進路指導
「協会には感謝している。何せ進学や奨学金の手配をしてくれたのだから」
と、村上雄一(仮名)は語った。
ここでいう協会とは東関東奨学金協会のことで空港予定地周辺の中高生相手に奨学金を提供する協会であった。
村上の経歴を詳細に書くと個人が特定されるため、詳細な記述は控え大まかな経歴だけを記す。村上雄一は空港予定地の農家の長男として誕生した。高校卒業後、大阪の大学原子力科に進学する。大学卒業後は電力会社に就職し、原子力発電所の運転に従事する。その後、電力会社から原子力関連企業の役員となり、現在はその役員も退任して余生を送っていた。
村上雄一は幼いころから学業成績は良く本人の希望としては大学進学を希望していた。しかし経済的事情と何より両親の意向は家を継いで農業することが強く求められており、進学を半ば諦めていた。
そこにアジア総合による土地買収の話が舞い込んできた。彼としては正しく渡りに船で土地が売却に期待をした。農地売却による進学費用の捻出と土地のしがらみから逃れる期待がであった。
しかし両親及び同居していた父方の祖母が売却については極めて否定的であった。また、他に兄弟たちも売却には否定的で、雄一一人しか売却を望んでおらず家族にその思いを打ち明けられずにいた。
「あのとき、土地を売ろうなんて口にしようものなら、家族中から殺されましたよ」
と村山は語る。
そうした悶々とした日々を送っていたときに通っていた高校で大学進学の奨学金が大々的に募集していた。校内の掲示ポスターは元より、学校内での集会で東関東奨学金協会の担当者が進学希望者向けに奨学金の説明を行っていた。
奨学金には様々なものがあり、原子力関連、旅行関連、ホテル関連などのコースがあった。とりわけ最も優遇されるものが原子力関連で、卒業後9年間を原子力関連企業に年季奉公をすれば、奨学金の返却はなしとなる内容である。そればかりでなく、在学中に月々の生活費までも支給される至れり尽くせりの内容だった。
村上はこれに飛びついた。校内で行われる選抜試験に申し込み、そして見事に合格する。その上で両親に大学進学についての話を行った。しかし両親は反対した。両親としては、長男坊こそが家を継ぐべしという考えを強く持っていた。そして男子が長男である雄一以外に末っ子しかなくそれが僅か11歳ということもあり、長男による家及び農業の継承を強く望んでいた。高校卒業すれば、即農業を継がせたいというのが強い希望であった。
「あのときは親父に『この親不孝者』と怒鳴られながら相当殴られました」
それで協会の担当者に相談をしたところ、担当者が当時通っていた高校の校長を伴って家にやってきた。そして両親を担当者と好調が説得した。校長の権威が功を奏してか、校長による雄一の進学を勧めに両親は次第に傾くようになる。
そして協会の担当者が一気に畳みかける。それは進学を認めれば、当時まだ珍しかったカラーテレビをプレゼントするというものだった。この最後の一押しが効果を発揮して、雄一は両親から進学の許しを得られた。
「あのとき、協会が校長を伴って説得してくれたことに感謝している。おかげで進学できるようになった。更にその後、アジア総合が土地を買ってくれたことで、親も楽ができるようになっただけなく、農家を継がなくてもよくなったのが本当に良かった。末の弟もそれで良かったと思う」
と村上は振り返った。
この東関東奨学金協会はアジア総合が創設したものである。目的は農家の後継ぎに奨学金を提供し進学させることで、農家の跡継ぎを奪うためだった。この奨学金の効果は大きく、跡継ぎを奪われた農家は、アジア総合による土地買収に応じるようになった。
この跡継ぎを奪うという案を考えたのは石山だった。石山は語る。
「あの奨学金は本当に効果があった。土地に拘る理由で農業を継がせたいという思いが強くあったから、だから跡継ぎを奪えば土地を売るようになるだろうと踏んだ」
ただ、この奨学金で跡継ぎを奪う方法には、大きな問題があった。その奨学金の出どころであった。用地買収で潤沢な資金があるからといって限度はある。親会社の京葉電鉄に話をしても良い返事は得られなかった。そこで参議院議員砂岡に相談する。そして砂岡は一言
「分かった。金は集める」
と言って、砂岡が関わる各業界や役所に働きかけ、その原資調達に成功した。
砂岡は原子力業界と深い関係にあり、その原子力業界に奨学金の出資を求めた。これに原子力業界は求めに応じて出資するようになった。産業を発展させるためには優秀な人材を大量に求めていた。しかし広島長崎への原爆投下により原子力のイメージが悪く、求められる人数には達していなかった。そうした事情を抱えていた業界に砂岡からの申し出は渡りに船であった。こうして、原子力業界は優秀な学生を高校生の段階から青田刈りで確保するようになった。
旅行関連、ホテル関連の奨学金は親会社である京葉電鉄が出資によるものである。当初京葉電鉄は奨学金の出資に消極的であったが原子力業界が出資するという話なってから、歩調を合わせて出資するようになる。これは本来、アジア総合を通して用地買収の主体である京葉電鉄が出資しなければ、格好が付かないとなったからである。用地買収で最も利益を得る京葉電鉄が原子力業界に奨学金の肩代わりをさせるのは筋がおかしいという理屈であった。
それで京葉電鉄は渋々ながらも出資することとなり、今後、自社が空港開港後に展開するビジネス関係する分野に出資することをした。それが旅行業とホテル業であり、後にこれは有効に機能して京葉電鉄の利益に貢献した。
こうして石山は進学によって跡継ぎを奪っていったが、進学以外の方法でも跡継ぎを奪うことを画策する。それが進路指導を通じて、農業以外の職種に就労させることだった。進学希望ではないが学業優秀者には公務員を勧め、それ以外の生徒は都会にある企業へ就職斡旋した。
そんな中でも学業が芳しくなく素行不良の生徒、所謂ヤンキーと呼ばれた生徒は陸上自衛隊へ送られた。陸自は兎にも角にも人手が欲しい組織で、当時は特に組織の拡大期でもあったため特に人を求めていた。そして陸自は問題児でも戦力にするノウハウあるため、喜んで引き取った。
尚、生徒の親は進学にしても就職にしても跡を継がなくなるため、反対することが殆どであったが、そのときはカラーテレビをプレゼントすることで納得させた。石山は語る。
「カラーテレビの威力があった。中々、応じてくれない親御さんでもサンプルで持って行ったカラーテレビ放送を見せたら、すんなりと話に応じるようになった。もちろん反対せずに素直に応じてくれた親御さんにもカラーテレビを祝いでプレゼントした」
こうして跡継ぎを失った農家にアジア総合は買収のアプローチを掛けて次々と土地買収を拡大させた。