人を脅してはいけません、という話からの……
「忠臣は二君に仕えず」に似たことわざに「だれも、二人の主人に仕えることはできない」というものがあります。後に続く内容は、聖書の言葉であるので説教臭くなるんですが、引用するからには正確に記述するほうが読み手に対して誠実であろうかと思うので、記しておきます。
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。 一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。 あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイによる福音書 6:24)
何でこの言葉について考える機会があったのかというと、ここは小説投稿サイトなんで、それにまつわる事を書こうと思うんですが。なんだろうなあ。みんな仲良くするっていうのは、ある時点で不可能になる時もある、って話なのです。
どういう事かというとですね。ここは見る人も少ないんで、ボチボチ語ろうかと思うんですが……私は最近、あるものを見たのです。それは旧知の人間が、脅迫に近い内容の言葉を発信していた、というものでした。誰に向けて発信していたのかといえば、他の(やや迷惑系にあたる)表現者に対してです。見た場所は、なろうではありません。別の場所です。まあ、なろうでも「これ完全に脅迫やん」っていうのを見た事はありますがね。
私はこういう風に思っているのです。どんな理由があるにせよ脅迫(犯罪)は脅迫(犯罪)であると。
そんな風な気持ちがまずあるものだから、旧知の人のはずだった人物がなんだか遠く感じて、今まで見ていたものは何だったんだろうっていう感傷が……そういう時に、まず心の中での、離別というものが生じる気がします。
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自分の価値観というものがあって、「仲間だから」という事情と対立する事はあるのです。たまに。例えば、相互お気に入りユーザー登録していた人が、他人を脅すようなものを投稿しているのを見たら。本人に「やめなさい」と注意するか、しないか。注意するリスクが大きいと判断した場合は、そっとフォローをやめる場合もある。もしかしたらその事で揉めるかもしれないと気をもむくらいなら、ブロックする事もあるのだ。
「こういう事はやめたほうがいい」と注意しあえる関係性というのは、本当に貴重なものであると思う。褒め合う関係というものは実際、褒め合う事をやめなければある程度、維持できるものだ。しかし、良くない事をした時に注意できる、される、そして関係が切れないというそれはもしかしたら、値段が付けられないほどの価値があるものなのかもしれない。
もしかしたら。




