後日譚446.古傷が痛む外交官も人材が欲しい
不毛の大地に聳え立つ世界樹をぐるりと囲むように広がるファマリアという町の北東には『研修区』と呼ばれる区画がある。
商業区の自由散策時間を終えた一行は、その場所を浮遊台車に乗って移動していた。
他の区画とは全く異なる雰囲気の『研修区』が気になるのは視察に来ている者だったら当然の事である。
「先程の区画は見学はさせてもらえないのですかな?」
解放区と呼ばれている北の区画にある教会に到着してすぐにプランプトン侯爵がシズトに質問をすると、彼は首を傾げた。
「先程の区画、とは?」
とぼけている、という訳ではなさそうだと判断したプランプトン侯爵はさらに言葉を続けた。
「こちらに来る際に通った場所の事です。画一的な建物の中で、あそこの区画だけ異質だったので質問させていただきました」
「シズト様、おそらく研修区の事を仰っているのだと思います」
「ああ、あの場所か。見たって別に面白い所なんてないと思うけど……。ここなら自由を手に入れた人たちがいろんな店を開いているから面白いと思うんだけどなぁ」
「シズト様、招待客の要望に応えるのも主催者の務めかと愚考します」
「……なるほど? でも、あそこを見て回ったらこの区画は時間足りなくない?」
「そうですね。仮に早く終わらせたとしても日が暮れるかと」
「だよねぇ。……でもまあ、他の方々が問題なかったらもう一日延長すればいいだけだし、プランプトン侯爵以外の方々が気になるのなら皆で見に行こうか」
「かしこまりました」
「……えっと、そういう訳なんですけど、先程の研修所が集まっている区画を見学されたい方はいらっしゃいますか? って、全員ですか。そうですか……」
しょんぼりと肩を落としているシズトが再び浮遊台車に乗った。
それを見て、他の者たちも先程降りたばかりの浮遊台車に乗り込んだ。
浮遊台車が列をなして来た道を戻っていく。
先頭でシズトが並走しているジュリウスというエルフの男性と話をしているのが後ろからついて行く外交官たちからは丸見えだったが二人とも口元を隠す素振りもない。
(……なんだ。伝令を送るように伝えただけか)
読唇術の心得があるプランプトン侯爵はシズトの隣からジュリウスが消えたところで視線を周りに向けた。
見学する予定だった『解放区』は確かに今まで見た区画の中で多様性のある場所だった。そしてなにより、奴隷の証である首輪をつけていない者が多いのも特徴である。
ただ、多様性があると言っても工業区で見た芸術的な武器や家具が並んでいるわけでもなく、商業区で見た珍しい品々があるわけでもない。隈なく見る事があればあるいは見つけられるかもしれないが、食欲が刺激されるような見た目や匂いの屋台も見当たらない。
(ここを見学する時はレビヤタンなどの真似をしてシズト様と親睦を深める事にしてもいいかもしれないな)
そんな事をプランプトン侯爵が思う頃には、解放区を抜けて研修区に入った。
集合住宅とは異なり、敷地が広い建物がいくつも並んでいる。敷地の中には魔法や剣術の練習をしている者もいれば、走り込みをしている者もいて、運動ができるくらいの広場のような場所も設けられていた。
そのうちの一つの建物の前でシズトを乗せた浮遊台車が止まると、後続の浮遊台車も一列に並ぶように止まった。
「こちらが今回見学する研修所です。ここでは主に町の子たち……奴隷の教育をしています。僕の奴隷になった子は基本的な所を学んでもらい、それを習得できるかどうかで仕事の振り分けがされる事になっているそうです。僕はあまり詳しくないのでここからはエルフの教師に説明をしてもらう予定です。……教師の方はもう来てるかな?」
「はい。あちらで待機しているように命じています」
ジュリウスが示した方に全員が視線を向けると、建物の入り口で直立不動で待機していた人物がキビキビとした動作で近づいて来た。朱色の口紅が目を引く美しいエルフの女性だ。
「彼女の名はジュリエリカ。研修所で教師をしている者たちのまとめ役の一人です」
「ジュリエリカと申します。この度は見学にお越しいただきありがとうございます。研修所で教えている内容は全て記憶しておりますので何か気になる事があればお気軽にご質問ください」
綺麗な所作で頭を下げたのを見てルカソンヌ王国の外交官であるラムシエル侯爵は目を細めたが、プランプトン侯爵はその所作ではなく身につけている物に目を向けていた。
(身綺麗にしているが、高価そうな物は身につけていない、と。それが性格由来なのか、懐が寂しいからか……。優秀な人材を手放した意図は全く分からんが、指導役すらも手放すかもしれん。後でシズト様に引き抜いてもいいか聞いてみるのもありかもしれんな)
アールテアに限った話ではないが、邪神の騒動があった際に要職についていた多くの者が失脚したり、亡くなったりした。優秀な人材であれば種族を問わずに徴用するべきである、というのがプランプトン侯爵の考えだった。
海を越えた遠い地にわざわざ来てもらうためにはそれ相応の対価を用意する必要がある。しっかりとそれを見極めて交渉しなければ、とプランプトン侯爵は考えながら建物の敷地内に入るのだった。