。だがそれが原因とすれば家族は納得がいかない。
当時の同乗者たちはなにも罪にならなかった。今になっていうのも難しいが、もしそれがなかったら、事故が起きることもなく、また息子も亡くなることもなかったというわけだ。
すでに賠償し、示談も成立している。それに6年以上もたつ。誰が乗っていたかといわれてもさすがに難しい。神鳥谷は、まずは当時の記録の報告書を手に入れるため、警察に閲覧の申請手続きを部下に頼んだ。
しばらくすると厚い封書が事務所に届いた。
例の案件報告書だ。神鳥谷は封書を開け書類をめくりはじめた。
事故の痛ましさがありありとわかる。たしかに大きな事故の割には亡くなった人がいないのが幸いだ。そして事故でけがをした人たちの名前が載っていた。
するとドアをノックする音がした。
一臣が部屋に入ってきた。
「神鳥谷先生、お呼びですか。」
「あぁ、この間の報告書が届いた。依頼人のいうことはわかるが、どうも相手がね」
読んでいた報告書を机に置いた。すると一臣が、神鳥谷の開いてあるページの指し示したところに目を向けた。
そこには弁護士高藤壮一と書かれてある。
そう、高藤壮一は直樹の父親だ。そして最近、神鳥谷の事務所の近くに移転してくる事務所の代表だった。
壮一の事務所はあまり良い噂をきかなかった。
まあ、そういっても仕事だと、神鳥谷は手にした書類を読む。読んでいくにつれ、怪我をした人たちの名前の一覧を目にする。
軽いものから、いまだに治らないものまで。ただすべて示談が済んでいた。
そこには南条絢斗と書かれた名前もあった。当時大東都大学生と記載されていた。
それを見た神鳥谷はふいに思った。
――そういえばこの間のバーで新が探していた演奏者はけがをしていたな。
神鳥谷は一臣に、ここに書いてあるけがをした人たちが今、どのようになっているか調べるよう、数人のパラリに指示して手分けするように伝えた。
一臣は部屋をでて、神保と数人のパラリに声をかける。
夕方になって事務所に萌が戻ってきた。今日は別件で裁判所に行き、午後は有給を取っていた。萌はこの秋、結婚が決まったため近く事務所を退所する。
そのため時間をみつけては机の書類を片づけていた。
すると一臣が帰ってきた萌に気がついた。
「あれ、今日は午後から休みだったよね?」
「そうですが、片づけが終わりそうになくてできました。」
「結婚式の打ち合わせに行ってから戻ってくるとはね」と一臣がいった。
数時間後、萌が帰り支度をした。まだ一臣たちは残って仕事をしている。18時を過ぎ、先に帰るのに顔を出そうと思った。萌は一臣たちに、休憩がてらにコーヒーを入れて持っていった。
「お疲れさまです。コーヒーをどうぞ」
コーヒーの匂いで一臣が手をとめて一息つくことにした。他の者も皆手を止めて、萌の持ってきたーヒーに目を向けた。コーヒーを配ると終えると、萌が机の上にある資料に気づいた。
「なんだか随分古い資料ですね」
萌がそういうとやたらと分厚い資料を指さした。
「この間の依頼者のもので、随分前のことだから調べるのに時間がかかるのさ」
そう一臣が指差した資料を見た。
たしかに紙が少し黄色かった。それに何度も読み返したのか古臭い。
「今、この事故で怪我をした人たちを調べるのに時間がかかって。でも時間はかかるけれど、萌ちゃんの結婚式は絶対でるから、心配しないで」
一臣はそういい、コーヒーを飲んだ。萌は何気なくその資料に目を向けた。
先生たちには申し訳ないが帰ろうと思っていた時、その資料に絢斗の名前が記されているのを目にした。
「えっ」
思わず萌はその資料を手にする。けがをした人の一覧に確かに絢斗の名前があった。
「えっ、なに?知り合いでもいるの?」
萌の真剣なまなざしに一臣とその同僚たちの顔が一瞬で変わった。
そして萌は他の資料も見た。やはりあの事故のものだった。
「どうして、今頃になって」
「なに、これを知っているの」
一臣を見る萌の顔は、真剣だった。
「実はこの事故で私の友達がけがを負いました。すでに話し合いは終わっているし、けれど、なぜ今頃になって調べているのですか?」
「あぁ。この間、先生のところに依頼人が来たんだ。最近になって当事者が残した手紙を見つけて、それがどうも彼が事故を起こしたのは、同乗者が原因らしい」
一臣たちは当時の怪我人の一人一人を探していた。
だが、そこに書いてある南條絢斗が萌の友人だったと一臣は思いもよらなかった。
「神宮寺、おまえの知り合いなのか」
そう言って部屋のドアの前にいた神鳥谷が入ってきた。
言いづらいのか萌は口を閉じた。
「これは仕事だ、私情はない。ただそれでけがをした人たちが少しでも救われればいいと俺は思うが」
萌はしばらく黙っていた。けれど自分が話したら絢斗はどう思うかと考えていた。
神鳥谷の目は真剣だった。ここに勤めて上司の顔をみればすぐわかる。
「少し、長くなるかもしれません。座りませんか」
そう言って萌は神鳥谷たちと会議室に向かった。
「はぁ、まったく」そういったのは一臣だった。
萌は話を終えて帰った。他のメンバーも少し前に事務所をでた。
今、この部屋にいるのは一臣と神鳥谷だけだ。
「しかし、随分南條さんの人生は谷あり、谷ありと深いですね」
「そういうな。そんな彼女に焦がれているやつもいるから」
「えーっ、そんなやついますか」
するとニヤリと神鳥谷が笑った。
「おまえの兄貴だ。新だよ」
一臣はいきなり神鳥谷に爆弾を落とされて、言葉がでない。
――なぜあの兄貴が? 俺が知らないところでそんなことがあったとは。
結婚しないと言っていたのはいったい誰だよ。




