027 JKの進路相談と、一人でないとできない仕事。
夕方。神保町すずり邸に戻ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさーい」
「おかえりなさいませ!」
「翠菜。もう少し自然体で大丈夫だよ。銀一郎さん、お疲れさまでした。DYNAMIC EAGER BURGERの件のポスト、ありがとうございます。翠菜担当のお宮は……大丈夫でしたね」
「そちらは全然問題ないよ。大村様にも出てきてもらっちゃった。翠菜さん、相当好かれてるのね。引き続き、よろしくお願いしますね」
「はい!精進いたします!」
背筋をビシィと伸ばして、力強い返事。敬礼でないだけマシだが。……防衛大学から自衛隊のキャリアコースに進んだ方がよくないか?……そうもいかないか。
状況がややこしいな。
短期的には例のバーガー店や、青杉医師の問題が重要だが、長期的には翠菜さんの進路の方が重要なのだ。しかも状況から察するに、今日から実質三人暮らしだよな。
唐突にJKと同居でござる。
翠菜さんは夏休み。大学受験もしないんだから、基本家にいるはず。顔合わせたら、相手しない訳にいかないし。
今まで俺と翠菜さんとを会わせないようにしてくれてた理由がよく分かる。悪い子じゃないけど、悪い子じゃないからこそ、面倒くさい。
今後の生活と仕事の進め方、少し考えないとな。
さて。
新木場駅で老人霊を祓ってから、夢の島公園のカラス達に軽く顔見せした後、例のバーガー店をさらに詳しく調べたところ、もう少し発見があった。
針山篝火さんなる、DYNAMIC EAGER BURGERの女性店長は現在、バーガー店の他に、小さなベーグル店もやっているようなのだ。
ベーグル店の名前は「地味滋味ベーグル」。場所は御茶ノ水駅の近く、デカい大学病院の裏手だ。すずりちゃんのデイリーコースのエリア内だが、細い路地の先になるので、今まで気づかなかったな。
月曜、火曜、水曜のみの、ごく短時間の営業。週末はバーガー店を切り盛りして、客が少ない週前半はバーガー店をスタッフに任せ、自分はベーグル店で仕事をする。店長一人でこじんまりとやってるみたい。
今日は月曜日だったので立ち寄ってみたが、着いた時間にはもう店が閉まっていた。「売り切れ次第閉店」のようだ。
元はタバコ屋だったのか? 3坪くらいの小さな店だ。調理は別の場所でやっているんだろうな。
店長のSNSによれば、
「DEバーガーでスリムバーガーを始めてから、小麦と遊ぶ機会が少なくなり、寂しかったので始めてみました。雑穀をたっぷり混ぜ込んだ、ミネラル・食物繊維豊富な身体にやさしいベーグルです」
とのこと。
ベーグル、10年くらい前かな。流行らせようと頑張ってた会社結構あったけど、イマイチ定着しきらなかったかな。
日本人には大きすぎたのだ。低脂肪で健康にいいってアピールしてたけど、生地に砂糖混ぜ込むし、サイズが大きすぎて、炭水化物の摂取量がむしろ増えてしまう。
なのでこちらの「地味滋味ベーグル」では、かなり小型で作っているようだ。
「すずりちゃん、DEバーガーの店長が、他にもベーグルの店やってるんだって。今日は終わっちゃってたけど、明日行ってみようと思う」
「そうなんですね。DEバーガーについては、美羽さん達が、今夜行ってみるって言ってました。今日「Another Mother」お休みじゃないですか」
「なるほど。だけどWebサイトに顔出ししてた女性店長には会えないかもね。月・火・水は、ベーグルの店やってるらしいから」
★ ★ ★
翠菜さんも自室に戻ったし、夕飯まで少し時間があるので、コーヒーを淹れてリビングに移動。頭の中を整理する。
DEバーガーとそちらの女性店長については、ざっと見た限り、頑張ってお店を運営しているって印象だ。
下曽根のように「正義感をこじらせている」気配もない。
しかし今朝、DEバーガーから強い悪意が出ていたのは確か。
新木場の老人も、病院帰りにパンを食べてからおかしくなったと言っていた。そのパンが「地味滋味ベーグル」だった可能性もある。
いずれにせよ、青杉医師とのコンタクトが先か。
今朝方の、七瀬さんとのやり取りを思い出す。
青杉医師は、弊社が運営している母乳サロン、「Another Mother」の常連客だ。彩命術に使用している彩気はリリス主体。それ以外は不明。
現時点で、何のために下曽根に厨二病レッドカードを持たせたのかが分からない。一方、その厨二病レッドカードにより、11名の飲食店関係者が自殺に追い込まれたのは事実だ。
「Another Mother」の常連客だということは、母乳による癒やしを十分に得ているということだ。「お姉さま方」からの印象が悪くないことを考えても、人間性の面で大きな危険はないだろう。「話せば分かる相手」だと思っていていいはず。
次に考えるべきは、我々と、青杉医師との利害関係だ。
青杉医師が独力で、厨二病レッドカードにたどり着いたとは考えにくい。何者か、さらなる黒幕がいるはずだ。
俺達はその黒幕に関する情報が欲しい。
どうすれば、青杉医師からその情報を引き出せるか。
取引が可能だとして、我々が青杉医師に提供できるものは、なんだろうか。
……下曽根のような「面倒な患者」を追っ払うための、より安全なマジックアイテムがあればいいのか。
あるいは彩命術を使った、なんらかのメソッド。
例えば、仮説を一つ。母乳が足りないから実現はしないけど、精神医療を必要とする全ての患者に、「まゆまゆミルク」を飲ませてみることを考えてみる。
患者全員治ってしまう。もうメンタルクリニックに通院しなくて良くなる。精神科医は、商売上がったりだ。
それはそれで困るよな。
彩命術で直接患者の心の不調を治療するような方向性とは別のアプローチで、精神科医の武器になるような「なにか」。
例えば、メンタルクリニックに対して患者達が抱く不満で一番多いのが、「診察時間が短すぎる。じっくり話を聞いてくれない」だ。
そのくせ待ち時間長いしな。10時に予約して、10分前に来院しても待合室が満員で座る場所すらなく、クリニックの外で待たされて診察受けられるのが1時間後。そんな状況ざらだったもんな。なんのための予約だよって話だ。
そのあたりの不満を、彩命術使って和らげることができれば、取引の材料にできるだろうか。
あるいは、「逆恨み」から守れる手段とか?
……精神科医の仕事を続けていく上で、一番苦労するのはどんなことなんだろう? ド素人がアレコレ詮索するより、ご本人に直接伺う方が失礼がないか。
その他俺に出来ることは、下曽根にレッドカードを渡すことになった経緯について、ある程度下調べを勧めておくことくらいか。
まだあのオッサンの著作は読んだことがないし、SNSの書き込みも、最近のものしか確認していないのだ。
さらに遡れば、青杉医師にとって下曽根がどんな奴だったのか、見えてくるかもしれない。
★ ★ ★
ズズズッとコーヒーをすすってようやく気付いた。……アイスにすればよかった。
さすがにこの暑さでホット飲むのは、かったるい。
途中から氷入れても美味しくならないしな。あー失敗した。
「銀さん、ちょっといいですか?」
「どぞどぞ」
「翠菜のことなんですが。今後、一緒に食事したいんですが、構いませんか?」
「うん、構わないです。俺が来るまでは一緒に食べてたんでしょ?」
「ありがとうございます。そうなんです。あともう一点。今日夕食後、あの子のデイリー、一緒に行ってあげてほしいんです。よろしいですか?」
「うん、いいですよ。あ、そうだ、すずりちゃんに聞きたいことあったんだ」
「なんですか?」
「なんかさ。蟻の生態について分かる本、ないかな? 翠菜さんの専攻考えるヒントになりそうでさ」
「お宮でお会いしてきたんですね。さすが銀さん。話が早いですね。あのお宮に関する書籍は、翠菜の部屋にいろいろありますから、そっち見たほうがいいですよ。こっちにもありますけど、奥まったところにあって、取り出すの面倒なんで」
「ホント? 了解。じゃぁデイリーのときにいろいろ聞いてみるよ」
「ありがとうございます。……いろいろご苦労おかけしますけど、よろしくお願いします」
「ちなみに、すずりちゃんは、翠菜さんの専攻、どんなのがいいと思う?」
フッ……と、すずりちゃん、いつになくドヤ顔になる。そして目を閉じて、親指をいいね!にする。
からの。
「まったくねー、思いつかないんですよ〜」
泣き入りました。
「そうなのか。……どうしたもんかね。「故郷」と「社会性昆虫」がヒントになるかなと思ってるんだけど」
「いや、いろいろ案を出してはみてるんです。ですけど、なかなかしっくりこなくて。都内で養蜂やるのはどうかなって考えたこともあります。だけど、生き物を相手にするのは彼女一人では大変じゃないですか」
「銀座で養蜂やってるけどね。デパートの屋上で。……一人でやる仕事量じゃないよね」
「銀座の養蜂は有名ですよね。あとは翠菜、ギター弾けるんですけど、弾き語りやるのもちょっとしっくりこなくて」
「ギターか〜。いいね。御魂を慰めるのによさそうね。……「仕事として」やるのはってところかな」
「その他、翠菜、ルナシューターです。星○船以降のみですが」
「マジか!? それ凄いな。……そうか、翠菜さん、キャラ似てるもんね」
「わざと被せてるんですよ。リスペクトですよ。ちゃんと衣装もありますからね。お楽しみに」
緑のロングヘアーの巫女さんJK。そういうことである。
「しかし、それも決め手にはならんか……。翠菜さんが開いてる彩気の相は?」
「イブ、パンゲア、スターヘルツ。その3つですね」
ここで解説入ります。
8大彩気の1つ、スターヘルツ。「悠久の共鳴」。満天の星空の下、ひとりきり。チーン……。チーン……。静かに音叉を響かせる。
遠くの星々まで音を響かせ、想いを届ける。
子供の頃、「タイムカプセル」って、やってみたことある方、おられるだろうか。俺はやらなかったんだけど、あのような心の働きである。
今、ここには居ない誰かに、いつか届くと信じて、想いを投げる。
あるいは、気象や天文の勉強が好きな方は、この相が開いている。
気象も天文も、人類が作り出した秩序ではない。文明の向う側にある神秘だ。
地球規模での水と空気と熱の流れ。宇宙全体での星々の巡り。そこにある神秘を理解しようとすると、人類以外の何者かの存在を感じないわけにはいかない。
宇宙の向こうにいるであろう何者かと共に、生命を持って産まれたものとして、在るべき理想を目指したい。
そのような心の働きだ。
突き詰めちゃうと、一気にスピリチュアル路線を突き進んでしまうので、ほどほどで止めておくのが大事。
説明終わります。
「イブだったら、法律の専門家。パンゲアだったら機械工学や鉄道。スターヘルツだったら気象予報士か宇宙開発か……。「俗世」と関わりにくい相ばっかり揃っちゃった感じだね」
「ウチが一番利益出してるの、「母乳サロン」じゃないですか。リリス、ジョカ、エミタメなんですね、あれは。「反対側」の相ばかりで。……だからこそ、翠菜がウチの事業を拡げてくれる可能性があるはずだと、七瀬さんはよく話してます」
「文系か理系かで言ったら、理系かなぁ。ITはどうかな? 璃音君が開いている相、分かる?」
「璃音さんは確か、強い順にタナトス、スターヘルツ、リリス、イブ、その4つです。確か。翠菜とも仲悪くはないですよ。……すごく仲良いわけでも、ありませんけど」
「ウチのシステム関連、見事に彼一人にお任せじゃない。俺も少しはプログラミングかじってたけど、彼の他にシステム分かる人間いても、いいと思う」
「璃音さん、嫌な人じゃないんですけどね。あまり人と関わろうとしないですよね。IT系はあんなもんでしょって、みんな気にしてないですけど。……翠菜が直接、璃音さんの下で仕事するのは、……うん、ちょっとキツい感じします」
「あぁ、それは仕方ないの。プログラミングガチ勢は、自然言語、「人間の話す言葉」が嫌いなの。曖昧で冗長だから」
「銀さん、プログラミングも分かるんですよね。どうですか、翠菜、やれそうですか?」
「俺も、翠菜さんがいきなり璃音君の下で仕事するのは難しいと思う。誰か一人、間に入った方がいいかな。……ざっくり感覚的な話をすると、プログラミングはね、左脳を使うものと、右脳を使うものがあるんだ」
「ほうほう」
「IT業界の、一般的な情報システムは、大半が「左脳プログラム」で出来てる。それは、一定の専門知識があれば、誰でも読み書きできる。ちゃんとコーディング規則を決めて、「仕様書」をきちんと作って、その通りにプログラムするんだ。プログラムを書いた本人がいなくなっても、後任者が引き継いで、無事に保守・運用できるようにしてる。それが普通の業務用プログラム」
「元請け下請け孫請けの、多重下請け構造で回っている世界ですよね。大変そうだってイメージあります」
「「左脳プログラム」の一番致命的なところは「退屈」なことなんだ。マンガで例えるとさ、ずっとベタとトーン貼りと背景しかやらないようなイメージ。ちゃんとマンガ描けるようになってるのに、自分でストーリー決められなくて、キャラも描かせてもらえないんじゃ、嫌になっちゃうよね」
「最近はマンガ制作、デジタル化進んでるから、アシスタント使わない作家さんも増えてますよね」
「うん。プログラマーも同じ。デキる奴は、上流から下流まで、全部一人でやりたがる。璃音君、ウチのシステム全部一人で作ってるじゃん。別の人が仕様決めたりとかしてないよね。仕様書に相当するのがソースコードしかない。璃音君みたいなスタイルで書かれてるのが「右脳プログラム」。綺麗で簡潔。しなやかで柔軟。その代わり、感性を持ってる人間でないと、読めない。サラリーマンプログラマーでは、保守ができない。……それでも、ちゃんと時間かけてじっくり勉強すれば、翠菜さんもできるようになると思うよ」
「前に璃音さんに相談してみたことあったんですよ。翠菜にITどうですか?って。そうしたら、「他のあらゆる可能性を検討して、それでもITしかないって結論になったら、改めて相談に来て」って言われてしまって。難しいのかなって感じたんですけど」
「「右脳プログラム」やりだすと、女性でもノーメイクで3日風呂入らなくて平気になるからね。「それは可哀想でしょう」って、璃音君の気遣い」
「いわゆるハッカーですよね。やっぱり変わるんですか?」
「「論理」の面で洗練されてなくて、様々な面で冗長な「自分の身体」に興味がなくなるんだ。俺もそういう時期あった。まぁでもそこは毎日の生活にルールを決めればいいんだ。「どういう状況でも、毎日21時30分に必ず入浴」とかさ」
「繭さんと希姫さんの関係に近い感じしますね。「マネージャー」がいたほうがいいってことですね」
「うんうん。キキマユコンビは、イメージ近い。……これからは小型ロボットも出てくるだろうし、ちょっとIT方面でなにかやれないか、調べてみるよ」
★ ★ ★
「「「いただきまーす」」」
夕食である。朝食と同じく、3人で食卓を囲む。
「本当は、私の側のダイニングで手料理を、と思っていたのですが、部屋の整理と心の準備が、まだ終わってなくて、すみません」
「いやいやいや。夏休み始まったばっかりなんだから、焦らず行こうよ」
改めて、すずりちゃんの部屋に翠菜さんを招いての夕食となった。翠菜さんは先程から私服に着替えている。白いノースリーブのシャツに青系のロングスカート。
夕食のメニューは、俺達の今まで通りの、レンチン食材ばっかりだ。
パックごはん、ハンバーグ、コールスローサラダ、冷製ポタージュスープ。
「翠菜さん、足りる? 育ち盛りはもう一品あった方がよくない?」
「いえ、問題ありません。昼にしっかり食べてますから」
翠菜さん、すこーし緊張がほぐれてきたかな。まだ固いけど。
翠菜さんは翠菜さんで、いろいろ考えてたり準備してたりするんだろうな。
遅かれ早かれ、いや近いうちに、翠菜さんの部屋にも出入りするようになるんだろう。
心の準備しておかないとな。
壁一面の菊花紋章とか、戦艦大和の巨大模型があっても、驚かないようにしないと。
巨大水槽に土を満たして、蟻飼ってたりもするかもしれん。
「翠菜さん、少し学校のこと聞いてみてもいい?」
「はい、どうぞ!」
「学校でプログラミングとか、やったりする?」
「ええ、多少あります。インターネットの仕組みーのような、講義を聞いてばっかりのものから始まって、HTMLですとかJavaScript、Pythonっていう言語を少し」
「うんうん。ホームページを作ったりするんだね」
「はい。それと、ITパスポートとか基本情報技術者っていう、国家試験があるんですよね? その内容を少しなぞります」
「あぁ情報系の資格試験、あったあった。俺大学いる時、取りそびれたけど。あれさ、退屈なんだよね……」
「今のところ、入試に必須ではないので、みんな「ふ〜ん」って感じです。ウチからIT系に進む子も、ほとんどいませんし」
「うん。仕方ないよ。「ビット演算」とか「8進数を2進数に変換」とか、実際使わないもん。いや、基本として学んでおくことは無駄じゃないんだけど」
「何ていうんでしょう、学校の授業受けてても、「プログラミングができるようになる」実感が湧かないです……」
「学校の授業ってそんなもんでしょ。音楽の授業受けたって、上手にピアノ弾けるようになるわけじゃない。美術の授業受けたって、絵が描けるようになるわけじゃない。とっかかりだよね。こういう世界がありますよ、興味があったら自分で頑張ってねってさ」
「例えばユメツナギの久裏原さんみたいに、「プログラミングが出来る人」って、どうやってプログラミング覚えたんでしょう?」
「基本独学。プログラミングは、独学で身につけられるから。逆に言うと、人から教わっただけじゃ、できるようにならない。美術のデッサンなんかに近いかな。他にはオープンソースって言って、ソースコードが公開されているソフトウェアがあるから、実際に動いているプログラムのソースを読んで勉強する」
「もしも、この夏休みのうちに、プログラミングをしっかり勉強するとしたら、「これをやったらいい」っていうの、ありますか?」
「あるある。「自分が使いたいソフトウェア」を自分で作るんだ。料理を手作りするとか、野菜をぬか床に漬けて、ぬか漬けつくるのと同じだよ。それ以外にも、プログラミング関連は専門書がいっぱいあるから、興味とお金があれば、いくらでも勉強できるよ。オススメの本も紹介できるし」
「銀さん。プログラミングって、数学得意でないといけなかったりは、しないんですか?」
「うんとね、実際はそこまで得意でなくても大丈夫かな。「アルゴリズム」っていう分野を重点的に勉強すれば、十分。後は、やってるうちに、できるようになる。後その他に、ごくごく単純だけど、しっかり論理的思考力が鍛えられるトレーニング方法がある」
「どんなものなんですか?」
「素数を見つける。それだけ。知識に頼らないで、自分で素数を探すんだ。やっていくうちに、「ああこういうことか」って分かるようになるんだ」
「へ〜、やってみようかな〜。私、この夏休みのうちに、なにか一つ、しっかり取り組んでみたくて。周りの友達は受験一色で、私だけダラダラしてるの、居心地悪いんです……」
「そうか、そういう事情もあったんだね。……それだったら、7月中には、方向性は決めておきたいところだね」
「はい」
「プログラミング以外にも、絵というかイラスト方面も、そこそこ教えてあげられる。プログラミングは20年ブランクあるけど、絵だったら、今でもやってるし」
「うわぁ、すごいですねぇ。「あの神主様」も、プログラムもイラストも作曲も、全部ご自分でなさってますもんね。……そうか、そうですよね。そういう生き方だって、アリですよね!」
あ、そっか、確かに。今気づいた。
「銀さん。翠菜にプログラム、ずいぶん推しますね。適正ありそうですか?」
「いやさ、本物の養蜂とか宇宙開発とかじゃ、「一人」じゃ手に負えないじゃない。「デジタル」のなにかだったら、ウチの凛音君みたいに、ある程度一人でやれるからさ。……むしろ、一人でないとできないことだったりするんだ」
「そうなんですか? 確かに私達は、それぞれが別々の仕事してますけど、それは互いに「唯であるため」っていうニュアンス強いじゃないですか。それとは別の理由で、「一人」である必要があるんですか?」
「「コンセプトの完全性」みたいな言い方するんだけど、複雑な情報システムを、大人数で議論しながら設計すると、「絶対に上手くいかない」って言われてる。理想は一人。それが無理なら、必要最低限の少数精鋭で進めないとダメなんだ。……他の例でも、そう。例えば、すずりちゃんがやってる筆書き、あるじゃない。あれをさ、一枚のハガキの作業を、途中から俺が手伝ったりしたら、かえっておかしくなっちゃうよね」
「ええ、それはダメですね。一文字一文字の大きさ、太さ、強弱、余白面積にも、それぞれ理由がありますから。……まず、一番に届けたい想いが大きく中心にありますよね。その他に事務的な伝達事項が周辺に並んでいて、お客さまそれぞれのお気持ち、お立場を汲み取って、本音と建前のバランスをつけるんですよ。その本音と建前のバランスは、私一人の感覚で揃えないと、バレちゃいますよね。 違和感というか、「手抜きした?」って思われちゃいます」
「「真心が濁る」感じしない?」
「それです。しますします」
「アニメやゲーム制作でもそうらしいんだ。一時期、自主制作アニメとか同人ゲームとか盛り上がった時期あったけど、あの界隈でも、大人数で作った商業作品と、一人で作りきった作品ではさ、全体のクオリティは商業作品が上なんだけど、根っこの「味」みたいなものが、ぜんぜん違う」
「あれだけ有名になっても、整数ナンバリングは、御本人が全部やってらっしゃいますもんね」
うんうんと力強く頷くサナ○さん。もとい、翠菜さん。
「そう言えば、恵史郎くんもパティシエ時代、「千五百の産屋」は、生地もクリームも、全部一人でやってました。「テクスチャの緩急をコントロールできない」って言ってましたね」
「でしょ。どの世界でもそうらしいんだ。工業デザインなんかでもね。だから、翠菜さんが彩命術師としてなにかまとまった仕事をするときは、「一人で完結」できる規模のものにした方がいいと思うんだ。大掛かりな機械とか、他の生き物を相手にしだすと「一人で完結」は難しくなるから、「デジタル」のなにかだったら、ギリいけるかなって」
「翠菜、どう? あんまり数学得意じゃないんだよね?」
「うん。公式と解法、試験前に丸暗記。……本当に数学が得意な人は暗記に頼らないって言いますよね?」
「そうだね。でも大丈夫。ギター弾けてLunaticクリアできるなら、やれる。自信持っていいよ。……もちろん、他にもっといい専攻が見つかるかもしれないから、いますぐ結論出す必要はないよ。頭柔らかくして、いろんな選択肢を検討しましょう」
「はい、ありがとうございます! わ〜い、やった〜、専攻見えてきた〜 何やろうかな〜?」
翠菜さん、ここで初めて表情が崩れる。今までの生真面目に緊張した顔から一転、目の形が三日月になって瞳は上に。ムホホムホホって、同人ショップで「薄い本」を物色する紳士の表情と言ったら、お分かりいただけるだろうか。ようやく「自分」をさらけ出したな。
せっかくお嬢様学校通っているのに、残念ながら、こちら側。界隈の者だ。
ルナシューターなら、仕方ない。
てか、彩命術師は基本、陰キャの集まりだよな。オカルトやってんだもんな、当然といえば当然か。
★ ★ ★ ★ ★
「「では、いってきまーす」」
「いってらっしゃーい、気をつけてねー」
すずりちゃんに見送られて、すずり邸を出発。翠菜さんのデイリー、「霊想結界」の更新にお付き合いさせて頂く。
時刻は19時をまわったところ。もうほぼほぼ夜の空だ。
「翠菜さんは夜に回るんだ?」
「私のコースが、学校を出たところなんですよ。いつもは、学校帰りにそのまま回ってしまうんです。朝でもいいんですけど、朝はぬか床かき混ぜたりしたいので、自然と夜になっちゃいますね」
翠菜さんのデイリーコースは分かりやすい。九段下の交差点からスタート。目白通りを飯田橋駅めざして進む。神田川を渡ったら左折。そこから神田川を左手に眺めながらまっすぐ 市ヶ谷駅まで進む。市ヶ谷駅まで来たらまた左折して、靖国通りを真っ直ぐだ。
すずりちゃんのコースより、やや短いかな。
「お姉ちゃんが担当しているコースの、丁度西から始めて、水道橋や小石川後楽園も含めようと思ってたんですよ。そしたらお姉ちゃんが「必要最低限にしておいた方がいいよ。私も実は後悔してる」っていうので、ちょっと狭めになってます」
「うん。俺も、もう少し短くてもよかったかなって一緒に歩いてて思う。……北側、蔵前橋通りの坂を登っていくのが辛いんだ。「神保町」だけなんじゃないんだもん。感覚だと、神田→アキバ→湯島→水道橋だもん。……そうか、すずりちゃんも実はしんどかったんだな。すずりちゃん、俺の前では弱音吐かないんだよね」
「あー今の、ナイショでお願いします。お姉ちゃん、あれでなかなか負けん気強いのです」
「だよね。なかなかね。上昇志向強いよね」
「でも、お姉ちゃんと一緒に生活できて、本当に楽しいですよ。私の実家は昔ながらの家柄で、男が強かったので」
「伝統神社の家系なら、そうなるよね。……ウチの会社は、どっちかっていうと、女所帯だよね」
飯田橋駅を過ぎて、左折。一旦神田川が見えなくなる。……ほぼ、暗渠になってるのかな?
「クラスの他の女子の皆さんとは、どんな感じなの?」
「みんな、将来の心配ばかりしてます。海外留学してキャビンアテンダントっていうのが割と王道だったんですよ、ウチ。その道がコロナですごく厳しくなって、「どうしよう」って」
「高校のうちから就職の心配か。スクールカーストどころじゃないんだなぁ」
「先生は、「この学園は就職予備校じゃありません! 学生の頃にしかできないことに打ち込みなさい!」っておっしゃいますけどねぇ……。やっぱり先のことが心配で」
「う〜ん、オジサンの俺から見ても、せっかくJKやってるんだから、JKらしく、青春満喫して欲しいかなぁ」
「幼稚園から紬白雪に居て、運動系の部活入ってる子は、王道JKやってます。 私は帰宅部ですけど。……でも、やっぱり先のことが心配で。私が就職先決まってるって話すると、みんな「いいな〜」って、言うんですよ」
「俺が高校生やってたのは、もう30年近く前になるんだけど、そこそこいい方の公立でね。みんな頑張ってスカート短くして、ルーズソックス履いてたよ。……確かにあの頃よりも、ずっと厳しくなっちゃったもんなぁ、世の中」
「「自分の母親のように生きることができない」って、すごく不安なんですよ、みんな。私にはすずりお姉ちゃんがいますし、凛堂先生も、椿姫様もいらっしゃって、いろんな背中を見ることができるんですけど、他のみんなは、そうもいかなくて。……みんな本音では「普通のお嫁さん」がいいんです。でも、そうも言ってられないので」
「今のご時世、男をあてにするのはリスクでかいもんね。ウソでもハッタリでも、やりたいこと見つけないといけないもんね」
「あの……黒海さん。もし、黒海さんが、今の女子高生だとしたら、どんな風に過ごしますか?」
「ふむ。そうだねぇ。とりあえず、国立大目指して勉強する。勉強最優先。それ以外は後回し。かなぁ」
「その心は?」
「前に市場調査会社で働いてたとき、同い年の女性社員さんが居てさ。山口の出身だったんだけど、頭のいい人だった。お母さんが教育熱心だったみたいでね。高校時代に一生懸命勉強して、なかなかいい国立大入ったんだよ。そこで彼氏作って、付き合いながら別々の会社に就職して、就職3年目で結婚してた。「あぁ、生きるのが上手だなぁ」って、思ったよ」
「そうかぁ。パートナー探しを上手くやるために、勉強を頑張るんですね」
「私大はさ、エスカレーターじゃない。有名大学でも、全然勉強できない奴、いるじゃない。途中で落ちこぼれちゃったとかさ。男探すにしても当たり外れが大きい。国立だったらそういうのないでしょ。社会も数学もちゃんと勉強しないと、入れないんだから」
「就職してから相手を探すより、余裕を持てますよね。大学生の方が、忙しくないでしょうから」
「朝聞いた通り、翠菜さんは翠菜さんで、いろいろ宿題があるのは分かったけど、他の生徒さんはどう? 仲のいいお友達さんとか」
「私の周りの子達は、みんな一応の目標を見つけて、それぞれ頑張ってますよ。……だけど、そう。みんな、「自分の未来を信じられなくなってる」かな。「勉強ばっかりやってて、将来幸せになれるのかな」って。みんな不安なんです」
「そうかぁ。プロレタリアオジサンは、「生きてるだけで精一杯」で、「幸せ」なんて考えたこと、ほとんどなかったけどなぁ。……良いご家庭の皆さんは、そういう訳にいかないよね。ちゃんと結婚して子供産むのが当たり前だって、考えるよね。それはそれで、プレッシャーだよね」
「専業主婦は許されない。一生独身も、絶対無理。勉強漬けの毎日で、「モテない女」になったらどうしよう? 仕事を頑張るにしても、イスラム圏やインド、中国なんかでは仕事したくない。日本国内でベンチャー立ち上げるとか、そういうのも、やれそうにない。……誰を頼ればいいんだろう? 誰に寄り添えばいいんだろう? そんな心配ばっかりです」
「大半の会社では、一番生き残るのは、「育ちのいい人」なんだよ。……まぁでも、育ちのいい人は育ちのいい人で、葛藤があるんだね」
「みんな、「恵まれてる側の人間」だって、自覚はあるんです。ですけど、それだけなんです。長いものに巻かれることばかり得意になって、自分の人生を切り開くことを考えられない。夢を持つことができない。「人間の強さ」と縁がない。だからみんな、心細くて仕方ないんです」
「イスラム圏は女性に厳しいし、インドはカーストがあるし、中国はみんなパワフルだもんね。 日本人女性が安心して生きていける世界では、ないよね」
「日本国で、女に生まれて、経済的に困ることはなく、東京で生活できる。世界でもトップクラスに恵まれてるんです。だからこそ、「何を頑張ればいいか分からない」ことが、不安で不安で仕方ないんです。 ……だから私が大学行かないで就職するって言ったら、すごく驚いて、羨ましがるんです。みんな」
翠菜さんは、彩命術師としての自分の生き方に、全く疑いの念を持っていないようだ。八百万の神様方が、みんな味方してくれるんだもんな。当然か。
だからこそ、クラスメート達の今後を、気にかけている。「私一人恵まれて、申し訳ない」って感じている。
友達想いなんだな。その気持ちは大切にしたほうがいいな。
「……すずりちゃんはさ。やっぱりご両親に先立たれたのが辛いんだ。それが彩命術師としての生き様だと頭でわかってても、寂しいんだ。本当はもっとずっと一緒にいたかったんだ。だからそのために、お母さんの心の近くにいるために、筆書きの仕事を頑張ってるんだ。それが、すずりちゃんの「頑張りの原動力」なんだよね」
「はい。お姉ちゃん、私には書道、教えてくれないどころか、筆書きの仕事を見せてくれもしませんでした。「これは、私のだから。あなたは、他のを探して」って」
「俺は俺で、原動力になっている気持ちがあるんだ。……もう、オジサンの不幸自慢はやりたくないから、ここではお話しませんけどね。……つまり、翠菜さんにも、そんな「頑張りの原動力」になる気持ちが、あるはずなんだよ。自分の心の奥にある気持ち。……翠菜さんはさ、自分のことより、友達の方が、心配だったり、しない?」
「う、う〜ん。……正直に本心を話すと、「私は別に」なんですよ。神社の家に産まれて、隠神道に引きとってもらったからには、立派な彩命術師になりたいんです。そのためには、「唯であること」を大事にしたい。すずりお姉ちゃんがいてくれるおかげで、寂しいとか感じないですし。……なんですけど、「他のみんな」がそうではないみたいで」
「翠菜さんが、他の生徒さんから、大事に思われてるんだね」
「一時期、お昼のお弁当に、霊影ぬか漬け、持って行ってたんですよ。最初はよかれと思って、友達に分けてあげたりしてたんですけど、争奪戦になっちゃって。「心が目覚める!」とか言い出すようになっちゃって。……お弁当作っていくのも、やめてしまいました。部活の勧誘も、生徒会の勧誘も、引きが強くて」
「そうなんだぁ。……翠菜さんは、「不幸」とは縁がなさそうだけど、それはそれで、苦労が多かったんだね」
「学校生活は世の中を知るためだけで、ほどほどでいいと思ってるんですけど、向こうがそうじゃなくて。「どうしたら私たちともっと仲良くしてくださるんですか?」って、素で言ってこられたりもして。「ノーマルでいいから紺○伝をクリアしてきてください」って言ったら、「嫌ぁぁあ!」ってその場で泣き崩れちゃったりとか、ありましたね」
「はっはっは。楽しそうな学生生活じゃない。……ちなみに俺は、全然ダメ。弾幕のパターンが頭に入ってこなくて。……最近はWindowsパソコン用意するのが、一番ハードル高かったりするよね」
「それ用にもう一台用意するつもりでいかないとダメですよね。ですけど、出来るようになると、楽しいですよ〜」
すずりちゃんとは少しテイストの違う、ねっとりしたニヤケ顔。学校だけに限らず、今の生活を十分楽しんでいるようだ。
「……そんな学生生活も、もうすぐ終わりです。なので、私じゃなくて、他のみんなが辛そうなんですよね。「このまま終わるのは嫌」って、みんなそういう気持ちで。……ですので、「結果として私のせいで、みんなが辛い思いをしている」。そんな気になってしまいます。……そうですね。できることがあるのなら、なにかしてあげたいかな」
うむ。多少は気持ちの整頓が、進んだだろうか。
「かといってなぁ、いい家のお嬢様方を、理由もないのに彩命術やらせるわけにもいかないもんねぇ」
「「自分が天国に行くことを疑わない」のがカトリックです。「葦船流し」なんて、まさに悪魔の所業です。絶対に言えないですよ」
「翠菜さんは、どうだった?」
「本物でなくても、やっぱり大変でした。私子供の頃、亀を飼ってて、不注意で死なせてしまった事あったんですけど、それより辛いです。彩命術は、やっぱり業が深いです。カトリックの教えが「地獄に落ちないための教え」だとしたら、彩命術は「地獄で悪魔と闘うための教え」ですよ」
「「さっさと勝負しろ! この変なTシャツヤロー!」ってか?」
「そうです! まさしくです! まさにまさに! あぁ嬉しい! 隣で一緒に歩いてくれる人がいるって幸せ! ありがとうお姉ちゃん!」
そうだな。最初に出会った彩命術関係者がすずりちゃんでなかったら、ユメツナギに入ってなかったかもしれないな。
自殺したくてしたくて、できなくて、本当に苦しいときに「私が殺してあげますよ」って、言ってくれたもんな。
あれは実は本当に、嬉しかった。
★ ★ ★
市ヶ谷駅を過ぎて、靖国通りをひたすら進む。若干ごちゃごちゃっとした、オフィス街。
「先程の話の続きになりますけど、私の今後、ゲームプログラミングなんかでも、よかったりするんでしょうか」
「内容にもよるけど、いいと思うよ? ……弾幕STG作るの?」
「いえ! あれは流石に、私では無理です。……もしかすると、弾幕を再現するプログラムは、勉強してみたいかな……って思いますけど、ゲームそのものになると、私では「フィクション」を作り上げていくのが、無理かなぁって思います」
「キャラクター起こして、ストーリー作っていかないといけないもんね。世界観も必要になるし。積み上げていくには、リリスが必要になりそうだね」
「あの作品は、独自の解釈で神道の世界観をエンタメにしてて、目が覚める想いでした。……和風ファンタジーは他にもいろいろありますけど、他作品とは一線を画してますよね」
「「弾幕」と「音楽」をご本人がやってるの、大きいと思うんだよ。……鴉天狗を女の子にすることはできてもさ。新聞記者にして、あのテーマ曲でしょ。キャラクターの個性を、弾幕と音楽で表現できるからこそだよね。単にマンガやラノベだったら、あそこまで作り込めないと思う」
「心を、音楽で表現するんですよね。そういう方法もあるんですよね。ホラ、こちらの神様方からお願いされていますよね。「故郷なんとかしてくれ」って。……私に何が出来るのかって、ずっと考えてるんですけど、言葉以外のアプローチの方が、いいかもしれませんよね」
「故郷……。「少女が見た日本の原風景」? 確かに、そうかもね……」
日本の地方の衰退は収まる気配がない。残っているのはお年寄りだけ。田んぼも山林も荒れ放題。
観光資源のある土地ならまた少し違うかもしれないけど、そうでないエリアは、直接の立て直しは、もう無理だろう。
そもそも、日本の地方が東京のように、高層ビルが立ち並ぶコンクリートジャングルになればいいのか? と言われたら、それは違うのだ。
「故郷を守る、大切にする」ということは、どういうことだろう? 夏休みに、裏山にクワガタとりに行けばいいのか?
考えが行き止まって、言葉が続かなくなる俺。対象的に、翠菜さんの言葉は止まらない。……この子はこの子で、考えているのだ。
「すずりお姉ちゃんもいろいろ考えてくれて、前に「こういうのどう?」って言って、テラリウムをプレゼントしてくれたんですよ。お姉ちゃんがやってるハンドメイド・マーケットで、取り扱いがあるんです」
「小さなビンのなかで、苔を育てるんだっけ。箱庭的な、小さな自然だよね」
「私、苔を眺めているの、好きなんですよ。いつまでも、ず〜と眺めていられます。人間でなかった頃の自分、もっと原始的な生き物だった頃の自分に、帰れるような気がするんですよね」
「うんうん、なるほどね。翠菜さんも、やってるの? テラリウム」
「はい。少しずつ、育て始めてます。仲間が増えていくのは、楽しいです。苔達の前で弾き語りを聞かせると、喜んでくれるような気がするんですよね」
……苔達を相手に、音楽を聞かせるのか。……非常に「彩命術師的」な発想だ。すずりちゃんが「素質は十分にある」って言ってたのも納得である。
「テラリウムの製作販売も、いいんじゃない?」
「はい。何も見つからなかったら、それで行こうかなとも思ってました。……ですけど、長野や山梨の、山間の土地に暮らしている方々が育てたほうが、苔達も嬉しいと思うんですよね」
「確かに本格的にやるなら、ある程度広い敷地に温室を作ったりする必要があるかもね。テラリウム製作続けるうちに、地方に引っ越したくなっちゃいそうだね」
「お姉ちゃんは、「夢の産屋跡地を使えば?」って言ってくれたので、やってやれないことは、ないと思います」
「その口ぶりだと、そこまで本気でやりたいと思ってない感じだね?」
「何ていうんでしょう。「ホーム」でないと思います。……お姉ちゃんは、筆書きの仕事を「神保町」でしてますよね?「本の街」です。自分の仕事が、街と繋がっていますよね。テラリウムをやるんなら、山国でやらないと、「まこと」が弱い。そんな気がするんです」
「なるほどねぇ……。ならば、「東京ならでは」の活動の方がいいってことだよね?」
「はい。故郷の「まこと」を、シュミレーションできるような作品が作れないかなって、さきほどから、少し考えてます」
「テラリウムシュミレーターとか?」
「はい。東京の奥底の、見えない大自然。……そうだ。渋谷の下水にいっぱいいるんですよね? ネズミ。あとそう。カラスでもいいですよね?」
「東京を舞台に、カラスやネズミを増やすゲーム?」
「うん。今思いつきました。……なんか急に、汚いイメージになっちゃいましたね」
翠菜さん、ニャハハって、笑う。
ほぼほぼ、俺に対しても、打ち解けてくれたかな。
★ ★ ★
歩き続けて、左側にずっと見えていた、和風の土壁が終わったところ。デイリーのコースも、そろそろ終わりだ。
「黒海さん、この先が、私が通っている高校です」
「え? こんな近いの? すぐ隣じゃない」
「ちょっと寄り道しますか? 外から眺めるだけですけど」
「うんうん」
翠菜さんが通っている高校は、こちらの神社のすぐ北隣だった。神社の存在感があまりに大きいから、周辺の建物に意識が向かないんだよな。
学園の敷地をそとから、ぐるって一周する。幼稚園、小学校、中学校、高校に、教会か。
……日本で一番の、大勢の神様をお祀りする神社。そのすぐそばに、お嬢様方が通う、カトリックのミッションスクール。
ああこれ、知らなかった。実に日本らしい、施設の配置。
まるで父親と娘とが、寄り添い合っているようだ。
「学校の前の道路が、歩道が狭くて車が危ないので、登下校は神社の境内を通らせてもらうんです。みんながみんなじゃないですけど、鳥居の前でお辞儀をする子も、結構います」
「それはそれは。「お父さん方」は、みんな嬉しいだろうね。年頃の娘さん達に、毎日通ってもらえるんだから」
ここで唐突に、ピタリと歩行を止めて。
「黒海様。……一体どうして、こちらの神社に祀られている英霊の方々が、「蟻」に転生しているのか。そのまことの理由をお伝えしましょう」
ゴゴゴゴ……と、翠菜さんの様子が、明らかにおかしくなる。一体急になんなん?
カッ!!
「蟻に生まれ変わることで! 境内を通行する女子生徒達の! スカートの中を仰ぎ見るためなのであります!!!」
「!!!!!!!」
俺の脳内に雷が落ちる。
「……紬白雪女学園は、お嬢様校につき、皆スカートが長い。女子校につき、周囲に男子の視線がない。クラスには、幼稚園からの顔なじみばかり。……スカートの中にスパッツやインナーパンツを履いたりは?」
「しません」
「!!!!!!!」
再度、俺の脳内に雷鳴が轟く。
なんてことだ。
「……直接、神様方のお心に触れることの出来る、私達だからこそ辿り着く、真実です」
「なんてミモフタモナイ。……まぁ、らしいと言えば、らしいけど」
「あぁつまり、私が言いたいのは、こちらの神様は、今とても穏やかで、楽しく過ごしていらっしゃるんです。……世間様から思われているようには、殺伐としてないって、そういうことです」
「なるほどね」
気軽に、ご参拝しましょう。