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放課後君は夜と踊る。ハリボテの月を俺は撃つ。  作者: 空野子織
第1章:黒海銀一郎、彩命術と出会う。
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007 「愛よりも尊い何か」について


「お待たせしました」

 すずりちゃんが寝室から出てくる。口調がですます調に戻り、トーンが硬質的になっている。

「また着替えたの?それが仕事着?」

 なんとすずりちゃん、陰陽師が着るような、いわゆる式服になっている。小袖に袴、その上から水干(すいかん)(たしか)。足も足袋を履いている。全体としてダークな色調のそれなので、いわゆる巫女さんには見えないが、それでも「寺社仏閣方面の方」ってオーラがバリバリ出ている。

「一昨日の最後、七瀬さんにされたこと、覚えていますか?」

「うん。なんかバカっぽいバールのようなもので殴打されたやつでしょ?なんとなく分かるよ。少年マンガで良くある、「主人公を手っ取り早く急成長させるための失敗すると死ぬぞ的なこと言っておいて絶対死なない限界突破オーラ注入」とか、そういう奴でしょ」

 あれ絶対、バール形状である必要ないよな。しかもゲーミングレインボーとかねー必殺技叫んじゃうとかねー、無理して今風にしようとして結局中途半端な昭和レトロになっちゃってるのがねー良くないですよねー。昭和レトロなら昭和レトロって、思い切って行って欲しいですよねー。

「その後、体調などいかがですか?なにか違和感というか、変化はありましたか?」

「正直なんにも変わってない。大丈夫?俺にはやっぱり素質なかったとか、そういうことだったりしない?」

「お腹、失礼します」

 そう言ってペコリと一礼すると、俺のみぞおちの辺りにペタリと右の掌をあてる。ちょっとびっくりするけど、なにか理由もあるだろうということで、されるがままでいる。すると。

「ハァアッ!」

 普段の鼻にかかるソプラノとはうって変わっての、ドスの効いた低い声。この叫び声と同時に、みぞおちにあてられた掌から、乳白色から黄色、紫色の光の渦が湧き上がり、収縮して、ドンッ!っと弾ける。

「うぉっお!」

 みぞおちに、なかなかに大きな衝撃を感じて、思わず身体がくの字になる。何、気功?オーラ?でもなんだろう、物理的なものではないのだろうか。あまり痛みは感じない。

「急にすみませんでした。いかがでしたか?」

「うん、びっくりしたー。精神波とか、そういう感じの?」

「びっくりしただけ……ですか?何か、悪寒を感じたりはしませんでしたか?」

「う〜ん、言われてみると、そうだな、駅の改札前に立ってるお巡りさんに、ジロジロ見られてるような、居心地の悪さが、感じられなくもなかった……かな?」

「そうですか。ではもう一発、強いのいきます。」

 そう断ってから、右手で手刀をこしらえ、俺の左胸にポンっと軽く置いてから、

「セアァッ!」

 先程と同様の精神波的なもの?が、今度はかなりドス黒い色味で手刀に集まってから、スパァアン!と縦一直線に、落雷のように裂けた。

「おうっ!2発目の方がなんか怖っ!気分悪っ!さっきのお巡りさんに職質されたみたい!「盗撮してなかった?」とか、疑われた感じがする!」

「……やはり、相当硬い耐性ができていますね。今私は、銀一郎さんに「殺意」をぶつけたんです。2回とも。2回目は全力でした。一般の方であれば、死には至らなくてもPTSDを起こして、半年は精神科を受診する程度の「殺意」です。銀一郎さんは、びくともしてないみたいですけど」

「あーでもなー、こういうの、会社員やってると、結構あるよ?例によって前の清掃会社なんだけど、営業の女課長がヒステリー起こしてキレたときは、こんな感じで怖かったよ」

「その状況、銀一郎さんになにか落ち度あったんですか?」

「なんにも。でもねー、職場の女性はそんなもんだから。とりあえずキレておけば、自分の責任にならないから」

「ご愁傷さまでした。……銀一郎さんに彩命術の素養が相当にある、ということを伝えたかったんですけど、どうも上手くいきませんね。……受け身でなく、能動的なチュートリアルを、なにかやりたいんですけど」

「すずりちゃん達彩命術師の土俵での、俺のスペックを図りたいわけね。なんか適当な本番の仕事、やらせてみたら?……悪霊退治とか、あったりしないの?」

「そう頻繁にはないんですよ。出てくる時は、ドバっと出てくるんですけど。年末年始と年度末に」


 人身事故が多くなる時期な。もはや東京圏の季節行事である。



「とりあえずさ、俺に彩命術の素養があるらしい、ということにして、話だけ進めちゃうのは?俺に素質が相当あったとして、それで何が変わるんだろう?」

「銀一郎さんの今後の業務内容が変わってきます。当初の予定では、しばらく私の家で生活してもらって、彩命術に少しずつ慣れてもらうつもりでいたんですけど、もうどんどん現場出てもらうのがいいのかな、とも思いまして。ああもちろん、無理のない範囲でなんですけど」

「それは、会社全体を把握してる、もう少し上の立場の人の方に相談するのが、いいんじゃないかな」

 すずりちゃんはまだ23歳。契約社員だとも言っていたし。世間一般では新卒入社1〜2年。自分以外の他の社員がどんな仕事してるのか、まったく分からない年齢だ。

「そうですね。もう今日は遅いので、明日改めて、会社の先輩方と相談してみます」


「だけどさ、なんでまた急に、俺のスペック測りたいと思ったわけ?俺みたいなド新人でもいないよりマシな感じの、急ぎの案件でもあるの?」

「いえ、そういう訳ではないんです。ただ昼間、スマホカバーのイラスト見せてもらったじゃないですか。あの絵の中に、とても沢山、込められていたので」

「何が?」

「想いが。彩命術の行使に欠かせない、もっとも大切な想いが、です」



★ ★ ★ ★ ★



 俺もシャワー浴びさせてもらって、22時になろうという時間。まだ寝るにはちと早いか。

「私の筆書きの仕事、見てもらおうかな、とも思ってたんですけど、今からだと中途半端ですね」

「会社の先輩って、明日はまだ来ないんだよね。また明日、見せてもらうよ」


 俺は部屋着に着替えさせてもらったけど、すずりちゃんはまだ式服を着ている。俺がシャワー浴びている間、ずっとウンウン考え事をしていたようだ。

 急がなくても、のんびりでいいんじゃね〜?って言いたいところだけど、こちらはこちらで無収入の居候、このままでは居心地が悪いのは確か。「見習いの新人クン」は早く卒業できるに越したことはないので、今は成り行きに任せるしかない。寝る前の時間だけど、コーヒー淹れちゃう。部屋が明るすぎると落ち着かない気がするので、照明を半分くらいにする。



「……彩命術の行使には」

 すずりちゃんがゆっくりと語りだす。心の深いところから言葉をすくい上げて、自分自身に言い聞かせるように。


「己の心が一点を目指して収束していることが必要なのです。生まれたばかりの自分。10年前の自分。現時点の自分。明日の自分。遠い未来の自分。同じ方向を向いて、気持ちを一つにしていなければ、強い術を打つことができません」


「人間の脳細胞の、ニューロンネットワークがそういう造りだよね。一つデカイのがどんってあるんじゃなくて、無数の神経細胞が繋がって、電気信号を送り合って、精神を作ってる。大脳新皮質に大脳辺縁系、右脳と左脳、中脳に小脳、それぞれ働きが異なるって言うもんね」

「まさにそれです。「自分の心に参加している全員」が、同じ気持ちをもっていないと、上手く行かないんです」


「ちょうどこの間、それを実感したところ。清掃会社バックレて、自殺しようとしてたじゃない。でも全然出来ないの。オデコの外側、大脳新皮質の先端がさ、死のう死のうとするんだよ。でも周りがさ、全然ついてきてくれないの。家帰って寝たいとか、寒いとか、腹減ったとか、トイレ行きたいとか言ってさ、昨日までと同じように生きようとする。意識のてっぺん、オデコの先っぽだけが生きることを諦めても、脳の奥の方、意識の底の方は、全然そんなこと知ったことじゃないんだよ。俺は生きる。メシ食って寝て身体動かす。それが俺の仕事だ文句あっかってね。難しいよね。生きることも死ぬことも」


「銀一郎さんの生存本能は、それはそれは図太かったですもんね」


 マグカップを手に、すずりちゃんが笑う。式服にコーヒーっていうのが、なんかいいな。




「銀一郎さん、スマホカバーのイラスト、どんな気持ちを込めて描いたんですか?」

「そうだなぁ。……ウチさ。家庭環境がひどいじゃない。会社倒産させた親父と、統合失調症の母親とで。だからさ、結婚は出来ないと、しちゃいけないと思ってたの。相手がいるかいないか以前の問題で。結婚に親は関係ないって言うかもしれないけど、そんなことないからね。「新郎の親族が誰もいない結婚式でいいんですか?」って話で」

「結婚式は重たいですよね、女性にとっては」


「結婚は、失敗することがある。ウチの両親は明らかに失敗だった。そして、結婚の失敗は、大学受験や就職の失敗よりも、重い。なにより子供が不幸になる」

「銀一郎さんが、まさにその子供だった。だから、女性を遠ざけたかったんですね。期待させると可哀想だから」

「40すぎて独身でいると、本当に周りがうるさいんだわ。お年頃のおひとりさまだって少なくないし。もっと酷いとゲイなのかって疑われるまである。だからさ、ゲイではなく、かつ生身の女性にもあんまり興味がない。俺はそれどころじゃないんだっていうことを、察してもらいたかったのです」

「それで、2次元女性のスマホカバー?」

「年齢相応に、萌え絵よりも大人しめな感じにしてね」

「銀一郎さんが描いた絵、見る人が見たら、怖いと感じる絵なんですよ。私は平気ですけど。白拍子の女の子が無表情で、遠くを見てますよね。藤の花にも蝶にも目をくれず。肌は真っ白で。この女の子は、どんな気持ちで、どこを見据えているのだろうと」


「ネタ元があってね。戦前の日本画界に、上村松園って女性画家がいたんです。彼女の「花がたみ」という作品をお手本にしました。興味あったら調べてみて」

「絵から伝わってくる感情が、現代の一般人がまず抱かない感情なんです。そしてそれは私達彩命術師にとって、とても大切な想いで」

「大切な、想い?」

「八百万の神々と、数多の地霊達の協力を得るために、大脳の先端から中脳小脳、脊髄に至るまで、「全心」に抱いていなくてはいけない想い」



 それは……?



「<愛よりも尊い何か>です」



 愛よりも……尊い……。



★ ★ ★ ★ ★




「突然ですが銀一郎さん、人間の感情で一番大切な感情を、ひとまず<愛>であるとします。」

「うん。なんだかんだみんな、そこだよね。やっぱり結婚して子供授かるのが一番だって、みんな思ってるよね」

「ここで質問です。地球上の全生命……菌類、藻類、原生動物、種子植物、魚類、爬虫類、鳥類、哺乳類、人類、神や仏のような霊的存在も含めての全生命……そのなかで、愛という感情を理解できるのは、どこからどこまでだと思いますか?」

「人間以外だと……ペット動物は、分かってそうだよね。犬とか猫とか。……子育てする胎生動物?は分かるんじゃない?あとヒナを育てる鳥類か」

「魚や爬虫類、そして植物はどうですか?」

「卵産みっぱなし、種や胞子ばら撒いて終わりだよね。そこらへんは無理っぽいかもね」

「それでは、魚や植物には、なんの感情もないのでしょうか」

「サケはものすごく頑張って、産まれた川に登ってきて、産卵して死ぬんだよね。桜も藤もひまわりも、季節に合わせて綺麗な花を咲かせるよね。そこには確かに、単なる生存本能以上の何らかの想いが、あってもいいと思うよ」


「それでは、人間はどうでしょう。パートナーや子供との縁ができずに、孤独に年老いてしまった女性は、いかなる想いも残せないまま、一人死んでいくしかないのでしょうか。あるいは十月十日を迎えることなく、中絶手術により命を絶たれた水子達の心には、いかなる想いもなかったのでしょうか」


「すずりちゃんたちは、そこに想いがあっていいと考えるわけだね。愛という感情を誰かと育む機会に恵まれなかったとしても、そこで終わりではないと。olternative higherが、愛に負けない高レベルの感情が、宿りうると、そう考えるわけだね」


「銀一郎さんは、どうですか?なにか心当たりがありますか? <愛よりも尊い何か>」


 すずりちゃんと会ってまだ3日目か。これまでで一番真剣な眼差しを向けられる。「オマエだって分かってるんだろう?」って眼差しだ。はぐらかしちゃいけないやつだ。



「生きることに対してプラスでいること、という答えで、いいだろうか。<生に対して正でいること>。この<正>はrightでなくてplus。プラスマイナスの、正。」


「その気持は、愛とはどう違っているんでしょう?」


「就活行き詰まって、マンガ家目指すことにしたって話したよね。その選択自体が狂ってるって気もするけど、そこはまぁ置いておいて。でもさ、やっぱり難しいんだ。なにもかも。絵だって子供のころからずっと描いてた訳じゃなくて、デッサンだって全然できないズブのド素人が20歳過ぎてから絵描き始めた訳で。それはそれはしんどかった。それで疲れてくるんだ。単なる肉体疲労じゃなくて、「生きること」に疲れてくる。「もう頑張れないかも」って考え始める。そんな頃にね。なんかのきっかけで、ちょっといいパティスリーの焼き菓子食べたんだよ。カヌレって焼き菓子。一時期流行ったよね。すんごい美味しかったんだ。うひゃぁうめぇ、こんないいものが世の中あるのかって、生まれて始めて「元気を分けてもらった」って感じがしたな。これがあれば「もうちょっと頑張って生きていこうか」って思ったの」

「私も知ってますよ。カヌレ。おいしいカヌレは外側と内側とで、「甘さ」のコントラストがあるんですよね」

「それから、スイーツをテーマにしようと思って、製菓の勉強とか、食べ歩きとかするようになった。まぁスイーツマニアを始めた訳。パティシエの主人公を男の子にしようと思ったんだ。少年マンガやるつもりだったから、闘うパティシエマンガをやろうと」

「パティシエの男の子ですかー。なるほどなるほど、ンフフ」


 なんか、すずりちゃんがニマニマしだした。


「少年マンガの題材としてスイーツを扱うわけなので、やっぱり考える訳です。「世界で一番おいしいケーキとは?」って。当時はカリスマパティシエブームあったし、六本木や丸の内の再開発で、パリの有名店がバンバン出店するような頃だったから、教材には事欠かない。で、有名店の代表作を実際に頂いて、自分なりのスイーツ観を作っていった」

「私も好きですよ、バラとライチとフランボワーズの、あのケーキ。ケーキって言うと、なんか安っぽくなっちゃいますけど」

「うん、青山のお店のね。……今度一緒に食べに行こうか。あぁでも、青山に着ていく服がない。服を買いに行く服もない。……で、「世界一美味しいケーキ」を考えた時に、そこにはやっぱり何らかの魂的なものが込められるだろう、とは思ったんだけど」


「そこに込められるのは、愛じゃない?」


「うーん。主人公がさ、一菓入魂!みたいなことするシーンを考えるんだけど、そこで愛がでてくるのは違うよなと。愛ってさ、お母さんが自分の赤ん坊に抱く感情ってことだよね。一方的で独善的で、なんか上から目線じゃない。それは違うなと。フランスのパティスリー文化では、パイ生地を大事にするんです。フィユタージュ。それは大地の恵み、小麦の収穫への感謝を表してるんだって。「大地への感謝の気持ち」っていうのが、もう愛とは違うものでしょう」

「一瞬だけ脱線すみません。銀一郎さん、「千五百(ちいほ)産屋(うぶや)」ってケーキ、ご存知ですか?」

「知ってる知ってる!今から10年くらい前、めっちゃ人気だった奴でしょ!?「La Marie du Ciel」って人気店の奴!いや、俺も食べたかったんだよ。でもいつ行っても行列すごくてさ、イートイン限定って男一人じゃ入りづらいし。いつかは一度はって思ってたけど、マンガ家諦めて、清掃の会社に入ってからはなかなか行けなくて、そうこうしてるうちに、閉店しちゃったんだよなぁ、マリエデュシエル。いやーあれは、残念だったわ。……フランスの伝統菓子ミルフィーユを、日本版にアレンジしたものだよね、「お米」を主題にしてさ。一度も食べられずじまいだったけど、まさにあれを、お手本にしてました。すずりちゃんもしかして、食べたことあるの?」

「フフフ……内緒」


 すずりちゃん、なんだ、すんごい嬉しそうだな。食べたことあんのかなーいいなー。10年前だと下手すりゃ小学生だろう。ませてんな。


「話を戻そう。菓子職人に限らず、職人の世界では自分の作品に「魂を込める」って言うじゃない。そこに込められる魂はどれも<愛よりも尊い何か>でありうると、思ってる。で、俺がさっき言った<生に対して正でいること>っていうのは、菓子職人がまごころ込めて作ったケーキや焼き菓子に宿っている、気持ち。生きる力がゼロになっちゃった人間を、回復させる気持ち。人生に疲れ果てて自殺寸前になっている人を、「もうちょっと頑張ろうかな」って前向きにしてくれる、そんな気持ち」


 ちなみに。

 オマエ数日前まで自殺寸前だったじゃない、カリスマスイーツで回復できなかったの?って思われたかもしれない。もちろんやりました。逆効果でした。「もう殺す!」の方と偏頭痛が、どんどん大きくなっていきました。脱線すみません。




★ ★ ★ ★ ★



「お話、ありがとうございます。銀一郎さんは、そんな感じで、よく分かってらっしゃるんです。<愛よりも尊い何か>がありうることを」

「ふむふむ。すずりちゃんの中にも、それがあるということだね」

「はい。私の<愛よりも尊い何か>は、<敬葬>です。私一人が勝手にそう呼んでるだけなんですけど。理不尽な事故で、大切な人を突然失うこともある。大切な人が、自死を選ぶこともある。そんなときでも嘆き悲しんでそこで止まってしまうのではなく、死別の定めと正面から向き合い、その別れに対して最大限の敬意を払い、誠心誠意のお見送りを、弔いをする。そんな気持ちです」

 語りながら、すずりちゃんは目を閉じて天を仰ぎ、両手を組んで、静かに故人を想う。愛してくれた人、愛してあげた人。もうお互いにその想いは届かないけれど、「想い続けること」はできる。その想いの中身が、愛とは別の何かになったと。「故人を偲ぶ」とも言うよね。


「「故人を偲ぶ」。そういう言葉もありますね。……そうか、その言葉でよかったかもしれません」

 しばし無言。……すずりちゃんは静かに天を仰ぐ。

 俺は窓から外を眺めて、コーヒーをすする。数十秒?数分?の、沈黙。黙祷と呼ぶほど大げさではないけれど。

「…ありがとうございます」

 すずりちゃんのお礼の言葉で、沈黙が終わる。

「銀一郎さんにも、あったんですか?大切な方との、お別れ」

「ぱっとは誰も、思い浮かばない。高校のときのあの子も、ちょっと違う。……強いて言えば、自分かな」

「銀一郎さんご自身?」


「「人生終わった」って思ったこと、何度もあったから。大学受験にも就活にも失敗した。マンガ家にもなれなかった。とくにマンガ家は、まだ頑張れたかもしれないのに、諦めちゃったから」

「というと?」

「出版社に持ち込みしたんだ。3回。3回ともダメだった。3回目で「30歳すぎてこの程度では、もうウチでは無理」って言われて、諦めた。他の出版社に持ち込んだり、同人でやることもできたはずだったのに、やらなかった。「マンガ家を目指していた自分」を切り離して、ソイツが死んでいくのを、傍でずっと見ていた。……そんな感覚が、あるんだよね」

「どうしてそこで、止めちゃったんですか?」

「一番の理由は、東北の大震災かなぁ。最後の持ち込みがダメで、いよいよ諦めた一ヶ月後だよ、あの地震。あれで世の中の空気、ガラって変わっちゃったじゃない。闘うパティシエマンガで勝負するつもりでいたけど、世の中がスイーツどころじゃなくなっちゃった。東北でみんな喪に服してるのにウェディングケーキかよ、って、俺自身も思ったし」


 すずりちゃんはコーヒーを一口含んで、気持ちを仕切り直す。少し大きめに息をついて。


「……時代、ですね」

「時代?一昨日もそんな事言ってたよね、七瀬さんが」

「「マンガ家を目指していた銀一郎さん」を死に追いやった犯人です。私達、彩命術師が最も警戒し、忌み嫌う「敵」です。心理学で言うところの集合無意識?あれとは少し違うんですけど」

「時代かぁ。確かに理不尽だよね。生まれた年がほんの少し違うだけで、就活の難易度とか全然変わってくるもんね。ホテル業とか、コロナ直撃だっただろうし」

「自然災害やパンデミックといった「災厄そのもの」ではないんです。「災厄そのもの」は、科学の力で対策することができますよね。堤防を高くしたり、ワクチンを打ったり。けれど、人々の心の乱れに対しては、対処、対策が非常に難しい。コロナ禍の始めの頃、トイレットペーパーが品薄になりましたよね。「アレ」です」

「「モラルハザード」?確かに昔より、多くなってる気がするね。おいおいみんな、どうしちゃったの?っていうの」

「はい。状況はとても深刻です。根本的な対処が難しい。世界のどこかでだれか一人、ラスボスを倒してしまえば解決、とはいきませんから」


 すずりちゃんとの会話をちょっと止めて、「時代」と呼ぶ「ソレ」の中身が何者なのか、この街の意識の深層に思いを馳せてみる……。




大変だ大変だ。

武器をとらなきゃ戦わなきゃ。

誰でもいいからやっつけないと。

私よりも弱いやつなら、誰でもいいから。

私はこんなに戦ってるから。

だから誰か、私を助けて!




 ……どこからともなく、こんな言葉が浮かんできた。うーんこれはちょっと。野生動物だって自分の飢えを満たせたらそれ以上の狩りはしないというのに。自分だけは助かりたいから弱い者いじめをします?いくらなんでもあんまりじゃないか?もし日本に神様たちが本当にいらっしゃるのなら、そろそろなんとかして欲しい。祟りとか、天罰とか、そんな感じの。


 そんなことを考えてしまう。……俺、東京の集合意識とか、見えたっけ?あとそれと、「日本の神様たち」の誰かと、つい最近何かあったような……。あ、あれ?



「あのさ、一昨日の話の続き?なんだけど、俺に黄泉津大神さまの分霊がいて、それが大きくなって、「殺す殺す殺す」ってなっていたというお話は、もしかして」

「「時代」に対しての敵対心を増大させていた、というところだと思います。別に何かのメタファーだとか、そういう話ではないんですよ。まぁ神様たちのみんながみんな、全知全能とはいきませんで、根本的な解決には、繋がっていないのが残念なんですけど。少なくとも八百万の神様たちも、このままじゃまずいかも、という危機感はあるんです。表立ってご自身のお宮をほとんど造ってもらってない「黄泉津大神」さまですら、そうなんですから、高天原は、もっとずっと大騒ぎですよ。このところずっと」


 そうなのか。しかしすずりちゃん、高天原の神々の事を、あたかも知り合いみたいに話すんだよな。直接会ったことがあるのかな。


「高天原の神様たちにも問題、というか限界がありまして、みんな古い時代からの神様ばっかりじゃないですか。で、昔のほうが今よりもずっと人々の信仰が篤かったわけですよ。昔の人達のほうがずっと必死に、神様に祈っていました。なもんだから、神様たちの意識が古いままでアップデートされてなくて。五穀豊穣とか雨を降らせてとか、そういう願いばかりだと、思ってるフシがありまして」

「あれだろ。田舎から上京して何年も経って、すっかり東京に染まっちゃった娘さんに、よかれと思ってドッサリみかんとかサツマイモ送りつけてくる、農家のおばあちゃんだろ」

「そうそれ。まさにそれです」


 今から30年くらい前か。平成になってしばらくの頃は、まだスマホもネットもなくて、東京と地方の情報格差は今よりずっと大きかった。戦時中の貧しさを忘れられない田舎のおばあちゃんと、都会の現実に潰されそうな東京のお母さんとでは、お互いの苦労を分かってあげることが出来ず、どの家庭でもギスギスしていたのである。

「たまには帰っておいでな〜」

「うるさい!」

 みたいな感じで。今思い返すと、とても勿体無くて、さみしい話だ。その点では、スマホとSNSが行き渡った現代の方が、親子の仲は良好なんではないだろうか。そうだといいな。




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