後日譚109.箱入り女帝は身に着けた知識を活かす
神聖エンジェリア帝国の女帝となって二カ月ほど経ったが、オクタビア・デ・エンジェリアは相変わらずお飾りの女帝だった。
花嫁修業という名の身の回りの事を自分でする練習は滞りなく終える事ができた彼女だったが、それまで政治とは無縁の世界で生きていたため配下の者に頼るしかなかった。
元皇帝派からオクタビア派へと鞍替えした者たちの中には既得権益を守ろうと動く者も一定数いた。また、第四王女派としてまとまった元公爵派と博愛派も自分たちの利益を増やそうと動いている者も多い。
そういう者たちからすれば現在のオクタビアが政治の世界から遠い所にいる状況が続く事が望ましい。そのため、彼女に国の動かし方を教える者はほとんどいなかった。
「…………独学じゃ、限界があるわよね」
身の回りの事がある程度できるようになったので時間が余りがちになった彼女は、書庫に積まれていた帝王学やら統治に関する記録などを読み返していた。
あと三年の間に少しでも自分ができる事を増やしたいという思いからしていた事だったが、本から学ぶ事ができる事には限度があったし、こればっかりは実践しなければ分からない事も多々あった。
強大な後ろ盾があるから邪険に扱われる事はない。だが、理由をつけては政治から離される事を察していた。
どうしたものかと思案していたのだが、自室の扉がノックされて我に返った。
「なにかあったの?」
「どうやら、ファマリアから使者がやって来たそうです」
専属侍女であるセレスティナが一通の手紙をオクタビアに渡した。
オクタビアは上質な紙で作られたその封筒を受け取ると、封蝋を見た。
大きな木のようなものが描かれたその封蝋は記憶が確かであれば、ユグドラシルの物だったはずだ。
ペーパーナイフで封を開けて中を取り出すと「シズト様からだわ」と呟いた。
状況が落ち着いていれば会いに行きたい、という内容が書かれていた。
「どうするべきかしら? 断るのは失礼よね?」
「お会いになればよろしいのでは? 二ヵ月以上経っても手紙のやり取りすらしていないという事が広まっていて、後ろ盾が本当に得られているのか懐疑的な者も出てきているようですよ」
「意図的にそういう輩を炙り出しているんでしょ?」
「…………ご推察の通りです。膿を出し切る事が出来てませんから」
「そこら辺は今は任せるわ」
セレスティナはオクタビアの言葉に含まれた意味を察した様子だったが、表情は特に変わらなかった。
オクタビアはしばし考えていたが、シズトに相応しいくらいのスキルを身に着けるまで会わない、とかしているといつまで経っても会う事ができないまま終わってしまう、と判断して返信を書き始めた。
読書は切り上げてセレスティナをはじめとして多くの侍女に久しぶりに手伝ってもらいながら湯浴みをして体をしっかりと磨き上げた彼女は、動きやすさを重視したドレスを身に着け、紺色の髪の上に冠を載せてシズトを出迎えた。
シズトは真っ白な布地に金色の刺繍が裾の方から胸元よりも上までしっかりとされた服を身にまとっている。
加護を返還し、世界樹を育てる力を失っているが、それでもエルフたちはシズトが袖を通している服に関して文句を言う様子はない。
しっかりとしたドレスで出迎えるべきだっただろうか、と思ったオクタビアだったがシズトと一緒に馬車から降りてきた人物の格好を見てこれで良いはずだ、と思い直した。
シズトと一緒に降りてきたのは金色の髪を縦巻きロールにしている女性だった。彼女の名はレヴィア・フォン・ドラゴニア。シズトの第一夫人であり、ドラゴニア王国の第一王女でもある。
動きやすさを重視した青色のドレスを着ている。胸元の露出は少ないが大きく膨らんでいて主張は激しい。つい自分の胸元に手を置いたオクタビアだったが、決して彼女の胸が小さいという訳ではなかった。
「本日はお時間を取って頂きありがとうございます」
「いえ、こちらこそ――」
「レモン!」
「あげる~」
「おいしいよ~」
「コラ! 大人しくしてる約束でしょ!」
「しばらくジュリウスに預けておくのですわ?」
「レモン!」
「お澄まし!」
「メイドさん!」
「メイドさんなら離れて欲しいんだけどなぁ。すみません」
澄ました顔でシズトに引っ付いている小柄な人物たちの事も当然オクタビアは知っていた。
世界樹周辺に生息しているという事が最近明らかになった植物と精霊に近い存在であるドライアドだ。
普段から引っ付いて行動をしている彼女たちの事をとやかく言うのはやめておこう、と困り顔のシズトを見て判断したオクタビアは優しい笑みを浮かべながら首を振った。
「いえ、大丈夫です。気にしないでください。こちらこそ、貴重なお時間を取ってまでお越しいただきありがとうございます。今日はお話をする事が目的、という事でよろしかったでしょうか?」
「そうですね。エンジェリアの事をあまり知らないので教えてもらえると嬉しいです」
「分かりました。お茶の準備は済ませてあります。こちらへどうぞ」
オクタビアは城へ向かって歩き始めた。
練習の成果を見せる時だ、と頭の中で紅茶の淹れ方などを反芻しながらもきょろきょろと城内を見ているシズトに芸術品や装飾についての説明をするのだった。




