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放課後君は夜と踊る。ハリボテの月を俺は撃つ。  作者: 空野子織
第3章:「今の時代」と「昔の時代」。
31/61

028 「お告げ」がありました。手料理作って。



 神保町すずり邸に戻ってきた。玄関ドアに手をかけたところで、中から複数の女性の声が聞こえてきて、あることを失念していたのを思い出す。


 美羽希姫繭(オニヨメーズ)が、DEバーガー行くって言ってたんだ。忘れてた。

 いるのか、美羽希姫繭(オニヨメーズ)

 あはははって、笑い声も聞こえる。酒も入ってるな。



 うわ、まいったな。翠菜さんの進路のことばっか考えてて、DEバーガーのこと、考えてなかった。

 それに、俺が翠菜さんと二人でいるところを見られたら、何言われるか。

 「きゃーJCに手を出した黒海先生、今度はJKに浮気かー!?」くらいは、余裕で言ってくるだろう。



「先輩方、来てらっしゃるんですね」

「翠菜さん、面識は?」

「ありますあります。……皆さん、私には気を遣ってくださいます」

「翠菜さんの部屋に入ったりは?」

「してましたよ。黒海さんがいらっしゃるまでは、「フロアまるごとみんなの住まい」って感覚で使ってましたから」

「そうなんだね」


 応対するのが面倒だからと、翠菜さんの部屋に入って静かにしてて、3人が帰るまでやりすごそうかとも考えたが、俺らが顔見せないままだと、きっと部屋入ってくるな。


「何やってんだクローム!! わたしらに隠れてこそこそ床勝負かぁ? 男らしく堂々とヤリなさいよ! 私達の見てる前で!!」


 とか言ってな。


 顔出さないと、ダメか。




「中に入っちゃって、大丈夫かな?」

「ええ、いいんじゃないですか?」


 翠菜さんは、苦手意識ないみたいだ。……嫌だなぁ。今日は3人で、酒も入ってるし。スーハーって、深呼吸して。


 開けます。

 靴を確認。来ているのは3人。



「「ただいまー」」



「あぁー、JCに手を出したクローム先生、今度はJKを強姦だー!!」


「スイスイーおひさー、どうだった? どんなことされた?」

「はい。誰もいない夜の学校に忍び込んで、マリア様像に両手をついて……マリア様の見ている前で……後ろからでした……」


「翠菜さんなんてこと言うの! ウソでもネタでも超えちゃいけない一線って、あるでしょー!?」

「くろむ先生、幼稚園生と小学生は、さすがにマズいです。それはやめてね」

「繭さん、黒海先生は小さな女の子には手を出しません。その子の見ている前で、その子の母親を、犯すんです」


「なるほどー。いやー、悪いなー。どんどん悪のエロ大王になってくね、チョロメ先生」


「やめてよ! ウソにウソを重ねて、悪事の重さで、競い合うのやめてよ!!」



 今日は3人とも酒入ってるからな。いつになく勢いが強い。

 すずりちゃんはもちろん、翠菜さんもやはり、女性陣につくのか。


 5対1。敵うわけない。

 どんどん悪質性犯罪者にされていく。



 このときだけは、リリスを開いていないすずりちゃんでも翠菜さんでも、ポンポン嘘が出てくるんだよな、不思議なことに。




 はぁ、しんど。



★ ★ ★



 ブワァア! って襲ってくる、ハラスメントトークの波から逃げず、じっと耐え忍ぶこと数分。


 すずりちゃんと翠菜さんが冷え冷えのスポーツドリンクを振る舞ってくれて、それ飲みながらリビングで情報共有。





「DEバーガー、行ってくれたんだよね、ありがとうございます。 どうだった?」


「うん、しっかりおいしかったし、月曜なのに活気があったよ。それと、そう。女店長さんもいたよ」

「えぇ? 月曜はベーグルの店やってるって言ってたよ?」

「今日も早く売り切れたから、お店に出てきましたって言ってた。……あの店長さん、いかんね。いろいろ」

「それとね。なにげに青杉先生、いました。私達奥のテーブル席で私服だし、青杉先生カウンターだったから、私達には気づかなかったと思うけど」


「あたしらもさ、閉店まで粘るとお店に迷惑じゃん。お酒呑んでもバーガー屋さんだからね。長く居れないのよ」

「他のお客さんは?」


「満席にはならなかったけど、普通の飲食店って、月曜ヒマヒマにしてるじゃん。そういうヒマヒマな空気は流れてなかった。……結構頑張ってる、良いお店だよ。そう。お店はいいんだよ」

「女店長さん、いかんね。ありゃマズい。なんとか手、うたんと」


「帰り際にね。「すごくおいしかったです。楽しかったです。近いうちまた来ます。ご馳走様でした」って、念を込めて伝えたから、しばらく大丈夫だと思うけど……。ほんとうは、「まゆまゆミルク」、その場であげたかった位」



「どんな感じで、まずかったの?」

「スーズリィと会う前の、チョロメっちって感じをイメージすればいいかな? 別に誰かに憑かれてるわけじゃないけど、敵対心(ヘイト)を溜め込んでてヤバイ」


「お客さんとお店のスタッフがみんな、仲いいの。お客さんもお店に気を遣って、早く帰ってくれるのね。ごくごく自然に「ありがとうございましたー」って言葉が飛び交うお店。コロナ後なのに、すごくよくやってるお店だと思うよ。お店に、いい気が巡ってる。……それなのに、店長さんにはどんどん敵対心(ヘイト)が溜まっていくの」


「別に店長がキレたりしてるわけじゃ、ないんでしょ?」

「お店のスタッフさんとか、常連のお客さんに、すごく気を遣ってるね。私達にも挨拶に来てくれたし。「初めてのご来店ですか?」って、言ってくれたから、かなりお客さんの顔、覚えてるんだと思うよ」


「お客を一人ひとり覚えるのは、銀座のクラブか、赤坂の高級料亭くらいだよね、今時。本郷のバーガー店でそれやるのは、凄いことだけど。でも、しんどいよね」


「たった一人で、なにかと、戦ってる。そのせいで、敵対心(ヘイト)を溜め込んでる。その何かっていうのは」


「「時代」か」


「そうだね」




 なんとなく、彼女のキツさが、イメージできる。

 おかしい。店は上手くやってる。お客さまも喜んでくれてる。スタッフも楽しく仕事してくれて、成長してくれてる。……それなのに、どうして私はこんなに憎いんだ?

 私はいったい何を、「許せない」んだ?



「偏頭痛が収まらなくて、眠れない。頭痛だけなら「神経内科」なんだけど、ストレスが原因で「眠れない」になると「心療内科もしくは精神科」になるんだ確か。……それで、青杉医師と関係があるのかも」



「青杉先生に話を持ちかけるのに、慎重になりたいのは分かるんだけど、あの店長さん、マズイよ。このままだと、どんどん人を、殺しだすよ」


「と、いうよりも、殺しだしてるからこその、あの憎悪(ヘイト)かな」

「高齢者の通り魔がらみかな、そうすると」


「昼間新木場で、おじぃちゃん祓ったんでしょ? どんなだったの?」

「あんまり悪意や憎悪がなかったんで、捕獲しないでその場で祓っちゃったのは問題ない?」

「オーケー。もう、どんどん自分で決めていいから」

「株が下がってイライラしてたとか言ってたな。病院帰りに買ったパンを食べたら、おかしくなったと言っていた。御茶ノ水の大学病院に脳ドックだか人間ドックに行って、その帰りにベーグル店に立ち寄ってたら、話がつながるんだ。第一印象としては、定年する頃にマンション買って、財テクしながら過ごしてる、お金持ち老夫婦」

「新木場からバス乗って、お台場のマンションか。人生「あがり」だよね。基本、ヘイト溜まってないよね。そんな暮らしなら」


「おじぃちゃんは、奥さんを殴り殺した後、ホームドア乗り越えて、飛び込んだんだよね。そういう念を打たれたのかもね。「誰かを殺して、自分も死ね」って」

「今までの、殺しておしまいの通り魔より、念が強くなってない?」


「くろむお兄ちゃん。私からナナちゃんにも相談するけど、青杉先生のところには、早く行ってあげたほうがいいよ」

「一番最悪のケース。あの針山さんって女店長が暴走して、バーガー店にお客として来てる青杉先生を殺してしまう。その後針山さんも自殺する。あるいは二人で無理心中。彼らに彩命術教えた黒幕への手がかりが、なくなる。それが最悪かな」


「遠目にしか見てないけど、青杉先生と針山店長、結構長話してたの。「針山店長がおかしい」って、青杉先生も気付いてると思う」

「仲よさげだったんでしょ?」

「うん」



「なるほど。針山店長の精神状態が不安定で危険だって状況は承知した。……青杉医師と上手く交渉を進めるために、下曽根に関してもう少し詳しく調べてからと思ってたんだけど」

「璃音ちんにあたしらから相談しておくよ。あの厨二病オジサンの著作とSNSの投稿を大昔まで遡って精査すればいいんだよね? アヤツなら、OCRとかテキストマイニングっての? で、バババッてやってくれると思う」


「……いくら彼がプログラム得意でも、言うほど簡単でもないはずなんだけど……だけど、下曽根の発言を全部一箇所に集めて時系列に並べて、特定キーワードの分布を見れば、青杉医師と関係ができた時期を、おおよそ把握できるか。それだけでも全然変わってくるね」


「りんりんもね、変わってるけどね。根っこは素直な男の子だよ? お願いすれば、大体スパッてやってくれるから」

「そうか、じゃあ璃音君に頼むのは、お願いします。明日のどっかの時間帯に、七瀬さんと連絡取って、青杉医師とコンタクトとるタイミングを相談すればいい?……明日の午後一で大丈夫?」

「うん。それまでにナナ姉に根回ししとくから」

「よろしくです」



 この流れだと、明日はなくても、明後日にはもう、青杉医師とご対面になるな。……頭の整理、進めておかないと。




★ ★ ★



「さて、物騒な相談事はこんなもんかな……。あたしらは、今日はこのへんでおいとましますかね」

「くろむお兄ちゃん、私、明日もお店ないから、「地味滋味ベーグル」、私達で行ってみるよ」


「そう? 俺行かなくていい?」


「別にチョロメっちを針山店長に会わせたくない、とかじゃないよ? 別にいいんだけど、あたしらがこまめに顔見せに行ってあげれば、あの人の敵対心(ヘイト)、少しずつ抜いてあげられるからさ」


「なるほど、そちらには「Another Mother」でのノウハウがあるもんね。よろしくお願いします」


「はい! その代わりに! ワタクシ鈴懸! クローム君にお願いがあります! チョー重要な、お願いであります!」


 鈴懸さんがものすごく勢いよく、右手を掲げて陳情してきた。……嫌な予感がする。


「何?」


「手料理作って。私達5人に。明日の晩ごはん」







「……へ?」


「ついさっきね。私に「お告げ」が下ったんだよ。「クローム君に食事の支度をさせるんだな。手料理を供する、経験を積ませるんだな」って」


「唐突に何? 手料理って、俺、味噌汁作って、ジャガイモの皮むけるくらいだよ? 何で急に?」


「分かんない。お告げはお告げだから、なんだな」


「なんだな?」


「なんだな」


「なんだな!?」


「な・ん・だ・な!」


 ……なんてことだ。まさか。いやしかし。今の俺にヨモコ様が憑いているなら、あるいは、ありえるのか?


 どうでしょうヨモコ様。

『ここ最近は、椿姫に憑いて、イスラエルで唯一神の勉強をするということで、あまり気配がなかったのですが。どうしたのでしょう。もう「やまと」もしっかりしているし、いないならいないで、静かで涼しくて良いのですけど、いたらいたで、暑苦しいわね』


 いろんな神様方の声が聞こえるようになっていた20年くらい前から、俺初詣は、飯田橋の某大神宮にしてた。神社そのものがそこまで大きくないから、周りに露店でてたりもしてなくて、あんまり混んでなかったのだ、当時は。案外初詣の穴場的な感じで。


 別に初詣のときでなくても、その神社にお参りに行くと、ちっちゃな女の子が元気に声をかけてくれて。

 ……そのちっちゃな女の子神様の口癖が、「なんだな」。


 鈴懸さんが、その女の子神様と同じく、「なんだな」と言い出しているということは……「お告げ」とやらの主が、つまりそういうことなのか。





「……急にそんなこと言われましてもですね、俺、いや、私としてもヒマヒマなわけではなく、青杉医師と交渉する準備だってあるのですが」


 どうにもへりくだってしまう。



「チョロメっち。美羽のお告げには、従っておいたほうがいいよ」

「青杉先生のところに行く準備は、私達も手伝うから。……私もお兄ちゃんの手料理、食べてみたいなー」

「黒海さん、私の部屋のキッチン、使って下さい! 大きい炊飯器も、オーブンもありますから!」

「銀さん、今朝話してたじゃないですか。「人間らしく生きるための食事って、どうあるべきなんだろう?」って。それを考える契機です。これは」


 5人の意識が一つになって、俺に圧をかけてくる。

 10の目が怪しく輝き、俺の魂を、追い詰める。


「なぁ、俺の仕事ぶりに問題があったら、正直に言ってくれればいいんだ。だけど、どうしてこう、いつも突然に無茶振りされるのか、それが分からない。別に明日すぐ、俺の手料理食べないといけない必然って、ないでしょ?」



「そう。必然は何もない。だからこそ、必要なこと、なんだななの!」

「いつも言ってるじゃん。私達の運命は、とても急な川の流れみたいなもんだって。その急な流れのなかでね、私達同士がぶつかってお互いが傷つくことがあるんだ。……そうならないために、ちょっとだけ、運命の流れを変えないといけないときが、あるのよ」

「経験則でね。女ばっかりで集まって、仕事進めてると、良くない流れになるんだよね。女はみんなエゴが強いから。エゴとエゴがぶつかって、新たな敵対心(ヘイト)が生まれるの。そうならないためにね。くろむお兄ちゃん、お願いします」

「料理でしたら、私もお手伝いできますから!なんなりと、お使い下さい!」

「大丈夫ですよ。銀さんだったら、素敵な手料理、パパ〜って、できちゃいますよ。ね」



 5人の意識が更に結束を強め、俺の逃げ道を塞いで立ちはだかる。


 5人揃った。これからが本番だ。


 そのように、女たちの心の声が、聞こえてくる。……さらにそのバックには、大変に、やんごとなきお方が控えている。



「はぁ……分かったよ。何か考えて、ご用意しますよ。明日の夜、何時?」

「19時!」

「では、その時間に合わせて、お食事ご用意しますね。……やるからには、俺なりに真面目にやるけど……料理素人なんだから、あまり期待しないでよ」




「大丈夫大丈夫! めっちゃ楽しみに待ってるから!」

「気負わなくていいからさ、リラックスして、すごい美味しい料理にしようと思わなくていいから。なんか面白い料理、考えてね」

「献立はお任せします。冷食使ったりしてくれていいから。……それでも、お兄ちゃんなら真心こもった手料理にできるよね?」

「炊飯器は5.5合炊きがあります! 寸胴鍋も各種サイズ、取り揃えてあります!」

「大掛かりでなくていいんですよ。最悪、ご飯とお味噌汁だけで、いいんです。……でも銀さんなら、なにかやってくれると、思ってます」



 10の目が爛々と輝く。なんてことだ。


 ……何らかのハラスメントなように思われるが、俺が本気で「いいかげんにしてくれ!」って言い出す手前でやめるんだ、いつも。


 職場のハラスメントは、総務の担当だ。今度恵史郎に相談してみようか。


『ごめんよ、兄ちゃん。オスはメスに敵わない。それが、自然界の掟。交尾が終わったらエサになるカマキリでないだけ、マシと思って』


 頭の中に思い描いた恵史郎が、秒で返事を返してきた。まだ相談してもいないのに。

 同じく、頭の中に真光と凛音君が出てきて、代わる代わる、俺の肩をたたく。


『男の修行って、そういうことなんだぜ』

『真に受けすぎず、頑張りすぎず。……どうか、ご無事で』



 ……彼らも苦労してきたのだろう。彼ら3人の顔を思い浮かべるが、3人が3人、ど〜んよりと疲れ切っている。




 はぁ。





★ ★ ★ ★ ★



 21時すぎになって、美羽希姫繭(オニヨメーズ)は、帰っていった。


 食器の後片付けやら入浴やらも終わって、俺達3人、後は寝るだけだ。


 これで残るは、夜のおつとめだけ。……それにしても今日は一日、ずいぶん長いな。



「銀さん、本当に、料理は無理しないでいいですからね。銀さんの「心」が伝わればいいんですから。おかずをデパ地下惣菜で済ませて、ごはんとお味噌汁だけ作ってくれるのでも、いいんですからね」


 すずりちゃんが気遣ってくれる。……一人だったらこうして俺を労ってくれるのに、あいつらと組むと、なんで豹変するのか。……まったくもう。



「うん……お気遣いありがとう。……俺としても、心当たりがないわけじゃ、ないから」

「なにかあるんですか?」

「俺の地元の足立区ね。近年学校給食に力を入れてるらしくて、人気メニューがあるんだってさ。俺が中学生の頃はそうじゃなかったんだけど。その辺調べて、なにか用意しようかな」

「給食ですか。栄養バランスはいいですもんね。さすが銀さん。「まごころ」の引き出しが、たくさんですね!」



「まぁ明日なー、翠菜さん連れて、丸の内の本屋行こうと思ってたんだよ」

「北口にある、あの書店ですね? あそこも大きいですもんね」

「神保町派のすずりちゃんには申し訳ないけど、理系の専門書が一箇所に揃ってて、分かりやすいんだわ。大型書店なのに風通しがいい感じで、俺はあそこ派なの」


「翠菜の専攻、一緒に考えてくれてるんですね。ありがとうございます。明日のデイリー、私一人で行きますよ? その時間に北の丸行ってきちゃったらどうですか?」


「お気遣いありがとう。でも、大丈夫だよ。「地味滋味ベーグル」の場所も伝えておきたいから、明日も一緒に行くよ」


「そうですか。すみません、いろいろ」



 さて、それでは、そろそろかな。


「すずりちゃん、確認するけど、今夜翠菜さんと俺とで、床勝負するわけじゃん? だけどさ、翠菜さんのご実家の神様との約束で、翠菜さんは「乙女」でないといかんのでしょ?」


「はい。そうは言っても、「挿れなければいい」んですよ。日本の神様がですねぇ、そっち方面でお硬いこと仰るわけないんですから。「乙女」なんて、うわべだけでいいのです」


「うむ、承知。どこまでお楽しみいただけるか分かんないけど、俺なりにやってみます」


 普通に考えれば、「挿入なしの性行為」など成立するのか? 一休さんのとんちか? になるのだが、やりようがあるのである。

 要はオーガズムに達してもらえばいい。それだけの話な訳で。

 俺は俺で、数日後の本番に備え、精子を温存しておかなければならないから、今日は本当に形だけだよな。肩もんであげるようなもんだ。



 コンコンっていうノックの後、入浴を済ませた翠菜さんが入ってきた。浴衣である。いいですね、夏らしくて。

「お待たせしました……」


 化粧もすっかり落として、髪の毛を三つ編みにして、胸の前に垂らしている。うーむ。オジサンにはもったいないですね。


「銀さん、今夜はそのまま、翠菜と一緒に寝てあげて下さい」

「分かりました。明日の朝、デイリーの時間になったら、戻ってくるから」


「はい。おやすみなさーい」



 すずりちゃんにおやすみの挨拶をして、部屋を出る。

 すずりちゃんはすずりちゃんで、俺が他の女性と関係を持つことに、な〜んの抵抗も、疑問も抱いてない。


 彩命術師にとっての性行為は、「全員の自分」を整えるための手段の一つに過ぎない。

 俺にとってもすずりちゃんにとっても、最早毎日の歯磨きみたいなもんだ。


 なんだけど、翠菜さんにとっては、そうではないかもしれないな。様子を伺うに、今夜が初めてっぽいし。


 今夜の経験が、翠菜さんの人生の汚点になってしまわぬよう、丁寧にお相手しないといけないことは、確かだ。



 まぁ、でも、大丈夫かな。



 改めて、翠菜さんが生活する3LDKの部屋に入室させてもらう。


「おじゃましまーす」

「どうぞ。……可能な限り、掃除と整理整頓はしましたが、至らぬ点があったら、なんなりとご指摘下さい」

「俺の方こそ、なにか翠菜さんを不愉快にさせてしまってることがあったら、遠慮なく言ってね。俺に直接は難しかったら、すずりちゃんに言ってくれてもいいから」


「お姉ちゃんからいろいろ伺ってますので……大丈夫です。きっと」

「そかそか……まださ、寝るまで時間あるよね。少し部屋の中、見させてもらっていい? もちろん、アラを探すつもりじゃ、ないから」


「あ、はい。どうぞ。……明日の料理もありますもんね。特にキッチン周りや食材は、じっくり見ていって下さい」


「あ、そうだね。それでは、キッチンから見させてもらいますね」



 部屋の間取り自体は、すずりちゃんの部屋と同じだが、こちらの方が厨房機器が充実している。

 その分、キッチンだけでは収まらず、ダイニングにまで収納棚や調理器具がはみ出して、食事用のテーブルはリビングに置かれている。


 特に目立つのがワインセラーだな。そこそこ大きなサイズ。

「ワインセラー、もしかしてぬか漬け用?」

「はい。ぬか漬けは、適温が20度前後なんですよ。冷蔵庫では、野菜室でも冷やしすぎてしまいます。夏でも冬でもぬか漬けを続けたいので、ワインセラーに入れてます。……コンプレッサー式を買ってもらったので、暑い時期でも大丈夫です」

「ペルチェ方式は、室温高すぎると冷えなくなるからね」

「黒海さんも、ワインセラー、持ってらしたんですか?」


「パティシエマンガ書こうと思って、スイーツの勉強するためにね。高級チョコレートの適温がやっぱり20度前後なの。常温じゃ難しくて、冷蔵庫じゃ冷やしすぎる。……一番安くてちっちゃいワインセラー買ってみたんだけど、真夏、室温35度超える日にチョコが全部溶けちゃってさ。ペルチェ式は限界あるなーって」


「セラーまで調達して勉強されてたんですね」

「マンガ家諦めたらまったく使わなくなって、処分しちゃった。……ずいぶんもったいないお金の使い方してきたよ」



 5.5合炊きの炊飯器。お米もある。オーブンもある。鍋やフライパンも様々なサイズが揃っている。コンロはIHではなく、ガスコンロ。……もっとも、中華鍋も使わないし、揚げ物もやるつもりもないのだが。


「なんかさ、翠菜さんとすずりちゃんの二人分のためだけの調理器具じゃなくない?」

「こまめに先輩方がいらしてたんですよ。特に繭先輩が料理お得意で、よく作ってくださったんです」

 なるほど、ジョカ開いてる錦織さんなら、調理器具、いっぱい買い揃えちゃうよな。


「黒海さん……どんな料理、やられるおつもりなんですか?」

「一品はね、決まってるの。足立区名物、「エビクリームライス」」


「足立区には、名物料理があるんですね」

 翠菜さん、足立区ディスらないな。そこはさすがに、お嬢様学校行ってるだけあるな。


「実は俺も最近まで知らなかった。俺の地元の足立区がね、今年で区政90周年なんだって。その記念に、区内の公立学校の人気給食メニューを特別にコンビニで売り出すって企画をやったらしくてね。そのメニューが、「エビクリームライス」」


「へー、なんかこう、いいですね。学校給食に名物があるんですねー」


「今は、そうらしいよ? 俺が小学生中学生の頃はそんなメニュー出てなかったはずなんだけど、最近は学校給食に力を入れてるそうでね。せっかくだから北千住のコンビニにわざわざ買いに行ったわけです……まずは、それをやろうかなと。レシピも公開されてるしね」


「お姉ちゃんも食べたんですか?」


「いや、俺だけ。コンビニ弁当だし、わざわざすずりちゃんに買っていくほどでもなかったかなと。そこまでスゲー料理ってわけでもないし」


「そうですか?」


「ツッコミどころがそれなりあるの。「白いご飯をホワイトシチューで食べるんですか?」とか「なんでドリアにしないんですか?」とか。だがそこがいい。下町の給食なんだから、細かいこと後回しでね。栄養摂れればいいんです。その辺割り切ってるところが、俺は好き」


「……地元愛ですね。下町育ちならではじゃないですか」


「その他のメニューどうするか、まだ思いつかない。……エビクリームライス、肉ガッツリじゃないんだよね。ちとタンパク質少ないんだよな」


 せっかくだから、楽しくやろう。俺に料理ネタ無茶振りしたことを、後悔させてやらねば。……思い切りマニアックなメニューにしてやる。


「うん。今ここでは思いつかないね。……翠菜さん、明日なにか用事ある? よかったらちょっと一緒に、本屋行かない?」

「ええ、是非、お願いします! 私はデイリー以外には、これといった用事ありませんから」

「ちょっとプログラミング関係の専門書、一緒に見てみようと思ってさ。翠菜さんに本当に向いてるか、知りたいでしょ? 丸の内の本屋、デカくてさ、料理の本もいっぱいあるから、そこ行ったほうが、いろいろアイデア浮かぶと思うし」

「あ、はい、よろしくお願いします! 私の部屋の蔵書も、よかったらご覧ください」



 すずり邸における、すずりちゃんの仕事部屋に相当する部屋に案内させてもらう。主に勉強部屋として使われているようだ。PCもある。国内BTOメーカーのゲーミングノートだ。ノートの手前にコントローラー。弾幕STGやるなら、ちょうどいいだろう。


 部屋の左側に勉強机やPC。


 部屋の中央奥に大きめの棚がドンドンドンと置かれていて、そこに苔を育てている水槽が多数。A4の書籍がたっぷり平積みできるスクエア型のアクリル水槽が、5つ。それぞれ、別の品種を育てているようだ。


「お姉ちゃんがプレゼントしてくれたのは、ほんの小さなビンのものだったんですけど。広いお家の方が苔たちも嬉しいかなとおもって、大きい水槽に変えたんです」

「そこら辺は、金魚や亀飼うのと一緒だね」



 テラリウム達の前には、専用のスタンドの上に、アコースティックギターも置かれている。ここで苔たちに弾き語りを聞かせるのだろう。


「もう夜なので、さすがに今は控えますね」

「そうだね。またの機会にお願いします」



 そして、部屋の右側が本棚になっている。「あやしろ文庫」は堂々たる平積みだが、こちらはちゃんと本棚にしまわれている。結構多いぞ。


 日本神道についての様々な観点からの解説書。キリスト教を中心に、メジャーな伝統宗教に関する解説書。日本の近現代史を扱った重たい内容の書籍。地政学の入門書。


 まだある。


 ぬか漬けの入門書や、さまざまな料理本。微生物学の専門書。それから、蟻や蜂の生態に関する解説書。テラリウムの入門書。すごい、「ファーブル昆虫記」が全巻揃ってる。


 その他、「土壌」についての書籍が、結構多いな。


「なるほど。「土壌学」って分野があるんだね」

「生態系や生物多様性を包括的に扱った書籍より、「土壌」に特化した解説書のほうが詳しくて、分かりやすいんですよね。彩命術の「霊態系」について考えるヒントが、豊富に詰まっているように、感じるんです」



 見事に「学者の書斎」だな。ざっくりとは、宗教と歴史、料理と生物学。 ……IT系やアート・グラフィック系の書籍は、ほとんどないかな。……いや、違う。


「写真集があるね。屋久島。森の写真が好きなんだね」


「テラリウムに興味持ち出してから、「自然が作る緑」って綺麗だなって思うようになって。写真集眺める時間は、長いですね」


「翠菜さん、写真には、興味ある?」

「はい、いつかはやってみたいです。……ですけど、真光さんに、「写真は沼だぜ。要注意だ」って言われたことあって。……デイリーがあるので遠出はできないですし」


「うん。カメラ本体じゃなくて、レンズに凝りだすと、お金がいくらあっても足りない」

「レンズ高いですよね。……お姉ちゃんとも相談して、「おこづかい」で生活しているうちは、手を出さないようにしようと」

「なるほど。すずりお姉ちゃんのお財布は、ヒモが固いからね」

「そうなんですよねー」


 うんうんとうなずく、翠菜さん。



 いや、しかし、立派な勉強部屋だ。苔達が暮らしているのもあって、静かで落ち着いた空気が流れている。

 高校時代から自室にこれだけ充実した学習環境を用意できれば、そりゃ何者にだって、なれるだろう。

 俺だってなんだかんだ大学は行かせてもらってたし、本買う金に困りはしなかったけど、ここまでじゃなかったからな。

 「勉強できる環境がある」ということは、本当に幸せなことだ。


「翠菜さん、あまりネットとかSNSとか、やらないでしょう」

「やらないです。……クラスメートはやってる子多くて、あれはあれで楽しいんでしょうけど。いろんな人のいろんな意識が、満員電車みたいに詰まってる感じで、私は苦手です」


「うんうん。是非是非、そのままでお願いします」



「あの、黒海さん、夕方ぐらいに、「論理的思考力を鍛えるトレーニングがある」っておっしゃってましたよね? よかったら今、教えて下さいませんか?」

「あ、今やる? ……まだ10時だもんね。そうね。今やろうか。……ごめん翠菜さん、アイスコーヒーとか、あるかな?」

「ありますあります。……コーヒー飲みながらが、いいですよね」



★ ★ ★



 勉強机に並べて置いてあるPCを、スリープから復帰させる。


「翠菜さん、これ表計算入ってるかな」

「えぇ、あります」


「えーっとね。やることは、素数を求めます。ひたすら。それだけなんだけどね」

「素数って確か「1と自分自身でしか、割れない数」でしたよね」

「うん。2、3、5、7って続いていくやつ。2ケタくらいだったら大体知られてるけど、数が大きくなると、分かんなくなるよね。それを、調べていきます」

「はい」

「で、表計算使います。でね……」





 以下、箇条書きで説明していきます。


・表計算のシート1枚を使用。

・「A列」に、A2=2、A3=3、A4=5、というように、知っている範囲でいいので、素数を縦に入力していく。

・「1行」に、A1=1、B1=A1+1、C1=B1+1、というように、自然数の数列を入れていく。B1に入力した数式を右にコピーしていけばOK。

・一番左の縦軸に素数が、一番上の横軸に自然数が並んでいる。「B2」のセルから、空白が並んでいる。この空白に「縦軸 X 横軸」の値を入れていく。

 「B2 = $A2*B$1」と入力して、下及び右のセルに、数式をコピーしてしまってOK。


・一番左の列と、一番上の行を除いた残りのセル(テーブル)には、「素数以外の数」が収まっている。この掛け算で出した値が入っているセルに「含まれない数」が、次の素数となる。


・仮に、素数を2, 3 5, 7 まで入れたとする。テーブルには、8,9,10が収まり、その次が12。11が「含まれない数」なので、7の次の素数は11となる。

・左端に11を入れた「6行」についても、同様に、一番上の自然数の数列との積の値を埋めていく。


・以下、同様に、右のテーブルに含まれない数を素数として左端の数列に加え、右のテーブルを埋めていく。これを繰り返す。




挿絵(By みてみん)





「こんな感じ。とりあえず2ケタは全部出してみた。一番最後が「97」になったね」

「素数を赤。素数以外を別の色に塗っていくと分かりやすいですかね。一番下のケタが1、3、7、9になっている数を洗っていけばよさそうですね」

「そう。下一桁が2、4、6、8、0になっているのは偶数で、素数でないことが確定だから、見なくていい。……つまり、そもそもこの表に載せなくていいんだ。偶数を載せていても冗長なだけだから、少し改良しましょう。2シート目を使おう」

「はい」


・2シート目も同様に、左端の列には、素数を埋めていく。

・最上段の行については、自然数ではなく、「奇数の数列」を入れる。「B1 =A1+2」と入力して、後はコピーでOK。

・「B2」以降のセルに、「B2 =$A2*B$1」と入力して、残りをコピー。

・順次、右のテーブルを埋め、「含まれない数」を素数として抽出して、左端に追加。これを繰り返す。




挿絵(By みてみん)





「……とまぁ、こんな感じで進めていくわけ」

「これは、どこまでやればいいか、みたいなのは、あるんですか?」

「強いて言えば「飽きるまで」かな。スポーツの筋トレみたいなものだと思って、1日30分? いや、15分でいいかな……しばらくの間、続けてみるといいかもね」


「なるほどー、数の集まりを「ネガポジ反転」させるんですね」

「そうそう。ちなみに、俺が始めから考えたわけじゃないんだ。「エラトステネスのふるい」って古くからある考え方をお借りしてるだけだから」


 名付けて、「エラトステネスの筋トレ」。





「あの……今少し、やってみてもいいですか?」

「うん。どうぞどうぞ」


 翠菜さんがPCに釘付けになって、地味〜な素数抽出作業を続ける。……面倒くさがってる気配はないな。

「この作業に、どんな意味があるんですか?」って、言い出さなければ、素質ありとみていいだろう。


 ……どうしてこの作業が論理的思考力を鍛えるトレーニングになるのかについては、説得力ある根拠を示せるわけではないし、そもそも俺も、そこまで大きなプログラムを組んだわけでは、ない。

 なんだけど、多分おそらく、「これでいい」。


 ある一つの集合に対して、一定のルールによって要素を「真」と「偽」に分ける。抽出した「真」の要素を使って、「次の集合」を作っていく。

 単純な作業をひたすら繰り返すだけで、自らの手作業で、知識に頼らず、とても大きな素数を探し出すことができる。


 人間に仕事を頼むことと、プログラムに仕事をやらせることの「違い」を、端的に実感できる点については、結構自信がある。

 「表形式」は、最もよく使われるデータ構造であるはずだし。



 ……翠菜さんが素数抽出に専念している間、アイスコーヒーを飲みつつ、本棚の書籍を詳しく物色させて頂く。

 本当にプログラミング方面でいいのか、その他の選択肢はどうなのかについても、検討しないといけない。


 先程、翠菜さんと二人でデイリーのコースを歩いていたときの会話を思い出す。

 翠菜さんは、学校の友人達の今後を、心配している。……このようなご時世だ。至極当然の話だ。


 すずりちゃんが翠菜さんの立場だったらどうするかな。

 友達一人ひとりの「一番大切な思い出」をいつでも思い出せるような、あるいは「あるべき自分」を見失わないような、そんな筆書きをやってのけるのだろう。



 翠菜さんも、すずりちゃん同様、「モラルウェア」方面の何かがいいよな。心にかけるメガネ。自分を見失わないための道標。



 翠菜さんの友達の視点で考えてみようか。友人達には、この先どんな困難が待っているだろう。

 一番大きい懸案は、やっぱり結婚かな。無事にパートナーを見つけることができるのか。


 失敗しない結婚のためには何が必要か。

 一つは、男性の真価を見抜く目だ。浮気しないか。責任感はあるか。金銭感覚はまともか。清潔か。健康か。仕事はできるか。家庭を省みてくれるか……などなど。

 まともな男性を見つけることが出来たとして、その次に必要なのは、その男性に「選ばれる女性でいること」だ。「仕事がデキる女性」であろうとするあまり、「仕事しかできない女性」になってしまっては、売れ残る。男に媚を売り出すと、他の女性から嫌われる。さじ加減も、重要。


 友人達は、どうして翠菜さんと仲良くしたがるのか。おそらく翠菜さんを通して、「もっと自分らしい自分」を見ているのだ。

 それぞれが将来を見据えて、「なりたい自分」をイメージしたときに、現在の翠菜さんが「なりたい自分」に近いのだ。

 人の悪口言わない。自分のやりたいことがある。礼儀正しく、素直。年長者を自然に敬うことができる。心のなかに敵対心(ヘイト)がない。

 全てにおいて、余裕がある。部活に入っていなくても、彼氏がいなくても、SNSやっていなくても滲み出る、自然体の存在感。


 わたしも、こうなりたい。自分の人生を自分らしく、堂々と生きて行きたい。


 そんなところだろうか。




 改めて、友人達の目線になって、翠菜さんを眺めてみる。

 翠菜さんは、もう目の使い方のコツを掴んだようで、淡々と早いペースで、セルを埋めていっている。

 風呂上がりの浴衣姿で数学のお勉強である。本当に生真面目な子だ。


 迷いなく疑いなく背筋を伸ばして、素直に目の前の課題に向き合っている。


 一般の子達なら、こうはいかないはずだ。自我防衛ばっかり強くてな。

 キモイー、ウザイーって、目の前に現れた「他者」を、とりあえず拒絶するのだ。

 悪口言い合って、マウント取り合って、他人と比べてばっかりだ。


 翠菜さんの近くにいれば、そのような卑しい自我防衛と関わらずにいられる。

 一日一日を、大切に丁寧に過ごすことが出来る。

 夏の日の晴天の、鮮やかな空の青、木々の緑と仲良しでいられる。



 卒業したら、翠菜さんとはお別れだ。進路が違えば、どうしても疎遠になっていく。

 空の青、木々の緑と、仲良しでいられることが、できなくなる?

 それならば、友人達には「翠菜さんの代わりになるもの」を、プレゼントしてあげると、いいのではないだろうか。



 「形見」と言うと縁起悪いけど、そういう何か。


 東京に居ながらにして、自然と繋がることのできる、モラルウェア?




 部屋の奥に移動する。元気に育っている苔の面々。

 テラリウムも悪くないよな。だけど、ちょっとマニアックか。もらったらもらったで、世話しないといけないし、死なせたら縁起悪いしな。


 UVレジンで、世話の要らないフェイクのテラリウム作るのはどうだろう?

 フェイクでいいなら、ハーバリウムやアクアリウムと組み合わせるのも、アリなはずだ。


 あるいは、スマホの中で育てられる、バーチャルなテラリウム?

 それだったら、プログラミング勉強すれば、手が届くだろうか。



 東京にいるからこその、自然との付き合い方。

 意外と今の東京、自然が豊富なんだよな。

 一連の再開発では大抵、「自然との共生」がテーマに盛り込まれて、要所要所にまとまった緑化スペースが作られることが多い。


 ちゃんとコストをかけて手入れをしつつ、昆虫や小鳥といった野生動物がやってくるのは、文字通り自然に任せてたりして。




★ ★ ★



 23時を過ぎた。翠菜さんは、まだ素数抽出作業を続けている。自分からやめようとしないな。……そうなんだよな。そうなっちゃうんだ。


「翠菜さん。どうですか?」

「あ、はい!」

「別に今日中に終わらせないとダメとか、そういうものじゃ、ないからね。……そもそも、終わらないからね? 素数は無限にあるわけなので」

「はい。えっと、先程、3ケタの数が終わりまして、一番大きい素数が「997」でした。……今、1200の辺りを進めています」

「うん。十分十分。お疲れ様。どうですか?」


「えぇ。楽しいですね。数学の授業より、「数と仲良くなれる」気がします。それと、素数を見つける作業が「唯であること」を大事にする彩命術の考え方に近い感じがします」


「あ、なるほど。そういう視点ももてるんだね」

「このトレーニングは、いつごろ考えられたものなんですか?」

「もう20年も前だよ。彩命術のことなんか、何も知らない頃。だけどそもそも、素数って考え方が、本当に大昔からあるでしょう? エラトステネスって確か、紀元前のギリシャの学者さんだからね」

「イエス様よりも前の方ですか。……彩命術も数学も、どこか根っこの方で、繋がっているのかもしれないですね」



 翠菜さんが、腕を組んで、今まで以上に深く何度も頷く。うんうん。私はこれでいい。 そう自分に言い聞かせている。


「どう? 手応えあった?」

「十分、ありました。……やっぱり、こっちの方面で、なにか頑張ってみたいです」


「うんうん。そかそか。それはよかった」


 翠菜さんが手応えを感じてくれたことは、それはそれでよかったが、「数学沼」は本当に、どこまでも深いからな。せっかくJKやってるのに、これでよかったのか? という不安がないでもない。

 本当に、「3日間おフロ入らない女の子」になっちゃったら、どうしよう。



 ま、明日丸の内の本屋行って、いろんな本眺めて、こっちからも提案して、「それでもプログラムがいい!」ってなったら、その時はもう、この路線で行こう。



「よし、それでは、そのトレーニングは今日はここまでにしましょう。保存して、明日以降、続きをやっていけばいいから」

「はい。……ちなみに、私が今やっている作業を、プログラムで表現することは、できるんですか?」

「できます。アルゴリズムの教科書には、大抵載ってる。……なんだけど、数式やプログラムで表現するより、実際にセルを一つ一つ見ていくほうが、実力がつくと思ってる。ちょっとね、「数学」と「プログラミング」で、頭の使い方が、違うみたいなんだ」


「なるほど……まさか、お会いした初日に、ここまで導いていただけるとは、思っていませんでした」

「夏休みはまだ一ヶ月まるごと残ってるからね。まだまだ実力伸びると思うよ? そうだ、宿題は、大丈夫?」

「3年生は大学受験を控えているので、宿題らしい宿題は、ないんですよ。秋の弁論大会のための作文だけですね。それも、プログラミングを覚えることができれば、自然に書けると思いますから」


「そうだね。作文のためにウソ考えるより、正攻法でいったほうがよさそうだね、今回」



 すずりちゃんの筆書きのように。大事な友人達へのエールのつもりで取り組めば、作文も簡単であろう。


 中身のある人生を送っている人間は、ごくごく自然に、己を語ることが出来るということだ。




★ ★ ★


 よし。ようやくここまできた。長い一日だったが、あと一仕事で、今日も終わりだ。


 翠菜さんと床勝負である。



「いけね。歯ブラシ持ってきてない。翠菜さん、ちょっとすずりちゃんの部屋戻るね」

「はい。承知しました。私も最後の身支度を済ませてしまいます」


 翠菜さんの部屋を出て、しずか〜に、すずりちゃんの部屋の、玄関ドアを開ける。


 廊下の照明などは、まだついている。すずりちゃんにとっても、俺がいない夜はあんまりないからな。この間吉祥寺で下曽根とやりあった日以来だったはず。

 こういう日はすずりちゃんも気を遣わず、好きなように過ごしたいだろう。


 すずりちゃんは、仕事部屋か。話し声が聞こえる。声のトーンから、シリアスな話はしていないようだ。内容まではあえて聞き取らないようにする。

 恵史郎と長電話かな。

 すずりちゃんにとっても、今日は長い一日だったろう。


 すずりちゃんに気づかれないよう、そ〜っと移動して、洗面所から俺の歯ブラシを持って、部屋を後にする。



 すずりちゃん、いつもありがとう。今夜は「本命の彼氏」と、楽しい時間を過ごして下さい。

 おやすみ。





 翠菜さんの部屋に戻る。

 洗面所のドアをノックしても出ない。翠菜さんは、寝室のようだ。

 洗面台使わせてもらって、歯を磨いて、リビングで待機。


 ほどなくして、寝室であろう、今までの勉強部屋とは違う部屋の扉が開いて、翠菜さんが顔を覗かせる。


「それでは、なにとぞ、よろしくお願いいたします……」

「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします。まずは、リラックスしましょうね」

「はい……」

「ええと、そちらが寝室? 俺は入ってしまって、いいのかな?」


「……はい。すみません、いざとなると、緊張するのと、心配で」

「俺がね〜、もう少し若くて、潤ってる男の子だったらね〜。こんなくたびれたオッサンで、申し訳ないと思ってるんだけど」


 ウェイトトレーニングこそやってないが、すずりちゃんと一緒に生活するようになってから食事は減らして、そもそも毎日よく歩く仕事だし、お腹のたるみはほぼ解消されている。彩命術をやっていることもあり、同年代の一般男性よりは、若さと健康を維持できているつもりではいるのだが。


 やはり、オッサンの身体である。真光や恵史郎には、敵わない。



「いえ、いままでの様々なご苦労をずっと背負ってきた、頼もしいお身体です。どうか卑下なさらないでくださいませ」


 そう言いつつ、まだ寝室の入り口から顔を覗かせているだけ。雰囲気から察するに、俺に対してなんらかの抵抗を覚えているわけではなさそうだ。

 自分の裸を見られたくない? そりゃそうか。 まだ十代だもんな。

 だけど、すずりちゃんのことだから、今夜に備えて、いろいろ練習やら予行演習やら、やってきてると思うんだよな。裸見られるくらい、今更だと思うのだけど。


 まぁだけど、こういう状況で、男の方から急かすのはよろしくないだろう。……この子の心の準備が終わるまで、待ってあげないとダメだよな。


 翠菜さんは、目を閉じて、深く深呼吸を数回。ややあって、ようやく覚悟が決まったか、ドアを勢いよく開く。


 そして。




「では改めて! さっさと床勝負して下さい! この素敵なデコッパゲヤロー!!」





 センターにブルーのラインの入った、白でノースリーブの襟付きシャツ。ブルーの膝上スカートに、ペチコート。シャツ本体から完全に分離した、脇巫女袖。

 ……俺を喜ばせようと、コスプレしてくれたんだな。


「……わざわざ浴衣から、着替えたの?」

「いえ……浴衣の下に着込んでました。……ごわごわしてましたよね?」


「いや、ジロジロ見たら悪いと思ってたから、あまりよく見てなかったよ……でも、ありがとう。自然体な感じで、大変よろしいかと思います」


 こちらにおいでおいでして、ハグしてしまう。後ろから軽く抱きしめて、まだ、お胸には触れないほうがいいかな。


「失礼があったらお許しくださいー。お姉ちゃんが、絶対喜ぶからやれって、言ったんですよー」

「うん。すずりちゃんはよく分かってる。素直にうれしい。こういうの、大好き」


「ホントですかー? 中途半端じゃないですかー? カラコンも入れてないし、爪も緑にしてないし、大幣もってないし、「あの髪飾り」だって、つけてないじゃないですかー」


「でもホラそこはさ、おつとめしてる神社が違うわけだし、 即売会で写真撮られるわけじゃないから、いいの」



「あうー、そ、そ、それと、ふたつほどお願いがあります!」

「なんでしょう?」


「私のことは、「すいな」って、呼び捨てで呼んでほしいです! あと! 私、黒海様の事、「お父さん」ってお呼びしたいです! 是非、お願いします!」


 眼をつむって、勢いをつけて吐き出す。……それを言うのに抵抗あったんだな。


「うん。分かった。じゃぁそうするね、翠菜。……ちなみに、俺がすずりちゃんの事「ちゃん」づけで呼ぶのは、恵史郎にならってるんだ。恵史郎ほど付き合い長くても「ちゃん」づけだから、その方が自然な感じするのね」


「はい。お姉ちゃんはそれでいいと思います。私も「お姉ちゃん」呼びなので。お姉ちゃんは「永遠のJC」なんで、それでいいと思います……「お父さん」」


 「お父さん」呼びしながら、身体を反転させて、前から俺に抱きついてくる。……柔らかなお胸が、俺の腹に当たる。あうあう。





 しばらく抱きしめあってから、一度身体を離して、他の部屋の灯りを消してから、改めて寝室にお邪魔する。



 ……和室風にしつらえてあった。昭和ラブホを再現したすずりちゃんの寝室とは異なり、おとなしい室内だ。

 フローリングの上から、ユニット型の畳を敷いてある。その上に、お布団がふたつ。


「そういえばさ、ダブルの布団って、あまり見ないね」

「もともと日本は狭い家が多いですからね。畳んで押入れにしまうことを考えると、みんなシングルになりますよね」


 壁一面の菊花紋章も、零戦や戦艦大和の巨大ポスターもない。いたって標準的な和室。

「これまでは先輩方に泊まってもらうことも多かったので。この部屋に、布団3人分敷けるんです」

「そもそも、3LDK一人暮らしは、広すぎるもんね」


 ようやく、大日本帝国要素をみつけた。タンスの上に、全長25cmほどの、戦艦大和の模型が飾ってある。……めずらしいな、真鍮製だ。それも全体が青緑がかっている。


「きれいに緑青(ろくしょう)が出てて、いい味だしてるね」

「真光さんの手作りです。高校の進学祝いにくれたんです」

「へぇ、こんなことも出来るんだ。さすが、パンゲア番長。最初からこの色だった?」

「はい」

「なるほど、わざとやってるんだね。うん、いいね」

「この色になっているほうが、長持ちするって言っていました」

「うん。不動態皮膜っていうんだ。錆の一種なんだけど、これでいいの」


 全身に纏った緑青が、時間の経過を感じさせる。あるいは、鹿児島の沖合に眠る本物の戦艦大和との繋がりを、連想させる。


 いいな、これ。俺もほしいな。


「真光これ、量産して売ったりしてくれないのかな?」

「以前、「ユメツナギがなくなったら、やるかもしれん」とは話してましたね。基本一品モノで、量産するつもりはないみたいです」


 翠菜さんの「唯存律」を高められるよう、一品物をプレゼントしたんだな。普段はビジネス音痴の脳筋あんちゃんだけど、要所要所で、さすがの仕事、するんだよな。


「私と同じで、「ホームでない」んですよね。「オレが呉の出身だったとか、身内に自衛隊関係者でもいれば、やってもいいんだけどさ。なんの(ゆかり)もないんだわ。それじゃあ、「まこと」が足りないんだぜ」っておっしゃってて」


 なるほど。現役の貨物機関車は、真鍮模型よりは、Nゲージって言うんだっけ。実際に走行できる模型のほうが、似合う感じするもんな。


「真光さんのご自宅には、「小塚原刑場」と「三河島脱線事故」を再現した真鍮模型があるって、おっしゃってました」

「ああ、それは、表に出しちゃ、ダメなやつだね」


 なんてもんをこさえているのだ。……まぁ真光も、わかってあえて、やってるんだろうけど。



 大和真鍮模型の隣には、みんな知ってるサ○エさんのねんど○いど。うむ。これは分かる。

 しかし、その隣に、同じ神社の6面ボスとEXボスのねん○ろいど? あれ?

「あのさ、サ○エさんは分かるんだけど、ケ○ちゃんとオ○バシラ、ねん○ろいど出てたっけ?」


「いえ、まだ出てないはずです。その2柱は、璃音さんからいただきました」

「そうなの? 自作?」

「3Dプリンター、お持ちなんですよ。真鍮大和と同じく、高校進学のお祝いに、頂きました」

「へぇーへぇーへぇー。大事にされてるね」

「ええ。本当に。璃音さんも、いろんな「ひきだし」をお持ちの方ですよね。「もっと凝ったもの渡せるけど、あえて「薄い」ものにしました」とおっしゃってました」


「うん。彼については語りだすと長くなるから、別の機会にしましょう。……ということは、恵史郎からは、何かケーキ?」

「はい。もう「Marie du Ciel」はクローズしてた時期だったんですけど、特別に「千五百の産屋」を作っていただきました。限定の抹茶フレーバーでしたね。……それはもう、すさまじくおいしかったです」


「ほわー、いいなー。そうか。みんな君のこと、思いやってくれてたんだね」



 そして、戦艦大和の真鍮模型の奥の壁面には、横長の掛け軸が飾られていた。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−

女の修行


乱れて纏まらない日も  ありましょう

化粧のりが悪い日も   ありましょう

お宮が重い日も     ありましょう

友の相手が煩わしい日も ありましょう

不安で眠れない日も   ありましょう



これらを じっと しずかに 流してゆくのが


女の修行でございます


−−−−−−−−−−−−−−−−−−





 A3、いやB3くらいのサイズの横長の和紙に、縦長で筆記されている。


 全体としては、女性らしい、細長いすらっとした書体で綴られている。


「すずりちゃんの、お母さん?」

「分かりましたか? そうなんです」

「こっちにあるんだ」

「和室に飾っておくほうが、お義母さんも落ち着くと思うので、お姉ちゃんと相談して、こちらに」


 とても大胆で、かつ繊細な筆記。 すずりちゃんの筆書きもなかなかだけど、小さなハガキ一枚の中だもんな。表現の幅は、やはり限られている。


「乱れて纏まらない」と「お宮が重い」と「不安で眠れない」で、書体が全然違う。一文字一文字を、縦横無尽に暴れまわらせて。

特に、「お宮が重い」だ。字そのものを書くのではなく、周囲の「ネガスペース」を墨で埋めて、空白を使って字の形を表現している。

これは絵描きの発想だ。


 そして最後の「しずかに 流してゆくのが」の文が、とても静かで丁寧。



 元ネタはもちろん、山本五十六元帥の「男の修行」で、これはそのパロディにあたるのだけど、これはこれで、十分独創性のある創作になってるな。


 エゴやヘイトむき出しで暴れまわってもいいけれど、最後は静かに、潔くありなさい。


 すずりちゃんのお母さんの、そのような「心」が伝わってくる。



 思わず見とれて、黙ってしまう。……言葉が続いていかない。

 翠菜さんとの床勝負をさっさと終わらせて、もう寝てしまいたいのに、目を離すことが、できない。



「いや、驚きました。さすが、すずりちゃんのお母様です。感服いたしました」


 誰に向かってでもなく、そのように答える。

 姿は見せないけど、ヨモコ様も、うんうんって、頷いている。



「お姉ちゃんも、寂しくなったり、心の調子が悪い日は、この部屋で寝るんですよ。すぐに元通りになります。毎日ここで寝られる私は、本当に幸せだと思います」


「俺もマンガ家目指してた頃は、結構美術館行ったりしてたの。「一枚の作品に宿る力」って、やっぱりあるんだよね。うん。この作品が寝室にあるのは、とても幸せだと、思います」


 伊藤若冲の「動植綵絵」に、長谷川等伯の「松林図屏風」、上村松園の「雪月花」。

 数年前に上野で企画展が開催されて、いずれも現物を拝見することができた。


 貴重な体験だった。東京で暮らしていてよかった。





「いやー、実に盛り沢山だねー。なかなか床勝負に入れないね」

「今日一日、長々お付き合いくださって、ありがとうございました」


 いい加減寝たいんだけど、「女の修行」の存在が大きくて、その気にならない。「想い」が消化できない。


「翠菜さん、じゃない、翠菜、もうちょっと待ってもらっていい? もう一杯、コーヒー飲みたい」

「私も飲もうかな。私、用意しますね」



 翠菜が、おぼんにアイスコーヒーを持ってきてくれた。畳の上におぼん置いて、敷布団の上にあぐらをかいて、コーヒーを頂く。


「フー。いやー「唯」で溢れてるね、この部屋」


「はい。なのですが、「つらい・苦しい」と思ったことは、ないんです。……彩命術やっている、「唯存律」の高い方は少なからず、不幸と縁がありますよね。……私にはその「不幸」が全然なくて。「だからこそ難しい」って、お姉ちゃんはよくいいます」


「そうだね。すずりちゃんもさ、ご両親がお二人とも自殺で、すごくつらかったと思うんだよ。……特にお母さん、この「女の修行」見た限りでは、絶対自殺する必要なかったよね。……別に大病患ってたりとか、なかったんでしょ?」


「凛堂先生と椿姫様で、それはそれは自殺止めようとしてたそうです。ですけどお義母さんが、深く思うところがあったそうで、「すずりにはより本物になってほしいから」と」


 うーむ。……もっとも、これについては俺だって人のことあまり言えないんだよな。俺だってこの先、どうするか分かんないし。……俺自信、分からない。


「でも……お母様の自殺のおかげというと、とても悪い表現だけど、すずりちゃんの生き方は、決まったよね。お母様の遺志をつげばいいんだから」


「「託してもらった命に従うだけでよかったからね、わたし」って、お姉ちゃん言ってました」


「翠菜には、そこまでの重いものは、ないと」


「うんー、そうなのー」


 改めて、「女の修行」をまじまじと見つめる。上野の美術館で、国宝級の大作を眺めている気分だ。

 一部の文字が、すごく薄い墨で筆記されている。ほとんど水墨画の領域である。

 特に長谷川等伯の「松林図屏風」を連想させる。描かないことで、表現する。「偽」を際立たせることで、「真」の存在を際立たせる。

 ……「いなくなってみせることで、より強く、遺志を残せる」。すずりちゃんのお母様は、そのように考えたのでは、ないだろうか。



 すずりちゃんみたいに直接、筆書きを引き継がなくても、この「女の修行」に込められた想いを、継いでいけばいいのではないかな。


「翠菜、今の気持ち、どう? やっぱり、プログラムがよさそう?」


「はい。プログラムそのものというより、「スマホの上に乗るなにか」がいいかなって」


「ふむふむ」


「現代人は、高校生に限らず、みんなスマホいじってる時間、長いよね? 私もニュースと天気予報、マップみたりはするし。 一般の人はもっとだよね」


「うん。そうだね。累積で1日4時間くらいはスマホいじってるだろうね、現代人」


「スマホと共に生きるのが、現代人。スマホはもう、精神の一部。魂の一部。……だから、そのスマホが「まこと」と繋がれば、スマホに「在るべき心」が宿ったら、大勢の人がもっと健やかに生きていけると思うんです」


「そうか。この「女の修行」をスマホに入れて、持ち歩くイメージだね」


「うん。写真撮って壁紙にしてもいいけど、やっぱりコピーだから、ちょっと違うかなって」


 そうするとやはり、バーチャルテラリウム路線かな。「東京発」で、翠菜と翠菜のご友人達が、繋がっていられる、何か。

 スマホの中で、育てる「唯」。



 頭の中を整理しながら、雑談交えつつ、せっかくの脇巫女JK殿と床勝負をいたす候。


 挿入なしの床勝負。ごくざっくり説明すると、女性器からではなく外側、つまり腹部の下部から、子宮の入り口周辺を刺激してあげるわけです。指を通して、彩気を込めてあげると、いとも簡単にオーガズムに達してしまう。男相手は今夜が初めてかもしれないが、おそらくすずりちゃんから、何らかの手ほどきは受けていると思われ。


 その他、肩もんであげたり、いろんなツボ押してあげて、身体のコリをほぐしてあげたりなど、とにかく労ってあげる。

 そうはいってもJKなんで、全然身体凝ってたりしてないけれども。



 俺にはもちろん子供はいないけど、ちっちゃな赤ん坊をお風呂にいれてあげるのと、あまり変わらないのではないだろうか。



 君にもいつか、本当の恋人が現れるといいね。




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