後日譚67.箱入り王女は戦を止めたい
オクタビア・デ・エンジェリアは神聖エンジェリア帝国の第四王女として十五年生きてきた。
人族至上主義な国の中で、彼女が差別主義者にならなかったのは外界から隔離されて生きてきたところが大きい。
その隔離っぷりは徹底していて、婚約者にすらほとんど会う機会がなかった。
皇帝は彼女を政略の道具の一つとしか見ておらず、余計な思想を植え付けると他国に嫁がせると弊害が出ると考えたためそうしたのだが、そんな思惑を彼女が知る由もない。
人種差別や、異教徒狩り、強引な勇者召喚や他国への争いや差別の扇動などの悪い部分を知る機会もなく、ただただ彼女は礼儀作法と教養を叩きこまれていた。
そんな彼女の状況が急に変化したのはつい最近の事だった。
「ロランド様のお家が没落したというのは本当の事ですか?」
「……ええ、そのようです。そのため、婚約は白紙となりました」
「そんな……」
結婚適齢期真っ盛りの彼女は、数か月後には結婚をするのだろうとばかり思っていた。
相手は元皇帝派だったピンタード侯爵家の長男ロランドという歳が一回り以上離れた男性だった、らしい。
ロランドとは文通を通してしか交流がほとんどなかったが、つい先日も手紙をやり取りしたばかりだった。
それなのにお家の苦しい事情などを報せる便りは一通もなかったのだ。
「皇帝陛下にはご助力を願い出なかったのですか?」
普通はそういう状況であれば王家とのコネを使って何としてでも没落しないようにするのではないだろうかと思案した彼女だったが、状況が変わってしまっていたからだった。
「どうやら、皇帝派から抜けて公爵派に鞍替えをしていたようです。ただ、公爵もピンタード家を助ける余力がなかったようです」
エンジェリア帝国の国力は派閥に関係なく落ち続けている。
皇帝派の派閥だった貴族たちの落ちぶれ方が激しいだけで、他の派閥も他者を助ける余裕はなくなっていた。
邪神の信奉者によって支えられ、存続し続けていた国がエンジェリア帝国だったので、その支えを失えば倒れるのも時間の問題だろう。
「次のお相手を皇帝陛下がお選びになってくださいますから、気を取り直してレッスンに励みましょう」
講師役の女性がそう言っても、オクタビアは心ここにあらず、といった状態だった。
それでも完璧な作法で言われた事をこなしていくのは流石、皇帝の娘と言った所だろうか。
滞りなく本日のレッスンが終わったところで、匿名の手紙が届けられた。
届けたのは見覚えのない兵士だったが、彼女は特に疑う事もなく受け取ると封を開けた。
その封筒の中にはびっしりと書かれた便箋が何通も入っていた。
その字には見覚えがあった。
「ロランド様の字だわ!」
そこにはとても信じられないような内容の話が書かれていた。
邪神の信奉者とエンジェリア帝国の根深い関係や、帝国の現状、今後起きるであろう事やこの手紙を読んでいる時はロランドがこの世にいない事など――オクタビアにはそれが真実か確かめる術がなかった。
ただ一つだけ分かっている事は、自分自身がそこまでショックを受けていない事だった。
「……本当にあの人の事は愛してなかったのね」
ため息交じりに呟いた彼女の言葉は、誰の耳にも届く事はなく消えて行った。
それからオクタビアは情報を集めるようになった。ただし、あまり目立たないように。
それが可能だったのは、身近な所に協力者がいたからだ。一人は専属侍女であるセレスティナだ。
物心がついた頃から一緒に過ごしていた事もあって、オクタビアの変化に敏感な彼女には隠し通せるはずもなかった。
もう一人はロランドからの手紙を届けた兵士フェルナンドだ。
彼はセレスティナとは違う派閥の人間だったが、近衛兵として潜りこんで仲間に引き入れる事が出来そうな王族を探していたらしい。
その理由をオクタビアは察していたが、彼女は何か言う事はなかった。
他派閥の二人を使い分けて多角的に情報を精査したところ、彼女は手紙に書かれていた内容がほぼほぼ真実だと確信した。
そして、予言のような手紙に書かれていたこのままだと多くの民と兵士の血が流れるという事も本当に起こる事だと気づいた。
「なんとかして流れを変えないと……」
「我が国の力だけでは止めきれないでしょうね」
「そうですね」
セレスティナの分析に同意したのはフェルナンドだ。
煌びやかな鎧を身にまとった彼は、傷心中のオクタビアの身辺警護の地位を手に入れていたため部屋に入って密談に参加する事ができていた。
身辺警護を彼に任せた皇帝の思惑を察していた彼だったが、今の所オクタビアと関係を持ってはいなかった。
「このままでは小国家群によって東の領土から削られていくでしょうね。小競り合いは続いていますが北も南も侵略戦争には興味がない国々ですから」
「だったら助力を頂くのはどうかしら?」
オクタビアの提案をすぐに否定したのもフェルナンドだった。
セレスティナはティータイムの準備をしながら黙って話を聞いている。
「どちらも友好国とは言い難いので難しいでしょう。それに、敵対していた国からの後ろ盾を得て即位すると反乱分子が生まれかねません」
「それならエルフの国はどうでしょうか? あそことは以前まで友好的でしたから国民の反発は少ないのでは?」
「エルフのトップがあの異世界転移者じゃなければあり得たかもしれませんね」
都市国家ユグドラシルが異世界転移者に濡れ衣を着せた時、同調した国の筆頭がエンジェリア帝国だった。
彼がエンジェリア帝国に対して良い印象を持っている訳がない。
そう思っていたフェルナンドだったが、オクタビアは首を傾げた。
「エンジェリア帝国が送り込んだ刺客である三人の勇者様とは関係の修復ができている、という事を聞いたわ。もしかしたらあり得るかも?」
「争い事を好まない方だという情報もありますし、窮状を訴えれば支援して頂ける可能性が上がるかもしれません」
外交に深くかかわっている派閥出身のセレスティナがそう言うのであればそうなのかもしれない、とフェルナンドは考えを改め、出産祝いのために使節団が派遣される事を知るとセレスティナと共にオクタビアが使者となるように動いた。
そして、無事にファマリアへの使節団のリーダーとして抜擢された彼女は、決意を新たにファマリアへと向かった。
必ず戦を回避してみせる、と。




