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いつか終わる物語  作者: むらさき毒きのこ
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幸福になりたいという病

 前回の話題が若干きつい内容だったので、仕切り直しをしようかなあと思います。


 今日のテーマは「幸福」なんですが、何でふつうに「幸福について」とせずに「病」まで付けたのかといいますとですね。何でも、やりすぎると弊害があるんじゃないかなあという問題提起ですね。


 さて、幸福というときにみなさんは、どんな事を考えますか。お金がある事でしょうか。それとも健康である事でしょうか。


 まず、世の中には様々な楽しみがあると考えるときに、それを楽しむための「体」、それも、健康な体がなければ、楽しみを享受(きょうじゅ)できないのではないか、そんな風に思うのです。いかがでしょうか。


 という事で、幸福という事の前に、健康であるという事に注目したいと思うのです。

 で、健康とは何ぞやという事でですね。日本の義務教育の教科書にも出てくるであろう(昔習ったなあ、という記憶)「WHO(世界保健機関)」の、健康の定義から考えてみようと思うのです。



「健康の定義」

1947年に採択されたWHO憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。


「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」

(公益社団法人 日本WHO協会ホームページ 2021/12/5閲覧)



 この定義に関しては色々検討の話があるようなんですが、現行の内容を掲載するに留めておきます。

 そんで、上記の定義から考えるに健康とは、個人だけでは成立しない事が見て取れると思うのですよ。つまり、「社会的にも、すべてが満たされた状態」である事、それが健康であると。


 社会的にも健康であるというのは、身近なことでいうところの、人間関係や仕事、学校生活が楽しい、という事だと言えるのではないでしょうか。そしてそういう個人というのは、幸福だと言えるのではないか。


 そうだなあ。生きていて楽しいと思える状態は、いわば「ふつう」だと言い換える事ができるのではないか。もしも生きていて辛いという人がいたらそれは、健康ではないと言えるのか……


 そこで、思い出してみるのです。自分は健康であるかと。また、周囲にいる人たちは健康なのかと。よくよく見渡してみると、健康だと言い難い場面も、あるのではないだろうか。

 しかしだからといって、本人が納得していたならばそれでいいのではないだろうか。WHOさん、健康の基準ちょっと高めじゃないっすか。そう思う人もいるかもしれません。(どうだろう)


 とまあ、健康の定義を見て心がざわつく人もいるかもしれないんですが、それはそれでいったん置いときましょう。なぜなら定義は定義でしかなく、何かを強制するための法律でもなんでもないのですから。

(定義をもとに法律が作られたりする事はあるかもしれない)


 さて、個人の幸福追求行為同士が衝突したとき、喧嘩になる事がある、というのは皆さん経験がある事でしょう。きょうだい同士のおやつの取り合いとか。誰が何を何個食べたとか、喧嘩をした経験がある人はけっこういらっしゃると思うんです。(うちが貧乏だっただけかもしれないが)


 例えば、猫の事が大好きなご近所さんが、野良猫に餌をあげているとして。結果として野良猫が集まってきて、繁殖したとします。あなたの(私の)家の周りは猫の糞尿の臭いでひどい事になりました……こういう事があった場合、あなたはどう思いますか。私は、困ったなあと思いますね。だって、猫のおしっこってすごく、酷い臭いですから。


 そんで、猫のおしっこ問題をめぐって、ご近所さんとの交渉がはじまるわけですよ。または、別のご近所さんと「困ったわねえ」なんて噂しあったり。こういう事は、しばしばあるのです。場合によっては、ご近所トラブルに発展する事も。


 私のご近所さんの場合は結局、住人が大家さんから追い出されてしまいました。そして猫屋敷は、取り壊されてしまったのです。この結果に、もうちょっと穏健な方法はなかったのかなあとも思いましたけど……土地建物の持ち主の判断ですから、どうとも言えませんたでした。そして内心、ああよかったと思う部分もあったりして。でも、年の瀬に住処(すみか)を無くした老夫婦の事を考えると、喜べない部分もあったり。


 幸福の話からご近所トラブルの顛末(てんまつ)の語りになっちゃったんですが、話はこうです。

 周囲とうまくやりつつ、ほどほどに幸せを感じて生きる。これが、妥当な幸福というものではないかなあ、と。


 で、何がなんでも自分の思う通りに生きるんだ! 他の人に迷惑をかけても構わないから! となったとき、それは「幸福になりたい病」なのではないかなあと思うのです。まあ、その「加減」をうまくやれる人ばかりなら、だれも苦労などしないのです……


 なんだかゆるい感じで終わるのですが、今日はここまでとします。

 お読みくださり、ありがとうございました。みなさま、良い一日を。

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