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いつか終わる物語  作者: むらさき毒きのこ
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学問と宗教② マックス・ヴェーバーって、プロ倫書いた人の事じゃないの? の巻

注)著者は、文章見たら分かると思うんですが、博学でも賢くも無いです。取り上げる題材を上手く料理できるほど、この分野について熟知していないです。ただ、思った事を書いているにすぎません。

 前回の続きに入る前に、ひとつ小話を。

 学問の起源という時、みなさんは何を思い浮かべますか。古代ギリシアの哲学でしょうか。今、手元にある「哲学大図鑑 ウィル・バッキンガム ほか著・小須田健 訳(三省堂)」の20~21ページの時系列を見ると、以下のような事が書いてあるのです。


・紀元前624年~546年、知られているかぎりで最初の哲学者「ミレトスのタレス」が、私たちが住んでいる世界にかんする問いへの「合理的解釈」を探し求めた(それ以前は、そうした根本への問いへの答えは宗教に求められていた)

・紀元前551年、孔子の誕生(と伝えられている)……仁と礼を土台とした哲学

・紀元前480年、ブッダが亡くなる……宗教にして哲学でもある仏教

・紀元前469年、ソクラテスの誕生……問答法の創始者。その後の大半の西洋哲学にとっての土台となった

・紀元前385年ころ、ソクラテスの弟子プラトンが、アカデメイアをアテナイに創設(アカデミーの由来)。学校の起源といわれている


 こうして見てみると、学校の起源である「アカデメイア(哲学の学校)」創設に至るまでには、色々あったんだなあという事がわかります。そもそもなぜ哲学が生まれたのかといえば、慣習や宗教以外の「理性」に基礎をおいた研究を開始した人がいたからと言われています。何でそうなったのかといえば、宗教的説明にたいする不満があったんですね。例えば、「この世は神が作ったのだ」という説明だけでは物足らないと思う人がいた、という事でしょう。

 以上のことから踏まえるに、人類の知的好奇心の探求は、宗教から始まったといえるのです。


 書いてて頭痛くなってきたんで、いつもの調子に戻るとします。

 サブタイトルにある「プロ倫」っていうのは、なんか長いタイトルの本の事なのです。それは、こんなタイトルです。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」といいます。著者は、マックス・ヴェーバーです。だれだよそのオッサン、と思う人もいるかと思うんですが、経済学を含む社会科学全般の研究者で、超有名人と覚えておけば、だいたいいけると思います。(何が)


 で、本題に入ります。前置き長かったですね……

 ある日、とある大学で経済学のなんちゃら研究(聞いたけど忘れた)をしている研究者「Nさん」が、マックス・ヴェーバーの本がどうとか言うので、私こう言ったんですよ。「ヴェーバーのプロ倫読む前に、プロテスタントって何だろと思ってさ。キリスト教の事調べたよね」って。そしたらNさんから、こう言われたんですよ。


「あなたの学校、宗教の学校だっけ? ああ、社会学? 社会学なんて時代遅れで、終わった学問ですよ。ヴェーバーの本を読むのにどうしてキリスト教なんですか。別の本じゃないですか」と。


 まあ、海外からの留学生なので、物言いがストレートなのはご愛敬です。

 というわけで、経済学の人から馬鹿にされた私は、社会学の立場ってなんだか悲しいものがあるなあ、と情けない気持ちになったのでした。ちなみに、法律を学んでいたという人からも「社会学はもう終わってる学問だ」と指摘された事があります。あー、何とでも言ってくれ!


 とまあ……何が言いたいんだっけか。もう、今日はこれでやめときます。なんか、お菓子食べたくなってきました。


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