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いつか終わる物語  作者: むらさき毒きのこ
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読者の反響から考えた事(俺だって我慢しているんだよ問題)

 この連載、どこまで続けるんだろうなあ。ある物書きに因んで、百話で完結にするかな。なんちゃら百本ノック、的な。


 それで、今回のお題は「読者からの反響」ですね。反響っていうのは「小説家になろう」における感想および評価の事なんですが、そうだなあ。所感を述べるに、読者の神経にクリティカルヒットしちゃう時がたまーにあるんですよ。(こんな事は自意識過剰も甚だしいと思うので認めたくはないが)私が詩とかエッセイ書くと。なんかこう、気にしてた事を責められたような気分になって、怒ってくる読者がたまにいらっしゃる。


 誰だったかなあ、この世は「無」だとか言ってたのは。目に見えるいっさいは、その人の主観で出来ている、という考え方。まあ、頭の中で理屈をこね回す人とかはそういう事言いがちだなあというのが、私の所感ですが……一部、理解できるところもあるのです。「誰しも世の中(人)を見るとき、主観で見て、裁いているし、そうせざるを得ない」というのは。


 で、私の創作物について言い訳をするならば「これは脳内で作られた何かであって、何者かに向けて書かれたものでは無い」という事なのです。これ、何か書くたびに前書きに書いといた方がいいのかなあ。なんか、カッコ悪く無いですかね、そういうの。


 個別の事例を出してお話した方が分かりやすいと思うんだけど、それをやると色々大変なので、そうだなあ~。私はこう思っている、という話をしようかな。


 まず私は、たとえ親兄弟であっても、頼まれもしないのに個人の問題に介入する、される行為っていうのを好まないです。なぜならそれは、支配、被支配、共依存に繋がる行為だと認識しているからですね。

 であるから、善意というものの使用法に関しては、懐疑的なのです。やたらめったら「善意はすばらしい」というアナウンスを見たり聞いたりすると、恐ろしくなるのです。


 こっからは少しばかり理屈っぽい話になるんですが……私は今、社会福祉士になるために色々授業を受けているのです。そんで現在二年目になるんですが、まあ耳にタコが出来るくらい言われる事があってですね。「私たち援助職は、奉仕の精神で援助を行うのではない。法と、専門職としての倫理綱領を拠り所とした、専門的援助を行う」「課題を乗り越えるのは、ご本人である」「クライエントを、援助者に依存させてはならない」というものです。


 まあ、いろんな表現があってしかるべきだとは思いますが。私が今こうしてボヤく自由があるのならば、私たちはこの世を照らす光となりましょう、というある種の思想を、詩やエッセイで訴えかける物書きのある種の活動も、自由である。たしかに思うところはあるんですが、書くなとは言いたくはないですね。そこを否定してしまうと、物書きという存在を否定する事になると思うから。

 こんなんでどうでしょうかね。(誰に言ってる)


 それにしても……小説書きてえなあ。

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