懺悔
天罰など無い。あるならば今ごろ私はここにいない。
誤解を恐れずに、言い訳を排して書きますに、私は詐欺師でした。ある宗教団体に所属し、その教えを広めるために、悲しい人や苦しんでいる人にたいし、友のような顔をして、近づいたのです。
己が信じる思想信条を他者に「良かれと思って」広める行為は、その思想信条を共有する仲間(教団)内では「伝道」「良い事」として語られるでしょう。しかしいったんその集団の外側に出てみると、景色が違って見えるはずです。おそらく。
ある集団の内部にいるという事は、そういう事なのです。それは、病識が無い人のようなのです。傍で見ている家族には、その人はあきらかに病んでいるのがわかる。しかし本人には自覚が無い。それを家族から指摘されると、虐待または迫害だと考える。それが、信者というものの実際なのです。
はじめの言葉を、もういちど繰り返して、この文章を閉じようと思います。
私は、悲しい人や苦しんでいる人、誰にも相手にされなくて孤独な人にたいし、友のような顔をして、じっさい友のように親身に接し、誘いを断りづらくするよう仕向け、結局は、深入りすれば破滅するカルトに勧誘したのです。毒の沼地の前で言葉巧みに誘う妖怪のように。
現代の、顔が見えない友人が当たり前のような、この時代の人へ。元・妖怪より。
「言葉を信じるな。少なくとも私は、顔を見た事も無いような人に、大事なものを渡したりはしない」
この文章に目を止めてくださった方。良き人生を。そして、良き眠りを。
やっぱり現代詩は苦手。




