幕間の物語250.知の勇者もだらしなく緩んでいた
ミスティア大陸のど真ん中を縦断するように広がる『大樹海』と呼ばれている魔境の地の最南端に都市国家イルミンスールがある。
その立地の都合上、ミスティア大陸を陸路で横断する場合は、必ずイルミンスールを通る必要があった。
だが、イルミンスールが数年ほど鎖国状態だったため、そのルートは閉ざされ、鎖国が解除されても呪いが蔓延っていたため誰も通ろうとしていなかった。
そんな都市国家に新たな外交官が任命された。
エルフの国であるのにも関わらずその者は人間だった。
彼の名はタカノリ。少し前までは『知の勇者』と呼ばれていた異世界転移者だった。
だが、今はもう『知の勇者』ではない。
加護を手放した事により神からも見放された存在として教会に居場所はなく、ウィズダム魔法王国にいても特に回してもらえる仕事がないと分かっていたタカノリはどうしたものか、と考えていたところ同じ異世界からの転移者であるシズトに雇われたのだった。
朝日が昇る時間に起床した彼は、隣に愛する者が眠っていない事に気付くとすぐに着替えて部屋を出た。
以前住んでいた屋敷と比べると小さな家だが、タカノリにとっては十分な大きさの一軒家だ。
家の中で迷う事もなく、手入れの行き届いた廊下をゴミが落ちていないか確認しながら歩き、階段を下りて一階のリビングへと向かう。
既にそこには彼が愛する女性がいた。
タカノリが降りてきた事に気付いていたのだろう。
チラッと彼女が視線をタカノリに向けると、彼はその赤い瞳に魅了されたかのようにフラフラとアビゲイルに近づいて行く。
「今日は何を作っているんだい、アビゲイル」
コトコトと煮込んでいる鍋を見ているアビゲイルを後ろから包み込むように抱きしめて、彼女のか細い方に顎を載せたタカノリは鍋を見た。
「野菜スープよ」
「とても美味しそうだね。もう怪我をしていないのかい、アビゲイル」
視線を鍋からアビゲイルの手元に移した彼は、そっと後ろから回り込ませた自身の両手で彼女の両手に触れた。
目視と共にニギニギと触りながら異常がないか確認しているタカノリを邪険にする事はなく、アビゲイルは鍋を見ながら答える。
「あなたのアドバイス通り、猫の手にしているから問題ないわ。それに、ゆっくりだったら自分の手を切る事はないって分かったの」
「それは素晴らしい発見だね。でも、今日はいつ起きたんだい? もうベッドは冷たくなっていたけど」
「さあ、いつだったかしら。覚えてないわ」
「やっぱりお手伝いさんを雇おうか?」
「家がこんなに狭いんだから必要ないわ。掃除もしっかりとできているでしょう?」
「完璧だったよ。誰かにやり方を聞いたのかい?」
「お父様にお手紙を書くついでに、侍女頭に手紙を出したのよ。家事全般に精通しているから、いろいろな事を教えて貰えたわ。あと、私が家事をしているって知ってお父様は侍女を派遣しようとしたみたいだけど、侍女頭が止めてくれたらしいわ」
「それは……お礼を言うべきか悩むところだね」
「何よ。三人だけの生活に文句があるの?」
「全くないよ! でも、慣れない事をさせているから心配なんだよ」
「だから、時間を掛ければ大丈夫って言ってるでしょ!」
「睡眠時間を削るのは肌によくないんだよ。アビゲイルはまだ若いから大丈夫だろうけど……」
「慣れたらすぐに終わるわよ!」
だんだんとアビゲイルの声が大きくなってきていた。
その声に起こされたわけではないが、二人の息子であるレイがリビングに入ってきた。
そこで二人は言い合いを止めて、テキパキと分担して食事の準備を進める。
以前と比べるとだいぶ質素な食事となったが、食べ盛りのレイは文句を言う事もなく、モリモリ食べた。
外交官の仕事と言っても、関わる国はまだ少ない。
呪いが蔓延っていた、という風評被害で周辺の国々から人がやってくるのは少なかったからだ。
だが、転移門で繋がっているウィズダム魔法王国の使節団はよくやってくる。
今日やってきたのは白髪で厳つい顔立ちの男性を見ると、タカノリの顔色は変わった。
「お久しぶりです、バンフィールド公爵閣下」
「身内しかおらん。お義父様で構わんぞ、タカノリ」
「いえ、私は仕事中ですので……」
「イルミンスールのためを思っての事だと分かっているが、他人行儀なのはちと寂しいものがあるな」
苦笑を浮かべたそう言ったのはライアス・バンフィールド。ウィズダム魔法王国のいくつかある公爵家の内の一つであるバンフィールド家の当主であり、アビゲイル・バンフィールドの父親であり、タカノリの義父だった。
タカノリはどう返したものか、と一瞬考えたがすぐに「終業後であれば問題ありません」と言って、仕事モードに切り替えた。
ライアスもまた、そんなタカノリを見て気持ちを切り替え、都市国家イルミンスールの現状を見て回った。
途中、孫の顔を見て厳つい顔がだらしなく緩んだが、周りの護衛や部下は見ないふりをしていたのだった。




