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放課後君は夜と踊る。ハリボテの月を俺は撃つ。  作者: 空野子織
第4章:黒海銀一郎、何やらアーティストを目指す。
39/61

036 そんなこんなでイラスト製作です。どんな絵を描いていこう?


(※黒海銀一郎の語りに戻ります)





 恵史郎と花都香女史は帰っていった。神保町すずり邸には俺とすずりちゃんの二人。

 時刻は17時すぎか。夕飯までもう少しあるな。


 ……部屋には、あの二人の前では出せなかった、どうにもビミョ〜な空気が漂う。


「……あまりにも恵史郎が気にしてないから話題にできなかったけど、アイツが持ってきた焼き菓子、さすがのおいしさだったね。いや、本当に久しぶりだわ。こんなにバターの風味が身体いっぱいに広がる感覚」

「恵史郎君がお菓子作るときは、一般には出回ってない特製の発酵バターを使うんです。信州の方ですごく大切に牛を育てていらっしゃる、酪農家の方から譲っていただいた上質な牛乳を、霊影細菌を使って発酵させて作る発酵バターです。採算を考えたら大赤字にしかならない手間暇かけて作るバターで、最近は恵史郎君も、よほどのことがないと手を出さないくらいなんですけど……今回はまさにその、「よほど」だったってことですよ。いや〜、大変なことになっちゃいましたね、銀さん」


 いや、まいったわって滅多に見せない渋〜い顔してみせる、すずりちゃん。


「そんなに大事? 要するに、「結果は後回しでいいから、とにかくJpegのイラストをこのNFTマーケットプレイスにアップロードしてみてくれ」ってだけの話でしょ?」


「いやまぁ、簡単に言ってしまえばそうですけど……大変でしょう? いきなりこの、海外のマーケットプレイスですよね? ネットの向こうの、無数のアーティスト達の中に飛び込んで、自分の作品を晒すわけですよね? 銀さんだって、いいかげんな創作はしないですよね? 一生懸命精魂込めた作品が、ボロクソにけなされるかもしれないんですよ?」


「……俺の感覚からすれば、「ボロクソにけなされる」なんて、まだ幸せだよ。けなされるってことは、「少なくとも見てもらえてる」ってことだから。……多分最初のうちは、認識すらされないだろうな」


「無数の作品の山に、埋もれてしまうと?」


「……今から7〜8年くらい前かな。今すっかり下火になっちゃったけど、日本企業が運営してる動画サイトあったじゃない? ニコ○コ動画。あそこにさ、MMDの流し込み動画出してみたことあったの。清掃会社で正社員になって2年目。ボーナスで買ったゲーミングノートにMMD入れてさ。背景もキャラモデルも音楽もモーションもお借りして、自作したのはカメラワークだけだったけどさ。個人的には「よくできた」って思ってたの。アップされてる他の人のMMD動画とあまり変わらない出来のつもりだった。……だけど、再生数全然伸びなくてさ。……ネットって、そういうもんなんだなぁって。仕事大変になってきたのもあって、すぐにやらなくなっちゃった」


「……今回がお初ではないってことですか……そうですよね。マンガの持ち込みしたこともあったんですもんね」



 こう見えても、「懸命な努力が報われない」ことには慣れているつもりだ。

 中学受験も失敗した。大学受験も就活もダメだった。マンガ家にもなれなかった。10年続けた清掃会社にもいられなくなった。……本気で自殺しようとして、それも出来なかった。

 まさに、七転八倒の人生だった。八倒が九倒になったところで同じだ。もう一度転げ落ちろってだけの話だ。……すずりちゃんの前では口にしないけど。



「さっきの二人の口ぶりだと、相当長い目でやっていいってことでしょ? 別に作品をアップロードするだけで、金をとられたり何かペナルティがあったりする訳じゃないんだから。絵描きにとっては、とりあえず「リスク」はあまりないよね。……「リターン」については、まだまだ未知数だけど」


 すずりちゃんは、PCのモニタに表示させた件のマーケットプレイスのWebサイトと、恵史郎が置いていったNFTのハウツー本を交互に流し見して、文脈を押さえようと苦心している。


「このNFTって、転売できるんですね。安く買ったアートをオークションで高く売りさばけば、ネット上の取引だけで、ヒキコモリのニートさんでも、お金儲けできちゃうってことですね」


「まぁ、世の中そんなおいしい話はないでござるよ。絵描きの立場としては、お金の話は二の次にしていないとね」


「作品の値段も、当然出品者が自由につけられると……私がお世話になってるハンドメイドマーケットと、その辺りは変わりませんね……だけど、あそこと比べると、……あまり検索機能とか充実してませんね……タグもつけられないですし、カスタマーレビューもないですし」


「あのハンドメイドマーケットは、「ひとつひとつの作品を大切にしてくれる」っていう、スタンスがはっきり出ていていいよね」


「だけどあっちだと、作品が世界に広がっていかないって、椿姫さまのお話でしたもんね……グローバルにやっていきたいってことですもんね……うん。私は恵まれてるんだなぁって、このNFTのサイト見てると感じますね。私の筆書きをこの「海」に放流して、然るべき相手に届く気がしません……今ちょっとこのサイト漁ってみてるんですけど、「私が欲しい」って思う絵を探して見つけることが出来ないんですよ……ランキングページはありますけど、「私の好み」とは関係ないじゃないですか」


「例えば、すずりちゃん、どんな絵が欲しいの?」


「和風の、水墨画のような作品がないかなって「水墨画」で検索かけてみたんですよ。出てくることは出てくるんですけど……私のいるハンドメイドマーケットの方が、充実してるんですよね……水墨画そのものだけじゃなくて、Tシャツだったりスマホカバーもあったりして……深みがないんですよねぇ、深みが」


 なるほど、「作品のネット取引」では、すずりちゃんが先行してるもんな。……あの二人の前では控えてたんだろうけど、一家言あるわけだ。



 すずりちゃんがお世話になっているハンドメイドマーケットは、今から10年少し前に立ち上がった、日本企業が運営しているWebマーケットだ。ハンドメイド作家の目線に立って、丁寧に作り込まれていると思う。


 検索機能についても、キーワード検索はもちろん、素材別やカラー別で絞り込むこともできるし、タグもたっぷりつけられる。定期的にテーマを決めて特集を組んでくれて、埋もれている作品を掘り起こしてプッシュしてくれる。特に買いたいものがあるときでなくても、その特集を眺めに来るだけでも楽しい。


 ハンドメイド作品の取引そのもの以外に、作家さんと購入者とのメッセージのやりとりもこまめにできるようになっていて、その気になればオーダーメイド制作も可能だ。


 この手の、プロ・アマチュア問わず誰でも参加できるフリーマーケット的な「場」と言えば、かの有名な有明の同人誌即売会があるけれども、そこと比べても作家さんとお客さん、双方への気遣いがよくされていると感じる。



ー  売れている作品だけが素晴らしいとは限らない  ー

ー  素晴らしい作品が、すぐに日の目を浴びるとは限らない  ー

ー  大多数から評価されなくても、「特定の誰か」に強く訴えかける、そんな「作品との出会い」がある ー


 そういう事を、ちゃんと心得て、マーケットが運営されている。

 ……うん。この10年のうちに立ち上がった、日本発のスタートアップ企業だけど、頑張ってるよな。あそこ。





「「タグ付けが出来ない」っていうのが大きそうだね。ってかさ、「ここ」がダメなんじゃなくて、「あっち」がよくできてるって話なんじゃない? 向こうさんは10年の蓄積があるけど、こっちは出来てまだ2年とかでしょ? その辺はさ、長い目で見てやっていいんじゃない? 別にデジタルアートは経年劣化しない訳だし」


「ま、そうですけどー。……やっぱり「こっち」は、仮想通貨から入ってくる人がまだまだ多数派なんですかねー」


「うーん、まだまだ黎明期ってところじゃない? ……いまざっと見ててもさ、知ってるアーティスト、いないじゃない。……イラスト専門の同人即売会眺めてる感じだよ。美術系の専門学校生ばっかり集まってやってそうな雰囲気」


「うぬー。私、銀さんの絵、知ってるじゃないですか。スマホカバーの白拍子さんの。あの作品が、このマーケットプレイスでまっとうに評価されるようには、今のところ思えないんですよねぇ……」


 腕組みをして、いつになく釈然としないといった趣の、すずりちゃん。


「……俺の絵、気に入ってくれてるんだね、ありがとうね。……うーん、そうかもしれないけども、参入してみたけどダメだったって結果でも、ひとまずいいんじゃないかな。ダメだったらダメだったで、どうしてダメなのか考える材料ができるわけだし……日本のアニメだって、昔はもっといいかげんな「テレビまんが」ばっかりだった訳でさ。そんななかでデッサンとか世界観とかストーリーとかドラマとか、しっかりしたものを創ろうとした人達がものすごく頑張って、今のアニメ文化があるわけじゃない。最初からいいものばかりだった訳じゃない。文化っていうのは、きっとそういうものなんだよ。一層一層、積み重なっていくものなんだよ」


「私ももちろん、銀さんがNFTアートに参入することに反対なわけではないですよ? なんですけど、何ていうんですかね……いい予感がしないと言うか、十分に心の準備をしておいた方がいいかなぁって。……さっきの二人の様子も、ちょっと今までとは違うように感じたんです」


「そうなの?」


「椿姫さまが、ご自分の企みに誰かを巻き込む時は、もっとこう、ゴリゴリに来るんですよ。「いいから!おやりなさい!!ドカンと!!!」って感じで。アクセル全開なんです。それをですね、七瀬さんや恵史郎君が、「どうどう」って、抑えにかかるんです。……ですけど、さっきの雰囲気は、今までとは違うんですよね……椿姫さま、あまりゴリゴリ来ませんでしたし、恵史郎君も、止めないし……8大彩気の関係だって、あんなに熱心に話してたし……いろいろと、意外なんです、とにかく」


「そうなんだ……確かにさっきの恵史郎の話は、……まぁ、マニアックではあったけども」


「銀さん、彩命術始めて4ヶ月? くらいでしたっけ? いくら最初から8相開いていたからって……それだけでもう、十分イレギュラーなんですけど、さっきのあの話を聞いて、「へぇーそうなんだ」ですんなり消化できてしまえるのは、やっぱりすごいですよ?」


「いやでも、現時点でどうアートに落とし込むかは、全然見えてこないよ? さっきも言ったけど、とにかくゴールが、方向性が見えない。どこを目指せばいいのか? が見えてこない」


「でも、スタートについては、心当たりがあるんですよね?」


「うん。とりあえずね、こういうときは、「自分が見たいもの、欲しいものを作る」でオーケー。誰かのためにじゃなく、自分自身のために作る。それでいいんだ」


「そうなんですか?」


「これはね、俺が大学時代、プログラミング勉強してるときに学んだこと。当時は「オープンソースソフトウェア」っていうのがすごく勢いがあった時代で、関連の書籍もいっぱい出てたんだ。実力のあるプログラマーは企業の言いなりにならない。優れたソフトウェアを産み出す秘訣は、まず自分自身が必要とするソフトウェアを、「小さなものから」作り始めることだって、いろんな本で語られてたもんでさ」


「プログラミングも芸術と同じく、創造性が求められる世界ではあるんでしょうけど……根底でつながってるんですかね」


「俺は、創造する行為は、絵画も造形も製菓もプログラムも音楽も、根底では全部繋がってると思ってる」


「断言しますね」


「高校時代に日本のアニメにハマり始めてさ。いろんなアニメ監督のインタビュー記事とかエッセイとかいろいろ読んでたんだけど、オープンソースで結果出してるハッカー達と、同じような話してたんだ。「人を大勢集めてもいいモノは産み出せない」とか、「ウケるものを作るのではなく、自分が作りたいものを作る」とか、「真に優れた作品は、最低限の機能を持った、現実を写す単なるフィルタである」とかね。製菓の勉強してたときも、「同じ匂い」を感じたなぁ」


「へぇー」


 すずりちゃんの表情と心境が、少し穏やかになる。……俺の実力を信じてくれるのだな。……ちょっとプレッシャーになるけれども。



「そっかー。翠菜をわずか一日で、プログラミングの世界に導いた銀さんですもんね。きっとやってくれますよね」


「いや、さすがに今回は、すぐには結果出ないって」


「ちなみに銀さん、銀さん本人の感覚として、どうですか? 自信ありますか?」


「う〜ん、どうだろな〜。とにかく、一旦画力鍛え直してだね。それで、40過ぎた今からでも、俺の画力なり、「表現者としての実力」が伸びてることが実感できたら、いけるかな。いけるというか、続けられるかな」



 そうだ。おそらく大事なのは、とにかくまず始めること。そして結果が出なくても、努力を続けることだ。



 うむ。とにかくやってみよう。道具はすでに手元にあるのだし、失って困るようなものは、既に失ってしまったか、初めから持っていなかったのだ。




★ ★ ★ ★ ★



 翠菜も合流して、夕飯。豚肉のおろしポン酢和え(もやし多め)と、冷奴に、お漬物。

 夕飯の話題も当然、NFT関連のものになる。


「それじゃぁ当面、お父さんは夢の産屋跡地に籠もりっきりになるんだね」

「うん、昼飯も向こうで食べちゃう。でも、夕飯のときは帰ってくるよ。……当面はそういう方向で」


 タブレット端末とスタイラスペンでイラスト制作できるようになって、なにが一番良かったかって、作業場所を選ばなくてよくなったってことだ。

 アナログでやってたころは、B3サイズのトレス台置ける場所が必要だった。それでも狭くて、不自由した。PCの時代も、タワー型PCに大型モニタ、ペンタブレットを並べる必要があって、一定の作業スペースを確保する必要があった。

 つまり、制作そのものの前に、「アトリエ」を用意する必要があったわけだ。

 それが必要なくなった。肩や背筋に負担のかからない姿勢でいられる、イスとテーブルさえあればいい。最悪イスだけでもいい。肩凝ってくるので、長くはやれないんだけど。


「その気になれば、駅のベンチでも、電車の中でもやれるんだよ。……昔は違ったんだ。デカいトレス台置いた、机をいくつもならべた、いかにもマンガ家の仕事部屋って感じのアトリエを用意しないといけなかった。それがいらなくなった。6畳ワンルームで生活してても参入できる。それは、すごく大きいことだよ」


「参入障壁は、本当に少なくなったんですね。マーケットに出品するだけなら、お金払わなくてもいいみたいですもんね。最初だけ、「ガス代」とやらが必要らしいですけど」


「ちなみに翠菜、ざっくりとした印象どう? このマーケットプレイス?」

「う〜ん……別に、欲しいって思うイラスト、ないかな〜。学校の友達も、同じだと思う。SNSめっちゃやってる渋谷通いしてる子達なら、買うかもだけど、クラスに一人二人くらいだね。……さっきざっとみたけど、今のところ、アートっていうより、キャラクターイラストだよね? 東京駅の八重洲側に、キャラクターグッズのお店ばかり集めた商店街、あるじゃない? あそこ、友達につきあって時々行くんだけど、あそこの方が欲しいもの揃う感じ。マグカップとか扇風機とか文房具とか、「使えるもの」がちゃんとあるし」


「そうだね。「イラストだけ」って展開、最早どこもやってないもんね。っていうか、キャラクターグッズの会社、全然参入してないんだな。サン○オもサンエッ○スもNFTやってないな」


「同人だって、いろいろグッズ作りますもんね。「見せびらかすように」ではなく「さりげなく」、自分の好きなキャラクターと一緒にいられるのは、日本のリアルマーケットの方が、ずっと進んでますね」


「Tシャツとかクリアファイルだと目立ち過ぎちゃうけど、ペンケースの中にボールペンが一本、さりげなく入ってるくらいの方が、センスあるなって思う」


「現時点では、「デジタルコンテンツ」だけみたいだね。……先々、3年後位?には、リアルなグッズ展開と並行させるブランドとか、出てくるんじゃないかな? 六本木の複合ビルに、現代アートの関連グッズ売ってるミュージアムショップあってさ、あそこと絡めてくるようになるかもね」


「このサイトみてると、ちらほら動いてるイラストあるんだけど……お父さん、これ分かる?」


「GIFアニメだと思うよ? 一応MP4もOKらしいけど、データ上限が100MBだと大した動画は出せないな。ほんの数秒なやつだけだ。……ちょっと中途半端だな。「映像作品」を扱いたいのか扱いたくないのか、はっきりしないな」


「お父さん、こういうアニメ、作れる?」


「アニメは今までやってみたことない。だけど、俺が使ってるペイントアプリは、アニメーション機能も、たしかあったはず。……パラパラマンガ感覚だけど、やってやれないことは、ないかな。あ、そうだ。MMDはアニメーションになるのか。それならあるわ」


「わたし、こういうちょこって動くアニメイラストは、やってみたい。苔とか水草が、風でそよそよ動いてて、金魚が泳いでるくらいのやつ」


「なるほど。分かった。すぐには無理だけど、勉強しておくよ」


「うんうん。お父さん先生、よろしくお願いします……。それでそれで、お父さん、どんな絵描くの?」


「さっきの花都香女史の話だと、将来的には「唯存律」の取引に持っていきたいそうだから、オリジナリティを重視したもの。だから、東○二次創作とかは、やれないからね? それとそうだな……やっぱりスマホの壁紙かな。人に見せるための絵ではなくて、自分で眺めるための絵。自分が一人きりになるための絵」


「スマホカバーの白拍子さんのような作品ですね。もうやりたいことが固まってるんですね」


「清掃会社で仕事してる頃さ、当然まわりに結婚してお子さんいる人いっぱいいたんだけど、そういう人は、もれなく、本当にみんな、「家族の写真」をスマホの壁紙にしてた。結婚式の写真とか、赤ちゃんの写真とか。別に嫉妬心ではないし、それはそれで全然構わないんだけど……いくら家族だからって、「自分以外の他人」でしょ? ずっと一緒なの? 24時間365日? 疲れない? 子育てだって大変で、少しは一人になりたい時間だってあるだろうにって、ハタから見て思ってた」


「所帯を持って子供を授かって育てることは、真っ当な生き方ですし、立派なことのはずなんですけど……ちょっとこう、「家族関係を消費してる」って印象、ありますよね」


「土日に地下鉄乗ってると、見せびらかすようにベビーカー突っ込んでくるもんね、最近の若夫婦。消費することばかり覚えて、働く大人の背中を見ないで、大人になっちゃうからね、現代人。仕方ないのかな……とは思うけど、でも俺がもし結婚して子供いたとしても、「子供の写真」をスマホ壁紙にすることには、抵抗あるんだよ。……「家族はコンテンツじゃない」でしょう?」


「大事なお子様を、ピ○チュウやハ○ーキティと同列に扱うことに抵抗があると」


「うん。昭和生まれの古い感覚なのかもしれないけど、例え家族でも、一人ひとりは、もっと距離があっていいと思うんだよ。スマホの中までずっと一緒は、疲れると思うんだよ」


「心の中に、森や空や海が広がっていると、穏やかでいいよね……ちなみにお父さん、私は、こういう絵が好き」


 翠菜がネットから引っ張ってきたとある作品を、スマホごと俺に見せる。

 ……森と湖。水面は波立つことなくまさに水鏡のように。整然と木々を映している。森と湖のなかに、白い馬が一頭。湖面に映し出されて、二頭。



「東山魁夷だね。「緑響く」だっけ? すごく難解な表現使ったりとかではないけど、心が静かになって、いい絵だよね」


「真理を写す水鏡。まさしくイブの心ですよね」


「ピカソ大先生みたいな、グワグワグワ〜ってくる、オラオラした芸術より、こういうのが好き。私は、こういうのやりたい。こういう風景と一緒に暮らしていけるアプリをつくりたい」


「「こういうのでいいんだよ」だよね。難しくなくても主張強くなくてもいいんだよね」


「うん。本物でなくていいの。だけどずっと、森の緑に囲まれて穏やかなの。私はそういうのが好き」


「うんうん、分かる分かる」


 高校生にして東山魁夷か。「育ちがいい」って、こういうことなんだろうな。


「銀さんは、好きなアーティストというか、芸術家って……って、以前聞いたことありましたね。伊藤若冲と上村松園でしたよね」


「うん。線がきれいで、あまり主張してこなくて静かなんだけど、だけど気品と、存在感のある作品」


「なるほどー、そうか。椿姫様が目指す世界のイメージが、なんとなく湧いてきました。人類の歴史を彩ってきた数々の名画が、一人ひとりのスマホに、時代に合わせて最適化されて、鎮座してくれてる感覚ですかね。「じぶん神社」みたいな。 一人ひとりの人生に、アート作品が寄り添ってくれる。そういうイメージですかね」


 すずりちゃんと翠菜、うんうんって頷き合って、「さすが椿様ですねー」とか言い出してる。



「……あのさ、ふたりとも。お願いなんだけど……あまり期待値上げないでね。俺がいきなり、今日明日のうちに、歴史的な名画を描けるようになるわけじゃ、決してないんだからね」


 そこのところは本当、よろしくお願いしますよ。



★ ★ ★ ★ ★


 夕飯を終えて、時刻は19時。翠菜はデイリー。今日はあまり長時間できないけど、とにかく始めてみないことにはな。


「すずりちゃん、早速今日から始めてみるよ。あまり長時間はやらないけど、夢の跡地行ってくる」

「分かりました。まだまだ暑いですから、水分補給欠かさないようにしてくださいね」


 すずり邸を出る。ここから夢の産屋跡地まで、徒歩40分といったところ。九段下から地下鉄東西線に乗れば、九段下 ー 飯田橋 ー 神楽坂 で、多少は楽になるけど、夢の産屋跡地は神楽坂駅からさらに歩くのである。結構坂が多いエリアで、体感としては地下鉄乗っても結局歩く。じゃぁいいや、電車賃もったいないし、このくらい歩いちゃえってなるんだよな。


 歩きながら、頭の中を整理していこう。


 先程は、色々オカルティックにものものしい話がなされていたけど、俺のやるべきことは実は大したことなくて、イラスト販売サイトに自分のアカウントを登録して、デジタルイラストをアップロードしていけばいいって、ただそれだけの話だ。データ形式はJPEGで十分らしい。AdobeのPSD形式である必要すらない。


 マーケットプレイスに登録した作品は、自分で好きな価格をつけて、販売することができる。また、オークションを開くこともできる。

 NFTマーケット独特だなと思われるのは、転売が公に認められているところ。

 購入した作品を別の買い手に転売することができる。転売の際に、若干(0%~10%)のマージンが大元の出品者に支払われるそうだ。

 この取引を要領よく行えば、安価に購入したアート作品をより高値で売り捌くことで、利益を上げることもできるわけで、現状このNFTに注目してるのは、そちらの転売によって利益を上げようと企んでいる人々のようだが、絵描きとしては金の話は常に後回しだ。


 もちろん、出品したアート作品が無事に売れるという保証はまったくない。おそらく、最初はまったく売れないだろう。

 しかしそれでも、売れなかったからといって、なんらかのペナルティが課されるという話には、現状なってないようだ。

 「オファー待ち」って状態にもできるようで、作品をアップロードするだけして、価格をつけずに展示だけ行うことも、どうやらできるらしい。


 ま、いずれにしても、お金の話は後回しである。


 俺の当面の仕事は、そこら辺に転がってるようなデジタルイラストではなくて、「唯一のアート作品」と認識してもらえるような、濃ゆい絵を描いて見せることだ。



 では、何を描くか。


 件のNFTマーケットプレイスでは、「クリプトアート」なる、某呟きSNSのプロフアイコンなどに流用できる400 x 400ピクセルの、小さなアイコンイラストの取引が流行っているそうだが、俺はこれには手を出さず、スルーする。


 おそらく、この「クリプトアート」はすぐに廃れるだろう。ちっちゃなキャラクターアイコンだって、それなりに創造性を発揮する余地はあるだろうけど、現状既に、大勢の参入者によってすっかりレッドオーシャンになってしまっているのが、ぱっと見でも分かる。

 たった一人のアーティストが、表層の記号をちょっといじるだけで同じ構図、同じ構想を使いまわして、1000点とか桁違いの数の作品を出品してるのだ。そして、同じことしてるアーティストが大勢いる。

 一応は、どの作品も「世界唯一」のアート作品だ。たった1ドット違っているだけでも、他作品とは、別物ではある。

 だけれども、これは違うだろう。


 マーケットプレイスのランキングページは、アート作品の販売価格の総額順に掲示されるようで、より多くの作品を出品、販売したほうが有名になれるっていうのが理由と推察されるが、俺個人の目から見て、いや、一般的な感覚を持っている大人の目から見て、血の池地獄で溺れている亡者の群れにしか見えない。


 そもそもさ、某呟きSNS自体、大半の大人は避けて通る地雷源となりかけているのに、その地雷源で見せびらかすことしかできないキャラアイコンを欲しがる人間が、どれだけいるのか、そしてその人間の「質」はどの程度のものなのかって話である。


 唯存律を持たず、複製された情報だけで自己意識を構成している人間は、「ものごとを疑う力」を持たない。そして世界中で、そのような人々が溢れかえって、憎悪(ヘイト)をぶつけ合っている。


 ……スマホのおかげで一つになった現代グローバル社会の、縮図でもあるのかもしれないな。


 まぁいいや。「クリプトアート」についてはこれ以上触れないでおこう。



 肝心なのは、俺。人様の動向はどうでもいい。俺の内なる世界に入っていかないといけない。


 さっきすずりちゃんと話したように、この手の自己表現創作では「自分が欲しいと思うモノを創る」のが大事。そうすれば、例え世界中の人々から一切評価されなくても、俺自身は、その作品を評価してあげることができる。創られた作品は死なない。どんなに小さくても、立派な成功体験になる。そして次に繋がる。



 それでは、「俺が欲しいと思うアート作品」とは、、、、先程翠菜に話したように、「スマホの壁紙にできる、家族の写真に代わる絵画」である。


 いや、家族の写真を壁紙にする事が悪いとは申しませんよ? ですけど、先程述べましたように、「家族はコンテンツではない」ですよね? もっと大切な、かけがえのない存在であるはずですよね?


 そして、結婚しそびれた、子供を授かりそびれた大人だって、その後の人生は続いていくのだ。企業に所属して仕事して、生活の糧を得なければならない。「たまたままぐれで家族に恵まれただけ」の、デリカシーのない「なんとなくフツー」の大人たちと、うわっつらだけでも仲良くしていかないと、生きていくことが出来ない。


 「家族に恵まれなかった大人達」が「運良く家族に恵まれただけの大人達」と対等に生きていけるように、「味方」になってあげられる存在があってもよいと思う。


 そして、「世界でたった一つのアート作品」は、その「味方」になれると、そのように考えるわけである。



 実際、俺個人の実体験だけど、自分で描いたオリジナルイラストで作ったスマホカバーは、周囲の人間と適度な距離を作るのに、有効に機能した。みんなこっちのパーソナルスペースに、ズケズケ入ってこなくなった。「あぁこの人は、なんかフツーとは違うんだな」って、少しは感じてもらえてたのだろう。

 ……良くも悪くもっていうところもあったかな。「オッサンのくせしてちょっとキモい」とか、もしかするとそう思われてたかもしれない。



 そのような訳で黒海銀一郎は、スマホの壁紙にできる縦長イラストをやるのである。昨今のスマホのアスペクト比はおおよそ縦横2:1だ。6000 x 3000 ピクセルくらいあればいいかな。

 スマホの壁紙に使える、縦横2:1のアスペクト比って、既存絵画では少なかったりする。一般的な肖像画は縦横4:3や16:9が多く、縦が足りない。左右をトリミングしてしまうと、構図が大きく狂ってしまって、要するに既存絵画は、スマホの壁紙にするのにあまり向かない。


 実際に人物画を書こうとすると、縦横2:1って、無駄に縦が長く、構図を埋めるのに苦労する。だけど、その苦労を乗り越えて(ついでにカメラホールを意識して左上に重たい要素を持っていかないようにして)、縦横2:1に最適化された絵画を仕上げてみせると、「おおっ?」ってなるわけだ。




 では次。内容である。縦横2:1のキャンバスに、何を描いていこう?


 さっき翠菜がちらっと話したように、東山魁夷の「緑響く」みたいな、静かな風景画もいいかもしれない。あるいは、俺のスマホカバーイラストのような、なんちゃって日本画。


 花都香女史は、「綾瀬川みたいに濃ゆいの」って言ってたな。銀座の尾緒久野画廊(ギャラリー)みたいな雰囲気の、ちと怪しい、オカルトテイストが感じられるものがいいのか?


 恵史郎の話では、相剋の関係にある2つの彩気をかけ合わせて、コンセプトを作るといいって言ってたな。某極大消滅呪文である。この間まで42歳童貞大魔導だった俺に相応しい流れである。童貞の喪失については、誠に遺憾であった。……そうすると、アダムとエミタメ? 「かわいいは正義」?


 まぁ兎に角、俺自身がスマホ壁紙にしたいと思えるイラスト。


 空間の奥行きと広がりは表現したいな。そうすると広角画角にして、背景を書き込む必要がある。どんな背景? 自然? 都会?


 綺麗な風景画もいいんだけど、ある程度は毒(ちょっとした悪意)が籠もってないと、スマホ壁紙にしてるうちに飽きてきちゃうんだよな。なんらかの形で毒は盛りたい。


 やっぱり、「ニッポンの絵描き」としては、女の子をきちんと描いていくべきかな。キャラクターアイコンはやらないけど、ちゃんと「同じ土俵で勝負できる技量はありますよ」っていうところは示したいかな。


 広角の構図。なんらかの毒。そして女の子。……ちょっとイメージ湧いてきた。


 恵史郎の話していた、2つの彩気をかけ合わせるについては、まだイメージが湧いてこない。今回は保留するかな。あるいは、とにかく女の子描いて、結果的に「かわいいは正義」になっていればいいのかもしれないな。


★ ★ ★


 そんなこんなの考え事をしているうちに、夢の産屋跡地に到着。いつものように地下2階に降りる。


 真夏のコンクリート建築は日中帯の強い日差しを浴びて、それはそれは暖められて、過酷な空間になってしまっているわけだが、サーバールームのある地下2階は常時冷房を効かせているので、その階であれば冷房入れなくても快適に過ごせる。


 誰もやってこないし、電話もかかってこないし。静かに創作に専念できる。考えてみれば大変ありがたい話だ。


 静かな地下室。傍らでは生を終えたカラスたちが静かに、少しずつ、天に地に還ろうとしている。この場所はこの世の一部でありながら、どこかあの世と繋がっている。


 生と死が混ざり合い、循環している。


 生と死の循環と言えば……。


「ヨモコ様」


『はい、どうしました? わたくしは銀一郎殿を信じていますよ。静かに応援していますからね』


「ありがとうございます。ちょっと雑談に付き合っていただいてもよろしいですか?」


『ええ、どうぞ。……今年も無事に、蝉たちが鳴き声を響かせてくれるようになりましたね。安心しますね』


「さっきの恵史郎の話で、自然界の動植物たちも心を持っている。「愛よりも尊い何か」をそれぞれ抱えて、生きているっていう話がありましたよね。自然界の動植物の生き様というか心のなかで、現代人がお手本にできるようなものって、心当たりがありますか?」


『恵史郎や椿姫に限らず、私達の身内は、みんな堂々と、穏やかに生きることができていますけれど。そうでない一般の皆さんは、どうにも窮屈で気の毒だわね。「人間が増えすぎた」って椿姫は話していたけれど。それだけじゃなくて、「遠くに行けなくなってしまった」ように思います。物理的に移動できないのではなく、「どこに行っても同じ世界、同じ正義、同じ自分」』


「些細な事で、しょっちゅう炎上させあってますもんねぇ。……アダムが過剰なんですかねぇ」


『「人間が多すぎるという実感」が、「要らない人間」だと見なされることへの恐れに繋がって、「正しい側の人間でいたい」と、欲するのかしらね。利害があるわけでもないのに弱いものいじめをしたって、正義の味方にはなれないでしょうに』


「アダムを剋するのはパンゲアですね……亀や象の心を、現代人に分けてあげることはできませんかね」


『銀一郎殿は「心が固すぎる」って、前に椿姫が話していたでしょう。「誰の言葉も届かない」って。銀一郎殿は、貴方自身が既に強い甲羅ですよ。あなたの心を、そのまま分けてあげれば、いいんじゃない?』


「過剰なアダムとはつまり、飛んでくる火の粉。火の粉から身を護るには、固い鉄の甲羅。……それがつまり、俺が描く、スマホ壁紙そのもの……?」


『銀一郎殿が描く絵が、それだけでパンゲアなのだとすれば、もう一つ。相剋の関係にあるリリスの何かがあれば、さっき恵史郎の話していた「強い価値観」になるのかしらね?』


「リリスですか……動物は嘘はつかないだろうって思ってましたけど、さっきの恵史郎の話だと、土壌生物は生き方そのものが「嘘」ってことなんですよね」


『太陽から、光から隠れてしまうんですものね。眼も手足も退化させてしまって。大胆な選択よね、改めて思い至ると……。「最初のわたくし」も、いいように喰い散らかしてくれましたからね』


 ヨモコ様が程よい毒を含んだ、遠い目をする(ような気がした)。かつての伊邪那美命であった頃の出来事に、想いを馳せているようだ……。

 本当は実に恐れ多い存在のはずなんだけどな。俺もすっかり慣れちゃったな。



 ふむ。作品の背後の世界観に「土壌世界」が広がって、そのシンボルとして、何らかの「土壌生物」がいるといいかもな……。そうすると、この間いろいろ関わった、ミミズがいいかな?なかなかにナマナマしいしな、ミミズ。


 ……改めて題材を列挙すると。


 土壌世界。もしくはなんらかの嘘・違和感のある世界。女の子。そしてミミズ。……うん、いけそうかな。


「ありがとうございます、ヨモコ様。おかげで題材が揃いました」


『あらあら。芸術のお手伝いができるなんて、思ってなかったわ。悪い気はしませんね。……今後も遠慮なく、相談に呼んで頂戴ね』





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