幕間の物語216.深淵に潜みし者は無駄に減らしたくない
シズトが邪神の信奉者に襲われる一週間ほど前の事だ。
真っ暗な闇が拡がる空間の中で、何者かが話す声が響く。
その者の正体は、邪神と呼ばれている神だった。
「あのヤマトの大王が殺されるなんてねぇ。老衰くらいでしか死にそうにないって思ってたのに。まあ、いいんだけどさ。僕が直接指揮してたわけじゃないし? 仲介者が好き勝手してただけだからどうでもいいんだけど? 戦争もなんだか思うように進んでなかったみたいだったしさ。それにしたって、あの転移者、悉くこっちの仕込みを潰してくよね。やっぱりさっさと潰しておくべきだったかな?」
邪神は長きにわたってその場所で一人だった事もあり、独白する事が癖になっていた。
声音を変えて、自分の問いかけに返答をする。
「いやいや、駒の無駄遣いになるからほっとくって事になったじゃん。どうせ百年も生きる事ができない人族だし、わざわざ手を下すまでもないでしょ」
シズトたちが転移した世界には長命種もいる。彼らと比べると、人間は短命だ。わざわざ大切に育み広めていった駒をここで消費するの勿体ない。
邪神は再び声音を元に戻すと、一人でまた話す。
「だけど、加護を与えた神の信仰心が増えれば増えるだけ加護を持つ者が増えるじゃん。直接会って加護を授けられた転移者と違って能力は落ちるけど、数が多いのは面倒でしょ? 大王からの最後の依頼であの厄介な転移者が標的になったし、丁度良い機会だから、相手の戦力を測ってみようよ。都市国家フソーに今はいるんだっけ? あそこら辺に使える奴いたかなぁ」
真っ暗で何もなかった空間に、突如大きな水晶玉が現われたかと思うと、水晶玉の中に数人の視界が共有された。
いずれも邪神の加護を授かりし者たちだ。
街中で商店を営む者もいれば、路地裏で何やら怪しい事をしている者もいる。
煌びやかな部屋で楽しそうに談笑している者もいれば、どこかの城の中でただ立っている者もいた。
邪神は再び声音を変えて話す。
「あの転移者が転移門とかいうのを作って国同士を繋げたから移動し放題だし、距離とか関係ないじゃん。大勢のヒト種があの街に集まっているみたいだし、呪音の加護を授けた奴に向かわせればいいんじゃないかな。どうせ周囲を護衛で固めてるだろうし?」
いくつも浮かんでいた景色が消えていき、立派な店で働いている者の視界だけが大きく映し出された。
邪神は、また声音を変えて「確かに」と呟いた。
「なーんか、クレストラ大陸で重要人物になってるみたいだし、ここらで一度、僕の恐ろしさを知らしめようか」
それから数日後には呪音の加護を授かった者は都市国家フソーにやってきていた。
元々商人として有名になりつつある男だったため、フソーにあるビッグマーケットに出店するためだ、と言えば簡単に転移門をくぐる事ができた。
その様子を暗闇の中で見ながら、楽しそうな声音で「ここの奴らを全員巻き込むのも面白そうだ」と邪神が呟いたが、これだけの大人数を呪うとなると、加護使用者の負担も計り知れないほど大きくなってしまうだろう。
他にも邪神の加護を授かっている者を数人と、ナレハテと呼ばれている失敗作を数体潜ませてその時を待った。
アダマンタイトで作られた檻の中から標的が出てくるのは二週間に一度くらいの頻度と事前の情報収集で得ていたのですぐに出てくるだろう、と檻の周辺の様子を監視していた者の様子を見ながらのんびり過ごしていたが、数日後、何やら朝から慌ただしく人が行き来し始めた。
「さてさて、そろそろ出番みたいだけど? 笛の準備はばっちりかな」
『もちろんです、神様』
「よろしい。それじゃ、標的が見えたら早速吹き始めてね」
『分かりました』
久しぶりの会話が楽しいのか、それともこれから起こる事を想像してわくわくしているのか、邪神の声は弾んでいた。
上機嫌に鼻歌を歌いながら、転移者を襲った後に他の者たちをどう動かそうかと考えている間に、黒い髪とエルフの正装である純白の服が目印の少年が出てきた。
視界を共有している男が笛を吹き始めたが、次の瞬間には「え?」と戸惑ったかのように笛を吹くのをやめてしまった。シズトだけではなく彼の周囲を囲んでいた者たちの姿が一瞬にして消えてしまったからだ。
「転移魔法の使い手が近くにいたのか? それにしては一瞬だったし、魔道具を生み出す加護を授かってるみたいだしその力かな。いずれにせよ、場所はバレているかもしれないからそこからとりあえず移動しようか。騒ぎになってるみたいだし、バレないようにね」
『分かりました』
笛を大事にしまい、水晶玉に写る男はその場から移動したが、それは意味がなかった。
「外に出ろ!」
『え? あ、はい!』
男が慌てて窓から飛び出た数秒後に、隠れていた小屋に何かが突っ込む。
その異様な速度によって生まれた衝撃波と、後から襲う暴風によって男は地面を跳ねるように吹き飛ばされた。
男は自身の重さを活かして何とか止まろうとしたが、その瞬間を見逃さず、精霊魔法によって上空に巻き上げられた。
「あー、もうこいつはダメだな。相手は風魔法の使い手が二人もいるし、荷が重すぎるわ。他の奴らも暴れてもらおうと思ってたけど、まだ加護を使ってないからバレてないだろうし、さっさと逃がそうか」
水晶玉に再び数人分の視界が映され、それぞれに指示を出しながら戦っている男の様子を見るのも忘れない。
何とか呪おうと笛を吹いたり声を出したりしているが、風魔法の影響か全く効果がなさそうだ。音が届かなければ意味がない。
「やっぱり呪音の力を最大限発揮するためには見つからない事が大前提だよなぁ。見つかった後は相性が悪かったら終わりだし。接近戦用に呪躰の加護も与えてたけど、近づいてくれるわけもないし、この組み合わせは間違いだったな。風魔法じゃなかったらやりようはあったんだけど……そろそろ魔力も尽きる頃だし、利用されるのも癪だから死んで?」
あと少しで男の魔力がなくなる、という所で邪神が指示をすると、男は自身に呪いをかけて自決した。
男から共有されていた視界が消え、待機していた者たちの視界だけになった。
どうやら転移門を封鎖されているようだ。大勢のヒト種が転移門に殺到していたが、管理をしているエルフは通す気がないようだ。殺気立っていて今にも集まった群衆に魔法を使いかねない状態だった。
「こんな状態で周囲の者を呪ったらどうなるかなぁ~、絶対面白い事になるよねぇ。ああ、でも、そんな事をしたら一瞬でエルフにバレちゃうだろうし、呪う相手が多ければ多いほど効力は少なくなっちゃうし……やっぱりここは大人しくさせておこうか。下手に街の外に向かわせたら怪しまれるだろうし、皆兵士の言うとおりにしておいてね~」
最悪、バレてしまったらその時に周りの者たちを道連れにすればいいや、と邪神は考えたようだったが、その目論見はまた外れてしまった。
結局、フソーに送り込んだ全員が捕まりそうになったところで自決を命じる事になってしまったのだ。
「知識の神の加護持ちでもいたのか、それとも魔道具か……。いずれにしても、あの程度の力の者たちじゃどうにもできないって分かったし、やっぱり放っておいた方が良いのかなぁ。加護を見分ける魔道具が広まった程度だったらまだやりようはあるし? 戦力を削られた方が面倒だしなぁ」
んー、と邪神は考え込むが、すぐに答えは出そうになかった。




