表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後君は夜と踊る。ハリボテの月を俺は撃つ。  作者: 空野子織
第5章:黒海銀一郎、八百万単(やおよろずのひとえ)と遭遇する
51/61

048 三者三様、それぞれ絵描きの道を歩む①



 若冲先生との武者修行も無事終わり、アニメ制作を継続させて頂く。

 散々大騒ぎしていた元首相の国葬も終了し、北の丸公園も普段どおりに戻った。



 老松白鳳図モドキで得た課題を踏まえ、次のショートアニメはこんな感じで進める。


・カメラは動かさずに、ロボ娘のバストアップの構図で。

・色や光の変化だけをアニメにすることをやってみる。

・せっかく「形のながれ」「形のこころ」を学んだので、木の葉を少し、動かしてみる。



 俺のアニメ制作の作業過程については、お伝えできることは最早この程度。

 後ほど結果について、お見せします。




 その代わり、二人の画力向上トレーニングの状況をお伝えします。



 まずはすずりちゃん。

 初め「眼をつむって正円を描く」訓練を、少しやってみてもらったが、案の定既に出来る状態だった。さすが。


 次のステップとして、「眼で形をなぞる訓練」をやってもらいつつ(1日15分、自宅にある適当な小物を見るだけでOK)、もう一つ「色スケッチ」っていうのをやってもらうことにした。


 俺が使っているものと同じタブレットとアプリを持たせて、さらにネット調達した「画板として使えるタブレットケース」なるものを持たせて、外に出る。


 タブレットケースを肩からぶら下げて、タブレットをお腹の前で支えるのである。利き腕の反対でタブレットを手持ちするより(すぐに肩凝る。5分が限界)、ずっと楽。



 出先で立ったまま、気に入った街並みや空、雲の流れ、日光が作る陰影など、気に入ったものをザクザクとごくあっさり、形をとらず、「色だけでスケッチ」してもらうのだ。



 美術ではクロッキーと言って、鉛筆とクロッキー帳だけもって外に出て、街の風景や人物の「形」を、ざっくりと黒一色で捉える訓練をやるけれども、それのフルカラー版。


 タブレットだったら、絵の具を用意しなくても、何色でも使いたい放題、グラデーションかけ放題。ブラシだって選び放題。


 これは本当に、ここ5年程度の間に、タブレットが出てきたからこそ出来るようになった訓練法だ。

 マンガ家目指してた頃の俺は、色彩の感性を磨く訓練をする機会がなかったけど、これは今の時代ならでは。

 初期投資さえ済んでしまえば、エクストラコストもかからない。


 それを最初っからやれるのは、相当強いと思う。

 これから先、子供の頃からタブレットで絵を描いてきた若い才能が、今までになかった表現をやってのけるようになるだろう。


 俺としては週に3日くらい、都内の公園などに出かけてやってもらうことを想定したのだが、すずりちゃんは毎朝のデイリーのときに携行して、デイリーのついでに色スケッチをやるようになった。


「日中帯だと日差し強すぎて、バックライトMAXにしないと見えないんですよ。バッテリーがもったいなくて」

とのこと。



 すずりちゃんに伝えたコツが一つ。「一回の筆さばきにつき、レイヤーを一枚」使うこと。


 アプリのスペック上の制約だったり、あるいは制作時の管理上の問題だったりなどで、一般にはレイヤー使用枚数は少ないほうが良いとされている。

 グリザイユ画法っていう、使用レイヤー枚数を少なくする技法もあったりする。


 なんだけど、すずりちゃんがやりたがっているのは、水墨画のような表現。墨の濃淡による繊細なグラデーションは、現状のペイントアプリの機能では、カスタムブラシを駆使して再現しようと頑張るより、濃く太く描いた線に「ぼかし」をかけるか、レイヤーの透明度を調整するほうが、てっとり早いかなと思って。




 すずりちゃんは広い画面にガッツリパースが効いた世界が広がる、そういう絵は志向してない。


 ハガキ一枚に鶴を一羽。あるいは夕焼け空にカラスが一羽。そういう表現を繊細にやってみたいと、そのような方向性。


 なので、レイヤーをたっぷり使っても、問題ないのだ。



 もともと筆書きによるメッセージで、多彩な色を使っていたすずりちゃんである。


 形をとらなくても、色だけで様々な表現ができることが分かれば、絵を描く楽しさが実感できると思ったのだ。




 すずりちゃんはすずりちゃんで、やりたいと思っていた表現を見つけることができたようで。


夕焼けの空を映して、七色の光が揺れる神田川。

しっとりと灰色がかる、雨の日の聖橋。

新月の夜、シャッターの降りた古書店街の街並み。

東からまっすぐ、朝日を浴びる靖国通り。


 お母さんと過ごした思い出がたっぷり詰まっている神保町の様々な表情を、古い東洋的(オリエンタル)なタッチで、切り取ることの楽しさを覚えた。




「いや、あくまでも私は、翠菜の仕事を手伝うことだけを考えていたんですけど、これは……「神保町とさらに仲良くなれる」感覚は……正直想定してませんでした……すごく、すごく楽しいです」


とのこと。いや、よかったよかった。


 静物の形状を正確に捉える訓練や、パースの感覚を磨く訓練は、後回しでいいだろう。


 すずりちゃんはあまり実写寄りの表現には行かないはずだし。とにかく「絵は楽しい」と、そう感じてもらうことが大事かなと。



「しかし銀さん……これを続けていって、キャラクターグッズ作るのに私ちゃんとお役に立てますかね?」


「いける。今あるキャラグッズは、いかにもイラレで作りましたって、綺麗なタッチのものばっかりだから。アナログタッチのグラデーションが効いたキャラグッズだって、作れるんだ。……例えばさ、女の子を「顔を出さずに表現する」の。女の子のかわいさは、顔描かなくたって、「手」を描くだけで十分表現できるんだ。着物着せて、マカロン持たせて、ちょっと華と毒のあるネイル乗せて。そこに蜂が飛んでくるとかさ。そういうキレのある表現を、和風トーンでやってのけたら、他のキャラグッズブランドとの、いい差別化になる」


「あーなるほど。女性がネイルに乗っけてる「情念」を、グッズに落とし込むんですね。……あの……銀さん」


「ん?」


「どうして銀さんは、そういう発想を、「自分の作品」でやらないんですか? 実はその気になれば、もっとウケをとれるんじゃないですか? 今のアイデア、NFTでやれば、もっと評価されたかもしれないのに!」


「「中の人はオッサンです」ってだけで、お客さんは白けちゃうから。この時代と向き合ってる女性だからこそ引き出せる共感っていうのが、あるんですよ。それは昭和生まれのオッサンじゃ、だめなんだよね」


「そういうもんですかねー」


 外から見てると分かるんだけど、当たり障りないだけの人生に背を向けて、自分だけの世界を作り上げるために懸命に頑張っている女性ならではの「いじらしさ」があって。俺に限らずオジサン方は、そのような「いじらしさ」に弱いのである。



  ー とまぁ、ひとまずこのような具合ですが……ここまでで、若冲先生としては、いかがですか?


ー 『いや、ひたすら、ただただうらやましいわ……描いても描いても描いても描いても、絵の具へらん。それが、どこでもやれる……夜の北の丸で、月が映る池とカエルを、見ながら描くこともできる。……上野に行けば、孔雀や虎もおるんやっけ? 「水族館」っちゅうのが、あるんやっけ? 眼の前で動く金魚を見ながら、「いろすけっち」やれるわけやろ』


ー そうですね。押上の水族館は、下町らしさを重視してるので、金魚たくさんいますね。色々にライティングされて、クラゲもいますね。


ー 『いや……これはホンマに凄いことやで、銀さんや。「虎が娘に化生する」。そんな絵の修練が簡単にできるやん……いや、凄いで』


ー そっか。虎から少女へのメタモルフォーゼを、アニメでやると面白そうすね。俺も色スケッチ、やろうかな。


ー『すずりちゃんは、今はまだ、好きなだけ遊んでもろたらええ。鶴とか亀とか描きたくなったとき、自分の描いたもんをお客に見せる時になったら、改めて見せてもらうわ』


ー 分かりました。



 すずりちゃんについては、こんなところである。







 それでは、翠菜の方。


 もともと中高一貫、私立のお嬢様学校であることに加え、ここ数年はコロナ禍により、学校行事はやれずじまい。修学旅行も文化祭も流れて、その代わり、どんどん授業を前倒しで進めていたそうで、翠菜の二学期はスカスカだ。

 一応毎日学校へは顔を出しに行くのだが、行ったら行ったでほとんどみんな自習室。推薦やらエスカレーターやらで既に進路が決まっている生徒はごく一部。仲のいい友人たちに一通り顔を合わせたら、翠菜はすぐに帰ってくる。


「ウチの学園、大学は大したことないから、みんな受験で必死。私は居心地悪くて。……コロナは収まりそうだけど、もう気取った客室(キャビン)乗務員(アテンダント)って時代じゃないよね」


「「スマホの下の平等」とは言わないけど、世界的にフランクな気分になってそう。訪日客もみんな普段着だし。タイトスカートにストッキングにハイヒールより、ジャージにスニーカーでよくね?ってなっていくよね。客室(キャビン)乗務員(アテンダント)も、「フライトクルー」って呼ばれるようになるんじゃない?」


「スマイル0円の国際便だね」


「それを寂しいと感じるのは、昭和オジサンの時代遅れの感性かな」



 時間に余裕のある翠菜には、これまでのIT方面の勉強に加えて、「眼で形をなぞるトレーニング」と「眼をつむって正円を描くトレーニング」を、一日30分ずつやってもらう。


 加えて、カメラを買い与え、とにかくどんどん好きな場所へ行って、好きな場所、好きなシーンを撮ってきてもらうことにする。






 しかし意外なことに、カメラ調達が非常に大変だった。




 俺が第一候補に選んだカメラは、某日本メーカー製の、24mmからの40倍ズーム機。6万円強。



 画角の勉強用としては、ちと高い。



 絵描きとしては、広角24mmは絶対譲りたくないのだが、望遠側は960mmなんて必要ない。200mmで十分。最悪の最悪、100mmでもいい。


 第二候補。3万円台のエントリーモデル。24mmからの10倍ズーム機。これでいいんじゃないか。だけど最近のコンデジはスマホに敗けて、消滅寸前。

 どのモデルもコスト削減の影響がモロに出てたりするから、エントリーモデルだとすぐ壊れちゃうかもなぁと、そのように考えていたのだが。



「銀さん、ここはしっかりお金をかけていきましょう。もっといいカメラでもいいですよ? 一眼でもいいですよ?一眼でも」


 との、家長のすずりお姉ちゃんから、めずらしい提案があった。


 9月末の某日、夕飯後。翠菜はデイリー。





「ありがとう。だけど真光が言うように、カメラの世界は本当に沼だから。……それでは長く使えそうな40倍ズーム機でお願いします」


「本当にそれでいいんですか? 一眼でなくていいんですか?」


「いい。俺はコンデジのエントリーモデルから高倍率ズーム、APS−Cの一眼レフ、フルサイズのミラーレス一眼、一通り使ったんだけど、うん。俺に残ったのは「画角の感覚」だけだった。フルサイズ機で星景写真もうちょっとやりたいって気持ちが少し残ってるけど、基本写真はもういいかな?」


「あれでしょう、銀さん。ジョカの相を開いて、バンバン散財してたんでしょう?……その銀さんでも、写真自体がもういいと?」


「うーん、イン○タのせいだと思うんだけど……結局「いい写真」を撮るための努力って、ほぼほぼ、札束の殴り合いだから。フルサイズに大玉つけてRawで撮ってAdobeで加工ってね。頑張ってる人たちが、すごい綺麗な写真イン○タにあげてるけど、めちゃくちゃ加工してたりして、その上ハッシュタグ30個つけて投稿してるの見て……なんか冷めた。Rawで撮った写真をめっちゃ加工して、彩り豊かな表現やってるけど、「ここまでやるなら絵でいいだろう」ってとこまで来ちゃってて。「色スケッチ」で色彩の感覚磨けるの分かったから、もういいかなと」


「ちなみに……エントリーモデルと高級機って、違うところはどこなんですか?」


「重要なのは2つ。色調の繊細さ緻密さと、機械の耐久性。耐候性って言ったほうがいいかな? エントリーモデルとフルサイズ機では、撮像素子っていう、入ってきた光をデジタルデータに変換するセンサーのサイズが違ってまして。このセンサーが小さいか大きいかで、色調の豊かさが変わる。エントリーモデルでは真っ暗で何も映ってないような場所が、フルサイズ機で撮ると、すごく繊細な闇色を出してたりする。……そう。コピ○クで遊ぶ代わりに、色の感性磨きたくて、高いカメラ買ってたんだ、俺。今思い返すと。だけどそれはもう、「色スケッチ」やれるようになったから、必要ないかなと。耐久性・耐候性はね。高級カメラは、冬の雪山とかアマゾンの奥地とか、人間にとって過酷な環境で使われる事が多いから、それなりしっかり作ってあるの。少しくらい雨かかったくらいじゃビクともしない……スマホの防水性とは、また違うんだよね。……翠菜はカメラマンになるわけじゃないから、そこまでの高級機はいりません」


「ふ〜ん、そんなもんですか……以前関わりのあった手良沢さんじゃないですけど、しっかりしたカメラ持って、真面目に写真に向き合う女性は、なんかかっこいいと、私思うんですよねー」


「そうだね。「お化粧に頼らない生き方」って、そういう気配があるよね。手良沢さんは、モノクロ写真の良さを大事にしてたからね。ああいう路線はアリだと思うんだけども」


「「お化粧に頼らない生き方」。そうそう。言挙げするならそれです。私の母に通じるものがあるかなと」


「そうだね。水墨画や書道と通じるのは「引き算の表現」っていうところかな。よくね、以前は「写真は引き算」って言われてた。今みたいにベチャベチャ加工するのはイン○タ流行ってからだから」


「イン○タ以外の写真作品の発表媒体があればいい感じですか?」


「そだね。この間若冲先生と話したけど、「作品展示の場所がスマホ以外にない」のがよくないって結論になった。写真でもそうなんだよ。イン○タだって、凄いトリミングと圧縮やるんだもん。トリミングされたものしか投稿できない。……あーあのトリミングがあるから、ベチャベチャ化粧するようになったのか? 今の写真家」


「……あのですね、銀さん。私の本音をここで話すと……今回、翠菜のために買うカメラなわけですけど……ゆくゆくは、私も使いたいなぁと」


「手良沢さんのように、渋い写真を、撮ってみたいと。そのために、この機会にいいカメラ買ってしまえと」


「翠菜の初仕事になりそうなので、会社がお金を出してくれることになりまして」


「今回に限っては、予算無制限でいいってことだね。……だけど、2台はいらないでしょうと」


「七瀬さん、お金出すの渋る人ではないんですけど、銀さんや繭さんのように、ジョカの彩気で「大☆散☆財」する人がですねぇ、ウチの会社いるので。なにかの拍子に、私や翠菜がいつの間にかジョカの相を開いてたっていうことも、ないとも言えないんです。なので買い物するときは、きちんと必要性を言語化しなさいと。そういうスタンスでして」


「なるほど……だけど、いらん。星空や雪山を撮りに行かない限り、いらん」


「え゛え゛〜?」


「色調の豊かさ以外だったら、あとは「ボケ味」くらいしか残らないもん。絵だったらさ、ボケ味なんて簡単だもん。スプレーで色ならべるか、レイヤー一枚敷いて「ぼかし」いれるだけだもん。写真家は絵を描けないから、カメラにさまざまな性能を求めるんです。カメラに頼るの。俺達は絵描きなんだから、カメラに頼らなくていいの」


「銀さん、そこをなんとか。私この間から「色スケッチ」を始めて、気づいたんです。私は神保町の、「街の空気」を、残す努力をしてこなかった。本と言葉だけ、残して満足してしまっていました。しかしそれではダメなんです。昭和から続く古書店が残っているうちに、「街の空気」を残しておきたい。そのために……やっぱり、いいカメラとキレのあるモノクロ写真が、かっこいいじゃないですか」


「すずりちゃん、気持ちは分かるよ……「昭和と繋がってる」ってテイストは、水墨画じゃぁ出せないもんね。モノクロ写真にしか記録できない「空気」はあると思う……でもさ、「すずりちゃんの自分のお金で、買えばいいじゃん」」


「嫌です! 「あやしろビル」の建設目指して、必要最低限の生活費以外は、積立や外貨預金に回してるから、引き出したくないんです! お願いします銀さん! 上手な口実を添えて、高性能カメラにしてください! 私も翠菜もリリス開いてないんで、嘘つくと一発でバレちゃうんです! 20年もの七転十倒のご苦労が染み込んでいる銀さんの言葉には、重みがあって、七瀬チェックもユルユルだから! 是非是非、お願いします!」



 あーもう。小金持ちほど、ケチになりよる。少子高齢化に次ぐ、日本経済停滞の原因なんだぞ。



「分かった。でもね。それでも一眼はいらない。大きく重たくなっちゃって、持ち歩くのがかったるくなる。外出するときは必ず携行して、シャッターチャンスに出会ったらすかさず撮るのも、写真では大事だから。……神保町の空気を残せればいいんだよね? 雪山行くわけじゃないんだよね?」


「はい。本当に、神保町だけでいいです」


 だけどあれだな。すずりちゃんがここまで物欲むき出しにするのは、実にめずらしい。「神保町だけは特別」なんだよな。その気持は持ってていいと思う。てか、正直に話せば、七瀬さんだってオーケーしてくれるだろう。……絵心を開くことになって、すずりちゃんの眼にも、今まで見えなかった世界が、見えるようになったのだ。



 うんうん。大変結構なことである。



 ……というわけで、二人の「画角の感覚を磨く」ためと、「神保町の街の空気を残す」という二つの目的を果たすカメラとして、上記2候補からではなく、1.0型の(コンパクトとしては)大型のセンサー、対応画角24mm〜120mmの、ハイエンドモデルを改めて、第一候補とする。



「本当に、一眼でなくていいんですか?」


「一眼でなくていいです。一眼にするとね、大きくて重たい上に、どんどん新しいレンズ欲しくなるから。高いレンズだと20万とかするよ?」


「ぐはっ。それは厳しい」


「写真という趣味の、怖いところ。いいカメラ買って、いい写真が撮れる。もっといい写真を撮りたくなる。そのためにもっといいカメラが欲しくなる。もっといいカメラを買うともっといい写真、難しい写真を撮りたくなる。南半球の星空とか、金のかかる遠くまで写真撮りに行きたくなる。 そんな風に、どんどんお金がかかるようになるんだ。心を強く持って、線引をつけないといけない」


「つまり銀さん自身は、線引をつけてしまったんですね。カメラは買わないと」


「いやほら、もうアニメだから、俺は」


「そうか」




 なのだが、ここで想定してなかった事態に直面する。


 ネットで価格帯を下調べしてたら、購入候補のカメラ達が、軒並み「入荷待ち」になっていて……よくよく見ると、「4ヶ月待ち!?」



「なん……だと……?」


「コロナによる半導体供給不足って、まだ続いてたんですか?」


「そうなのか?……いや、いくらなんでも……あれか? コンデジもう売れないから、ミラーレス一眼に振ってるのかな。あるいは中国や他のアジア諸国のほうが需要が安定してるから、もう日本には回さなくていいやってことなのかも」


「P○5も出回ってないって言いますもんね」


「自国のメーカーの売り物を買えないって、寂しい世の中になっちゃったな」



 ネットでは在庫状況が分かりにくい。せっかく二人ともやる気になってるし、二学期ヒマヒマな翠菜の状況も無駄にしたくない。4ヶ月待ちとかやってられん。


 時刻は20時前。アキバまでは歩いて20分ってところ。


「ちと、ヨ○バシ行ってくる」

「銀さん、私も行きます」


 すずりちゃんが神保町出るとか珍しい。二人して閉店30分前のヨド○シ。


「うお、本当に、全然ねぇ!」


「日本人が日本企業の製品を買えない……これが、時代……!これが、令和……!」



 なんてことだ……マジでショック。

 ずっと長いこと見慣れていたヨド○シ3Fのコンデジコーナーは、丸ごとなくなっていた。代わりにVlogコーナーになってる。

 動画配信者向けの小型デジタルビデオカメラや、サークルライトなどが並んでいる。


 フロアを歩き回って、どうにかコンデジの売り場を見つけるも、全てのモデルが「在庫の有無はスタッフにご確認ください」になってる。



「すずりちゃん、第一候補のカメラは、数年前からもうモデルチェンジしてなくて、結構中古が出回っている。明日以降改めて、中古屋をまわって確保する。それでいいだろうか?」


「待ってください銀さん! こっち、ミラーレス一眼なら、在庫有りの品があります!いっそのこと今回、こっちにしてしまいましょう!」


「いや、だから、一眼はかさばるからダメだよ!」


「翠菜と、私しか使わないんです。翠菜だって、「画角の感覚」を磨いたら、もう必要ないんでしょう? あの子は若くて頭もいいから、すぐに「画角の感覚」を開くでしょう! すぐに私専用機になるんです。私は神保町以外で使わないから、かさばったって問題ないんです!」


 うわーなんてことだ……それでも姉か。いや、姉だからこそか。妹のこと、全然考えてねー。



「ああなんということでしょう! 丁度手元に、ヴィ○ンの長財布の中に100万円の現金が! こんなこともあろうかと、予め七瀬さんが財布ごと預けてくれたんです!」


 うん。七瀬さんは、ヴィ○ンだと思ってた。クリーム色のダ○エである。エル○ス、シャ○ルに行けても、あえてヴ○トン。七瀬さんはそういう人。

 じゃなくてじゃなくて、ちょっと待って。


「銀さん、状況は非常に深刻です。時代の魔の手が、ここまで侵食しているんです! 現在店頭にあるミラーレスだって、いつなくなってしまうか分かりませんよ? 同人誌(ホン)と一緒です。一期一会。出会ったときにお迎えしないと!!」


 なんてことだ。こんなときに同人娘の(サガ)を発揮するとは。



「すずりちゃん落ち着いて! 当初本来の目的を忘れてはダメだよ! 翠菜のソシャゲを成功させるためでしょう!? 首から一眼ぶら下げて、古書店回るのは、あくまでもサブの目的なんだよ?」


「嫌です! 顔なじみのおじぃちゃんおばあちゃんを、今のうちに撮ってあげたいんです! 「あやしろ文庫」にも置いておけない、日焼けした古雑誌や写真集達を、いまのうちに背中だけでも、残しておいてあげたいんです!」



 だめだ。今までのすずりちゃんじゃないぞこれは。「神保町の母」として、限界突破してしまった。

 ……きっとこれ、カメラ買ったら買ったで独り占めして、翠菜に使わせないやつだ。



 ……まぁ、いいかぁーそうなったらそうなったで。


 あれだな。当初第二候補にしていたエントリーモデルを、中古屋で買って、翠菜にはそれを使わせよう。2万円くらいであるかな……それは、俺のポケットマネーからかな。


 まぁ二人には散々お世話になってるから、こういうこともあっていいか。



「しょーがないな……」


 一眼のコーナーで、製品を物色。


「銀さん、これにしましょう」


「ボディだけで50万超えの、プロ専用機じゃないか! 高すぎ!こっちで十分!フルサイズのエントリーモデルで十分!」


「こっちはどうですか?」


「そっちは、一眼「レフ」って、少し前のやつ。画像処理エンジンっていうプログラム部分が古かったり、スマホ連携が弱かったりと、細かなところがイマイチだったりする」


「こっちは?」


「そっちはAPS−C機。内部のセンサーがちっちゃい。暗いところに弱い。それと、使えるレンズが少し違う。そうそう。何より広角に弱い」


「こっちは?」


「まだまだ一眼「レフ」が主力だったころの、コンパクトミラーレス機。レンズ交換ができるコンデジって感じ。コンパクトなのは良いんだけど、AFが遅かったりして、一日1000枚どんどん撮っていきたい俺達には向かない」


「やっぱりこれにしましょう」


「だからそれはプロ専用! どうしてそっちを欲しがるの!?」


「ボディがしっかりしていて、頼もしいじゃないですか」


「完全に見た目で選んでるじゃない! ダメダメ! 売り場の展示だと分かりにくいけど、それ持って出歩くんだから!大ききゃいいってもんじゃないんだから!ホントに!」



★ ★ ★


「これはきっと若冲先生のお導きですね。「清水の舞台から飛び降りる」気持ちが、私にも理解できました」


「上手いこと言ったつもりかもしれないけど、若冲先生はあんまり清水寺と接点なかったから!」


『せやな。お世話になった相国寺とは宗派が違うんや』


 すずり邸に帰ってきて、22時。


 結局、すずりちゃんが欲しがってたハイグレード機の、ワンランク下のフルサイズミラーレスになった。24mm〜105mmのレンズキットモデルで、レンズ込みとは言え38万円である。

 メモリーカードやケースなど、小物を諸々追加して、40万円超えた。しかも予備のバッテリーは入荷待ちで、当面スペアバッテリーなし。


 お会計の際のすずりちゃんの悪い顔といったら。

 七瀬さんから預かったお金、42万円の現金払い。そして家電量販店お約束のポイントカードは、すずりちゃん個人のカード。

 4万円相当のポイントを、自分のカードにつけちゃって。


 ……前の会社はこういうのうるさかったんだけど、この会社では、まぁ大丈夫だろう。

 (会社の金と言いつつの、七瀬さんのポケットマネーな気もする。)



 帰宅早々に、フルサイズミラーレス機を開封。レンズを本体に装着する際に、内部にホコリが入らないようにするなど、カメラ扱い時の注意点などを教えていく。

 バッテリーは充電中なので、試し撮りはまだできない。




「はー、これで良かったのだろうか……」


 性能や画質は本当に申し分ない。その気になれば「手持ちで星空が撮れる」性能。

 「肉眼で認識できないものが写る」という感覚が、このグレードのカメラにはあって、それはそれで目の覚めるような体験なのだが。


 ちなみに俺が以前持っていた、エントリーモデルのフルサイズ機は、清掃会社をバックレ辞めする直前に、写真を趣味にしていた後輩に譲ってしまって手元になく、過去俺が使っていたカメラも10年以上の型落ち品。壊れてたり古すぎたりで、若い二人に使わせるものでは、ない。


「ごめんね翠菜。翠菜のためのカメラのはずなのに、翠菜のいないところで進めてしまって」


「いいよいいよ。第一候補のコンデジ買えなかったのは本当なんだもん。 私も4ヶ月待ちとかいやだよ」


「一応言い訳しておくと、「画角の感覚」を開くのには、コンデジの液晶モニタを見ながらより、コンデジにはない電子ビューファインダーって、このちっちゃい窓、これを覗きながら写真撮る方が効く。コンパクトからフルサイズ機まで一通り触って、それは確信してる。カメラと肉眼との距離が、コンデジの液晶だと50cm位離れるけど、電子ビューファインダーは、ほぼゼロだから。だから、「画角の感覚」を開くのは、こっちの方が早いことは、確か」


「ほうほう」


「もう一つ。レンズの胴の部分に目盛りがついてるよね? 24mm、35mm、50mm、85mm、105mmって。これが画角なんだ。この画角を固定したまま、写真をどんどん撮っていくのも、効く。昨日は24mmで300枚撮った。今日は85mmで400枚撮ろうって、そういう撮り方ができる。コンデジだと、この目盛りに相当するものがなくて、画角を固定で撮るのが難しい。ズームの途中で、今何mmの画角なのか、分かりづらい。こっちはそれがはっきり分かるから、これも、もしかすると大きいかもしれない」


「ふんふん」


「注意点を一つ。一眼カメラは、レンズ交換ができるのが特徴だけど、意外かもしれないけど、「レンズ交換は基本やらない」ものだと思ってて。今ついている24mmー105mmのズームレンズで、ほぼ賄えるから。一眼カメラのレンズ交換は、結構デリケートで、難しいことではないんだけど、カメラをダメにするリスクが少なくないんだ。当面は、このレンズ一本でやっていくと思ってて欲しい」


「それが、銀さんが言っていた、線引ってところですかね」


「レンズ交換までやるようになると、どんどんレンズ欲しくなっちゃうから。星空のために16mm欲しい。ポートレートのために85mm欲しい。蝶を撮るのにマクロが欲しい。野鳥を撮るのに300mm欲しいってなっちゃうから。それがさらに進むと、出先でレンズ交換やりだす。風で埃が舞ってる外とか。それで、レンズキャップなくしちゃうとか、些細だけど影響の大きい失敗をやりがち。ウン十万のカメラ本体やレンズを、ちっちゃな失敗で買い換えるとか、嫌でしょ?」


「そうだね」


「今日買ってきてしまったカメラは、エンドユーザー向けのものじゃないから。写真のプロが使うものだから。それ相応の気位をもっているというか、使いこなすための作法があるというところ」


「ちゃんと心得ておけってことですね。しかし、なんでしょう? きっと私の手には大きいんですよね? 基本、成人男性向けの製品ですよね? なのに、こうして持っているだけで、すごくしっくりくるんですよね」


「写真の失敗でよくあるのが、「手ブレ」。シャッター切るときに、手の僅かな動きをひろって、像がぶれちゃう。最近のレンズやカメラ本体には手ブレ補正ついてるけど、それにも限度があって。それで、高級カメラはなにが違うかと言うと、そのような手ブレを起こさないように、安定してカメラを構えられるように、ボディの形状や重量バランスが、すごく考えられているんだ」


「そんなに手ブレってあるの?」


「暗いところを手持ちで撮る。シャッタースピード3秒。その3秒間、1ミリも動いちゃいけないんだ。 望遠で野鳥を撮る。0.1ミリ動いても写真に反映される。そんな世界だからね」


「おぉ」


「だけど、このカメラは、手持ちでとれる範囲、すごく広いから。そうだな。カメラ自体は大きくて重いけど、その分三脚が必要な状況が少ない。23区内だったら、ほぼ全てのシチュエーションで、三脚なしでいけるはず。それだけ、いいカメラ」


「もしかすると、このカメラにして正解だったんじゃないの?」


「40万だよ、40万! 3万で済んだかもしれないところ! ああそれと、望遠端が105mmだから、結構、ズームが弱い。風景写真は問題ないけど、動物園とか、離れたところのものを撮るのは、はっきり力不足」


「そうなの?」


「撮っていけば分かるよ。ああ100mmって、この程度なんだって。まぁだけど、本当にもっと望遠が必要だったら、そのときはレンズ交換すればいいだけの話でもあるんだけど」


「ひとまず当面は、その必要はないってことですよね?」


「画角の練習するのでも、神保町の街並み撮るのでも、105mmまであれば、一応大丈夫。これも、やっていくうち分かっていく」


「使い始めのうちから、これだけは注意しておけってことはある?」


「原則、両手で持ってください。撮影のときも両手。そこは横着しないで。あとはネックストラップちゃんと首にかけて。落っことしてプラスになることは、一つもないから。……このサイズのカメラは、やっぱりどうしてもかさばるの。その「かさばる」ことに慣れて欲しい。義足・義手みたいに、「義眼」を持った。その位に思ってて欲しい。それと、雨の強い日は、持ち出さないほうがいいかな。どうしても雨を撮りたいって状況があっても、スマホだってあるんだから。なんらかの資料や記録が欲しくて写真を撮りたいときは、スマホカメラで十分なんだから。そう。スマホで済むときは、スマホでいい。無理にこのカメラで撮ろうと思わなくていい。メモリーカードからデータ移すのも面倒だしね。あとそれと、真冬には結露の問題が出てくることもあるから、そのときはそのとき改めて説明する」


「はい」


「よし、それではここから、翠菜にもう一つやってもらいたいことを説明する。この前ちょっと言った、デザインのセンス伸ばす訓練ね。……これから毎日、一日一枚、その日一日で一番「綺麗」だと感じた瞬間を残して欲しい。俺は「今日の綺麗」って呼んでた」


「今日の綺麗」


「うん。毎日何気なく生活してても、天候は日々変わっていくよね。有名な観光地行かなくたって、日々の暮らしの中で「すごく綺麗!」って瞬間は、都度訪れるんだ。一日一枚でいいから記録を残す。アンテナを張って、自分の感性を磨いていくんだ」


「朝日や夕暮れ?」


「それ以外でも、なんでもいい。……そうだね。今から一枚やってみようか……バッテリーの充電、まだ終わってないけど、少しは使えるだろう……すずりちゃん、カメラお借りしていいですか?」


「はい、どうぞ」


 バッテリー装着以外はすべて準備が済んでいるフルサイズ機を受け取って、充電途中のバッテリーを装着。


「……17%か。バッテリーチャージャーが急速充電に対応してないんだよなー。遅い遅い。こういう細かな使い勝手でも、スマホに敗けてるんだよなぁ……まぁいいや、翠菜の部屋に行きます」


「失礼しまーす」

 翠菜の書斎に入室(もちろん翠菜に一言断ってから)。奥のテラリウムの前に。


「これからこの苔を撮ります。翠菜が毎日世話して、毎日眺めている苔。この苔だって、「今日の綺麗」になる」



 三脚も一脚もないから、スツールと折りたたみ傘を三脚代わりにして、レンズの手ブレ補正はオフ。マニュアルフォーカスにして、カメラの画角は望遠端。


 部屋の照明は落として、サブ照明のLEDデスクライトのみで、苔に光を当てる。


「マクロレンズじゃないけど、このレンズでもそれなり寄れるはず……そうだな……翠菜、この子に少し水あげても平気かな」


「うん。ちょうどこのあとあげるところだったよ。いまあげちゃうね」


 翠菜は霧吹きをシュッシュッシュと、苔たちに水やりをする。いい感じに、微小な水滴が、苔達の肌の上を踊り始める。


「うんうん、ありがとう。いい感じ」


 電子ビューファインダーを覗き込んで、苔を画面に収める。このズームレンズのテレ端では、被写体との距離50cmくらいが限度かな……あと20cm近づきたいところなのだが、後でいらないところトリミングするか。


 ……ちょっと構図が思い通りにならない。俯瞰だとちょっと……あ、そうだ。


「翠菜、この子、ケースごと少し、移動させてもいいかな?」


「うん、どうぞどうぞ。熱帯魚じゃないから、そういうの平気」



 アクリルケースごと、テラリウムを手前に……部屋の中央まで持ってきて、床の上に置いちゃう。脇に置いたスツールの上から、LEDデスクライトをあてる。部屋は真っ暗。


 この高さだったら、ほとんど三脚いらないな。だけど床置きよりは、ほんの少しだけ高さがほしい。……折りたたみ傘より安定するもの……いや、テラリウムを高くするか。


「翠菜、本棚のファーブル昆虫記、何冊か床に置いてもいい?」


「うん、床ちゃんと掃除してるし、私床置きとか気にしない」


「オッケー、ありがとう」


 ファーブル昆虫記を三冊、部屋中央のテラリウムの前に床置きして、その上にテラリウムを乗せる。カメラは床の上に置こう。カメラよりもテラリウムを高い位置に持ってくる。

 もう一度構図づくり。


 うむ。さっきよりもいい構図になった。寄りは足りないんだけど、その分真っ暗な余白を広めにとることができそう……下からアオリぎみに……苔とレンズの間には、水槽のアクリル板が立ちはだかっており、普通のカメラならアクリル板ばっかり写ってしまうのだが、「コイツ」なら……そして、マニュアルなら……。


「翠菜、さっきから何度も申し訳ない。だらしない俺を許してくれ!」


 うつ伏せに床に寝っ転がる。肘を床において身体を固定。くわって頭を持ち上げて、ファインダーを覗き込む。


「お父さん、さっきから動きがプロっぽい」


「撮り鉄の人たちが「あんな感じ」になってしまうのは、こういうことなんですね」


「そ……。「構図づくり」で頭いっぱい……自分と周囲の関係を考える自分が……どっかいなく……なっちゃうんだ」


 うつ伏せからぐぐぐ……と首を持ち上げている状態で会話をするのは、苦しい。




 ピントリングを回して、ピントが苔の葉の先端にくるように……うん、これは、いい感じだろう。


 わずかな身体の揺れもカメラにいかないように、息をとめて……シャッターを切る。


 シャカ! シャカ! シャカ!


 ミラーレスカメラ独特の、「造り物の」シャッター音。ひとまず3枚。


 再生モードにして、仕上がりを確認。……うむ、成功した。手ブレ・ピンぼけなし。間のアクリル板も、うまく「抜けてくれた」。


「うん、無事取れました。……そうだね、翠菜のPCで見ようか」


 カメラのメモリーカード抜いて、カードリーダー経由でPCに送る。撮った写真を15インチモニタに表示。



「おぉ!すごい!綺麗!」


「うわぁ、綺麗ですね! 臨場感がすごい!」


『ホワァ! たまげた! こんなできるんか!』


 苔の先端部……2〜3cm程度の部分が、そう……真夜中の河川敷のススキのように、真っ暗な夜空に向かって、堂々と伸びている。

 霧吹きで当てられた水滴が、LEDライトの明かりを反射し、キラキラと輝いている。

 苔以外は真っ暗。真っ暗な空間の黒色と、苔の自然物特有の鮮やかな緑のグラデーションとのコントラストにより、「映える画面」にすることができた。



挿絵(By みてみん)



「うわ〜、ありがとうお父さん! この子がすごく綺麗に写ったね! すごいね! こんなことできるんだ!」


「写真のウデもご立派じゃないですか。勿体ない……本当に勿体ないです……ここまでの技術があって、埋もれてしまっているのが、本当に勿体ない!」


「俺がすごいんじゃなくて、カメラがすごいの……本当にそれだけ。それとさ、やっぱりスマホで見るより、少しでも大きいモニタでみると、印象違うでしょう……翠菜、いろいろとご協力、ありがとうございました」


 いろいろ乱雑になった室内をもとに戻しながら、部屋が散らかることを許してくれた、翠菜にお礼を。


「水槽の外から撮ったのに、アクリル板をつき抜けて、苔だけ写ってますね。こんなことができるんですか」


「いつもいつもってわけじゃないかなぁ。こっち側の反射というか映り込みが強いと、それが写るかも。ここまでの高級機になると「ボケ」が強いから、手前の干渉物を消すことができるんだ。屋上の金網とかね。その代わり「ピンぼけ」しやすくなるから、スマホのカメラより、失敗しやすかったりする」


「ありがとうお父さん! 私嬉しい! こういうのはプロ写真家の写真集でしか見れないと思ってた! 自分が世話してる子達がこんなに綺麗になるなんて! ありがとう!」


 翠菜は本心から喜んでくれてる。絵の勉強になるとか、ソシャゲのネタに出来るとか、そういう利害を抜きにして、もっと深いところから純粋に喜んでくれてる。


 手応えアリ。これは、よかった。



『いやぁ銀さんや。こりゃホンマに凄いことや。玄圃遙華の先をいっとるよ。ワシ、眼から鱗どころか、目玉落っこちる気分でっせ』


「いやいや、さすがにそこまではいかないでしょう」


『そんなことあらへん。お主が今撮ったんは、「虫たちが見とる世界」や。それも、蝶や蜂やない。もっと小さい、ノミ達ダニ達の見る世界や。そいつらが見る世界も、こんなキラキラ光って、綺麗なんや』


「先生ならではの視点ですね。微細昆虫たちにとっても、世界はこんなに輝いているよと……」


『玄圃遙華かて、あれは人間様の目線やろ? 所詮ワシの視点で見た世界や。これはそうやない。人間の眼ではこうは見えん。「小さな生命(いのち)たちの見る世界」。それを見せられる。ホンマ凄いことや。ワシの時代にこれがやれたら、天明の大火は起こらんかった。そのくらい、凄いことや』


「ありがとうございます。……これは、翠菜のおかげでもあるんですよ。一般のテラリウムは、こんなに大きく育てないんです。手乗りするくらいのアクリルポットにちょこっと。伸びてきた苔は、すぐにカットしちゃうし。「苔たちと仲良くしたいから」って、大きい水槽でのびのび育ててるから、「映える写真」になったんです」


「いいこといってくれるじゃな〜い、お父さ〜ん。いや〜ん、翠菜はもう、うれしくてとろけちゃうよ〜」



★ ★ ★


「はい、こんな感じ。これが「今日の綺麗」。毎日少しでも、「綺麗」って気持ちを立ち上げて、自分の感性を開いていくんだ」


「すごくよく分かった!」


「んでね。この「今日の綺麗」は、風景写真だけが対象じゃない。ファッション誌の気に入ったページの切り抜きだっていい。ビスケットの缶だっていい。どこかのテーマパークのお土産の絵葉書でもいい。なんでもいいんだ。「面白い!きれい!」って感じた記憶を、自分の記憶のストレージの、ちょっと特別なフォルダに入れておくんだ」


「写真アプリの「お気入り」だね」


「そういやそうだ。まさにそれ」


「銀さん、これは、翠菜しかやっちゃダメなんですか? 私はやらない方がよかったりしますか?」


「いや、そんなことはないです……。色スケッチだってあるし、無理にやらなくても……でも、すずりちゃんがやりたいんだったら、やってもいいかもね」


「本当にこれをガッツリやっていくなら、ずっと一眼持ち歩かないとダメ? それはなかなか大変だね。学校に一眼は、持っていけないし」


「そう。だからスリムなコンデジの方がいいと思ってたんだ……でもさ、さっきの苔写真のようなのは、やっぱりコイツじゃないとダメ。それは確かで。さっき翠菜があんなに喜んでくれたから、それだけでもこのカメラにした甲斐は、あったかもしれない」


 なんというか、あの苔たちも、きっと喜んでくれた。そんな気がしてる。


「2段階で考えればいいかな。一日一回の「今日の綺麗」と、月一回の「今月の綺麗」」


「そうだね。毎日の記録は、スマホカメラでも十分。スマホカメラで映せる範囲でも、綺麗なものは、たくさんあるでしょ?」


「このカメラじゃないと撮れないような難しい題材は、月一回とか日にちを決めて、準備して撮る。毎日の気づきはスマホで十分。そんな感じだね」


「翠菜には画角の勉強も、やってほしいけど……でも別に、パースつけた絵を描く必要、当面ないから、後回しでもいいか……とりあえず「今日の綺麗」だけで、1ヶ月。その位やってもらって、その先のことは改めて考えていこうか。あと、そうだね。翠菜、これから今の苔の写真みたいなの撮りたいのなら、「マクロ撮影」っていうのを勉強しておいて。ネットでも書籍でも、そういう手法について前もって知識を入れておけば、実際にやるときバタバタしないから」


「はい」


「よし、翠菜のトレーニングは、今のところこんなところ。翠菜は学校もあるし、ITの勉強もあるし、ゲーム全体のデザインもしないといけないし、東京駅でキャラグッズのリサーチもするわけだ。……やることいっぱいになっちゃってるね」


「東京駅でのリサーチは金・土・日の夕方頃行けばいいかなと思ってる。平日の午前中とか、お客さんほとんどいないの……学校が終わる時間がバラバラだけど、その分昼間だったり夕方だったりするから、一度帰って、カメラ持って、デイリー行こうかな。デイリーやりながら、「今日の綺麗」を探すの。昼間だったり夕暮れだったりしたほうが、いろんな「綺麗」を見つけられるよね?あとは平日の夜、プログラミングとアルゴリズムの日、絵の基礎トレの日、ゲーム全体のことを考える日って、やっていくよ」



 真面目に勉強するJKらしく、時間の配分を考えるのが早い。……基本的に、相当頭いいよな、この子。


「翠菜、早朝はカメラ使わない?」


「うん、早朝帯は、お姉ちゃんどうぞ!」



 苔の写真見て、翠菜が凄く喜ぶの見ちゃったから、すずりちゃんも、自分ひとりでカメラを独占するのは、あきらめたようだ。




 ふうやれやれ。長くバタバタしましたが、以上が文代すずりと流女翠菜の、画力向上トレーニングの状況でありました。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ