024 唐突にJKの保護者になる? 案外サマになってる?
いやいやいや、急な話でびっくりしてしまった。
とりあえずエレベーターに乗って、すずりちゃんの部屋まで戻る。
「……まぁ、今まで気にならなかったって訳ではないんだ。だけど、儀礼的無関心がマナーだと思ってたから、あえて聞かなかったわけでさ」
「お隣で首吊りがあっても、キツイ腐敗臭が出るまで気づかない。マンションの「ご近所付き合い」なんて、そんなものですよね」
「せめてあいさつ位はってずっと思ってたのに、一度も顔合わせなかったんですよ? 私は避けられてるのかもって、思っちゃってました……」
「そんなんじゃないから。でもね、私達社会人だから。「忙しい」って言い訳はよくないの分かってるけど、やっぱり忙しいの。許して」
改めて、今日は7月下旬、大半の高校が夏休みに入った月曜日。時刻は朝7時30分。
すずりちゃんと朝のデイリーを終わらせてタワーマンションに戻ろうとして、1階のエントランスで女子高生を見かけたわけだが、この娘はなんと、我々の住む部屋の、同じフロアの住人だった。要するに、お向かいさん。
タワーマンションって垂直方向に高く伸びてるから存在感があるけど、1フロアで見ると、実は広くないんだよな。このタワマンの我々が住むフロアは、3LDKの間取りが4つしかない。俺とすずりちゃんが北東側の部屋。そして先程出会ったJK、「流女翠菜さん」が北西側の部屋。以前七瀬さんがフロア買いしたそうで。
つまり、廊下を挟んだ向かい側に、JKが一人暮らし。
そう、JKが一人暮らし。
「いつからここで暮らしてるの?」
「中学入学からなので、6年目になります」
「このタワマン、築20年は経ってますからね。そろそろ大規模修繕の話あるかもですよ。意外と新しくないんですよ」
「マンションとか団地もなぁ、築60年以上とか、ポツポツ出てくるよなぁ。高齢化してるのは人間だけじゃないんだよなぁ」
すずりちゃんと暮らすようになってから、大体3ヶ月になるけど、これまでまったく気づかなかった。入り口のドアが閉まる音は聞こえてたから、誰か住んでる人がいるのだろうとは思っていたけど、どうせどこぞの出版社の役員のオッサンだろうぐらいにしか、考えてなかったんだよな。
ドア2枚はさんだ向こうに、JKが一人暮らし。
うむ、縁がないと分かっていながらも、ドキドキしてしまう。
……いや、縁がないとは言えないのか? 最早。
どんどん俺の生活が、現実離れしていく気がするなぁ。「お前の棲家は「たこ公園」の滑り台の中だろ?」って言われる方が、しっくりくる。
「銀一郎さんをお迎えするまでは、ちゃんと接してましたよ? 別にシカトしたりなんてしてませんからね。……でもホラ、銀一郎さん基本「オンナ嫌い」じゃないですか。心労かけたくないと思って、あえて今日まで黙ってたわけでして」
「俺は俺で、いろいろ訳ありオジサンではあるからね。普通に考えれば、関わらないほうが翠菜さんにとっては、自然だよね」
「いえ!それでは困ります!スミマセン急に!しかしながらいろいろと、事情があるのでございます!」
「す・い・な。まず朝ごはん食べよう。今日はこっちでね。それからきちんと説明するから」
翠菜さんは、「取り乱してる」とまでは言えないが、平常心には程遠く、先程から何度も勢いよく頭を下げてくる。……おじぎの仕方を見ても、世間一般の女学生の規格から、大分外れているのが分かる。ペコペコペコではなく、ババババ!っていう勢い。相当体幹鍛えてないとできない動き。運動系の部活バリバリやっているのか、あるいは彩命術の賜物か。
「おねぇ……いえ、文代先輩、わたし、いつもの持ってきて、いいですか?」
「どうぞどうぞだよ。……それと私の呼び方、今まで通りでいいから」
「はい。分かりました。お姉ちゃん」
ここでようやく、翠菜さんが笑顔を見せた。何かを取りに、自分の部屋に向かう。
俺達はダイニングで朝食の支度をする。……こっちで3人で食べるわけね。
お姉ちゃんか。
ちゃんと仲良くやってたんだな。
すずりちゃん、中卒の23歳って聞いてるけど、それ以上にしっかりしてるなと感じてたけど、「妹さん」の面倒を見てたわけね。納得である。
翠菜さんが戻ってきた。タッパーを持ってきた。漬物かな?
「私と違って、翠菜は料理するんですよ。霊影細菌を使った、ぬか漬けのお漬物です」
「なるほど。ぬか漬けって確か、毎日かき混ぜる必要あるんだよね」
「はい。彩気を込めてかき混ぜます。是非、黒海様も、お召し上がり下さい」
「もっと、くだけた呼び方でいいよ。クロームオジサンとか、プロレタリアオジサンとかで、いいからね」
「あっ……もうちょっと、心の準備が、出来てからで……お願いします」
上目遣いになって、モジモジしだした。……もしかして、女子校なのか? なんか、全然男慣れしてなさそうだ。今時珍しい。
真光や恵史郎とは接点なかったんかな。あとそうそう。「床勝負」はどうしてるんだろう? ……こっちから聞きにくいテーマだな。
「「「いただきまーす」」」
まぁ朝食って言っても、シリアル、ヨーグルト、茹でタマゴだけなんだけどな。今日はそれに、翠菜さんのぬか漬けつきだ。……ダイコン、キュウリ、ニンジン。
「うん。お漬物おいしいよ。酸味も塩気も丁度いい。……あぁ、ちゃんとした漬物、ものすごく久しぶりに頂いた気がする」
「コンビニやスーパーの漬物、いろいろ添加されて、それっぽい味出してるんですよね。正統なものはやっぱり違いますよね」
「凛堂先生から教わったんです。昔の隠神道では、ヨーグルトではなく漬物で、霊影細菌を摂っていたそうです」
七瀬さんの事を「凛堂先生」か。彩命術関係の話もごく自然に出てくるな。結構ガチ勢っぽい。
まぁまだいいよな。そっち方面の話するのは。
もうしばらく、当たり障りない世間話を続けよう。
★ ★ ★
朝食が終わって、後片付けもやってしまって。
リビングでコーヒーを飲みながら、改めて話を伺う。
……なのだが、緊張しすぎてるのと、どう切り出せばよいのか整理ついてないみたいで、翠菜さん、硬直してしまった。
「私から話しちゃって、いいよね?」
「うん!ごめんなさい!お願いします!」
「妹」に対しては甘やかさない方針なのか、いつもよりもずっと冷淡なすずりちゃんだが、毎日一緒に暮らしている俺にはわかる。内心めちゃめちゃドヤってる。
会話の主導権とれて嬉しいのを、押し殺してる。フフン、フフンって、心の声が聞こえてくるぞ。
女の子だなぁ。
以下、すずりちゃんからの話の要約になる。
流女翠菜さん。2004年産まれで、今年18歳になる。今は千代田区九段にある「紬白雪女学園高等学校」に通っている高校3年生だ。なんでもカトリックのミッションスクールで、「超お嬢様学校」なんだとか。
ご実家は、都内にある名門神社の宮司一族。お兄様がおられるので、家業の心配は不要とのこと。
小学生の頃から諸事情により、ユメツナギノオホミタマで、面倒を見ることになった。別に勘当だとかネグレクトではないが、翠菜さんは、実家に戻る気はないという。
高校生なので、ユメツナギノオホミタマへはまだ入社しておらず、学業の傍ら、少しずつ彩命術を学んでいる段階。
そしてここからが肝心なのだが。この翠菜さんが先日、実際の妊娠中絶を必要としない「疑似葦船流し」に、初めて成功したのだという。
「本物の精子の代わりに、霊影細菌を収容した「形代」を子宮に挿入するんです。そして十月十日、お腹の中で生活を共にした後、取り出します。終了後、霊力の目覚ましい増加が確認できました。子宮に直接霊影細菌を入れても、すぐ死んでしまうのですが、人工臓器で使われるシリコンゴムを応用して、菌を保護できるようになったんですね」
「今までの「葦船流し」は12週ほどで「流す」のが多いんだっけ?40週一緒にいるのも、それはそれで大変だよね」
「はい。ですが、今までの負担に比べれば、ずっと楽になります。今まで懸念されていた「人道に反する」選択をしなくて良くなるわけですし」
「そうか。「本番葦船流し」は公にできなくても、「疑似葦船流し」だったら、おおっぴらにしても構わないわけか。……他のみんなは今後どうするんだろう? 花都香女史はこのあいだイスラエルから帰ってきたじゃない? あの大先生は、これまで通りなんでしょ?」
「椿姫さまは、今まで通りですね。……他の皆さんは、どうかな……重たい話題だから、聞きにくいですね。美羽さんと繭さんは、今まで通りすると思います。希姫さんが、もしかすると、……う〜ん、どうですかね〜?」
「前にすずりちゃんが言ってたじゃない「運命の流れは勢いが早くて、急には方向転換できない」って。きっとみんなもそうなんだよね? ……いずれにせよ、「流さなくていい」って選択肢が出来たことは、いいことだよね」
「はい。彩命術にとっては、大きな前進です。「うさんくさいオカルト」だって、卑下しなくてよくなっていくといいなって、思います」
「うんうん。せっかくみんな頑張ってるんだからね。正統に評価されるべきだよね」
うんうんって頷きながら、翠菜さんを見やると、まだ緊張が解除されない。……他にもまだ、あるっぽい。
ちょっとコーヒーを口にして、間を置こうか。
「どうする翠菜?ここからは貴方話す?」
「う、う〜ん。この先も、お願いしたいです……」
「いいの?私が話しちゃっていいの? 本当にいいのね?」
「……うん。お願いします。ちゃんと説明できる自信ない……」
「そうかー。貴方のことなんだから、本当は貴方から伝えるべきだけどもー。仕方ないねー」
すずりちゃん、いつになくドヤってんなー。
女性同士の見えない綱引きには、オジサンは近づかないでおく。
すずりちゃんからの事情説明が続く。
今、翠菜さんが抱えている懸案が3つほどあって、それの解消を俺に手伝ってほしいとのことだ。
①:卒業後、大学進学せずユメツナギに就職することに反対している、教師・同級生を説得するのを手伝ってほしい。
②:翠菜さんの彩命術師としての「在り方」を一緒に考えてほしい。
③:床勝負、お願いします!!
①について。
基本的に、彩命術に関わっている若者は進学を避ける。絶対にダメ、という訳ではないが、<愛よりも尊い何か>とも唯存律とも無縁な、ごくごく一般的な学生と共同生活を送ってしまうことで、彼らとの間に「縁」が出来てしまう。その縁は往々にして、人を不幸にする。一般人は、その不幸に耐えられない。
翠菜さんも高校を卒業したら、ユメツナギノオホミタマに就職するつもりでいた。七瀬さん達もそれでオーケー。ところが、進路面談でその旨を伝えたところ、担任の先生に猛反対されたそうで。同級生からも「一緒に大学行きましょう」との、説得工作が続いているとのこと。
普通の学生だったら「そんなもん放っとけ」で終わる話なのだけれども、そこはSMMに携わるユメツナギである。
「きちんと先生やご友人と話し合って、十分に納得してもらいなさい。その経験が就職後、役に立ちます」と、七瀬さんから言われてしまったそうで。
当初は七瀬さんからの指示の通りに、翠菜さん一人で担任や同級生相手の説得を試みていたそうなのだが、翠菜さんはリリスが開いておらず、ウソが下手。
彩命術や葦船流し、モラハラ菌滅殺といったオカルト方面の情報を伏せつつ、SMMについて説明してみたところ、ユメツナギの「いいところ」だけが伝わってしまい、面倒な方向に話が大きくなってしまった。
具体的には、「私もユメツナギに入りたい!」と言ってくる同級生が出てきた。それと、進路についての自分の考えを、弁論大会なる校内行事で発表することにもなってしまったそうで、「事態を収拾できそうにない」状況なのだという。
すずりちゃんはすずりちゃんで、ウソ下手で高校も行ってないしな。これ以上状況が悪化して会社に何らかの悪影響が及んだ暁には、鈴懸さんが大喜びして全部俺の責任にするんだ。
「リリス開いてんだったら楽勝でしょー!? 何で対処してないのー! いつまで新入社員のつもり!?」とか言ってな。くそったれめ。
②について。
翠菜さんがユメツナギノオホミタマに入社してからの、彼女の仕事について、一緒に考えてほしいとのこと。
例えばすずりちゃんは、書道の経験とイブ、エミタメの彩気を活かして、グリーティングカードによる「モラルウェア制作」の仕事をしている。「エロ」に頼らず、現代の女性たちをサポートできる、なかなか「巧い仕事」だ。それ以外にも、先日俺と真光がお世話になった隠密札のように「念字」を打った、様々なマジックアイテムを用意してくれる。みんな重宝している。
すずりちゃんの他、鈴懸さん、四條畷さん、錦織さんの3人ともに、自分の性格や開いている彩気を活かして、「さすが」と言わせるいい仕事、いい動きをしてくれている。
一般的な企業とは異なり、社員一人ひとりが「唯一の社員」であることを目指すのが、ユメツナギノオホミタマだ。
翠菜さんは、まだ入社してからの自分の仕事の在り方が見いだせていないという。すずりちゃん曰く、「彩命術の素質は申し分ない」とのことなので、後はひらめきとか、きっかけかな。
とはいえ、俺自身が翠菜さんの事、まだ全然知らないからな。卒業までまだ半年あるし、時間をかけてゆっくり取り組んでいけばいいかな。
③はいいや。夜になったら成り行き任せでどうにかなるでしょ。パスパス。
この①②③まで話が済んだところで、9時30分になってしまった。俺は北の丸公園のカラス達に会いにいく時間。すずりちゃんは筆書きの時間。
一旦解散する。
「じゃぁ俺北の丸行ってくるね。葬式があってもなくても他の公園にも顔出すつもりだから、昼は戻ってこないつもり」
「うん。分かりました」
俺とすずりちゃんの、いつものやりとり。そこに、
「あ、あの! もしご迷惑でなければ、私もご一緒させていただけませんか!?」
翠菜さんからの同行の申し出である。
もちろん、嫌ってわけではないけれど。……リビングのカーテンを開けて、外を見てみる。朝方の雲が抜けて、真っ青な夏空。……今日は35度超えそうだ。
「この暑さにこの日差しだよ? いくら対策したって髪と肌にダメージいくの、良くないよ。歳とってから後悔するから。在宅をおすすめします。きれいなお肌は大事にしてあげて」
「お気遣いありがとうございます! ですが、もう一つとても大事なお話がありまして! 途中まででもいいのでご一緒いただきたいのです!」
えーまだあるの。いくらJKって言ったってな。生真面目な女性の相手を2時間以上やってるのはしんどい。少し気分転換したい。
『……』
あっはい。念込めます。
ボン!
『翠菜ちゃん。あの件については今のわたくしからでも伝えられますから。道中わたくしからお話しておきましょう』
『あ〜ヨモコ様だー。お久しぶりですー。 そうだ〜ヨモコ様もいらしたんですよね。よかった! それでは、お願いします!」
ヨモコ様とは初対面じゃなさそうだな。まるで驚いてないし。
「翠菜。ヨモコ様に任せておけば、その件は大丈夫だから。お昼になったら、その他の作戦会議しよう。ヨモコ様。神様から伝えにくい客観情報につきましては、もうしばらくしたら、私からメールで銀さんに伝えておきます。……それでは銀一郎さん、ヨモコ様、いってらっしゃい」
「黒海様、いってらっしゃいませ!」
「後よろしくね。行ってきます」
いつものカートを転がして、部屋を出る。
★ ★ ★ ★ ★
「いやいやいや。どうにも分不相応ですねぇ。すずりちゃんだけでも自分には勿体ないって思ってるのに、もう一人ですか?」
『……あまり喜んでいませんね。今までの理不尽な苦労の帳尻合わせだと思って、素直に喜びなさいな』
靖国通りを新宿方面に進んでいく。夏の日差し。
「それで、「あの件」っていうのは、一体何なんです?」
『そうね。銀一郎殿、以前「御霊映」については、すずり殿から聞いていますよね』
「ええ」
俺がカラスの葬式をするようになってしばらく経った頃に、すずりちゃんから説明してもらった。
「御霊映」とは、ざっくり言うと「一般人以上神様未満の霊的存在」の事だ。……花都香椿姫女史をイメージすると分かりやすいかも知れない。ガチの巫女さん。昔の言い方なら「現人神」が近いだろうか。
あるいは、「彩命術師」がキャリアを重ねて霊力を高めてクラスチェンジすると、上位職の「御霊映」になる。そういうイメージ。
現代人は精神力が弱っている。他人を信じる力も、自分を信じる力も弱っている。 頑張ることも支え合うことも忘れて自ら命を断つ。
同様に、「神々を信じる力」も弱っている。本来の人間が持つ「信仰力」が衰えに衰えている。科学が十分に発達してきたから、仕方のないことではあるのだが。
社会インフラを過信し、正常性バイアスに飲まれ、災害から身を護ることができない。大津波が来ても、避難が出来ない。
人間側の信仰心の衰えにより、八百万の神々も、その力を弱めてしまった。自らの言葉、自らの心を、人々に届けることが難しくなっている。
このままでは、人間と八百万の神々との関係が、消えて亡くなってしまう。神々が忘れ去られてしまう。
そうなることを防ぐために、より積極的に、より真剣に信仰に取り組み、本来あるべき「人間と八百万の神々との関係」を維持しようとするのが「御霊映」だ。
すずりちゃんがデイリーと呼んでいる毎朝の神保町界隈の散歩。正式には「霊想結界の更新」と言って、神保町界隈の霊的な状態・モラルを正常に保つためのものなのだが、それ以外にも目的がある。
この地域に祀られている神様に祈りを捧げて、神様に霊的な「栄養分」を提供しているのだ。
すずりちゃんのお相手は、平将門公。
『そうはいっても、将門に霊力を分けてやることだけが、霊想結界の目的ではありません。新たな八百万の神々の一員になること。それが御霊映の最終目標です』
すずりちゃんは、神保町に「本の神様」を創りたいのだ。神保町を、文字通り「神様が住まう街」にしたいのだ。
両親からの愛に恵まれなくても、受験や就職に失敗しても、この街に来れば、自分を支えてくれる一冊に出会える。人生の道標を見つけることができる。そのような街にしたいのだ。
そのためにはどうすればいい? どこかに「本の神様」っていましたっけ? 「思兼命」をどこかにお祀りすればいい? それよりももっと確実なのが。
「文代すずり」が、「本の神様」になるのだ。
ちょっと脱線するけど、今俺とすずりちゃんが暮らしている部屋、「神保町すずり邸」は、3LDK。リビングダイニングキッチンに、一部屋はすずりちゃんの仕事部屋。もう一部屋は俺とすずりちゃんの寝室。そして、最後の一部屋はご両親の仏壇や家族の思い出の品を保管する倉庫の他、書庫になっている。平積みでドカドカと積んである。200冊くらいはあるだろうか。タワマンだから、床が抜けることはないだろう。
中学卒業後しばらくは、高校に進学する代わりの勉学として、ひたすら本を読みまくる日々を送っていたそうだ。マンガやラノベから始まり、古典文学、人文社会、宗教、医学、IT、芸術、自然科学などなど、ジャンルを問わず、無尽蔵に。金は七瀬さんが出してくれて「いくらでもいいから、とにかく徹底的に読みなさい」と言われて、ちょうどお母様と死に別れた直後だったこともあり、それはそれは読みふけっていたそうだ。
片っ端から読みこなすうちに、だんだん違いが分かってくる。「中身のある本、魂の籠もった著書」と、そうではないやっつけ著作との区別がついてくる。
そして、「この一冊は!」という本については、電子版が出ていても紙の書籍を買い求め、手元に残すようにしているのだ。名付けて「あやしろ文庫」。
うず高く平積みされてるからうかつに手を出しにくいんだけど、何冊か「おすすめ」された本は、俺も読んでみた。ざっくりとだけど。
幕末に日本にやってきたイギリスの外交官が執筆した、神道についての研究書(原著の出版は1905年!)などは、とても興味深く読ませてもらった。江戸時代から明治にかけての、当時の日本人の信仰意識がこと細かく記述されていて、学校教育やマスコミの影響がほとんどない時代の人々の生活に、どれほど信仰が身近なものであったのかがよく分かって。
その気になれば、古書店を開店することもできる。というか、将来古書店を開くつもりでいる。
神保町界隈は今現在のところ、複数の古書店がまだまだ健在だけど、この先10年20年したらどうなるか。遅かれ早かれいずれはの話。
そうなってしまった頃に、1軒でも古書店が残っていれば、神保町は引き続き「本の街」でいることが出来るわけだ。
今のうちは、彩命術がんばって、筆書きの仕事をして、貯金もしっかりする。
彩命術師を引退して、仕事も退職して、お金の心配を一切しなくて良くなった頃に、古書店を開いて、女主人になる。黒猫や三毛猫が、その辺を走り回るような店。
神保町の母。有名おばあちゃん。
神保町で生きて、神保町で死んでいく。文代すずりは、自分の人生をそのように考えている。
人間を超えた何者かになるのではなく、一人の人間の生き様として、神様をやるのだ。
『将門だけではなく、菅原道真公も、徳川家康公もいますね。「人間が神様になれる」のが、日本国の自然な姿です。時代の変化に応じて、「唯一の人生」を全うした者が、八百万の一席に加わることで、神々と人々の繋がりを太くしなやかに、人々の心を豊かに瑞々しく。そのような生き方が、「御霊映」です』
「つまり、すずりちゃんだけでなく、翠菜さんも、「御霊映」を目指しているということですか?」
『そう。ですが彼女にはまだ、すずり殿にとっての「書物」に相当するものが、見つからないの』
「翠菜さんの「専攻」ですね。それを一緒に考えてあげてくれと」
『はい。……そのために、これから少し、寄り道をいたしましょう』
カラス達に顔を出すのは少し後回しにさせてもらって、九段下駅前の交差点から、靖国通りを渡る。北の丸公園の「北向かい」を、進んでいく。
翠菜さんか。
正直なところ、俺の中の第一印象が、実はあんまりよろしくない。
いや、すごく良い娘なのは分かる。真面目で頑張り屋で元気で爽やか。もちろん容姿も問題なし。正統派。
例えば、軽井沢? 高原の避暑地で夏休みを過ごすような、そんな涼しげな少女だ。
軽井沢なんて行ったことないんですけどね。
でもな。本人がずっと真面目一辺倒だと、接する人間もずっと真面目でいないといけないのだ。
それじゃぁあんまり楽しくないし、長時間になるとやっぱり疲れる。
先程の①②③のやり取りも、事細かくお伝えすることもできたけど、あまり面白くないので、かい摘んでしまった。
JKと話してると言うより、入社1年目の新卒の子を相手にしているようだった。
翠菜さんの人間性が悪いわけでは決してない。30歳を過ぎた頃には、それはそれは素敵な女性になるだろう。
なんだけどな。
うん。
そう。
やっぱり、影森さんと話してる時の方が楽しかったな。
影森さんも、真面目でおしとやかで、ちょっとよそよそしい位だったけど、いざ話してくれるとウラというか本音が別にあって、俺のヘイトも全部受け止めてくれたもんな。
そう。年齢差もあるけど、翠菜さんには弱音吐けないんだよな。
夢の中で逢えたときも含めて、影森さんと話ができたのはほんの少しの時間だけだったけど、俺がどんなに黒い毒を吐いても、全部聞いてくれて、その上で甘い声で褒めてくれたもんな。あれはやっぱり嬉しかったな。
だから、そう。翠菜さんも、今日が初対面だったにしても、もう少し本音を話してくれてもいいと思うのだ。
2時間以上話ししてて、何度も彼女に話振ってみたけど、ネガティブな言葉一切出なかったもんな。お嬢様学校の教育方針なのかな。
「ヨモコ様。翠菜さんは、どうして彩命術を始めたんですか? 「コッチ側」に来なくたって、彼女だったら人生安泰でしょう」
『そうね。その経緯も、伝えておかないといけませんね。……そろそろかしらね』
ブブブブと、スマホに通知が。すずりちゃんからのメールだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
簡単に、翠菜が「コッチ側」に来ることになった経緯をお伝えします。
翠菜が小学生だった頃、彼女の実家で、「男女の不祥事」がありました。
名門神社としてあってはならないレベルの不祥事です。示談に収めてマスコミに漏れることも防げましたが、周囲の関係者に強い「しこり」が残りました。
翠菜の実家は、その「しこり」を解消する努力をしませんでした。なにもかもはぐらかして、「なかったこと」にして、収めるつもりでいました。
人間たちはそれでよかったのですが、けじめのつかない、だらしのない対応に、神社のご祭神様が大変お怒りになってしまいました。
小さな子供だった翠菜に取り憑き、乱暴狼藉を働くようになったのです。
暴れる、物を壊す、泣き叫ぶ、吠えるの大暴れ。
病院に連れて行って、鎮静剤を打っても収まらず、周囲の神社でお祓いをしても収まらず、乱暴狼藉はどんどん酷くなるばかりでした。
翠菜の実家と表神道の方々だけでは手に負えないと、彼らは私達隠神道に泣きを入れてきました。
椿姫さまと宣孝さん……恵史郎君のお父様です……のお二人で彼らの実家に出向いたところ、それまで泣き叫んで暴れまわっていた翠菜がピタッと大人しくなり、やってきた二人に敬礼をしてみせました。誰からも教わっていないはずの、海軍式敬礼だったそうです。
そして一言。
「悪いな。よろしく頼む」
その言葉を聞いた翠菜の家族達は、自分たちが神職としてすっかり衰えてしまっていることを思い知らされ、強く反省することとなりました。
その後、椿姫さまと宣孝さん、そしてその神社のご祭神様とで話し合いが持たれ、翠菜を隠神道で引き取ることになりました。
「今まで「神の道」をずっと怠けてきた分、この娘を「本物の巫女」にする。本来の巫女として生涯を捧げてもらう。それで、「けじめ」だ」
そのような言葉が翠菜の口から語られた後、ご祭神様はお帰りになり、翠菜は大人しくなりました。
翠菜は私と同様、「御霊映」を目指します。これからヨモコ様にご案内いただく神社が、翠菜の担当です。
引き続きよろしくお願いいたします。
すずり
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「なるほどねぇ……この件とは別件なんでしょうけど、都内の名門神社で神職が巫女さんを強姦するって事件があったそうですね。もう相当前になりますけど。そんな感じですかね。……さすが、すずりちゃんは文章上手いですね」
『なにもかもダメ。「やった」男も「やられた」女も、きちんと始末つけなかった周りの大人たちも、みんなダメ。……特に何が一番ダメって、「楽しくいたさなかった」こと。「みとのまぐわい」は明るく楽しく、朗らかでなくてはいけません。新しい命をお迎えするのですから。どちらかに「怖い」と思わせるような致し方をするなんてね。それが一番いけません』
「翠菜さんは、実のご両親から引き離されて大丈夫だったんですかね?……大丈夫だったんでしょうね。あの様子なら」
『椿姫も宣孝も七瀬も、「おせっかい揃い」ですよ、こちら側は』
「むしろ、実の両親よりも大切にしてもらってた? それだったら、あんなに生真面目なのも納得ですかね」
先程からずっと見えていた、大きな大きな鳥居が、いよいよ目の前に迫ってきた。
「ここかぁ……」
『今までも、毎年夏にはお参りに来ていたでしょう。今更かしこまらないで下さいな』
一応念の為、お名前を出すのは慎みます。桜の開花宣言でおなじみの、あの神社です。