幕間の物語266.深淵に潜みし者はむきになった
真っ暗な空間の中、邪神と呼ばれし者はいつものように加護を授けた者の体を操って遊んでいた。
体を操っている間は無防備な状態になるのだが、邪神がいる場所に誰かがやってくる事はない。
今までそうだったので慢心していたのだろう。だから気づくのに遅れた。
開く事はほとんどない扉の閉まる音を聞き、異変に気付いた邪神は意識を本体に戻し、何事かと体を起こした。
「……せっかくいい所だったのに………はぁ。何でこんな所に人間がいるのかなぁ?」
邪神がその大きく裂けた口で問いかける。
加護を持っている者でさえ、少なからず呪われるはずのその言葉は目の前の者たちにも届いているはずだ。それなのに、小さな六人は固まっているだけで動きがない。
呪いによってのたうち回り、命乞いをする様を期待していた邪神は、何が起こっているのか理解できず、顔を顰めた。
「目障りだから、死んでくれる?」
邪神は明確に殺意と呪詛を込めて言葉を放ったが、それでも変化がない六人を見て、流石におかしいと首を傾げた。
邪神は改めて侵入してきた小さな者たちを、暗闇を見通す目で見た。
六人の人間たちはいくつか揃いの装備を身に着けていた。耳当て、ゴーグル、マスク、マント――いずれも魔力が込められていて魔道具だという事は見ただけで分かった。ただ、それがどのような魔道具かは邪神であっても専門外だったため分からなかった。
「っていうか、僕を見ても何ともないってそもそもおかしくない? その目に着けているやつに何か細工してあるのかな? ちょっと気になるから、見せてよ」
蛇に睨まれた蛙のように全く動こうとしない者たちに近づこうとした瞬間、人間たちは同時に起動型の魔道具を使った。
どの様な魔道具だろうと人間が使うような魔道具だったらたかが知れている、と思っていた邪神だったが、次の瞬間には目を見開いた。
「なんでダンジョン内なのに転移が……って、なるほど。事前にダンジョン内にマーキングをしておいて、そこに転移したのか。面倒な事をしてくれる。忌々しい奴らの加護を持っている奴が何人もいたし、やられる前にやるしかないか」
邪神は元々神々が住んでいる世界に暮らしていたが、下界に堕ちた。
当然、この世界の創造者である最高神が許すわけがないので、隠れて力を蓄え続けていたのだが、見つかっては仕方ない。
今すぐ下界に直接御業を使う事は考えられないが、状況が整えば影響を考慮する事もなく神罰を下してくるだろう。
そうなる前に目撃者を消し、別の隠れ家を探す必要がある。
いくつか候補となりそうな場所は作ることが出来ていたので、後は逃げて行った者たちをサクッと殺すだけだ。
「手出しをしにくくしておこうか。ついでに、あの忌々しい街も潰しちゃおうかなぁ。面白そうだし」
大きく裂けた口で歪な笑みを浮かべた邪神は、魔力を解放して神の御業を使った後、数百年以上潜んでいた暗闇を突き破り、ダンジョンの外へと向かった。
亡者の巣窟を破壊し、外に顕現した邪神は、久しぶりの外の空気を大きく吸い込み――どす黒い息を吐き出した。
存在しているだけで周囲を呪い続けるその体が触れた大地は真っ黒に染まり、周囲に侵食していっている。
出てくる前に発動した力によって、不毛の大地はすっぽりと真っ黒なドーム状のもので覆われてしまっている。
「あぁ、久しぶりの外はいいねぇ。窮屈な穴倉生活に飽き飽きしていたから、少しの間、楽しむのも悪くないかなぁ。僕が行ったら歓迎してくれる国はいくつかあるし……。ああ、でもその前に、逃げ込んだ奴らを始末しないとねぇ。その中にいるのは分かってるんだよ? 早く出てきたらできるだけ苦しまない方法で殺してあげるから、早く出ておいで?」
邪神の周囲の土地がどす黒く変色する中、輝きを失わない巨大な立方体の構造物を邪神はいくつもある目で見下ろした。
窓も玄関も何もないその構造物は周囲が暗くなろうと黄金に光輝いている。
邪神はその巨大な両手でその構造物を持ち上げようと試みたが、どうやら地面にしっかりと固定されているようで持ち上げられなかった。
持ち上げられないなら押しつぶしてみよう、と真上からグッと全体重を乗せてみたが、潰れる気配もない。
それならば、と巨大な蛇の胴体の部分で締め付けようとしたが、構造物の角が自身の肉体に食い込んで痛いだけだったのでそれも途中でやめた。
「じゃあ、これでどうかな?」
構造物を両手でしっかりと挟み込んだまま、つい最近思いついた新しい権能を使う事を意識したが、どれだけ魔力を込めようと構造物に呪いが伝播している様子はない。
「……だよね。生物じゃないみたいだし、どうしたものかなぁ。……中に引き籠ってるんだし、持ち上げて振り回したらぐちゃぐちゃになりそうなんだけど、持ち上げられないしなぁ。……掘り返せば……って、なんだこれ?」
黄金の構造物に気を取られていた邪神は、同じく黄金に輝く物体が自身の周りをうろうろと飛んでいる事に気が付いた。
捕まえてよく見ようと手を伸ばすが、自由自在に宙を飛び回り、捕える事は出来なかった。
「……ま、どうせ何かできる訳もないしほっとくか……」
諦めたふりをして尻尾で捕えようとしたがそれすら躱された。
今日は何もかも思い通りにならない一日だ、と邪神は苛立ちを募らせるのだった。




