009.5 「モラルウェア」について−2
ハガキが乾くまで、もう少し時間が必要ということで、リビングでコーヒー休憩。
「彩命術って昔は「隠神道」って呼んでたの?いつごろからあるの?神道系だろうっていうのは分かるけど」
「正確なところは分からないんですよ。神社神道以上に、紙に書き写したものを残してこなかったので。少なくとも織田信長公の時代には、独自の信仰体系を伝え残すようになったと聞いています。「隠神道」と呼ぶようになったのも、比較的最近で。明治維新があってからですね。国家神道化の動きとは距離を置きたくて。「私達は隠れますから」ってことで」
「そのまま「隠神道」でもよかったんじゃないの?なんで「彩命術」とか呼ぶようになったん?」
「本当にごくごく最近、ここ10年の変化なんですが、「隠神道」の体系が、海外の宗教家に知られるようになりました。……すっごく大げさに話しますと、「天照大神に直接会って話がしたい」と希望する宗教家が現れるようになりました。そういった方々の相手を今後どうしていくのか、ということを話し合った結果、一旦神道とは完全に切り離して、独立した「霊的意識管理技術」として体系化して展開しようと、そうなったんだそうです」
「なんか、難しいね。海外の宗教家?そのまま神道じゃ、ダメなの?」
「高天原の神様たちが、嫌がったそうで。「人種差別とか民族紛争とか、知らんわ!そっちの神様でやってよ!」とのことで。「宇宙創造の唯一神でもなく、日本という小さな島国だけの神々でもない、世界中の神々を見つけなさい。旧約聖書、新約聖書に次ぐ第三の聖書、<The Bible 3.0>を目指しなさい。そのための技術は、教えてあげるから」と、そういうお話になりました」
「ほへー、なんか、急にスケールでけぇ話きたなぁ」
「私達は直接関係ないですよ。海外の宗教家の方の話です」
「そのための技術が、彩命術ってことね」
「そうです。正直、私にとっても、雲の上の話です」
ヨーロッパの移民問題とか一党独裁の中国社会が、この先もずっとこのままってことはないだろうからなぁ。そういう事考える人も出てくるのか。……スペインのサグラダファミリアみたいな話だよな。昭和生まれのオジサンにはついていけない。まぁいいや。俺は俺のお役目を果たそう。コーヒー休憩終わりでいいかな?
「どうだろう、そろそろハガキ乾いたかな?」
「いい時間ですね。では、仕上げに入ります!」
★ ★ ★ ★ ★
仕事部屋に戻る。
ご依頼のハガキには既に、結婚報告の文字列の大半が乗っている。今までのハガキと違って、「結婚のご報告」のくだりが紺一色でサイズも小さく、とても事務的。「旦那とか彼氏とか、本当はどうでもいい」という女性の本音が垣間見えるようで、花婿さんがちょっと気の毒。親友さんに気を遣って、わざとやっているんだろうけど。
「これは私の希望なんですけど、親友さまは、何も本気で花婿さまを寝取ろうとは思ってないんですよ。自分の失敗を後悔してて、反省してて、嫌ってほしくて、わざと「身勝手な女」として振る舞っている。……私はそう感じました」
「「こんなバカな私のことはもう忘れて、二人でいつまでもお幸せに」ってか?……うーん、すずりちゃんは「女性性善説」の立場なんだね」
「周囲との関係性次第で善にも悪にもなる、というところでしょうか。ですが、そう、大切なのは、「信じてあげること」なんですよ」
「親友さんを?」
「そうです。「あなたは、そんな弱い人じゃない」って、依頼主さまが手を差し伸べて、引っ張り上げるんです。親友さまの、あるべき心を」
すずりちゃんはインクと筆を並べる。一般のアルコールインクに戻った。その代わり、色数が半端ない。15色?くらい使うようだ。深い紫から、淡い紫、淡いオレンジを経て、爽やかな空色へ。夜明けの空を連想させる配色だ。そして山々を表す深い緑と紅葉の赤。雲海を表す7色の乳白色。3枚同時進行ながらも、一文字一文字、いや違う、一タッチ一タッチ、丁寧に色を変えながら、一文のなかに、清浄な秋の夜明けを表現していく。
「ご依頼主さまと親友さまが、このハガキを受け取ったときに、卒業旅行で見た朝日と雲海を、思い出してくれるように」
はたして、核心の本文とは。
あなたが一番気に入っていた○○○は、今も私の思い出のなかにいます。
私の一番大切な思い出のなかにいます。
あの日の○○○に会いたくなったときは、また二人で。
あの山の静かな朝日を、雲海を、一緒に眺めに行きましょう。
(※ ○○○には、親友さまのお名前が入ります ※)
「おぉー!」
3枚書き終えた。修正のホワイトなし。ノーミスで完成した。
「すんごいきれいじゃん!」
拍手。本っ当にきれいなグラデーション。デジタルイラストで言えば、テキスト文字を全部透明のレイヤーにして、下から朝日と雲海の写真を差し込んだかのような、そんなグラデーション。そのグラデーションが、写真とは違って程よくデフォルメされており、筆書きの持つ曲線の力?と上手に棲み分けしている。
「良かった。無事に完成しました」
フッ、またつまらぬものを斬ってしまった、と言いたげに、目を伏せて道具の後片付けを進めるすずりちゃん。いやだけど、これはすごいぞ。「山」の文字に紅葉の鮮やかさが、「朝日」の文字に太陽の暖かさが、「雲海」の文字に空の清浄さが、「一緒に」の文字に友情の温かみが感じられる。全体的な書体は冷淡で硬質的なんだけど、親友さんのお名前とか、「思い出」の文字の書体は思い切り崩して、優しくやわらかく乗っている。女性の建前と本音とが、京都の伝統工芸のように、交互に編み込められている。完成したハガキのなかには、卒業旅行の思い出が鮮明に縫い留められていると言ってよいだろう。このハガキを目にした依頼主さんと親友さんは、一瞬にして卒業旅行の、あの時の二人に立ち戻れるわけだ。ちょっと気の毒だけど、新郎さんは、完全に蚊帳の外。
なるほど、こういうことか。己の血を混ぜた呪いのインクで、完全な縁切り文書にするのかと思ったら、真逆だった。
「ふー、いい仕事ができました。手応えアリです」
後片付けを終えて、完成したハガキを丁寧に乾燥台に移して。作業の終了を確認して、すずりちゃんの緊張が、完全に解かれた。
「ふにゅー、今日の仕事しゅーりょー!疲れましたー!」
「いや、お疲れさまでした!」
もう一度、しっかりと拍手。アナログ画材でここまでの表現ができる人は、素直に尊敬する。俺だってそこそこはやってきたけど、所詮はアンドゥ無制限のお膳立てがあってのものなので。
仕事部屋を出て寝室に移って、エプロン脱いで背面からベッドにバンザイダイブ。豆柴のように身体をうねらせ、全身の筋肉をほぐしていく。
「銀一郎さんも、見取ってくれて、ありがとうございました」
「いや、俺はなにもしてないし」
「いえ、心を寄せていてくれましたよね。私が集中できるように。ただ見てるだけじゃなくて、一緒に集中してくれてましたよね」
「自分が一生懸命やってるときに、そばでヘラヘラされてると、嫌じゃない。逆のことをすれば、力になれるかなと、思っただけ」
「私、すごく嬉しかったです。誰かに応援してもらえるの、すごい久しぶりだったから」
「そうか、少しはお役に立てたかな。よかった」
当たり障りない返しをする。誰かに応援してもらったことなんか俺にはなかったとか、そういうオッサンの不幸自慢は、もうやめよう。
★ ★ ★ ★ ★
「はい。銀一郎さん。以上がですね、モラルウェア制作なんです!」
ケバケバピンクの掛け布団から起き上がり、すずりちゃんが解説モードに入る。
「モラルウェアという言葉を説明する時に、私達はよく、メガネに例えるんです。メガネのことを「アイウェア」っていいますよね」
自分がかけているボストンウェリントンを、クイクイって動かす。
「「ウェア」は身につけるものって意味だよね?服装の一部ってイメージを出したいんだろうね」
「現代社会には、メガネがないと生活できない方は大勢居ます。近視、遠視、乱視の方々。メガネがないと仕事も車の運転もできない方々です。ですが、私達世間一般は、そういった方々の事を、「障害のある方」とは、呼びませんよね?」
「うん。メガネ必要な人に限っては、「健常者」の側だよね。世の中、バリアフリーの方向に向かってはいるけど、車椅子や義手義足、白杖が必要な人は、まだそこまでいってないね」
「メガネを必要とする人を、「障害のある方」と呼ばないのは、対象者が多すぎることが一番の理由だと思います。全員を「障害持ち」にしてしまったら、「健常者」が半分になってしまいます」
「社会全体で、「健常者」のボーダーラインを下げてるって言っていいかもね。パチンコを公営ギャンブルにしてないのと似てる気がするね。社会全体でコンセンサスが得られれば、「健常者」のボーダーは、可変にできると。メガネで補正できる視力の乱れは、障害と見なさなくてよいと」
「「視力の乱れ」についてそうであるなら、では、「精神の乱れ」については、どうでしょう?」
「精神疾患、発達障害、PTSDなどなど。「障害持ち」とみなされる「精神の損傷、欠損、機能異常」。それを補正できる、「心にかけるメガネ」を作ることができると?それが「モラルウェア」ということ?」
「はい。そこまで大きな補正でなくても、現代社会にはハラスメントや差別、マナー違反が、溢れかえってますよね」
「犯罪者や病人でなくても、「迷惑な人」は大勢いるね。パワハラ上司にメガネかけさせてパワハラなくなるなら、たしかに暮らしやすい世の中になるね」
「現代社会や企業活動を維持するには、参加者一人ひとりが、一定の精神力、モラルを持っていなければいけません。要は常識をわきまえなさいってことですけど。でもそれさえできない人が増えています。さまざまな要因があって、現代人はとても精神力が弱っているんです。「神様を信じる力」はもちろん、「他人を信じる力」も「他人を思いやる力」も、「自分を信じる力」も、不足しています」
「さっきの結婚報告の依頼主さんの件もそういう面あるよね。依頼主さんと新郎さんと親友さんの3人で、ゴハンでも行けばいい話だったかもしれないよね。1席お祝いの場をってさ。親友さんにもいいもの食べてもらって。それで、「ゴメン。式は親族だけでやることにしたから」って言えば、それが口実だとしても親友さんの面目は保たれるじゃない。自分たちだけではそこまで持っていけなくて「どうするどうする」って言ってたわけでしょ」
「まぁそもそも論で言ってしまえば」
すずりちゃんが俺にすり寄って、耳元で囁く。悪い顔だ。
「結婚報告クライ、自分デヤレヨッテ話デス」
「ダメだよ、すずりちゃん。それを言っちゃぁおしまいだって。サービス業全部そうだから。それを言ったらもう東京は回らんて」
「……先程の依頼主さまの例では」
すずりちゃんが仕切り直す。目を閉じて髪を掻き上げる。ブラウスは半袖。細くて瑞々しい二の腕に、つい目がいっちゃう。
「依頼主さまも親友さまも、弱っていらしたんです。「互いを思いやる心」も「自分を信じる心」も。それで、結婚という人生の転機に直面して、見失ってしまったんです。卒業旅行で雲海を眺めた朝の、すがすがしい気持ちを」
「心を亡くすと書いて忙しいとは、よく言うけれども」
「はい。かろうじて依頼主さまの心の奥底に「おかしい。私達は本来、こうじゃなかったはず」との思いがあって、今回のご依頼に至ったのかと」
「依頼主さんと親友さんは、放っておいたら、関係が破綻して絶縁してしまったかもしれないよね。だけど、卒業旅行の思い出が込められたハガキを見ることで、見失っていた「互いを思いやる心」を取り戻すことができると。これからも、親友でいつづけることができると」
「上手くいくでしょうか」
「大丈夫だよ。本当に見事に、魂こもってるから」
エヘヘって笑う。頑張った後は褒めてほしいって気持ちが、正直に出ている。ひねくれてない。人づきあいで苦労してきた訳ではなさそうだ。
「それがモラルウェアね。現代人の衰えた精神力を補って、本来あるべき人間関係、人と人との繋がりを維持しようとするツールだということね」
「そうです。必ずしも霊力込めたりっていうオカルトを導入してなくてもいいんです。ですが、単に言葉を届けるだけでは上手く行きません。「心を揺さぶるエネルギー」のようなものが必要です。メッセージを届けるために、どれだけの労力をかけたのか、っていう部分ですね」
「単にパソコンで打ち込んだ文字をプリントしただけだと、「綺麗事言うな」って反感買うかもだよね。すっごい丁寧に筆書きするからこそ、伝わると」
「あとは、世界でただひとつの一点物、に持っていくのがコツです。高級品でなくていいんです。だけど量産品やデジタルコピーではダメ。手作りの一点物。これが肝心」
「……ちなみにさ。あのトランス状態で書いた、白い念字はどんなものなの?」
「あれは実は必須ではなくて、オプションというか、オマケというか。とある縁結びに強い、現代的な感覚をお持ちの神様からの、お二人を応援する気持ちを込めたものです」
「神様からの、応援」
「そうです。あとはCMというか、無料アプリを立ち上げた時に広告表示されるじゃないですか。あんな感じですかね。「初詣はわたくしの神社に」って」
「平安の末期から「もう終わりだよこの国」と言われ続けて早1000年。日本の神様ってそういうとこ抜け目ないと言うか、たくましいよね」
「今でも信仰集められてる神さま方は、皆さんちゃっかりしてますよ。だけど仲良くしておくほうが、人生楽しいですよ、きっと」