幕間の物語254.元知の勇者も溺愛している
ミスティア大陸を東西に分断するように広がる『大樹海』と呼ばれる地は魔物たちの領域だった。
奥に進めば進むほど高ランクの魔物がひしめき、未だかつて大樹海を横断した者はいなかった。
そのため、陸路でミスティア大陸を横断しようと思うのであれば、必ず都市国家イルミンスールを通る必要がある。
イルミンスールは世界樹を擁するエルフたちの国だった。
前任の世界樹の使徒が加護を失った際に、その事を知られないようにするために鎖国したり、呪いが蔓延したりして一足が途絶えてしまったが、それも一時の事だと元知の勇者であるタカノリは考えていた。
忙しくなる前にしっかりと仕事を果たす事ができるようにしよう、と今日も行ってらっしゃいのハグを最愛の妻と息子それぞれとした後に出かけた。
街を歩いると注目が集まるのは仕方がない事だろう。ほとんどエルフたちしかいない国に人族の男がいるのだから。
だが、その注目も悪い意味での物ではなかった。
「おはようございます、タカノリ様。奥様はお元気ですか?」
「おはよう。今日も料理を頑張っているよ。ちょっと失敗しちゃったみたいだから、コツとか教えてあげて欲しい」
「任せてください。最近暇で仕方がないので」
「そこら辺は俺が頑張るしかないなぁ。ああ、でもキスティナさんたちが忙しくなったらアビゲイルのサポートをお願いできなくなるから程々にしておかないと!」
キスティナと呼ばれたエルフの女性だけではなく、近くで井戸端会議をしていた者たちも声をあげて笑う。
タカノリは愛妻家であり子煩悩である、という事は既に周辺住民たちには知れ渡っていた。
エルフは家族や身内を大切にする傾向がある。そのため、多種族をなかなか受け入れられない事もあったが、タカノリを無碍に扱う者はいなかった。
タカノリもまた自身の家族を大切に扱っているという共通点があったから受け入れやすかったのもあるが、一番大きな要因としては、現世界樹の使徒であるシズトから仲良くするようにとお願いがあったからだ。
今後、大勢の多種族のものたちがイルミンスールを訪れるだろう。
そのために少しでも抵抗をなくすために自分が選ばれたのかもしれない。
タカノリはそう感じていたからこそ、積極的に通りを歩いているエルフたちに声をかけながら職場へと向かうのだった。
迎賓館として使われている建物に到着すると、彼を出迎えたのはキラリーというエルフだった。
シグニール大陸にあるドラゴニアまでシズトを迎えに行った使節団の中心的な人物だ。
エルフ特有の美貌に加えてスレンダーな体格だ。金色に輝く綺麗な髪は腰まであるが、後ろで一つに結われている。
緑色の瞳は若干吊り目がちできついいんしょうをあたえるが、実際の性格はただただ真面目だった。真面目だからこそきつい事を言う事もあるが、誰に対しても平等だったためタカノリは特に気にしていない。
「何か変わった事はありましたか?」
「いいえ、特に報告はありませんでした。新たに呪われた者もおらず、安定しております」
「邪神の信奉者に関して新たな情報は?」
「国内で見つかった、と言う話はありませんね。情報が入ってこないので、この後に控えているウィズダムの外交官に確認をしてもらえたらと思います」
淡々と聞かれた事に答えるキラリーはシズトからイルミンスールの内政を任されていた。
もちろん、キラリーが一人で全てを担っているわけではないが、定期的に届く報告でキラリーの元に情報が集まってくる。
革命を起こしたメンバーの一人でもあったため、人を使う事に関しては慣れている様子だったが、あんまり眠れていないようだ。
タカノリはキラリーの目の下にある隈を見てなんて声をかけようかと考えていたところで先触れが到着したと報せが入った。
「バンフィールド公爵がいらっしゃるそうです」
「分かりました。私はタカノリ様と共に公爵閣下をお出迎えするので、最終確認をお願いします。汚れ一つないように」
「ハッ」
返事をするとすぐさま迎賓館の中に向かったエルフの女性を見送り、タカノリは気を引き締めた。
幾ら身内とはいえ、今のタカノリの立場はイルミンスールの外交官だ。
自分の失態でシズトが不利になるような事は何としても避けなければ、と気持ちを改めつつ、バンフィールド公爵が乗っている馬車が来るまでキラリーと話をして過ごした。
ライアス・バンフィールドとの対談はとんとん拍子に話が進み、転移門の活用の取り決めや、他国の使節団を連れて訪れる日取りの確認は特に揉める事もなく決まった。
「もう話す事はないだろ? そろそろ街の様子の視察を――」
「申し訳ございませんが、まだお聞きしたい事がございます」
先程からどれくらい同じやり取りをした事だろうか。
ライアスが腰を浮かせるたびに、タカノリが止める。
ライアスはムッとした様子で「まだ何かあるのか」と問いかけるとタカノリはその度に苦笑した。
「次で最後です。以前捕らえた邪神の信奉者から得た情報はどうでしたか?」
「ああ、それか。拠点として使っていたいくつかの場所に襲撃をかけたが、そのほとんどがもぬけの殻だった。ただ、邪神の信奉者が残っていた場所もあった」
「捕らえる事ができましたか?」
「ああ。『加護無しの流星錘』のおかげか、捕えても自決する様子もなかった。即座に情報を引き出して新たに拠点となった場所に邪教徒狩りを向かわせようとしたが……残念ながら他国だった。その情報は既に他国にある知の教会にも伝わっているが、魔道具がまだ他国の教会にまでは行き渡っていないから甚大な被害が出る可能性があるな。増産を依頼する事は出来ないか?」
「頼んでみますが、難しいでしょう。シズト様は今はとにかく呪われた者を治す事に専念されていますから。複製の方はどうですか?」
「無理だ。能力が落ちる物すら作れん。……もういいだろう?」
「そうですね。数日で大きく変わる事はこれ以上特にないですし……」
タカノリは席を立ちながら「いらっしゃる頻度を下げてもいいんですよ?」というとライアスは「イルミンスールが安全であると証明するためだから仕方がないだろう」と言った。
だが、ライアスに同行した護衛や、タカノリは知っている。
外交のために話し合う時間よりも、娘と孫を愛でる時間の方が長い事を。
タカノリが暮らしている住居の近隣住民にライアスが孫を溺愛している事が伝わるのも時間の問題だろう。




