後日譚373.事なかれ主義者は極力見ないようにした
とても大きな浴室にただ一人佇む。腰に巻いているタオル以外、何も身につけていない。
お風呂だからこの格好は当たり前なんだけど、この後の事を考えると心許ない装備だった。
「シズト様、着替え終わりました。入ってもよろしいでしょうか?」
背後の扉の向こうから声が聞こえてきた。どこか固い印象を受けるその声の主はオクタビアさんだ。
水着に着替えて先に待っていてもらおうかと思ったけれど「もう少し心の準備をさせてください」と言われて今に至る。
彼女の緊張がこちらに移ったのか、それとも僕の緊張が彼女に移った物が戻ってきただけなのかは分からないけれど、僕の口から出たのは「ど、どうぞ」という短い言葉だけだった。
「失礼します」
そろそろと扉を開いたオクタビアさんが浴室に入ってきた。うん、これは新しいタイプだわ。だから僕も恥ずかしくなるのは仕方がない事だ。
よくよく思い返してみても際どい水着――じゃなくて湯浴み着を着たお嫁さんたちは殆ど恥ずかしがることがなかった。内心ではどう思っていたか分からないけど、少なくともオクタビアさんのように顔を真っ赤にして入ってくる人はいなかった。
「……これ、変じゃないですか?」
「どこも変じゃないよ。うん、とっても似合ってると思う」
「そうですか。良かったです」
はにかんで笑うオクタビアさんの格好を改めてみる。
あんまり水着を着て人前に出る事がなかったのかとても恥ずかしそうで、陶器のように白い肌が真っ赤に染まっていた。
髪は後ろで束ねていて邪魔にならないようにされているため、彼女が腕で隠そうとしなければ水着はよく見える。
ビキニタイプで、上はビキニと言って最初に連想するタイプの三角形の物だった。髪と同色の紺色の布地はしっかりと大事な部分を隠している。下も布は多いので見ていて心配になる事もない。ただ、後ろから見たら実は……なんて物だった時の事も想定して心を無にする事をいつでもできるようにしておこう。
スケスケの水着や布面積が少なすぎる物ばかり見ていたからか、普通の水着を見る分にはあまり何も思わなくなっている自分がちょっと心配になってくるけど、オクタビアさんが恥ずかしそうにすればするほどこっちまで恥ずかしくなってくるのであんまりじろじろ見ないようにしないと……。
僕が視線を逸らしたところでオクタビアさんが深呼吸した。きっと平常心になるためだろう。大きな胸が上下しているんだろうけど、どのお風呂にしようか考えているふりをしながらそこから視線をさらにそらした。
少しの間だけ深呼吸をした彼女はある程度羞恥心を抑える事が出来たのだろう。後ろから話しかけてきた。
「お世話係とお聞きしましたがお背中を流せばよろしかったんですよね」
「ん? うん、まあ、そうだね。あとは髪を洗うのもだね。……それだけのはずだったんだよ、最初は」
「今は違うんですか?」
「ん~……まあ、そうだね。夜を一緒に過ごすとかそういうのがあるんだけど……、あ、オクタビアさんはまだそういうのしないからね!」
「勇者様たちの世界だと問題になるから、でしたか? 私は構いませんが……」
「僕の限りある前世の常識がそれを止めるから……。申し訳ないけど誕生日まで待ってもらって……」
もしもここで未成年に手を出したという前例ができてしまったら今後も「あの時は手を出したんだから」と歯止めが利かなくなりそうだし……。オクタビアさんには悪いけど後数カ月待ってもらおう。
いつもの定位置に置かれていた風呂椅子に腰かけると、鏡に映るオクタビアさんと目が合った。まだ若干顔が赤い様な気もするけど、先程までの話題が悪かったし、お互い様だ。
「それでは始めさせていただきますね」
「うん、よろしく」
後ろからにゅっと伸びてきた細くて白い腕がシャンプーの入った瓶を手に取った。オクタビアさんが後ろから手を伸ばすという事は当然僕と彼女の体が近づいたんだけど、柔らかな感触を背中に感じる事はなかった。
「ラオから頭の洗い方を教えてもらったんですけど、上手くできなかったらすみません」
「まあ、そこら辺は気にしなくていいよ。ってか、なんでラオさん?」
「他の方々にシズト様の頭を洗うのが上手な方は誰か聞いたら多くの方がラオを挙げてたので」
「なるほど」
「ラオに洗われている時のシズト様はとても気持ちよさそうだ、と」
「否定できない」
力加減が絶妙なんだよなぁ。他の人も悪くはないんだけど……いや、パメラは適当だからもう少しちゃんと洗ってほしい時はあるな。
そんな事を考えているとボトルから直接僕の頭に薬液をかけ始めるオクタビアさん。普段の彼女を知っている身としてはその乱雑さに驚くけれど、ラオさんから教えてもらった通りにやろうとしているからそうなんだろう、きっと。
ただそこは真似しなくてもいいんじゃないかな、なんて事を思いながら目を瞑って大人しく髪が洗い終わるのを待つのだった。