契約成立
◆演出家
笹山は軽く肩をすくめ、妙に気さくに笑った。
「とりあえずは、正々堂々とメディアで議論を進めますよ。予備選挙も公職選挙法も簡単に変わる訳じゃない。でも、我が党が先進的に映り、連中が因習まみれの時代遅れに映る演出ならできるでしょう」
石山は笹山の目を外さず、訊いた。
「どういう形でメディアに広めですか」
笹山はくつろぐ姿で淡々と答えた。
「月並みですが、テレビ中心に展開します。討論番組で自政会や労農党を吊し上げて、いかに既得権益にしがみついているか、その醜態を曝させる。それで連中を黙らせます。簡単に黙らないでしょうが、それならどれで醜い姿をずっと曝させることができる」
笹山の選挙制度改革は面白いとは思うが、実現は難しいだろう。ただ、国民世論が金権政治に反感で湧いている今なら、可能性はあるかもしれない。自政会が「公平性を欠く」と喚き、労農党と人民党が「金権政治の一里塚」と喚く姿をテレビで流せば、演出は完成だ。正しく狡猾な演出家だった。
それにしても、笹山の気さくさは妙に決まっているが、その裏に透ける冷たさが現実の秘書そのものだ。役者には向かないが、舞台演出家なら一流だろう。現に岡崎の粛清劇場のために石山をマニラに逃げざるおえない状況を作ったのも、こいつだろうな。
いずれにせよ、石山は図らずもキャスティングボードを握ることになった。これで岡崎からの粛清の手は緩むだろう。ただ、岡崎に肩入れしすぎれば、自政会や革新系から睨まれる。自政会の地方議員から「裏切り者」と罵られ、労農党の護憲派が騒ぐだろう。自政会が返り咲けば、今度はこっちが粛清の的だ。
それに、防衛庁・自衛隊も無視できない。冷戦終結で岡崎は防衛予算を削り、「平和の配当」と称して地方にばら撒こうとしている。自衛隊は組織防衛で裏から圧力をかけてくるし、砂岡と癒着した連中は証拠漏れを恐れている。(その点は検察・警察も同様だが)結局、石山は厳しい綱渡りを強いられる。
それでも、笹山はドス黒い狸だ。一見、民志党の成長のためと綺麗事を並べるが、裏は透けて見える。自政会を潰す仕掛けだ。
予備選挙が導入されれば、自政会の談合や世襲が非民主的に映り、執行部に不満を持つ地方議員が民志党に鞍替えするかもしれない。「よく考えたな。狸の演出にしては上出来すぎる」と石山は乾いた笑いを漏らした。
◆官房機密費
笹山は立ち上がり、日よけの帽子を手に取った。「私がどうこうするわけじゃないんで、はっきりは分かりませんが、選挙制度改革が終わる来年の年初には騒動も落ち着くと思います。まあ、石山さんがその頃に帰国しても誰も気にしないでしょうな。じゃあ、失礼します」
彼は軽く手を振って部屋を出て行った。ドアが閉まる音が、スイートルームに重い静寂をもたらした。石山は窓辺に立ち、マニラの強烈な日差しに照らされた雑踏を見下ろした。笹山の言葉が耳にこびりつき、胸に妙なざわめきを残した。『帰国か。だが、狸の掌の上で踊るだけかもな』
後日、笹山の約束通り、官房機密費が石山の手に渡った。額は予想以上に潤沢だった。砂と女の調達ネットワークを拡大するにはまだ足りないが、態勢を整えるには使える。
早速、フィリピンの仲介業者がマニラ郊外の土地を押さえ、コンクリートのビルの「加工工場」建設が始まった。そこに若い女たちは詰め込まれ、日本語と文化を叩き込まれる。石山はその光景を想像し、苦い味を感じた。『これが生きる道か。証拠と砂と女を売り物にして、命を繋ぐとは』
◆終結
翌年、1994年(平成6年)1月19日、事態が急変した。砂岡の元秘書、迫水が千葉県の山中で首を吊った姿で発見された。ロープの結び目が妙に几帳面で、足元には転がった酒瓶。警察は即日に自殺と断定したが、誰もが裏を疑った。
4日後の1月23日、砂岡疑獄を追っていた大日新聞の記者、山本孝彦が繁華街の裏路地でひき逃げに遭い、即死した。黒いセダンのタイヤが軋む音だけが響き、目撃者は現れなかった。
二つの死が立て続けに起こり、世間の関心は急速に冷めた。マスコミは新たなスキャンダルを追い、砂岡疑獄は過去の出来事として葬られた。だが、石山はその裏に笹山の影を見た。あの狸が静かに手を引いたのだ。「狸の尻尾は長いな」と呟いた。
マニラの夜風がカーテンを揺らし、熱帯の闇に独白を溶かした。




