後日譚134.元囚われの侯爵は対応に追われている
アドヴァン大陸の北端にある国サンレーヌの西側の沿岸部を統治しているマルセル・ド・ビヤールは変化が嫌いだった。
堅実に生き、コツコツと爵位を上げてきた彼は普段と変わらない日常をこよなく愛する男だった。
だが、半年前に来襲した『帆のない船』が彼の領地内にある港町に現れて以降、平凡な日常が音を立てて崩れている事を彼は感じていた。
国王の命令で魔動船の所有国であるガレオールとトラブルになり、一時は囚われの身になったがその際に魔動船がやってきた大陸を訪れる機会があった。数少ないシグニール大陸の実情を知る人物の一人となってしまった彼は、サンレーヌ国内で一躍有名人となってしまったのだ。
ガレオールと和平を結ぶ事ができてからは領地に引き籠ってほどほどに統治したい彼の気持ちとは裏腹に、社交界の誘いがひっきりなしに来るようになった。大陸間交易のごたごたで忙しく、領地を離れる事ができないからと遠回しに断ると、自分の領都に他の貴族たちがやってくるようになってしまった。
派閥関係なくやってきては挨拶に来る彼らの対応をするだけで精神力がゴリゴリと削られていた彼だったが、その対応の時間を取る事によって事務仕事が溜まってしまい、連日夜遅くまで仕事をする事になってしまった。
「魔道具って便利なんだな」
少しくらい現実逃避しても許されるだろう。
そんな事を思いながら、マルセルは交易で手に入った魔道具『魔動灯』を見る。
これでも人の手で作られた物らしく、廉価版と呼ばれていた。神の加護を使って作られた物であればもっと魔石の消費を少なくできる上に、周囲をより明るく照らしてくれるとの事だった。
そんな加護があると知れば、商人や貴族が黙っているはずがない。連日連夜やってきてはシグニール大陸にいる『付与』の加護持ちと顔合わせをさせて欲しいという要望が届いていた。
その血を取り込み、加護を授かる可能性を上げたいのであろう。だが、シズトの事を詳しく知るために情報を集めていたマルセルは、邪神を神の世界に還すために加護を返還してしまった事を知っていた。そして、今はその加護を持っているのは彼の子どもだけである事も、彼が子どもを溺愛している情報も掴んでいた。
「これ以上問題を増やさないでくれるといいんだが……こればっかりは避けられない事か」
であれば備えておくしかないだろう。
とりあえずシグニール大陸の交易をするようになった小さな港町コルマールの拡張工事と合わせて、港周辺の警備について考えるのだった。
マルセルの朝は早い。というよりも、今日は寝ていなかった。なぜなら今週は、コルマールにシグニール大陸からやってきた交易船が停泊しているからだ。
しばらくはあまり眠ることが出来ないな、と思いつつ大きく伸びをした彼は護衛を引き連れてコルマールの町を見て回る事にした。報告が上がっていない些細なトラブルがあるかもしれない、と時々視察をして領民たちの様子を見て回るマルセルは、サンレーヌ国の中では領民から慕われている貴族だった。
最初に向かったのはやはり港だった。
まだ日が昇って間もないのに、港には人がたくさんいた。そのほとんどが領民だ。
「マルセル様、おはようございます。今週は良い魚が手に入りますよ!」
「そうか。アトランティアの者たちとも友好的な関係を築けているようだな」
「はい。ジーランディーの者たちと違って気位が高いようですが煽てればよく働くので助かっております」
「それはよかった」
朝日が昇る前から漁に出ていた筋骨隆々の男たちからお裾分けを届けてもらう約束をしたマルセルは並んでいる船を眺めながらどんどん奥へと進んでいく。
漁船が停泊している区画よりも奥には、国内を回る交易船が停泊する場所があったのだが、今日はそこに帆のない船が停泊していた。
船の周辺は仮面をつけたエルフが固めているのだが、マルセルに気付くと彼らの内の一人が仮面を取ってマルセルの方に小走りで駆け寄ってきた。
その時点で嫌な予感をしていたマルセルだったが、回れ右をする訳にもいかない。
「何かございましたか?」
「ああ。侵入者がいたから捉えている。お前たちの国の者じゃないぞ」
「そうですか。それは……不幸中の幸いです」
港の警備をしているのは当然マルセルが抱えている兵士たちだ。
マルセルと同じく実直に訓練を続ける兵士たちは弱くはないのだが、強くもなかった。
手練れが相手だと遅れを取ってしまって、結果的に何度か魔動船の護衛として乗船しているエルフたちが捕まえていた。
「今回はどこの国の者でしたか?」
「同族だった」
「またですか。であれば、都市国家カラバから来たんでしょうね」
「もしも俺が彼らと同じ立場だったら同じ事をしたんだろうが、同情はできんな」
「そうですよね。自業自得ですから……。この事はシズト様には……?」
「判断はある程度任されているから報告はしていない。人間がなにやら不満を口にしていたから今日にでも伝えに行くかもしれんが、小さなトラブルはここ数回のやり取りだけでどんどん増えているから仕方がないだろう」
「私の港町でその様な事が続いていて申し訳ない」
「いや、どこの港でも同じ事が起こっていただろうから我々は気にしていない」
マルセルは心の中でどこの港町だろうと同じ事が起きていただろう、というエルフの言葉に同意したが口には出さず、ただ頭を下げてその場を後にした。
早足で来た道を戻っていくマルセルを領民たちは怪訝そうに見ていたが、挨拶を返してしまうと時間が多少取られてしまう。
一刻も早く代官の屋敷に戻ってシズトが来る可能性がある事を報告しなければ、と焦るマルセルだった。




