014 人間らしく。あるいは、生命らしく。
「そんな訳なのでー、私明日はオフにします。もう無理っす。だから、どこか連れてってくださーい」
無事、今日の仕事が終わった。帰り道。大崎駅から乗った山手線の車内。すずりちゃんからハガキ制作の状況を聞く。
全部愚痴。ひたすら愚痴。先程までの深遠な母性はどこへやら。
ハガキ制作の知名度が上がったのはいいニュースだが、その分お客の質が落ち気味らしく。マッチングアプリで知り合って3ヶ月で入籍、挙式なし。手書きの挨拶が流行りっぽいからお願いしまーす。そんなお客さんがちょっと続いてしまっているそうで。
「いやね、私だって、わきまえてますよ?今の世の中こんなもんだって。いえ、元々結婚なんてこんなもんだって。だけど思うんです。入籍だけで挙式なしなら、別に6月にしなくたって、いいじゃないですか。なんで一番忙しいこの時期に、ブライダル関係者のやる気を削ぐようなことをするんですかね!?」
すずりちゃんの口からハガキ制作の仕事の愚痴を聞くのは、これが初めてだ。お母上の遺志を継ぎ、プライド持ってやっていたから、意外である。あるいは今日を境に、この子の中での俺の立ち位置が変わったのかな。それとも、今だけ今日だけ甘えてみたいとか?
いずれにせよ、今日はガッツリ話し相手になってあげよう。
「まぁまぁまぁまぁ。右見て左見てただただ当たり障りなく、ひたすら集団の真ん中にいて、脱落しないように置いていかれないようにって、そうやって生きている人達で、この社会は支えられてるんだから。ね。今も昔も変わんないから。昔だってお見合い結婚はあったんだから。いいじゃないの。式場で首吊ろうってわけじゃないんだからさ、ね?」
「今日のお客さんでー、こういう人いたんですよー。「婚活サイトで知り合って、結婚までこぎつけたけど、直前になって超マザコンだって分かった」って。「ITエンジニアで年収良いからもうコイツでいいけど、結婚してからもメイド喫茶は行きたいって言ってる。死にたい」って。○ねって感じですよね、二人とも」
「はっはっは。それはなー、奥さんが今後頑張らないとだなー。IT業界の男連中なんて、女性を記号としかみてないんだから、毎日家でコスプレしてあげればいいんだ。旦那の小遣いでいっぱい服買って、セーラー服メイド服巫女さん服って、毎日着替えてあげるんだ。コスチューム代を旦那さんに出してもらって、その金でこっそり、自分の好きな服を買うの」
「あはは、汚いなー、さすが銀一郎さん汚ーい」
すずりちゃんのヘイトが少しずつ抜けていく。フフン。すずりちゃんのような、まともなお母さんに育てられた毒ナシ娘の相手なんざ、ちょろいもんである。
女の愚痴聞くの、慣れてましてね。
どの商業施設にも設置されている女性用トイレ。そこの営業時間帯の清掃は、女性でなければできない。商業ビル清掃は、女性必須なのだ。女性清掃員の話し相手になって、愚痴を聞いて、殺伐とした事業所の空気を少しでも穏やかにするのが、清掃現場責任者の大切な役割なのだ。何気に一番重要だったりする。大体業務終了後に捕まる。終わりの時間が見えない。何時に帰れるか分からない。残業代も、出ない。
10年間、20代から70代まで幅広い年代の、様々な国籍の女性の、愚痴を聞いてきたんです。
女性の愚痴を上手に聞くコツを紹介。
1.まずきちんと話を聞く。最後まで話を聞く。話を遮らない、反論しない。
2.その女性が「頑張っていること」をおさえて、その部分を褒めてあげる。社会的意義が強調できるとよし。
3.その女性が「ムカついている相手」がちょっぴり「悪に堕ちて不幸になる」ようなストーリーを考えてあげる。実現可能性は無視でよし。
以上3点を押さえて、冗談を交えて明るいトーンで、こちらの本音は決して悟られないように。この応対で、大抵の女性は機嫌直る。
当該の女性が「そこまで面倒を見てあげるだけの価値があるか」については、こちらでは申し上げられませんけれども。
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高輪ゲートウェイ駅を発車。次は田町駅。東京駅までは山手線だ。
「そうだなー、ずっと筆扱ってるから流石に肩こってるんじゃない?温泉はどう?」
「泊まりはダメですよ?日帰り温泉もあるみたいですけど、あの水道橋にある施設は、私にはあんまり、向いてなさそうで」
「そうね。あそこはあんまり、すずりちゃんに向いてないね。池袋のちょっと先に、森に囲まれたスパ施設、あるよ?バーデゾーンっていう、水着着て男女混浴で入る温水プールあるとこ。落ち着いてていいとこだよ?」
「へー」
「それか、池袋から特急で、秩父まで行くか。駅前に温泉施設あるのね。そこ行くと、運が良ければジビエ丼とか食べられる」
「ほうほう」
「ああそう、池袋にもスパ施設あったわ。温泉じゃないんだけど、あそこのマイクロバブルバスは、効く。高濃度人工炭酸泉より、効く。池袋だったらホラ、すずりちゃん好きなショップもあるでしょう?俺は中入らないで、近くのカフェで時間つぶしてるから、風呂上がりに見てきたら?GWでどっか即売会あったんじゃないの?今行けばどっかしら、新刊出してるんじゃない?」
「おぉぉ!いやーさすが、銀一郎さん、女性のいたわりスキルMAXですよねー。なのに42歳まで、童貞だったんですよねー。いやーおもしろですよねー本当」
童貞を喪失したことは今でも後悔している。俺は絶対に生涯純潔キャラが良かった。今更どうしようもない。
「あーでも、同人ショップも行きたいですけど、一度行っちゃうと、2、3日仕事が手につかなくなりそうです……」
「俺も午前中はカラスの相手あるからね。葬式が2日続くことは今までなかったから、明日は北の丸に顔出すだけで済むと思うけど。お昼はさ、神保町でカレーにしようよ。そこまで辛さキツくない、欧風カレーの店を開拓したから。昔からの老舗の有名店だけど。角切り牛肉がさすがの味だった」
「午後からでも秩父行けますかね?秩父は昔、母と何度か行ったことありますけど、駅前に温泉なんてなかったような」
「駅前温泉できたのはここ5年くらいだよ、確か。ジビエ丼すぐ売り切れるから、次の機会だね」
「うーん、なんだか遠くへ行きたくなってきましたー。列車の窓からボーッと外の景色眺めてたいかな」
「秩父はさ、駅前からさらに遠く行くんでなければ、午後からでも余裕。駅前温泉、結構遅くまでやってるから。22時に向こう出たって、日付変わる前に戻ってこれるでしょ」
「あーそうですー。私、東京から離れるの、中学の修学旅行以来ですよ。神保町からほとんど出ないから。お台場の即売会くらいですよ」
「日帰りで行けるところだったら、いろいろ行こうよ。今、秩父以外にも、駅前温泉できてるからね?高尾に、箱根に。インバウンド目当てで、各鉄道会社さん、いろいろ頑張ってるから」
「そうなんですよー、私、東京住んでるのに、神保町以外のこと、全然知らないんですよ。渋谷とか原宿とか、ああいうパリピなところはいいんで、なんか渋いところ連れて行ってください。渋いとこ」
「武蔵小金井だったかな?西東京方面ね。日本の昔の建築物ばかり集めた博物館あるの。あそこはいい。神渋い。書道やってるすずりちゃんなら、絶対気にいる」
「そんないいところなんですか?……あとでネットで調べておきます」
「あとはすずりちゃんに向いてるところは、ストレッチとか全身マッサージやってくれるところかな?……いやらしいところじゃなくてな。最近肩まわしながら散歩してるじゃん」
「毎朝デイリーで1時間歩くじゃないですか。あの時間が有意義だなと、最近思うんですよ。あの時間に、気持ちと身体をリセットすることが大事だなと」
「ハガキに筆書きは、どうしても使う筋肉偏るもんね」
「頭も気持ちも、偏ります。たまには、そう。半ズボンの無垢な少年たちを大勢、一日中眺めていたい……」
「本当にそういう気持ちがあるなら、スポーツイベントかねぇ。少年サッカーの全国大会とか。……いやしかし、ああいうのは2次元もしくは1次元で止めておくのがよくない?生身の小学生とかさ、背後にママのエゴがへばりついてる感じ、するんだけど」
「しますします。ジュニアアイドルとか、私もちょっと、です。……うん、やっぱり遠くに行くのがいいかな。日帰りでどこまで行けるんですかね?」
「北は仙台、西は京都、くらいかなぁ?晩飯まではは向こうで食べたいしなぁ。あ、そうだ。すずりちゃんに聞きたかったんだけど」
「はい?」
「毎朝のデイリーって、絶対あの時間じゃないとダメなん?」
「そんなことないですよ。……実は、仕様上は48時間以内に一周できればよくて、本当は毎日でなくてもよかったりするんですけど、でもやっぱり、毎日続けるのが大事かなと」
「なるほど。少し遅れるくらいなら構わない?」
「問題ないです。ただ、8時9時になっちゃうと日が高くなっちゃって、日差しが気になるんですよね。日焼け止めして日傘持って出ればいい話なんですけど」
「ならさ、星を見に行くのは、どうだろう?」
「星ですか」
「今の季節は雲が多いからあんまり良くないんだけど、8月くらいになると、天の川がよく見えるそうだよ。山奥のキャンプ場まで行っちゃうと、本当の宿泊旅行になっちゃうけど、海沿いの駅前だったら、終電で行って、始発で戻ってくれば、朝のデイリーに間に合う。星の見え方が、東京とは全然違うから。ホテルの予約もいらないし。……ホラ、これは去年の冬だけど、日帰りで、コレ。結構綺麗でしょう」
「わぁ、本当だ。私も見に行けるんですか?へぇ、いいないいなー。うんうん。これは行ってみたいです」
「うむ。ならば行きましょう。8月頃な。下準備、進めておくから」
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東京駅に着いた。時刻は22時30分。
大手町から半蔵門線に乗れるのだが、たった1駅。歩いても20分だろう。すずりちゃんもオーケーしたので、東京駅から歩いて帰る。駅舎のライトアップも終わっていて、もう大分暗い。
丸の内駅舎から西に真正面の行幸通りを進んで、和田倉噴水公園まで来た。夢の中で影森さんと会った場所だ。
この時間なので、カフェも噴水も終わっている。あの夢と同じ光景。今日はすずりちゃんと一緒なのが、なんか不思議な感じだ。
ついつい立ち止まって、物思いにふけってしまう。
「銀一郎さん、この場所好きなんですか?」
「うん。マンガ家目指し始めた頃、よく来てた。クロッキー帳持って、スケッチとかやってさ。この辺りをマンガの舞台にしようと思ってて。この公園は、あの頃から全然変わらないな。隣のホテルは、建て替えられてるけど」
すずりちゃんには、影森さんの事は、初日以降一切話題にしていない。例の宿題の件も、伝えてない。やましい理由からではなく、俺一人の心のなかで片付けないといけない気がするのだ。
「質問。どうして人は、自殺をするのでしょう?」
宿題の問いかけが、思い出される。
自殺をすることが人間にとって、さも当然と言わんばかりの口ぶりだった。
あるいは。
自殺という選択ができるからこそ、人は人でいられる?いや、まさか。
どうなんだろうな。自殺を禁忌とする宗教は、確か相当あったはずだが。
ダメだ。分かんね。……おそらく、今の俺では回答できないのだ。影森さんも、時間をかけて考えろって言ってたしな。
だけど、今この時間は、もう少し考えてみたいな。
「あのさ、すずりちゃん」
「はい?」
すずりちゃんに、前から聞きたかったことを聞いてみよう。ヒントが見つかるかもしれない。
「すずりちゃんは、どうして彩命術を続けてるの?」
すずりちゃんは嬉しそうな顔。そんな質問、待ってましたーと、言わんばかりに。
「そうですね……理由はいっぱいありますよ。父と母の想いを継ぎたいとか、恵史郎くんと仲良しでいたいとか、神保町の発展に貢献したいとか、人々の心が乱れた時代をどうにかしたいとか。……ですけど、それらは一番ではないですかね」
「他にあるの?」
「「ひとつの生命として、より生命らしくありたい」でしょうか。「より人間らしく」って言い方すること、ありますよね。あのような方向性で、「生命らしく」。よく寝て、よく食べて、よく働いて、よく交わって。そうして一生懸命生きて、子供たちに思ってもらいたいんです。「このお母さんで良かった」って。まだ当面のうちは、産んであげられませんけど」
「なるほど……ありがとう。勉強になった」
宿題の回答に、一歩近づいた気がした。やっぱりすずりちゃん、違うよな。フワフワ漂うようになんとなく生きてるそこらへんの現代人とはもちろん、俺なんかとも、全然違う。深いところまでしっかりと根を張って、自分の生き方に確信を持ってて、「栄養モリモリ」な感じだ。
何が違うんだろう。「人間らしく」ではなく「生命らしく」って言ったな。人間のグループの一つ外側の、微生物やカラスや森の樹木たちも含めた生命全体のグループの中に、自分を位置づけているんだな。
それでは、生命らしさってなんだろう。……モノや情報ではないということか?現代人からすると、「情報ではない」という視点が、きっと重要だ。
名前をつけられるところから、人間の「情報化」は始まる。成長するうちにスマホを持って、いろんなサービスのアカウントを作って、「コピーされる自分」ばかりが増えていく。
大学に入ろうが就職しようが、自分の属性情報が追加修正されるだけの話。そのうちに、自分の意識もコピーされた情報で埋め尽くされる。自分の中に、「オリジナル」がなくなっていく。
そうすると何がまずいんだろう。
そうか。「心を揺さぶるエネルギー」のようなものが、なくなってしまうのか。
すずりちゃんが見せてくれた、雲海のハガキ制作のようなことが、きっとできなくなってしまうのだ。人の心を動かすことができなくなる。何を言っても「オマエが言うな」で終わってしまう。誰からも相手をされなくなる。
「情報」では、人の心を動かせない。道に迷った魂を、引き上げてあげることができない。
そしていよいよ、自分で考えることができなくなる。集合無意識に飲み込まれ、トイレットペーパーの買い占めに走る。
そうなってしまってはダメなのだ。人間は確かに万物の霊長で、情報社会は文明の発展の賜物だけれども、「情報」が「生命」を置き換えられるようになったわけではない。コンピュータープログラムが生身のカラスを生成できるようになるのは、まだ当分未来の話だ。
生命らしく……?いや、これは上級者向けだ。とりあえず、人間らしく。
人間らしく生まれ、人間らしく生きて、人間らしく死んでいく。
そうだ。「人間らしく死んでいく」。これだ。
影森さんは、きっとこう伝えたかったのだ。
「人の生命の、正しい終わらせ方を、考えてください」
誰もが老衰で、家族に看取られながら死んでいくことはできない。かといって、首吊りや飛び降りばかりが増えていくのも困る。ならば、どうすればよいのか?
ふと東の空を見上げる。霊錠結界の気配を感じる。目の前の高層ビルに遮られて見えないが、先程お世話になった、光る魚群たちが近づいてくる。あれからまた何周かしたのだろう。
新橋、有楽町、そして東京。時速100kmの回送列車が、丸の内駅舎の上空を流れていく。
この仕事を続けていけば、「不幸や絶望」を滅殺していけば、多くの死者を見送っていけば、答えに近づけるだろうか。
「今日は大きいエサ食べられましたから、あの子達も嬉しいと思いますよ」
「人の不幸は蜜の味ってか?……文字通り食べちゃったもんな。……だけど、そうか」
自然界は弱肉強食。弱者は強者に食べられる。
いや、食べてもらえる。どんなに不幸で惨めでも、いつかは誰かに食べてもらえる。誰かの栄養分になることができる。誰かの生命の一部になれる。
そのように、生命は巡っている。喰って喰われて、生命を託して。
喰って、喰われて……うん? なんだ? なんとなく、殺気めいたものが……。
「おりゃぁぁぁ!」
「だぁあ!?なんだって、急に?ちょっ、重っ、いや、すずりちゃん重くないよ!重くないけど!ちょまっ!ちょっと待って!」
すずりちゃんが背後から勢いよく飛びついてきた。完全に地面から離れて、俺に抱きついている。両足絡めて、蟹挟み。スカートじゃなくても、とても下品。
「今夜は、ガッツリ!いきましょう!ケダモノらしく、元気よく!今夜こそ「櫓立ち」チャレンジ!頑張りましょうね!」
「ダァーワータ!わぁかったから!そんな大声で、卑猥な言葉口にするのは、止めなさい!この辺お巡りさん多いんだから!」
「もー銀一郎さんこれだけはホント残念ですよねー。もっとガツガツ来て欲しいなぁ」
「わーかったから。もう帰ろう。ね。帰りますよ!このままおんぶしてってあげるから」
「わーい、らくちーん。銀一郎さん、大好きー。恵史郎君の次に、大好きー」
そんなこんなで。
あの日自殺しそびれて、縁あって拾ってもらって。
いつまでこんな風にいられるのか、いつまでこの子といられるのかは、分かんないけど。
あの日自殺しようとしていた自分が、間違っていたとは思っていない。
あの日の本心は、忘れていない。こうして生きながらえてしまって、申し訳ないと思っている。
生存を許してもらっている代わりに、宿題の答えを考えよう。
助けてもらった生命は、正しく生きる人達のために正しく使って、然るべき時に正しく終わらせよう。
それではこの度、ここまでお付き合い頂いた皆様の、ご多幸をお祈りいたしまして。
「淑女ーいっぱーつ!」