後日譚393.箱入り女帝は緊張し続けた
ドラゴニア王国の最南端に広がる不毛の大地の中央あたりにポツンとある町ファマリア。
その町の特徴言えば何と言っても雲にまで届くほど大きく成長した世界樹ファマリーだろう。
他の世界樹と異なり、周囲には森ではなく畑が広がっているため、少し前までは禁足地の一歩手前まで近づけばその巨大な木を根元から見上げる事が出来ていた。だが、今では内壁に隔てられており、関係者じゃない限りは根元周辺を見る事は出来なくなっている。
また、町の住人たちも見る事しかできず、触れる事はおろか、近づく事すら基本的にできなかった。
「……本当に朝日を見るためだけに登るのかしら?」
考えれば考えるほどそんな事をしないんじゃないか、という気持ちは湧いて来るが、今考えても仕方がない事だ。とにかく遅れないように着替えを済ませて身だしなみを整えなければ。
「オクタビアさん、起きてる~? もうそろそろ集まる時間だよー」
「後から行きます! お先にどうぞ!」
「分かった。じゃあ、先に行ってるね」
扉の向こう側に合った気配が遠のいて行く。
それを気にした様子もなく、オクタビアと呼ばれた女性は姿見に映った自分をもう一度確認した。
紺色の髪には寝癖は一つもなく、綺麗に真っすぐに下ろされている。
端正な顔立ちは薄く化粧されている。シズトが厚化粧は好まないという情報を得てからはそうしていた。
(一年の始まりの日だからもう少し濃くしてもいい様な気がするんだけど……。レヴィやランチェッタは普段からあんまり化粧をしていなかったし、私も早く慣れた方が良いわよね)
そんな事を思いながらお気に入りの香水を少しかけて姿見から離れた。
シズトの配偶者の間に身分による差が起きないようにシズトは極力気を付けている。それでも、勘違いしてはいけないからと最小限の待遇の差は設けられていた。それの一つが自室の広さだ。
オクタビアが仮で使わせてもらっていた部屋よりも広い新たな自室の窓を一つ一つ確認し、異常がない事を確かめた彼女は部屋を後にした。
朝食は初日の出を見てから、という事だったのでオクタビアは正面玄関から外に出た。太陽が顔を出していない外はまだ暗いが東の空が少しずつ白んできていた。
「オクタビアさん、こっちだよー」
先程部屋の前まで来てくれたシズトが世界樹の根元の方から大きな声で彼女を呼ぶ。彼の肩の上にはまだ眠たげなドライアドが陣取っていて、彼の周りにわらわらといる真っ黒な肌のドライアドとは異なり手を振っていない。
他の者たちが既に集まっている事を見て取ったオクタビアは慌てた様子で駆けだした。彼女の周りでじろじろと彼女を見ていたドライアドたちも彼女を追って駆けだす。
「お待たせしてすみません」
「全然大丈夫だよ。時間ぴったりだし。それじゃあ上に行こうか」
「乗り込め~」
「はいはい、君たちは一番最後ねー。ノエル、操縦お願いね」
「分かったすよ」
寝癖で所々跳ねている髪の毛をジューンに直されていたノエルが魔道具『魔法の絨毯』に乗った。第一陣としてオクタビアも他の王侯貴族出身の者たちと一緒に魔法の絨毯の上に乗る。
十分な広さはあるが、高い所から落ちたらオクタビアではどうしようもできないので指示される通りの場所に腰を下ろした。どこからともなくコロコロと寝返りを打ってやってきた褐色肌のドライアドがオクタビアにぶつかると、髪の毛をわさわさ動かして彼女の体に自身を固定した。
どうすればいいのか判断を仰ごうとシズトを見たが、彼は真っ黒な肌のドライアドたちを押しとどめている所だった。
「あの子たちだけずるい! 私たちも乗りたい!」
「後でね。っていうか、君たちは眠たくないだろうし、自分で登れるでしょ?」
「登れるけど楽したいの!」
「まあ、楽できるところは楽したいだろうけど……。あんまり乗り込み過ぎると危ないからまた後でね。ノエル! 準備が出来たらもう出して!」
「はいはい、りょーかいっす」
魔力を流された魔法の絨毯は静かに上昇を始めた。上に乗っている者たちに影響が出ない程度の速さで上昇を続ける魔法の絨毯の上で世界樹の幹を伝って上を目指しているドライアドたちを眺めていると、近くに座っていたランチェッタがオクタビアに話しかけた。
「大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です。ランチェッタ様は前回も初日の出を枝の上からご覧になったんですよね? 何か気を付けるべき事はありますか?」
「特にないわよ。っていうか、また敬語になってるわよ? そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
「なんて言っているランチェッタ様もとても緊張されていましたよ」
「ディアーヌ、うるさい」
「……ランチェッタも緊張したの?」
「…………当たり前でしょ。あの世界樹の枝の上に乗ったのよ? 緊張するなっていう方が無理よ。シズトとその他数人以外は緊張していたわ。緊張してなかった人はだれか分かるかしら?」
クイズを出して緊張を和らげようとしてくれているのだろう、と悟ったオクタビアはランチェッタの意図を組んで真剣に考えた。……真剣に考えるまでもなかった。
「ノエルとパメラ、それからホムラとユキの四人くらい?」
「正解です。ランチェッタ様、もう少し難しい問題を出されたらどうですか?」
「そういうならあなたが何か問題を出しなさいよ」
「かしこまりました。それでは、ランチェッタ様に関するエピソードから出題を――」
「やっぱりいいわ。絶対碌な問題を出さないでしょ」
「そんな事ありませんよ。ランチェッタ様の成長過程が手に取るように分かる問題を出そうとしただけで」
「面白そうな話をしてるですわ! 私も混ぜて欲しいのですわ~」
「混ざらなくていいし、そんな問題出さなくていいわ!」
絨毯の上が途端に賑やかになった。
オクタビアはその様子を見ながら頼れる侍女が一緒にいてくれたら緊張を分かち合えたのに、なんて事を思うのだった。