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大和航空123便墜落事故

 1985(昭和60)年8月12日18時12分に離陸した伊丹空港行き大和航空123便(ボーイング747SR-46)が相模湾上空で機体後部の圧力隔壁が破損して、垂直尾翼と補助動力装置が破壊され、操縦不能になった。そして迷走飛行の末に18時56分ごろ群馬県多野郡上野村高天原山の山中に墜落した。

 乗客乗員524名のうち520名が死亡、生存者は4名という単独機では過去最悪の航空事故となった。


 墜落現場が地元民も立ち入らない秘境とも呼べる場所で、しかも墜落時刻が夕刻から夜間に掛けてであったため、捜索救助が難航してしまった。

 この事故は、日本の縦割り行政の弊害を浮き彫りするものであった。東京航空事務所から自衛隊への災害派遣要請が遅れ、緊急出動した自衛隊車両が高速道路の料金所で通行料を請求され立ち往生するなど、縦割り行政の醜態を余すことなく晒した。


 更にマスコミの醜態はそれに輪に掛けて酷かった。現場に入り込んで遺体を踏みつけ、生存者を包んでいた毛布を剥ぎ取って写真を撮影したりした。

 それだけでなく、記者が遭難し不足しているヘリで遭難した記者を救助する事態が発生した。本来の救助活動の妨害にしかならない行為である。

 その他に上げれば、病院や遺族宅への不法侵入に遺体検視所の覗き見などなど、狼藉の限りを尽くす有様であった。


 事故2日後、航空事故調査委員会による事故調査が行われる。調査には事故機の製造国であるアメリカが米国国家運輸安全委員会からアドバイザーとして参加した。

 生存者の証言、回収されたブラックボックスや海上で発見された機体尾部の一部、東京都奥多摩町で垂直尾翼を失った123便を一般人が撮影した写真などから、圧力隔壁の破損が原因として浮上した。

 その後、墜落現場と海上で回収された破片を詳細に調査し、調査委員会は圧力隔壁の破損が原因であると推定するに至った。そして事故翌月の9月6日には、ボーイング社が修理ミスによって圧力隔壁の破損したこと認めるに至った。


 当機は7年前の1978(昭和53)年6月2日に伊丹空港で、「しりもち事故」を起こしていた。当時、当機が計器着陸装置を使って、着陸を行おうとした際に機首の角度を上げすぎた状態で侵入し、機体尾部に損傷を与えた。このときは幸いにも死亡者は出なかったが着陸時の衝撃で25名が負傷する事態となった。

 その後ボーイング社が修理を行うことになる。この修理において、圧力隔壁のリベットの不適切な修理が行われた。それが原因で振動による金属疲労を起こし、圧力隔壁の破損に至った。


 この墜落事故の遠因となった「しりもち事故」が、後に伊丹空港廃港論として浮上することになる。

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