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歓楽街

 原発新幹線と揶揄される常磐新幹線は東京都心と関東国際空港と水戸・いわき方面を結び空港アクセス線として機能していた。そんな常磐新幹線で、空港の北面から入るルートの沿線に大型ショッピングモールのプラズマモール成田がある。


 この周囲一帯は関東国際空港建設時には空港建設用のセメント工場や資材置き場として活用され、開港後は鉄道貨物による航空燃料の中継所として暫暫定的に使用されていた場所であった。

しかし千葉港からのパイプラインが出来た1980年から使われなくなり、長らく放置されていた。それが1995年にプラズマモール株式会社によって、プラズマモール成田として開業し今に至っている。

 空港建設時には跡形もなくなったが、ここには砂岡によって造られた簡易的な歓楽街があった。ただ、当時を映した写真や資料などは殆どなく、関係者も散逸し蜃気楼のように消えた謎の歓楽街である。これが用地買収に重要な役割を果たした。


 石山は語る。

「あの成田新地は凄かった。田んぼしかなかったところに突然歓楽街の不夜城ができたのだから」

『成田新地』当時そういわれた歓楽街がそこにあった。成田新地にはソープランド、飲み屋、場外馬券場に競輪場にと飲む打つ買うの三拍子が揃った男の桃源郷がそこにあった。この歓楽街で周囲の男たちが借金漬けになって、土地を手放さなければならないように追い込むというのが砂岡の作戦であった。

 この手法自体は昔から地方の大地主が使っていた方法で、娯楽が乏しい田舎で賭場を開き農民たちを賭場で借金漬けにして、土地を巻き上げて小作人にさせるというものである。


 砂岡がこの手間が掛かる手法を用いる理由は、対象地域の用地買収が極めて難しく大規模な反対運動に発展しかねなかった。

元々、この地は沖縄出身者や元満州開拓団の人々が開拓をしていた土地であった。戦火から逃れ塗炭の苦しみを味わった彼らは、一般庶民以上に特権階級に対する反感を強く持っていた。当然、当時特権階級の乗り物の象徴でしかも甚大な騒音をまき散らすジェット旅客機に快く思ない。その彼らがようやく手にした安住の地が空港になるとなれば、反対運動に発展するのは火を見るよりも明らかであった。

 だからこそ、用地買収を行う際に表看板は遊園地と宅地開発という名目にして、空港建設を表に出さないようにした。更に地権者である農民たちが進んで土地を売らざる負えない状況に追い込むために歓楽街を造り、借金漬けにしなければならなかった。これが砂岡の考えた穏便な方法による土地買収計画だった。


 この歓楽街の担い手は、成田山妙法寺で護摩祈禱に参列していた地元の不動産業者以外の者たちで飲み屋・置き屋・高利貸しのオーナーやノミ行為を行っているヤクザなど成田新地を構成する有志の会である。

 面々が面々だけに多少の違法行為に近いことも行われるため、警察には見て見ぬふりが求められた。園部と砂岡は事前に検察や警察に話を付けていたのが正にこのためだった。検察や警察にしても左翼ゲリラの跳梁跋扈に比べれば、売春、賭博などは微罪でありどうでも良かったため、見て見ぬふりが行われるようになった。そして石山の仕事は、これらの面子を手伝いだった。石山は振り返る。

「随分と厳めしい連中だった。まあキャリア組の世間知らずのボンボンにはとても相手ができない連中だった。私だから相手に出来たと思うし、だからそう見込まれたからこそ任された。それにそんな連中と関わるだけでボンボンたちの経歴に傷が付くし、私程度の人間が汚れ役としてぴったりだったのだろう」


 石山の仕事は多岐にわたった。列挙をすれば、

 ・歓楽街を造るためのアジア総合から融資業務

 ・役所との申請や調整

 ・プロパンガスや発電機などの手配

 ・井戸の用意

 ・下水処理のバキュームカーの手配


「それは、もう忙しかった。毎日が目の回る勢いで、今にして思えば我ながらよくやったと思う。なにせ何もないところに歓楽街を造るだから。電気もない、水道もない、ガスもないとないないづくしだったから」

 そして石山の仕事で最も重要だったのが周囲の農民を成田新地に引き寄せることであった。これは砂岡が過去の用地買収で行っていたことを真似る。それは「遊園地」の用地買収交渉で買う買わないに関わらず、挨拶としてお金を渡すのである。そして、受け取ったものが気軽に成田新地に遊びに行けるようにして、後は型に嵌めていくのであった。

 普段、娯楽が乏しい田舎暮らしにあって、更に苦労に苦労を重ねた彼らにとって、張りぼてとはいえ華やかな歓楽街の魔力に取り憑かれるのは時間の問題であった。普段は飲めないうまい酒が呑め、置き屋で若い女が抱け、賭博も充実している。心が弱い者であれば、瞬く間に溺れていった。そして溺れる者たちに高利貸しがトイチで金を貸し付けて借金地獄に叩き落される。

 単に請け負うだけでなく石山は積極的に提案を行い実行に移す。アジア総合の親会社の京葉電鉄に依頼して、周囲の村々を巡回するバスの運行を倍以上に増発させた。当時は自動車の普及がそれほど進んでおらず、成田新地に来るものはトラックを持つ者とそれに便乗してやってくる者たちだけだった。それを巡回バスの増発によって、より広範囲に広げより多くの者を成田新地に誘い、そして蟻地獄に落としていった。


 この蟻地獄は男だけを相手にしたものではなかった。女に対しても容赦なく行われた。村に婦人の協力者を買収して婦人会を結成させる。

そして、婦人会の旅行と称しては東京のデパートで買い物させた。

 これも最初はお金を少し渡し、クレジットカードを契約させた。少しのお金で贅沢を知った彼女たちが買い物依存になるのに時間を要さなかった。

 更には劇場観劇で有名芸能人と直接会えるようにしたり、ホストクラブに誘導させてホスト通いをさせるようにしたりと非現実感に浸らせた。こうして彼女たちをクレジットカードの借金漬けになった。


 こうして夫婦共々蟻地獄に落とされ、折角の開拓した田畑が借金の形でアジア総合に買い取られていった。


 石山は言う。

「歓楽街で借金漬けになって、土地を売るように仕向けた。確かに悪人だ。それでも相場の3倍で買い取っている。それで借金はなくなり相当の金が手元に残すようにした。また空港などに再就職の斡旋もしている。それで反対運動を矮小化させたのだから」


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